「コミュニケーション」カテゴリーアーカイブ

感情表現の言葉の語彙が乏しくなる現代の子供たち:「キモい」「ウザい」「ヤバい」の3ワードのみ

“言語・数字”は知能の基盤だが『語彙・修辞・メタファー・長文』は子供に限らず大人も含め現代で減少傾向だ。大人でも非実利的な基礎教養や複雑な要旨の長文読解力は落ちた。

感情表現は「キモい」「ウザい」「ヤバい」3ワードのみ 子供たちのボキャ貧が深刻化

ボキャブラリー(語彙)の多さは読書・知識・文章構成の量によって裏打ちされるが、話し言葉だけでは『書き言葉・漢字表現・慣用句の語彙』は余り増えない。本・長文・詩を読まなくなり『話し言葉と書き言葉(エクリチュール)の差』が減った事もあり、多数派が言語表現の正確さ・複雑さを好まなくなった変化もある。

言語表現のレトリックは『言語による個性・心情の表現』で、自分の思考・感情をより精緻に、より印象的に表現したい動機を含む。だが今は技巧的なレトリックや想像力を求めるメタファー、ディープな自己表現は好まれない、『誰にでもわかる易しい表現・感覚の直な伝達や省略形・漢字を平仮名に開いた表記』が主流である。

叙情的・叙事的な文章にせよロジカルな論説にせよ、語彙の多さや文章表現の多様性を楽しむ人は『言語の意味・語感・語源などの想像力』が豊かで『言葉の官能・洗練に対する感度』がある。言葉だけでエキサイトできるタイプ。だが、ビジュアルでプラグマティックな現代は人文学・教養主義(ことばの官能)の衰退期でもある。

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女子高生によるデートDVの増加:若い女性からの暴言・暴力は『恋愛の力関係・本人の性格』の現れだが。

女性から男性が身体的暴力を受ける確率は低いが、DVをする人は性別を問わず『自分に精神的に依存・従属する型の相手』を探して選ぶ。『対等な立場での対話・付き合い』に不快を感じるので、『親密さと従順さが一致しない相手』に深入りしない特徴があったりもする。

女子高生のデートDV増 「モンスター彼女」は今や普通

DVやモラハラを受けるリスクがみんなにあるかといえば、生まれながらの気質・人格やコミュニケーション・付き合い方の姿勢によって『受けやすい人と受けにくい人の違い』はあるだろう。DV・モラハラをする人は『理不尽・わがままな要求含め自分を全面的に受け容れる依存・従属しやすい人』を見分ける嗅覚が鋭いものだ。

反対に、なかなかDVやモラハラを受けない人は、『好きな相手でも超えることを許さぬ自己の尊厳領域を持つ人』であり、『親しき仲にも礼儀あり』で打ち解けた間柄と何でもむちゃくちゃやっていい関係とを区別している。『相手の人間性・生き方・倫理の評価が大きく下がれば自分から切り捨てられる姿勢』を示せる人でもある。

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老後の一人暮らし(人間関係ありの非同居)の満足度の高さ:家族が「老後の気の合う相手・助け合う相手」になれているかの問題

20~30代くらいの人でも「老後の孤独・貧困」を恐れている人は多く、その分かりやすい解決法の一つとして相互扶助的な「結婚・子供・家族(法的な関係性・血縁の関係性)」が求められてきたわけだが、現代は「離婚・不仲・性格や会話の不一致」も起こりやすい。

■老後は「1人暮らし」が幸せ 家族同居より生活満足

長く同居を続ける良好な夫婦関係や親子関係を維持するには、「双方の人間性・生き方の相性」と「お互いがストレスを感じにくい距離感・不干渉(相手が望んでいる方法や頻度での関わり合いの仕方)」が必要であるが、仕事のない老後になるまで「本当の相性の良さ・適度な距離感」が分からない夫婦・家族も多いことが一つの問題なのだろう。

近年は「高齢者夫婦のトラブル・老々介護の問題」も増えているが、「話し相手・気の合う相手がいない寂しさ・心細さ」と「世話しなければならない面倒な相手がいる煩わしさ・ストレス」とは違うということである。

一緒にいるだけでほんわか癒されるとか、話すと止まらなくなるくらい会話が面白い(話を聞いてくれて自分のことを誰よりも共感的に理解してくれて新たな興味関心を刺激してくれる)とかいう相手は、残念ながら恋愛の一時期を除けば「夫婦全体における比率」は必ずしも高くないのが現実だろう。

