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“ネット・読書・映画”をはじめとする頭を使うインドアな活動も好きですが、“登山・ランニング・ロングトレイル”といった身体を使うアウトドアの活動も好きです。 『社会科学・人文学』の知見をベースにしてますが、世の中や人間、精神、自然、ビジネスに対する興味関心をあれこれ満たせるようなコンテンツをちょこちょこと書いていきます。 毎日を楽しく有意義に過ごすための『楽観主義(オプティミズム)』と悲観主義に陥らない程度にリスクに備える『現実主義(リアリズム)』とのバランスを取っていきたいなと思っています。

大卒前提の子供の教育費高騰は、『非機能的な孔雀の羽根』の華美化のようなものか。

希望すれば(どこの大学でも良いのであれば)ほぼ全員が大学に進学できる『大学全入時代』と揶揄される現代では、『大学に行くことの利点』よりも『大学に行かなかったことの特殊な事情・要因』に注目されて不利益を受ける恐れが高まってしまった。

2千万円以上かかる子育て費 捻出に重要な「貯め期」は

つまり、それほど頭が良い人でなくても(平均レベルかそれより下の学力の人でも)それなりに学校に適応して勉強していれば、どこかの大学には入れたはずなのに行かなかったのはなぜなのかという痛くない腹を探られやすいという心情的ハンディがある。単なる形式的な学歴の資格要件というのは『本人の優秀性・有能性』を評価するものではなく『本人の意欲・家庭環境(経済状況)・交遊関係の特殊的な問題点』を勘ぐるような基準を背景に持つ文化階層主義的な趣きを持つ。

例えば、パチンコ屋のホール作業であるとか営業事務・警備員・工場作業であるとか、その仕事内容そのものに学力・知性の高低が何ら影響しないと思われる仕事の募集であっても、応募資格に『高卒以上』と書かれていて中卒者の応募を未然に排除しているケースは少なからずある。中卒者でも真面目に働く意欲があって素直に学ぼうとする性格であれば、こういった仕事への職業適性は相当あるはずなのだが、なぜか企業の多くは門前払いを喰らわす。

それは現代では高校に行くのは当たり前という価値観が極めて強いために、『敢えて高校に行かなかった(行けなかった)理由』を様々に推測するためで、高卒者のほうがより無難な採用に感じられるので、『人物評価のコスト』を節約したいからである。

中卒者と高卒者の双方を比較して、その具体的な人間性までは到底面接で評価しきれないが、高卒者のほうが『社会の平均的な価値観・常識』に沿った性格・生き方である蓋然性が高いと推測すること(9割以上が高卒以上でありそれに合わせているから)で、そこに足切りの意味での資格要件が設定される。高卒者の割合が5割を切っていた1960年代頃までは、それなりの規模の一般企業でも学歴による足切りはなく、中卒ですぐに都市部に出て就職し、それなりの昇進ができた者も少なからずいる。

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『憲法9条』のノーベル平和賞への推薦とその有効性の考察:日本国内における憲法9条を巡る価値観の対立

『憲法9条』をノーベル平和賞に推薦することは、日本国が政策的・侵略的な戦争(武力による威嚇)を遂行しないと決めた最高法規を持つ立憲主義の国であることを世界に改めて示す効果はあるが、仮にノーベル平和賞を受賞したとしても『日本以外の国』に憲法9条のような平和条項を導入させる働きかけをしなければ、国際平和への貢献にはつながりにくいだろう。

ノーベル平和賞:「憲法9条」が候補に 受賞者は日本国民

憲法9条に対する誤解として、9条の平和主義(戦争放棄)は無抵抗主義で平和ボケだという誤解があり、外国から攻撃されたり侵略されたりしても無抵抗でやられるだけなのかという反論があるが、憲法9条の規定があっても自然権に由来する『個別的自衛権』までは放棄できない。

9条があっても、日本側の交渉・対話・検証の求めをあくまで拒絶する一方的な外国の攻撃・侵略・テロを排除するための自衛目的に限定された反撃は当然に許される。日本の領土を直撃しない北朝鮮の国威発揚のミサイル発射実験に対して、現状でも破壊措置命令は出されているが、9条の規定によって日本の側から『戦争・武力(軍拡・核武装)・集団安保』を盾にした要求・交渉・威嚇はしてはならないという国家権力の歯止めが効かされている。

