Keishi. のすべての投稿

“ネット・読書・映画”をはじめとする頭を使うインドアな活動も好きですが、“登山・ランニング・ロングトレイル”といった身体を使うアウトドアの活動も好きです。 『社会科学・人文学』の知見をベースにしてますが、世の中や人間、精神、自然、ビジネスに対する興味関心をあれこれ満たせるようなコンテンツをちょこちょこと書いていきます。 毎日を楽しく有意義に過ごすための『楽観主義(オプティミズム)』と悲観主義に陥らない程度にリスクに備える『現実主義(リアリズム)』とのバランスを取っていきたいなと思っています。

“消費税増税・低所得者対策(軽減税率・給付金)”と庶民の暮らしの負担感:2

有り得ない前提だが、物価据え置きで全員の給与だけがグンと上がると、『お金』と『時間』の価値が完全に逆転するだろう。生活が楽にできるだけの一定以上の収入になると、その金額の差異や格差感には実質的な意味がなくなる。ここまで極端ではないにしても、現在でも労働時間の拘束・負担に照らして収入が少ないという問題は深刻になってきている。

○“消費税増税・低所得者対策(軽減税率・給付金)”と庶民の暮らしの負担感:1

そうなると社会全体の労働供給が減る代わりに、『個人消費』が逆に強くなりすぎて、ディマンド・プル型のインフレがエスカレートしていき、結局、みんなが物を買えないような異常な物価上昇に悩まされることになる。

その意味では、最近言われている『個人消費の落ち込み』というのも、半ば必然的な市場原理の結果であって、『個人消費の異常な強さ(みんながプチセレブになってどんどん物・サービスを買おうとして働く時間を惜しみ始める)』のほうがハイパーインフレや労働供給不足(キャリア・スキルの停滞による社会全体の技術水準低下・チャレンジする経営者や技術者の枯渇)という経済破綻のリスクを織り込んでいる。

生産コストや労働力の再生産を含む市場原理は『すべての人が楽に買い物ができる物価水準を許さない=楽に買い物できると供給不足が起こり必然に値上げし始める』からであり、資本主義経済で社会が運営される限り、『庶民の暮らしの負担感が特別に軽くなるという事態』は有り得ないというか、『お金をある程度苦労して稼いで簡単にはポンポン使えない状態(お金にはみんなが出し惜しみする程度の価値があるという共同認識)』を維持するルールを前提にして経済が回されているのである。

続きを読む “消費税増税・低所得者対策(軽減税率・給付金)”と庶民の暮らしの負担感:2

“消費税増税・低所得者対策(軽減税率・給付金)”と庶民の暮らしの負担感:1

アベノミクスによる異次元の金融緩和によって、国債残高を積み上げながらも消費者物価指数がじわじわと上がり、一部の上場企業では賃上げの機運も見え始めた。1,000兆円を突破した公的債務残高の増加は『長期金利の上昇リスク』であり、日本の国債の信用力が低下することによって財政政策と社会保障が維持できなくなるというリスクであるという点に留意しておきたい。

安倍政権はデフレ脱却のための物価引き上げ目標(インフレターゲット)を2.0%に設定しているが、政策的なインフレ誘導は別に『景気回復・賃金上昇』を約束するものではなく、原則としては『物価の上昇による売上高の増加』を起こすというだけである。

円安と資源高騰によって、『食料品・ガソリン・電気・ガスの値上がり』が起こっており、消費者の負担感は既に消費税数%に相当する程度に上がってきているが、その負担感を上回るだけの『所得上昇・雇用増加』は殆ど起こっていない。数字上の景気回復と庶民の暮らし改善の実感の乖離があるところに、2014年4月の消費税8%が待っているため、常識的に考えれば『個人消費の落ち込み』は回避できず、賃金上昇があるにしてもタイミング的に間に合わないだろう。

アベノミクスの成長戦略は基本的に、『法人税減税・経済特区・設備投資減税・復興特別法人税廃止』に象徴されるように、企業の業績回復と株価上昇を集中的にバックアップすることでその利益の上昇部分を労働者に配分させようとするものだが、ここには二つの『所得上昇の壁』がある。

続きを読む “消費税増税・低所得者対策(軽減税率・給付金)”と庶民の暮らしの負担感:1

Amazonの『オールタイムベスト小説100』について

Amazonの普段の『総合売上ランキング』は、大型書店で平積みされている本とコミックばかりが並んでいて、読書家にとっては殆ど使い物にならないのだが、Amazonが13年間のビッグデータを駆使して選んだ『オールタイムベスト小説100』は、“読みたい小説で外れではない作品”を探している人には役立つかもしれない。

昔は小説が好きで絶えず読んでいたが、近年は新書や専門書といった『知識・情報を得るための読書』を優先しているためもあって、1ヶ月に2~3冊読むか読まないかのペースとなり、比較的新しい作家の作品については全く読めていない。

流行作家では、伊坂幸太郎や東野圭吾くらいの時代で止まっている感じもあるが、何らかの不可思議な事件や謎を解いていくタイプの広義のミステリーと実際の歴史上の人物や出来事に題材を取った歴史小説がやはり好きである。最近は、登山や自然の猛威を題材にした新田次郎の『山岳小説』も好きで過半の作品は読んでしまったのだが、個人的には登山家の加藤文太郎をモチーフにした『孤高の人』の人物描写や人生観に共感させられるものもある。

