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“ネット・読書・映画”をはじめとする頭を使うインドアな活動も好きですが、“登山・ランニング・ロングトレイル”といった身体を使うアウトドアの活動も好きです。 『社会科学・人文学』の知見をベースにしてますが、世の中や人間、精神、自然、ビジネスに対する興味関心をあれこれ満たせるようなコンテンツをちょこちょこと書いていきます。 毎日を楽しく有意義に過ごすための『楽観主義(オプティミズム)』と悲観主義に陥らない程度にリスクに備える『現実主義(リアリズム)』とのバランスを取っていきたいなと思っています。

『特定秘密保護法』によって守られる情報や事実の秘匿性は、

“結果論としての国民の利益・公共の正義”に適っていなければならない。特定秘密保護法は日本版NSC(国家安全保障会議)の創設とセットになった法案であり、『安全保障分野に関連する機密性』を守ることで、『軍事・テロ・防諜・外交・同盟国の信頼』などの利益を得ようとする目的を持っている。

<特定秘密保護法案>秘密文書残らぬ恐れ

『防衛』『外交』『防諜』『テロ対策』の四分野の情報が、最長5年間の特定秘密指定の対象となり、その秘密を漏洩した政治家や公務員、(省庁と契約を結ぶ)民間業者は最長10年間の懲役刑を受ける可能性がでてくる。

公務員や政治家に特定秘密情報の漏洩を呼びかけたり誘導したりする行為も処罰の対象とされるため、『取材行為・報道の自由』が萎縮してしまい、実質的に報道の自由が制限されてしまうという危惧もでている。

一方で、日本版NSCが承認する範囲での小出しの情報公開は許されるため、『記者クラブ的な政権への寄りかかり(情報を得るための付和雷同)』が生まれて、政権の不正な意図や外国との密約の問題、秘密外交の影響などを暴いて国民の審判を仰ぐような本来のジャーナリズムの機能が失われ、『国家権力の公認情報』しか当該分野について流通しなくなる可能性もあるだろう。

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学力上位(学力下位)の小中学校の校長の名前を公開すれば学力が上がるのか?

それが静岡県の川勝平太知事がやっている『校長の実名公表問題』の本質として認識されていなければならない。

校長名公表は「逸脱」、文科相が静岡知事を批判

自分が校長として教職員を管理・指導している学校の学力が全国平均に比べて極端に低かった場合、その原因・責任は『校長による教職員の管理方法・指導内容・成績向上にかける熱意』にあると言えるのだろうか。

これを実証するには成績上位校の校長と成績下位校の校長を一定期間以上にわたって入れ替えてみて(各教科の先生と授業のやり方はそのままにして)、テストの成績の推移を見てみなければわからないし、仮に4月に赴任してきたばかりの校長であれば、半年に満たない在職期間で『成績が低かった責任』を追及されてもどうしようもないだろう。

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“そこそこに働けるような仕事(丸一日がつぶれない仕事)”は昔から競争倍率は高かった。産業構造の転換とワークスタイル

そこそこに働ける仕事には、『勤務時間(拘束時間)が短い定時の仕事』と『仕事内容が難しくない仕事』という二つの意味が含意されている。

記事にそこそこに働ける職種として『事務職』が挙げられているが、事務職をはじめとするかつての一般職カテゴリー(おおむね定時に帰宅可能な正規雇用枠)は、『現在』だけではなく『昔』も相当に人気のある職種であり、そこそこ志向(ハードワークをしたくない志向)は今のワークライフ・バランスの時代に始まった話でもない。

新しい働き方「そこそこ派」、実現させる3つの質問

固定給が高いわけでもない事務員の募集数2名に対して、50~100名以上が応募してくるなどはザラであり、大卒・院卒(総合職脱落組等)のオーバースペックな人材が簡単にふるい落とされていたりもする。そこそこ派の選抜基準は『能力の相対差』ではないので、学歴・資格・知性(インテリジェントな受け答え)などで優れているからといって必ずしも採用されるとは限らず、面接での人柄・履歴の好印象や職場にスムーズに順応できそうな感じがほぼ全てである。

オーバースペックで賢しらな人材は逆に敬遠されるので、かつて行政職の公務員試験で大卒者が高卒として学歴を偽るような事案も起こっていて、『そこそこ派』を目指すために敢えて自分の能力の上限(できることの範囲・知的関心の水準)を低く見せる人も多い。

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福島第一原発の汚染水問題の抜本的対応策の難しさ。

オリンピック招致のプレゼンでは、安倍晋三首相が何が何でも東京に五輪を招致するために、『汚染水問題は完全なコントロール下にある・沿岸の0.3km2の範囲内に汚染水は閉じ込められている』としたが、汚染水問題の難しさと怪しさは誰も直接的に福島第一原発の排水領域には足を踏み込めないこと、東電・政府関係者が出してくる数値を半ば鵜呑みにする形でしか汚染状況を把握できないところにある。