戦後日本の平和と安全は『憲法9条』によってもたらされたものではなく、平和主義と戦争放棄、軍隊の不保持のお題目を唱えているだけでは平和・主権は維持できないという意見もある。

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教育格差(学力格差)と親の学歴・収入との相関による格差の世代間継承問題:どんな家庭環境や親の態度が子の学力を伸ばすか。

親の学歴・収入が高いほうが子供の学力(学習成績)が高いという相関関係は、『教育格差の世代間連鎖』や『格差固定(階層分化)の要因』として取り上げられることが多く、そういったことから生まれた家庭・親が悪ければ努力しても無駄だという極論にも行きやすい。

「親の年収が高い子どもの学力は高い」と調査結果、これはどう考えたらいい?

だが、教育格差の根本的な原因は『子供に対する学習の動機づけ・親も一緒に学ぶ姿勢』や『学習環境や対話環境の整備・科学や教養の世界への自然な導入』にあり、教科の成績のみに関して言えば、必ずしもお金があれば塾・学校・家庭教師などに多額の教育投資をできるから有利だという話ではない。

学歴・収入が高いほうがより多くの教育投資をしやすいから学力の格差が開くのではなく、『人生における勉強や教養の必要性・有効性・面白さの認識のレベル』が高い人が高学歴者・高所得者には相対的に多いため、小さな頃から子供の学習・知的好奇心の動機づけが自然に高められやすいという有利さがある。

それは、単純に遊ばずに勉強しろとガミガミうるさいだけの親というわけではない、それぞれの年代に見合った『学ぶことの面白さ・問題を解ける楽しさ・幅広い分野の知識を増やしていく好奇心』を普段の何気ない会話や家に置いてある本(読み聞かせする本)などから伝えられる親ということであり、学者の子供が同じ分野の学者になりやすい世代間連鎖の要因なども、『家庭環境における親との会話内容や家にある本のゆるやかな専門性』に影響されているとも言われる。

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静岡県沼津市の小学生男児の交通死亡事故:理不尽な事件・事故のゼロ化への欲望の向かうところ。

29歳の中学校教師が運転する軽自動車が、10日午前6時55分ごろ、静岡県沼津市松長の県道交差点で中央線を越えて小学校4年と5年の男子児童2人をはねて、小学校5年生の男児が死亡したという自動車事故。

2児はねられ小5死亡 運転の中学教諭、過失致死傷容疑

子供が犠牲になる自動車事故はより一層の悲しみや理不尽を感じやすく、当事者以外にも共感・同情されやすい。また、死亡事故を起こした加害者への怒り・不満・処罰感情が集中しやすく、インターネットでは交通死亡事故や無謀運転の結果の事故を引き起こした加害者には痛烈な道徳的非難や人格否定のコメントが叩きつけられることになる。

一方で、意識や認知、能力、健康状態が不完全な人間が運転する車は、どれだけ注意していても死亡事故の刑罰を引き上げても、確率論的に交通事故を起こすという側面を否定できず、重大事故や死亡事故を起こした加害者にしても事故を起こしたくて起こしたという人はほとんどいない。事故後にどれだけ激しく罵倒されたり誹謗中傷されても、それによって現状以上に交通事故件数や交通事故死者数が大きく減る可能性は低いだろう。

高度経済成長期に毎年約1万5千人以上の交通事故死者を出した『交通戦争』と呼ばれた1960~1970年代の時代から比較すれば、交通マナーの向上や飲酒運転・危険運転の厳罰化が為され、人命を奪い人生を狂わせる自動車事故の恐ろしさの啓蒙が進んだ現代は、かつてよりも交通事故で死ににくい時代(認知症者なども含む高齢者がひかれる事故件数は増加しているが)になってはいる。

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松本清張の『啾々吟(しゅうしゅうぎん)』の感想:人に容れられなかった石内嘉門の不条理な運命

