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“ネット・読書・映画”をはじめとする頭を使うインドアな活動も好きですが、“登山・ランニング・ロングトレイル”といった身体を使うアウトドアの活動も好きです。 『社会科学・人文学』の知見をベースにしてますが、世の中や人間、精神、自然、ビジネスに対する興味関心をあれこれ満たせるようなコンテンツをちょこちょこと書いていきます。 毎日を楽しく有意義に過ごすための『楽観主義(オプティミズム)』と悲観主義に陥らない程度にリスクに備える『現実主義(リアリズム)』とのバランスを取っていきたいなと思っています。

佐世保市高一殺害事件と加害者のパーソナリティー形成:マンションの一室・大金(現金100万円)を与える親子関係の問題

小動物の殺害・虐待は共感性や道徳観念を欠く行為障害(反社会性人格)の兆候で、サイコパスの生活歴に含まれやすいが、『親子間の愛着・対話・感情の共有』が欠如した家族歴の問題も想定される。

<高1同級生殺害>冷蔵庫に猫の頭部 現金100万円も所持

弁護士・資産家とされる父親は、謝罪文の文面を見ると法律家・常識人としてまっとうな文章を書いているが、父親の『生活態度・女性関係・妻や子供との向き合い方』などを見ると『子供のためにできる最善のことをしてきたつもり』の部分には疑問も感じざるを得ない。社会的地位や公的言動を踏まえた外面はしっかりしてるが。

海外のサイコパスや大量殺人犯の生育歴は様々ではあるが、経済的には比較的裕福な家庭で育った者もいて、『金銭と愛情を混同させるような育て方・親との愛着(アタッチメント)や共感感情の欠落・虐待や差別感情(世の中には生きる価値のない人間がいる等)の正当化』が人格形成に一定の影響を与えたと推測される例もある。

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笹井芳樹副センター長の職場での死:小保方晴子氏のリケジョのキャラをメディアで押し出した理研の杜撰さ

STAP細胞研究は小保方晴子氏というリケジョなキャラを全面に立てて発表したため、研究不正の発覚後に『悪目立ちの副作用』が大きく出たが、『理研の意図的な研究プロモーション』に慎重さが不足していた。

<理研>笹井芳樹副センター長が研究棟で自殺 現場に遺書

STAP細胞という科学研究の画期的な成果を、マスメディアを通して一般向けにわかりやすくプロモーションするために、理研は小保方氏というタレントを利用したが、『小保方氏の研究者としての能力・誠実さ及び論文内容の査定』が甘すぎた。感情も大きく関与する『人と人の関係』では科学的視点も鈍りがちだが、指導者としての笹井氏の甘さも含めて、研究不正を後押しする形になってしまった。

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理研・CDBの笹井芳樹副センター長の自殺。バッシングによる心身の疲労と科学者としてのアイデンティティ(組織内のスタンス)の揺らぎ

科学者として最高のキャリア・実績を積みノーベル賞候補とも評された笹井氏だが、今まで目立った挫折がないだけに『CDBでの立場の変化・推薦したSTAP研究の否定』に対応できなかったように思える。

「心身とも疲れていた」=笹井氏自殺で会見―理研の広報室長

笹井芳樹氏は日本を代表する科学者であり、理研CDBの実質的な創設者でもあるが、自身が指導した小保方晴子氏の研究不正の認定により、『CDBの副センター長の地位・論文指導者としての評価・STAPを支持する再生科学の方向性』を失った形になり、メディアからのバッシングや下卑た憶測記事の攻撃も激しかった。

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映画『思い出のマーニー』の感想

総合評価 79点/100点

この世には『内側』と『外側』があって、自分は他人と上手くふれあったり交流することができない『外側の人間』だと思い込んでいる内向的な少女の杏奈。気管支喘息の発作がある杏奈は、美術の授業で写生をしている時に発作を起こして塞ぎ込んでしまう。喘息による健康上のコンプレックスや活発に動けないこともあって、学校の友達と親しく打ち解けることができずにいる。

血のつながりがない母親・佐々木頼子との関係も、母親が行政から特別な育児手当てを受け取っていることを知った時からぎくしゃくし始めている。頼子はとても優しくて杏奈を実の子供として大切に育てているのだが、手当てのことが脳裏にちらついて、自分が母親の本当の子供ではない(もしかしたらお金がもらえるから大切に育ててくれているだけかもしれない)という現実がのしかかってくる。頼子も杏奈のよそよそしい反応を感じ取って、どこか他人行儀な距離のある遠慮したやり取りになってしまいがちである。