続きを読む Amazonの『オールタイムベスト小説100』について

フィリピンのレイテ島の台風被害による混乱

日本も毎年のように台風による人的・物的被害がでているが、フィリピンのレイテ島を襲った台風30号は桁違いの威力で、瞬間風速90メートルを記録して強風・豪雨・高潮によって島の全体に近い面積が壊滅状態に追いやられた。

2005年にアメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナに相当するような被害規模と地域秩序の混乱が起こっているが、今後は泥まみれになり浸水した町で公衆衛生の悪化による伝染病の流行も懸念される。更に太平洋上に新たな熱帯低気圧が発生しており、台風30号の被害を増幅させる二次災害に対する危機感も高まっているという。

地球温暖化や太陽の黒点運動、プレートテクトニクス(地殻移動)の影響もあると推測されるが、異常気象の増加・自然災害の大規模化が近年目立っている。日本の東日本大震災は原発事故が加わったので長期的損失・被害の客観評価が難しいが、死傷者の数だけを見ればフィリピンの台風被害も大震災並みの途轍もない被害の大きさである。

続きを読む フィリピンのレイテ島の台風被害による混乱

映画『清須会議』の感想

総合評価 90点/100点

明智光秀が謀反を起こした『本能寺の変(1582年)』に倒れた織田信長の後継者を誰にするのかを決めるため、織田家の家老と重臣たちが大挙して清洲城に集結して『清須会議』と呼ばれることになる評定を開くことになった。

圧倒的なカリスマと専制権力で織田軍を強力に指揮していた信長の想定外の死、更に信長に続いて明智との戦いに散った長男・織田信忠(中村勘九郎)の死によって、織田家の跡目を継ぐ資格のある子息は次男・織田信孝(坂東巳之助)と三男・織田信雄(妻夫木聡)とに割れることになった。

三谷幸喜の喜劇映画のオールキャストに近い出演陣だが、笑いやユーモアの要素もふんだんに取り入れながら、『列伝的な歴史物語の面白さ』を十分に抽出している。織田信長・豊臣秀吉・柴田勝家などの戦国武将の伝記が好きな人、清須会議に関する大まかな歴史の知識がある人なら、それだけで時代劇映画としての『清須会議』のストーリーを史実との違いも含めて楽しめる。

何より一人一人の歴史上の武将・人物のキャラクター(性格気質・生き方)として知られている特徴を、大げさに強調して演技させているのが『色のついた時代劇』としての滑稽感や納得感を強めている。

猛将として知られる柴田勝家(役所広司)は、織田信長に初期から随従して殆ど全ての戦で先陣を切り、京都平定(将軍の足利義昭追放)・加賀一向一揆鎮圧の数々の戦で勲功を上げた功労者で、元々は織田家中における格付けは羽柴秀吉よりも圧倒的に上だった。

年齢・軍功・激しい気質において家中で抜きんでていた柴田勝家に対し、若年の羽柴秀吉(木下藤吉郎)は『親父殿』という敬称で呼んでぺこぺこ追従していたが、朝倉義景・浅井長政を攻める辺りから秀吉の戦上手の才覚は開花し始め、個人の武力や気迫では勝家に劣るものの、政治家・指揮官・管理者としての才能や先見性では、次第にただ無骨で忠義なだけの勝家は秀吉の足元にも及ばなくなっていく。

映画の終盤、羽柴秀吉(大泉洋)はねね(中谷美紀)と共に、『清須会議』で傀儡の幼児・三法師(織田信秀)を担いだ秀吉にまんまとやられて憤慨する柴田勝家の馬前に進み出て、田んぼの泥道で土下座しながら『今の織田家があるのは親父殿のお蔭でございます。今後とも織田家のためのご尽力をお願いいたします』と殊勝に述べて、自らがいまだ勝家の下位者であり続ける(本気で三法師を主君として敬い続ける)ような演技をする。

続きを読む 映画『清須会議』の感想

映画『劇場版 SPEC 結(クローズ) 漸ノ篇』の感想

総合評価 75点/100点

『SPEC』の最終シリーズだが、未詳(ミショウ)の部署で超能力保持者であるスペックホルダーの絡んだ事件を捜査する当麻紗綾(戸田恵梨香)と瀬文焚流(加瀬亮)が、世界の終末を予告する『ファティマ第三の予言』が引き起こす人類生存戦争に巻き込まれていく。

死者を冥界から引き戻してそのスペック(超能力)を自在に活用できる当麻のスペックは強力だが、冥界にアクセスして死者を連れ戻そうとすると当麻の瞳は暗闇のような空洞に変化し、次第に人間としての自我も希薄になっていく。

死んだスペックホルダーを呼び戻したり戦闘のためのスペックを使ったりする度に、人間ではない何物かに変貌しようとしている当麻の変化を間近で見ている瀬文は、『生身の人間としての限界』にチャレンジし続けることで、『スペックに対抗し得る人の強さ』を立証し当麻にスペックを用いることをやめさせようとしている。

既に瀬文はどんなに瀕死の重傷を負っても死なない、短期間で復帰して戦闘に参加することもできるという意味で、人間ではない驚異的にタフなキャラクターなのだが、『SPEC 結 漸ノ篇』でも一(にのまえ)に負わされた重症をものともせずに病院を飛び出し、当麻と一緒に戦列に復帰している。

続きを読む 映画『劇場版 SPEC 結(クローズ) 漸ノ篇』の感想