肥前佐賀藩(鍋島藩)において、幕末の弘化三年丙午八月十四日に生まれた三人の男。

肥前守・鍋島直正の嫡男である鍋島淳一郎(なべしまじゅんいちろう)

鍋島藩家老の子である松枝慶一郎(まつえだけいいちろう)

二百俵三人扶持御徒衆・石内勘右衛門の子である石内嘉門(いしうちかもん)

同年同月同日に生まれた鍋島藩の三人は、『大名の子・家老の子・軽輩(身分の低い藩士)の子』とそれぞれに境遇が異なるが、封建時代の身分の格差・遺風は三人が成長して明治維新を迎えてからも、どこか宿命的な影を落として消えることがない。

全く同じ日に産まれたという主従関係の因縁によって、松枝慶一郎と石内嘉門は君主となる鍋島淳一郎の近習(お側付きの学友)となり、その中で最も学識の才能を示した頭脳明晰な若者は石内嘉門であった。

三人の先生である藩儒・草場佩川(くさばはいせん)は、学問に熱心で聡明・利発な石内嘉門を初めは評価して、特別に高度な内容の個人授業を施していたのだが、後に『頭脳(あたま)はたしかによいほうです。だが、どことなく、可愛気のない子ですな』と嘉門の人物を気に入らない様子を見せる。そして、この『上の人から好かれない・能力を他人(世の中)に受け容れられない』ということが石内嘉門に時代を超えた呪縛・怨念のようにまとわりついて離れず、次第に嘉門の人間性を腐らせていく。

石内嘉門の人物と才知を最も高く評価していたのは幼馴染の松枝慶一郎であり、松枝は何とかして有能な嘉門を取り立ててやろう推挙してやろうと腐心するのだが、『松枝だけが認める嘉門の人物・能力・才覚』はどうしても他の上の人間には受け入れられず認めてもらえない。同じ日に生まれて長らく側に仕えていたはずの主君・鍋島淳一郎(鍋島直大)からも次第に冷遇されて遠ざけられていく有様である。

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松本清張の『梟示抄(きょうじしょう)』の感想:元参議兼司法卿の江藤新平の無残な最期

松本清張が幕末から明治初期の時代を題材に取った最初期の短編集『西郷札』は、歴史小説の読み応えのある秀逸な短編が多く収載されている。ミステリー作家ではない松本清張の歴史的な人物の選定眼や独自の歴史解釈の妙味を味わうことができる一冊だ。

『梟示抄(きょうじしょう)』とは聞き慣れない言葉だが、端的には明治初期の刑法にあった梟首刑(きょうしゅけい)を受けた人物の抄訳という意味である。梟首とは犯罪者が斬首(打ち首)にされた後に、三日間にわたって晒し首にされる見世物(見せしめ)の要素のある公開処刑のことであり、日本でも1879年(明治12年)の太政官布告で非近代的(野蛮)な残虐刑として廃止されるまで存続していた。

江戸時代には、下手人の首を市中で晒し者にする『獄門』と呼ばれる刑罰が梟首に当たるが、死体の埋葬や葬礼を許さない名誉剥奪の刑罰という側面も濃厚に持っている。

明治維新の後、『征韓論』を主張して政争に敗れた西郷隆盛を押しのけ、最高権力の座に上った参議・大久保利通は、この梟首刑を『佐賀の乱(1874年)』を主導した江藤新平に対して容赦なく執行するのだが、元司法卿(元閣僚)の法理を修めたエリートであり維新十傑に数えられる肥前出身の江藤新平を『ただの賊(反政府勢力)』として名誉を奪い晒し首にしたことで、大久保利通は薩長藩閥が要職を悉く牛耳る政府(官軍)の正当性を天下に知らしめることとなった。

江藤新平が司法卿の地位を辞任して故郷に下野した理由の一つは、『征韓論が容れられなかったこと』であるが、その前段階として『裁判所増設・司法権の独立のための司法改革』を長州閥の井上馨と山県有朋に妨害されており、江藤新平の内心では『薩長中心の藩閥政府に対する不満』が兼ねてより鬱積していた。

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