自分の心を開くことができず、学校で友達がいないことも合わさって、杏奈はますます自分を外側の孤独な人間(みんなとは決定的に違っている人間)、誰とも親しく理解し合えない人間だと思うようになっていく。他者との交流を拒絶して自分の殻に閉じこもってしまいやすい杏奈の転機は、喘息の転地療法で親戚のおじさん・おばさんがいる『海辺の村』に行ったことから始まる。

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映画『るろうに剣心 京都大火編』の感想

総合評価 90点/100点

戊辰戦争から10年以上の歳月が流れ、西郷隆盛の西南戦争で“殺人のための剣”を生業とする士族の旧弊な残党勢力は敗れて、歴史の表舞台からの退場を余儀なくされた。武士の特権である帯刀を禁止された四民平等の明治の世、幕末動乱期の薩長のように暴力で地位や勢力を得ることは不可能になり、腕のある人斬り・剣客・無法者といえども刀を捨てて近代的な明治維新に適応するしかなくなったのである。

戊辰戦争で官軍(長州藩)について要人暗殺を繰り返した“人斬り抜刀斎”こと緋村剣心(佐藤健)だが、剣心の後に人斬りの暗殺者として官軍に雇われたのが志々雄真実(ししおまこと・藤原竜也)だった。志々雄真実は剣心に匹敵する剣術の使い手で、戦争では無数の敵兵を斬り殺し、政変では多くの幕府の要人を暗殺して、討幕に大きな貢献をした。

だが、新政府の大義名分を失わせる暗殺の秘密を知っているということで、志々雄は突如味方から裏切られて斬り付けられ、その身体に油を掛けられて激しく燃やされた。奇跡的に一命を取り留めた志々雄真実だったが、容貌の原型を留めない程の大火傷を負い、ケロイドとなった全身に薄汚れた包帯で巻きつけ、明治政府に対する『復讐の鬼』と化す。

『政府転覆・弱肉強食の新世界(弱者の自然淘汰)』のために、新しい太平の世から爪弾きにされて腐っている剣客や無法者を集め、反政府活動を行う一大勢力を結成した志々雄真実は、次々と地方の村落を勢力圏に収め始めた。危機感を募らせる明治政府は、繰り返し討伐軍を編成して志々雄一派が支配する村に差し向けるが、その全ては返り討ちに遭ってしまう。元新選組・三番隊隊長の斎藤一(江口洋介)でさえも、火計の罠にかかって部下を全員焼き殺され、遂に志々雄を討ち取ることはできなかった。

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動物の権利と人間のエゴイズム:加速するセンシティブな倫理観

20世紀後半から倫理学には『動物の権利(アニマル・ライツ)』という分野が設けられたが、動物の生命や感覚にも『人になぞらえられるべき一定の価値』があるという倫理観・判断基準は比較的新しいものである。

人間は動物を家畜化して食肉にしたり、医学・科学の発展のために実験動物として利用したり、学術・鑑賞のために動物園の檻(研究室の飼育環境)に閉じ込めたり、愛玩するために品種改良したり飼育したりする。

その意味では、人間は動物を人間のための『価値ある資源』として利用する存在であり、『動物虐待』と『必然的・不可避な利用(食用・鑑賞用・飼育用・実験用など)』との差違もまた人間的な感情や感覚の受け取り方に由来することになるだろう。

一方的に殺される側、利用される側の動物からすれば、『人間の側の理由・事情・必要性』などどうでもいいことではあるが、動物は人間との知能・実力(戦闘能力)の差によってどうしても『一切殺されない・利用されない存在』になることは現実的に不可能である。

映画『猿の惑星』のシーザーのように、人間と同等の知能と意思疎通能力・戦闘能力・道具製作を持った『新たな種(人類の天敵の種)』でも出現しない限り、地球上において『食肉・飼育をはじめとする人が必要とする動物資源の利用』を実力行使でやめさせられる種は不在だからである。仮に、進化した類人猿や宇宙から飛来した異星人に、人類が取って代わられたとしても、次は『人類に代わった優性種』が他の動物資源を利用しないという保証は何らないが。

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