自民党の安倍首相に任せておけば安泰の声も多いが、既に長期にわたり政権を握った。もっと長く磐石になら、カエサルや金正恩の如く終身独裁官のような身分にでも…だが日本の問題は政治家だけで解決できる類ではない。
<衆院選>リベラル票はどこへ 選挙難民状態 (http://mixi.at/aeZ6PtK)
リベラルとは何か?「国家権力からの自由」を唱えた人たちが古典的リベラリストであり、「国家は国防・警察だけする夜警国家で良く、必要以上の税金を取ったり労役などの強制をするな」の立場がリベラリスト(自由主義)の原点だ。20世紀半ばから欧米のリベラルは「国家権力による自由=社会福祉の強化」が中心になった。
20世紀半ばから、無力な個人は国家に干渉されない「自由」があるだけでは意味がなく、最低限度の文化的生活が「平等」に保証されなければならないと考える勢力に変質した。古典的リベラルは「税金の安い小さな政府」と相性が良かったが、次第に「社会福祉・弱者救済をする大きな政府」と相性が良くなった。
現代でいうリベラルは「個人の自由・平等を基盤とする人権を尊重する勢力」「個人の最低限度の権利や生活を国家が保証すべきと考える勢力」といっても良いが、同じリベラルでも「自由」を重視するか「平等」を重視するかで社会保障などについての価値観は全く変わってくる。保守との違いは、集団主義か個人主義かが大きい。
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○ノーベル文学賞は「一般人好みのエンタメ性のある作家作品」は選ばれにくいが、村上春樹は「現実(労働・家族)のみに立脚できなくなった現代人の自己愛・自己拡散・幻想と歴史」を描く作家だ。
【ノーベル文学賞】村上春樹さん、狂騒10年以上…果たして今年は? (http://mixi.at/af0Jddq)
村上春樹の物語には平均的なサラリーマンや家庭人は登場しない。「ノルウェイの森」「騎士団長殺し」「1Q84」の系譜は「学生・金持ちの自殺・セックス・精神病・画家・趣味人・成功した隠棲者・新興宗教・娼婦・殺し屋」などのキーワードを持つが、現代人の普遍的な欲望と挫折(自己拡散)を対にした幻想物語と見れる。
村上春樹は国家・文化・世代を超えた幻想物語の名手だが、その幻想の中心に「現代社会が抱える問題・病理・自己愛(労働・生活・家族に専念できない観念の現代人)」とつながっている。世界文学として普遍性があるかは見方によるが、享楽・退廃の恐ろしい場から生活・日常に戻ろうとする足掻きが一定の人に響くのだろう。
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○教師を蹴って挑発した生徒が悪い事は自明だが、「体罰ありの教育」なら調子に乗った生徒に舐められないかは疑問で、悪漢が絡むリスクは「教師(人間)の持つ雰囲気・日常からのイメージ形成」が関係する。
福岡・博多高校で授業中に生徒が教師を暴行 動画拡散について投稿者、学校を取材(http://mixi.at/aeZt4po)
人も動物の一種なのか、体罰や見た目、体格などそれほど関係なく、「ふざけて馬鹿にしたり手を出しづらい型の人間」にはからかいや攻撃は仕掛けにくい。この生徒が極端に粗暴で非適応的だった可能性もあるが、生徒集団をまとめる役割を担う教師が「完全に舐められる・暴力やからかいを受ける」は仕事にならない。
暴力や挑発の度合いからこの生徒の退学処分も有り得る。「不良・悪漢からの攻撃を受けるリスク」を減らして生徒集団をまとめ、まともな生徒が授業を受ける権利を保証することも、先生の仕事の一部だが「体罰・暴力の恐怖」だけが舐められない要素ではなく、この先生も一応は暴力制止の注意・反抗らしき態度は見せていた。
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昔は松田優作や松方弘樹等は徹子の部屋でタバコを吹かして話し、深夜にAV女優を集め脱がせる番組もあったが、『とんねるず的な外見特徴を揶揄する笑い』が現代の倫理・差別のコードに抵触しやすくなっただけである。
とんねるず「保毛尾田保毛男」批判にフジ社長が謝罪(http://mixi.at/aeZgOUY)
昔のお笑いは、とんねるずに限らず、ドリフターズでも、軽度知的障害(当時は知恵遅れでただ頭が悪い認識)や不細工、田舎者、貧乏人や乞食まで含めて『能力・魅力・洗練度・知性が落ちる冴えないマイノリティ』をバカにしても良いキャラクターに設定していた。いじめや差別はある種の笑いを伴うというのは事実としてある。
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異性としての好き嫌いや感情の強さに厳密にこだわると、長期の男女関係は成り立たない。「人間としての評価の安定期」に入り、好き嫌いにこだわれば別腹の不倫もあるが、長期の関係は生活と結合していく。
嫌いじゃないけど好きでもない彼氏……別れるべき? 続けるべき?(http://mixi.at/aeYoTwh)
どんな男女関係も「異性として惚れ込んで、容姿・恋愛・性にのめり込む感情」は数年で失われ、「人間としての評価の安定期・パートナーシップの維持期」に入る。何をされても言われても「もの凄く嫌いにはならない関係性・生活や子育ての上で必要で安心できる存在(今の状態を失う不安の大きさ)」になってからの方が長い。
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昭和は64年の長さがあり、昭和20年までは戦争の時代、昭和30年までは貧困と混乱の時代、昭和30~50年は高度成長、昭和60年末期はバブル景気と崩壊、失われた経済成長の始まりだ。昭和と一括りにできない長さがあり、貧困からの上昇の価値で動いた。
今では信じられない!昭和の常識ランキング(http://mixi.at/aeVctcF)
昭和20年、戦争で東京と地方の主要都市、広島・長崎は焼け野原となり、大勢の男性が戦争で死んだが、「何もない所から始める」という平等なスタートラインと貧困前提の助け合いの意識が強かった。昭和20?50年代にかけての経済成長期、じわじわ世帯間の経済・資産の差が積み重なり、都市・社会インフラも整備された。
昭和50~60年代というのは、終身雇用制が担保した一億総中流意識が生き残っていた最後の時代、この辺りで庶民の間の緩やかな階層分化も進み、「社宅・寮・団地の文化による平等意識(会社員・公務員の勤続年数と所得が増えて持ち家購入数が急増したがそこから脱落する層も多く出た)」も失われやすくなった印象がある。
平成に入る頃には、戦前・戦中世代の政治経済・起業者の陣取りゲームは概ね終焉して、日本経済のボーナス期間も終わっていた。戦後日本経済の富の蓄積と社会インフラの高度な整備、小売・外食・娯楽のサービスの増加もあって、平成は失われた数十年とされるが、昭和以前も含め過去の日本で最も物質的に豊かな時代となった。
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