LINEはツールに過ぎず数千万人以上が使えば実社会と同じ。暴行事件を起こす集団は元々『因縁のきっかけ』や『武勇伝・悪さの誇示』を行い競合・挑発に乗る相手と衝突を求める所もある。
LINE書き込みめぐり暴行=中学生重傷、少年4人逮捕―傷害容疑・警視庁
『どちらが強いか?どちらが影響力があるか?』のマウンティング(優位性の顕示)を、様々な形で行う類人猿的な序列明示の進化の名残は、人間にも多く認められる。精神的・社会的に未熟な子供は特にマウンティングが『暴力・数の勢力の争い』の形を取る事があり、『示威(脅し)で引かない相手』と危険な衝突も有り得る。
続きを読む LINEの書き込みが原因で、実際に喧嘩(乱闘)・いじめに発展する中学生と不良的な示威文化 →
子供の恋愛は『二人だけの閉じた関係で得られる快楽・喜びの量』は意外に小さい。相手だけがいれば幸せではなく、見栄えのする異性と戯れる幸せな自分を友人知人に見てもらいたい承認・自己顕示とその拡張が影響する。
尾木ママ、高校生に流行中の“キス動画”に警告 「必ず被害被り後悔する」
『相互の内面・対話・生き方の魅力』を味わう恋愛は、双方の人間性や世界観の一定の成熟が要求される。中高生では見栄えの良さ(イケメン・可愛い)やノリがメインの恋愛が多く『自慢の彼氏彼女(自分にのめり込む相手)を見せたい』という『相手との付き合いの外にある承認欲・リア充自慢』がキス動画投稿の動機にもなる。
続きを読む 高校生はなぜ“キス動画”を“リア充の証”のように感じてアップしてしまうのか? →
自分とは正反対の生き方や考え方をしている他者に、人は強い“反発心・優越”と同時に“ずるさ・憧れ”を感じやすい。この無意識の元型をユングは『影(シャドウ)』と呼んだが、『人の好き嫌い・類は友を呼ぶ・異質性排除やいじめ』を理解する時に振り返りたい概念。影となる他者を受容できない自我の未熟さを人は抱える。
なぜ無意識領域に、自分と異質な他者を寄せ付けず排除・非難したくなる『影(シャドウ)』が生み出されるのか。理由の一つは、人の人生は『あれもこれも』ではなく『あれかこれか』の選択的淘汰であり、自分と極端に異なる生き方や考え方をしている他者は『自分が捨てて生きられなかった反面の要素』を必ず伴うからである。
続きを読む 自分と正反対の生き方をしている人に感じる“影(シャドウ)”の元型・タトゥーに対する偏見はなぜ強いのか? →
レイ・カーツワイルは著書“Singularity is Near”で、人工知能が全人間の知能を超えて労働や社会を劇的に変化させる時点をSingularity・特異点と定義した。カーツワイルの想像力豊かな特異点予測は2045年、『自動運転車・遺伝子工学・機械自己複製』もプロセスに含むが、科学技術の極端な進歩には『光・影の両面』がある。
幸いにも病気・事件事故に巻き込まれて早死にしなければ、2045年の景色は何とか眺められる年代。その時は僕も高齢者の一員、その時代の技術・道具・システムなどを素早くキャッチアップできてるか分からないw現代は厳しい未来予測が多い一方、科学知の先端で研究できるような人にとっては面白い材料が増え続けている。
続きを読む レイ・カーツワイルの“Singularity is Near”:人工知能が人間の知能を超える時。 →
現代の中流以下の層において、子供の数が減る最大の理由は『社会の高学歴化(大卒平均化)』と『子供の権利拡大』で、昔の家父長制・家族道徳は大きく変質してしまった。年をとってからも子供の迷惑になるような親になってはいけないという『子の為に準備して生きる親(親孝行の道徳規範の自明視の否定)』という逆の図式が道徳化して普及してきた影響も大きい。
多子・低所得世帯の負担軽減強化=幼児教育無償化で―政府・与党
第一次産業が主流で平均学歴も低かった昔は、子が沢山いればいるほど『将来の親(家族)を道徳的・献身的に支える労働力』が増し、将来も安心の感覚を持てた為、貧乏人の子沢山は当たり前の現象だった。少子化対策をしなければ子供を産まないというのは、子の財産性が減り負債性が高まっている時代状況の現れでもある。
時代状況という意味では、現代人の親の倫理は『子の労働力化・道具化』を好ましくないものとして退け、『子に対する無償の愛情』をできるだけ努力して実践したいとする過去の時代には殆どなかった純粋で禁欲的なものである。この倫理がそもそも国の『子供=労働力・財源不足を補うもの』という発想に対し拒絶的なのである。
続きを読む 現代の先進国における少子高齢化・未婚化・育児コストと“親と子の力関係(道徳的関係)の逆転傾向” →
高齢者はなぜ信号・横断歩道のない所で道路を横断するのだろうか?横断歩道までの数十メートルを歩く体力・気力の低下、車の速度・歩行速度・距離を認識して間に合うか否かを判断する能力の低下、運転手の判断能力の過信などが想定されるが。
運転手が歩行者(自分)を認識していれば、歩行者が渡り終わるまで速度を落とすか止まってくれるはずという過信は、車の運転なら危険性の高い『だろう運転』である。9割以上の車は見通しの良い道路なら歩行者がどこを渡っても速度を十分緩めるか止まってくれるだろうが、『見落としやよそ見・極端な高速』のリスクは常にある。
高齢者・子供の急な飛出し、ふらつきながらの自転車の車道走行は最も危険だが、高齢者の信号・横断歩道なしの車道横断は、特に日が落ち始める時間(夜中・早朝)から事故率が上がる。ドライバーが『こんな時間にこんな道路を歩行者は横断しないだろう』の予断で飛ばし、気づいても止まれず死亡事故になるのは早朝に多い。
続きを読む 高齢者はなぜ信号や横断歩道のない道路を渡ろうとするのか?:車も歩行者も安全意識の向上を。 →
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