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“ネット・読書・映画”をはじめとする頭を使うインドアな活動も好きですが、“登山・ランニング・ロングトレイル”といった身体を使うアウトドアの活動も好きです。 『社会科学・人文学』の知見をベースにしてますが、世の中や人間、精神、自然、ビジネスに対する興味関心をあれこれ満たせるようなコンテンツをちょこちょこと書いていきます。 毎日を楽しく有意義に過ごすための『楽観主義(オプティミズム)』と悲観主義に陥らない程度にリスクに備える『現実主義(リアリズム)』とのバランスを取っていきたいなと思っています。

AKB48やEXILEは『反知性主義・反教養主義』の象徴であるという主張

が『内田樹&名越康文の辺境ラジオ』というラジオ番組で語られたらしいが、芸能・スポーツをはじめとする大衆文化というのは歴史的にも心情的にも『反知性主義・反学歴主義』であるのが普通である。

http://blogos.com/article/77754/

国民総員が知性・教養・文化主義(分かりやすい物理的・性的な価値の否定と非職業的な文化教養への耽溺)に傾けば、おそらく産業経済の生産力・雇用は維持しづらくなるし、『難解なロジックや意味づけ、専門的訓練が不要な直感的かつ本能的な魅力』は人間の社会再生産や労働意欲にとってはむしろプラスに作用することも多いかもしれない。

端的には、学校・官庁・企業の積み上げ型のキャリアが形成する『学力・勤勉・職能職歴・人脈などをプラス要素とするピラミッド型の階層構造』とは異なるフレームワークを作り出すのが、近代以降の芸能・スポーツの領域の役割である。

歴史哲学的に言えば、芸能・スポーツは『中心に対する周縁の価値体系』を構築することで、社会構成員の大多数を占める『大衆層の夢・娯楽・憧れ』を作り出す。華やかさや面白み、魅力に乏しく見える政治経済エリートのカウンターカルチャーとして、芸能・スポーツは『現代のサーカス』として喝采されると同時に、政治経済システム中枢の動向に対して国民の無関心を強めるバリアにもなる。

それらは、マーケティング・宣伝戦略を典型として経済活動の促進にも当然応用されるのだが、芸能・スポーツの一線級のタレント(選手)は、誰もが心のどこかに持つ『文明化・管理化・家畜化されたくないという人間の本能(=身体性・生物学的感受性)』にダイレクトに作用することで支持・人気を集める力(カリスマ性)を持つ。

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2014年の日本の政治・経済・安全保障をどのように見通していくか:昨年からの経済成長の勢いと財政再建の転換点の見極め

2013年は参院選挙に自民党が勝利したことで“衆参のねじれ”が解消して、『自民党の一強多弱の政党政治』の路線が確立し、アベノミクスの異次元の金融緩和と公共投資が行われた。安倍政権は市場に大量のマネタリーベースを供給することで企業活動を支援して、政権初期のスタートダッシュを掛け、株価を急騰させる成果を上げたが、円安に大きく触れた反動で『食品・原油・電気ガス』のコストも上がる傾向にある。

安倍政権が今年の経済政策の課題として上げるのは、『企業の景気回復の実感が労働者にも及ぶようにすること』と『8%への消費税増税によって景気が腰折れしないこと』である。

だが、企業規模の大小や企業業績の格差、旧国営企業の好調、軽減税率導入の先延ばしなどを考えると、『アベノミクス効果の給与への還元・消費増税後の景気実感』にはかなりの格差が開くことになりそうな雲行きである。

雇用法制についても、『労働者派遣法の規制緩和+ホワイトカラー・エグゼンプション(管理職と見なされる労働者の労働時間規制の撤廃)の導入』が検討されているが、これらの雇用改革は一般労働者のメリットというよりも経営者のコスト削減に貢献するものである。