お互いが仕事をしていたり、夫が会社に行って妻が家庭にいたり、子育てに一生懸命だったりすれば、四六時中ずっと顔を合わせて一緒にいるわけではないから、「本当の相性の良さ・適度な距離感」があまり分からなくても、お互いに求められているやるべきことをこなしていくことで何とか上手くやっていけることが多い。

老後に上手くいかなくなる夫婦の組み合わせは「あれこれ構って欲しい(世話をしてもらったり何かに付き合ってもらったりしたい)タイプ」と「基本的に放っておいて欲しい(いつもベタベタ一緒にいたいわけではなく自分ひとりや配偶者ではない友人知人と何かをしたい)タイプ」の組み合わせであるか、あるいは「どちらかがそれまで我慢に我慢を重ねてきて(かなり以前から相手への共感性も興味関心も薄れていて)限界が近くなっているケース」である。

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男性を“デレデレ”にするための方法:男性の短期的なデレデレと長期的な誠実さ・貢献の違い

男性の年齢が若いか女性を求める心情が強いか(生き方・人生設計が素直か)他の女性にそれほどモテなければ、デレデレにする事自体は難しいことではないが…デレデレは知覚や性の快感の面が主で、『人間性・パートナーとして好き』とはズレも生じやすい。

男性を“デレデレ”にする4つの方法

厳密にはおじいちゃんの高齢男性でも、ちょっと可愛らしいお姉さんから優しく親切に笑顔で接して貰えると、デレデレしていたりするので(気難しいおじさんでも綺麗な子が丁寧に接すれば態度豹変するが普通はそうしてくれないだけ)、年齢を問わない面はあるが…『表面のデレデレ』は本能的であんまり当てにならないもの。

女性が10?30代位の年齢で、デレデレにさせるのが難しい男というのは、単純に『自分よりも総合的魅力がかなり上(年齢がかなり下)の男』である可能性が高い。概ね釣り合いの採れた男で平均的な性格・欲求・人生設計なら、『笑顔・受容(話を聴く)・共感的(好意示す)・積極的(誘いに乗る)』でその場の心は掴める。

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現代の若者の消費スタイル、『モノからコトへ』や『所有(独占)からシェア(共有)へ』の変化が起こっている

現代の若者消費は『モノからコト』や『所有(独占)からシェア(共有)』の概念で語られる。収入・人間関係に見合わない高額消費の主観的満足度が落ち、将来不安が増した。

SNS志向の消費は「見栄より納得感」なのか? 若者世代の欲求を捉えられない企業の悩み

より金額の高いモノ・サービスを購入する為、身を削ってでもお金を稼ぐライフスタイルを敬遠する人が増えたが、資本主義の原動力の一つである『顕示的消費・差異化の消費(私とあなたの差を示すモノ消費)』が落ちた。『モノの所有』による擬似的階層意識が資本主義の出世競争を支えるが出世したくない若者像とも重なる。

バブル期の浪費は異常だが、若年層全体の平均的な稼得力が落ちたこと、より稼ぐためのコスト(準備・時間・労力)が大きくなったことが背景にある。かつては懸命に働きより良いモノを買い揃える力の顕示が、自己価値の異性・世間への分かりやすいプレゼンで、物質的な中流階層に入る事の至上命題性が広範に共有されていた。

格差・貧困といった『カネ・モノの水準』の社会問題は現在も深刻だが、若年層では進学・就職の競争的選択の時点で多くの人が『雇用・生涯賃金の見通し』を持ってしまいやすい。無理してハイブランド・高級車等を買っても『自分の収入・将来・周囲の評価・擬似階層』が上がらず、後で無駄遣いを悔みそうな不安感もある。

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レトロな喫茶店と最近のカフェ:個人経営の喫茶店での談笑の楽しみ

30年前に営業していた喫茶店は殆ど閉店して、全国チェーンの店などに変わっているが、レトロな個人商店は『店主(マスター)との相性次第』な所がある。商品・空間だけ求める現代の風潮に適応しづらい。

30年前のガイドブックに載っている喫茶店に行く

個人商店は『店主(マスター)の城』みたいになりやすく、良くも悪くも『店主・店員・客の流動性』が今風のスタバやドトール等のカフェと比較すると低い。『お客様扱い』もほどほど。『おなじみの顔ぶれ・馴れ合いの会話・プライベート筒抜け』のスナック感覚だが、そういった雰囲気が昼から好きな客層は減っただろう。

個人経営の喫茶店は近隣住民を中心とした常連が支える店が殆どであり、スタバのように不特定多数の大勢の客が出入りする型(常連はいても店員と私的な会話は基本ない)の店とは違う。店舗の形態が大型化・匿名化・都市化したと言えるが、今と昔では『心地良く感じる店との距離感・店員の接客と言葉遣い』もかなり変わった。

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