セシウム濃度測らず排水=7タンクエリアの滞留水―福島第1「緊急措置」・東電

海洋流出した汚染水に含まれる各種放射性物質の正確な濃度も不明であり、今までも繰り返し想定外の海洋流出が起こっていることから、不安が高まらざるを得ない部分もある。安倍首相のいう0.3km2の範囲外であれば一切の放射性汚染がないというのは『直接の実測値』ではなく『理論的な推測値』であり、また東電が出してくる相当に低い(実際の人体への悪影響も低いと予測される)汚染濃度に依拠した話でもある。

汚染水問題は抜本的解決をやり遂げない限り、毎日約400トンの量で増加を続け、それを貯蔵するタンクだけでも膨大な数とコストが必要になり、『既存のボルト締め型の貯蔵タンク』では既に接合部に隙間が生じて、そこからの汚染水の漏れが懸念され始めている。

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『みのもんたの朝ズバッ!』でみのもんたが出演自粛

ニュース報道番組において特定の芸能人(ご意見番的な比較的高齢の司会者)の名前を冠に据え、『メインパーソナリティの価値観・審判・生き方』をもってニュースや政治・経済の問題を裁断していくという番組編成のあり方に疑問を感じる。

みの自粛の「朝ズバッ!」冒頭でアナ神妙

例えばこの『みのもんたの朝ズバッ!』だが、メインパーソナリティであるみのもんたの『独断的な素人談義・大衆迎合的な道徳の押し付け』を受け付けない視聴者にとっては『ニュース番組としての価値』は限りなく低くなってしまう。

他のニュース番組やワイドショーも似たりよったりかもしれないが、みのもんた氏や小倉智昭氏などは番組の司会者でありながらも、議事進行以上に『個人的な見解の一般化』に熱心な向きがあり、あたかも『正解のあるようなニュースの伝え方』をする。

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マナーと法律の境界線が消える。“他者からの迷惑”に我慢ならないが対話ができないという時代の環境管理型権力

戦後の無秩序な焼野原から高度経済成長期の工業の隆盛を経て、サービス産業・知識情報産業・人材管理が発達した現代に至ったが、私たちは時代が進むにつれて清潔(潔癖)になり異物・暴力に過敏になり、『自分ではない何者か』に自分と家族の権利や時間、健康、財産などをわずかでも傷つけられることに我慢できなくなり、『伝統共同体(ゲマインシャフト)の絆』はほぼ崩壊してお互い様の精神も薄れてしまった。

一切の汚れや乱れ、リスクを許容できないほどの『予定調和的な約束された路線』を求めるようになってしまった先進国の人間は、逆説的に『生存・生殖へのハングリー精神』を喪失して、『約束された人並みの安定した路線』を歩むための参加資格を得られないように感じるというだけ(経済社会・企業雇用・公務員職などのキャリアの正統性から逸れたと感じるだけで)でもう私の人生はダメなのだと自殺してしまうような脆弱なメンタリティが世を覆っている。

地面にわずかでも落とした食べ物は汚いから捨てなければならないし、パッケージが少しでも破損した商品は不良品だとクレームが来て、わずかでも形が変形したり黒ずんだ野菜・果物は市場で安く買いたたかれて、新品の洋服が少し泥や食品で汚れようものならヒステリックな悲鳴を上げなければならない、外のトイレは完全に清掃された新品に近い洋式トイレでないと安心して用も足せない(和式便器は子供にはもう使い方もわからない)、子供達の目線からすべての性・暴力の表現は消し去られなければならない……もはや自然の大地や生きるための欲望に根差した人間のバイタリティを発揮できる余地・足場(共同性・本能性の立脚点)が『快適でクリーンな現代社会』から失われようとしているように見える。

そろそろ歩きタバコを「法律」で規制すべきか?

無論、WHOや欧米先進国が主導する国際的な禁煙運動・健康増進運動の流れには抗い難いし、健康被害や煙害、火事の原因、保険負担増となるタバコを規制すべきとする疫学的・科学的・心情的(非喫煙者の心情)な『正論』にまともに反論することも難しい。

自由主義社会では『愚行権,不健康な飲食物や嗜好品を摂取する権利(食事と運動の健康的なライフスタイルを実践しない権利)』はあるはずだが、タバコは『有形・有害の煙』を風で周囲に飛散させたり『危険な火』を用いるので、『本人自身がすべてのリスクを引き受ける嗜好品』とするには喫煙者だけが集まる隔離型の喫煙専用スペースを準備しなければいけないという論理に行きつく。

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