すべての職種で有期の派遣労働を可能にして雇い止めの違法性を無くす派遣法の規制緩和は、確かに『労働市場の流動性の上昇+労働者採用の実力主義の競争』というメリットも生まれる可能性はあるが、現状の日本の雇用制度はそういった市場的な競合性を公正に判断する指標そのものを持っておらず(そもそも既存の正社員を任意に解雇した上で別のより有能な労働者と入れ替えることは現状では労基法に反する違法行為である)、画餅に過ぎないようにも思える。

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映画『永遠の0』の感想

総合評価 90点/100点

祖母・松乃の死をきっかけにして、祖父の賢一郎(夏八木薫)が『二人目の夫』だったことを初めて葬式で知らされた佐伯健太郎(三浦春馬)は、祖母の初めの夫である宮部久蔵(岡田准一)が鹿児島県の鹿屋航空基地から米艦船に突撃した特攻隊員であったことを知る。

母・清子の血縁上の父親は賢一郎ではなく、特攻隊員として散った宮部久蔵であり、健太郎はフリーライターの仕事をしている姉・佐伯慶子(吹石一恵)の勧めもあり、実の祖父である宮部久蔵がどんな人物であったのかの調査を始めることになった。

ラバウル航空隊に所属していた元海軍のパイロットや戦友たちから嘲笑混じりに聞かされるのは、『海軍一の臆病者・卑怯者』『何よりも命を惜しむ情けない男』『戦闘を避けて逃げ回っているばかりの奴』など散々なもので、健太郎は話を聞く度に暗く情けない気持ちになり、調査を続行する気力を失いかけていた。

しかし、末期がんで病床にある元海軍の井崎(橋爪功,青年期:濱田岳)の話はそれまでの戦友の話とは異なっており、『宮部さんは圧倒的な凄腕のパイロットだったが、奥さんや娘の元に会いたいという思いから何としても生きて帰りたいといつも口にしていた。あの時代にそんな意思を持つこと自体が強い人だったという証拠だ。自分も死ぬことを考えず何が何でも生きる努力をしろと励ます宮部さんによって生命を救われた』といったことを語ってくれた。

右翼の大物らしき景浦(田中泯,青年期:新井浩文)にインタビューした時に、『うちの祖父は逃げ回るだけの臆病者だったらしいですが』と笑いながら前置きした健太郎は、景浦に切りつけられるような剣幕で叩き出されたのだが、井崎の話を聞かせてもらいもっと祖父の過去を詳しく知りたいという思いで、深夜に景浦の自邸を再訪する。

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映画『利休にたずねよ』の感想

総合評価 84点/100点

市川海老蔵演じる千利休の濃い存在感や自負心の強い台詞回しが印象に残る映画。千利休が豊臣秀吉(大森南朋)に切腹を命じられた理由や背景を、当時の人間関係とエピソードの中で多面的に捉えている。

権力ですべてを牛耳る専制君主となった秀吉に対して、唯一分かりやすい形で跪かない男が茶頭の千利休であり、利休は面従腹背してはいたものの、次第に秀吉にとって目障りな存在になってくる。

千利休もまた『自分は美しいもの以外には従わない』という頑なな姿勢を鮮明にし始めるようになり、間接的であるにせよ、『権力・暴力による強制的な支配』に頼っている秀吉を、“権力の通じない茶の湯の境地(芸術的な高み)”から見下しているかのような態度に見られてしまうようになる。

物語を盛り上げるために創作した高麗の王族の娘との色恋沙汰のサイドストーリーはやや蛇足にも見えるが、千利休と妻の宗恩との夫婦関係の深層を解明する要素になっている。また、千利休が秀吉に激高された理由の一つが『朝鮮出兵に対する反対(武力の無闇な行使を美に反する野蛮な行為として指弾したこと)』だとも言われており、高麗の娘との恋愛が、利休が高麗の平和(戦争回避)に思い入れをするようになった伏線になっている。

本作『利休にたずねよ』では、『利休と秀吉の確執』の中心に絶対権力者の秀吉に心から服従することのない芸術家の利休という図式を置いているのだが、上で書いた高麗の娘との悲しい恋愛の思い出(朝鮮出兵に反対する動機づけ)だけではなく、秀吉が利休の娘を側室として所望したが断られたという話も織り込まれている。

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映画『47RONIN』の感想

総合評価 76点/100点

ハリウッド版の『忠臣蔵(赤穂浪士)』だが、冒頭の浅野内匠頭長矩(田中泯)の狩猟に巨大なモンスターが登場するように、VFXの激しい剣闘を楽しむためのファンタジーアクション映画として再構成されている。天狗に育てられたとされる頭部に傷を持つカイ(キアヌ・リーブス)は、天狗の里から逃げ出す途中の山中で行き倒れになっていたが、浅野長矩の計らいで一命を助けられる。

しかし、日本人と白人の混血であるカイは成長すると共に激しい身分差別を受けることとなり、穴蔵のような粗末な小屋で動物以下の厳しい生活を余儀なくされる。天狗より教わった剣術と秘術は強力なものであり、怒涛の勢いで突進してくるモンスターを狩りに出かけた狩猟では劣勢に追い込まれた侍に代わって討伐する実力を示す。だが、自らは狩猟を許されていない身分であり、その手柄を助けた侍(自分を日頃から侮蔑している侍)に譲ったりもする。

浅野長矩の娘のミカ(柴咲コウ)とカイは幼馴染であり、カイとミカはお互いに思いを寄せ合っているが、領内の誰もカイを『侍(武士)』として認めることはなく、最下層の身分として遇されるカイがミカと一緒になることは許されなかった。播磨国赤穂藩の豊かな所領への野心を募らせる吉良上野介(浅野忠信)は、不思議な呪術を駆使する妖狐のミヅキ(菊地凛)を側室としており、ミヅキの呪術を用いて浅野内匠頭を乱心させ、将軍・徳川綱吉が宿泊中の屋敷で自分を斬り付けさせた。

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安倍首相の靖国神社参拝と国家に対する絶対的忠誠の道徳2:平泉澄の皇国史観・天皇崇拝のイデオロギーと戦争責任の曖昧化

靖国神社には、戦争指導者・軍の幕僚として徴兵をしたり従軍の命令を出した者、召集令状(赤紙)で徴兵された者の双方が祀られているという矛盾もあるが、これは『国家のために死ぬ国民教育・価値観の誘導・同調圧力の形成』をしておきながら、国体のために戦死した人を肯定的に顕彰し続けるというマッチポンプの構造もある。

安倍首相の靖国神社参拝と国体・天皇に対する絶対的忠誠の道徳1:日本でなぜ本格的に近代史の授業がしづらいのか。

つまり、靖国神社の英霊崇拝の歴史的な仕組みの問題は、これから戦争で死ぬ国民を無くそうとする平和主義(不戦の意志)の目的で建立されたのではなく、むしろ戦争で死ぬ国民がこれからも持続的に生み出される(国体や天皇のために命を捧げるような忠義の国民を育成して生存よりも戦死の価値を強調する)ことが前提になっていたことにあるように思える。

靖国神社の宗教道徳的な働きには『戦没者の慰霊・鎮魂』と『国民の戦意発揚・滅私奉公』の二つの側面があるが、空爆・沖縄戦などで戦争の巻き添えになった一般庶民の死までは慰霊していないのであり、国民の命の犠牲・貢献を一般的に慰安する施設ではない。

戦時中の右翼思想(皇国史観)の最大の唱道者で、近衛文麿・東条英機のみならず昭和天皇に歴史講義までした東大教授の平泉澄(ひらいずみきよし)は、天皇絶対主義の『平泉史学』で当時の日本人の好戦的なマインドと空気を支配した人物として知られる。国家社会主義とも親和した右翼思想家の北一輝・大川周明よりも、天皇中心の国体の至高性を強く主張している点で平泉澄の歴史学やその講義・著作は特殊なものであった。

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