「コミュニケーション」カテゴリーアーカイブ

家庭(コミュニケーション)と仕事(収入)のどちらを大事にする男が夫にふさわしいか?

“人間性・異性・父親としての持続的な魅力努力”と“仕事(お金)による経済生活の安心感”がセットであれば理想だろうが、現実にはそんな人はなかなかいない。前者の人・男・父としての魅力の期待値が落ちれば、収入が多い方が良いということになってしまうだろう。

究極の選択!家庭と仕事、どっちを大事にする男性を選ぶ?

何年経ってもいつも一緒にいたい、仕事の帰りが遅いと淋しいと思えるような相手と結婚できた人は幸せだろうが、『早く帰っても飯・風呂など世話の要求ばかり』や『もう特別に会話して盛り上がれる話題や共通の関心がなくなった』なら、亭主元気で留守がいいになりがちか。人間ベースか経済ベースか生き方の違いも影響する。

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自分のためだけに『真面目』であっても他人の印象や評価には影響を与えにくい:『評価・好意・関心』を得られる人とは?

ヤンキー(不良)が『真面目な人』よりも評価されるわけではないが、学生時代に自覚される『真面目さ』のほとんどは『将来の自己利益の確保・周囲との競争や軋轢(対人魅力・話術の相克における自信の無さ)』の裏返しであることが多く、真面目であるからといって他人に何らかの楽しさや面白さ、メリットを提供しているわけではない。

『周囲が期待している事柄(反応や参加をしたくなる行動・発言)』と『自分が守っている真面目な生き方(規則・常識に違反しない浮かれない生活態度)』とに何らの相関関係もない時には、真面目な人は確かに迷惑をかけない人畜無害な人かもしれないが、『積極的に関わりたくなる人=もっと話を聞きたくなったり一緒にどこかに行きたくなったりする人』ではない可能性もある。

「納得いかない」世の中の風潮1位「ずっと真面目な人より不良から更生した人の方が賞賛される」

『一貫して真面目な人』というのは、下手をすれば融通や応用の効かない単なる堅物(盛り上がっている話の腰を折る・楽しい雰囲気に水を差す)である恐れもあるし、みんなが盛り上がっている話題や活動に何ら興味を示さずに『自分の評価軸(真面目でさえあればいい)の世界』だけに閉じこもっている可能性もあるから、周囲から賞賛されにくいというよりは興味関心を向けられにくくなってしまう。

『不良から更生した人』と一概にいっても、若い人なのか中高年の人なのか、相手がどんな人なのか、更生してからどんなパーソナリティになったのかによっても変わるが、『イキがり続けている威圧的な元不良』ではない『ホスピタリティを身につけた明るくて愛嬌・素直さのある元不良』というのは概ね褒められやすいし好かれやすかったり(とっつきやすかったり)する。

元不良といっても、殺人・強盗・傷害・窃盗をするような生粋の悪人(実質犯罪者)にまでいくとさすがに評価されづらいし、笑い話のネタにもならないが、大半の元不良は『若い頃はちょっとやんちゃしてました』といっても、ただ髪型やファッションが不良風というだけで実際の犯罪・暴力沙汰などは無い人が多い。ほとんどが、目つきが悪くて見た目が怖そう、昔の写真が悪そう(派手な髪型・服装の集団で屯しててヤンキーみたい)とかいう印象論のレベルの話である。

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Facebookで友達の投稿がイラッとするのは何故なのか?:SNSの写真・日記が『リア充自慢・幸せ自慢』に見える心理

SNSで他人の幸福や成功を喜べるかどうかは、相手との関係性や自分の心理状態・境遇(余裕)にも拠るが、『潜在的なライバル視』『楽しそうな相手の世界からの疎外感(自分との無関係化)』といったものも影響する。

Facebook「イラッとする投稿」1位は?

子ども・孫の幸せそうな姿や写真を見るのが嫌な親(祖父母)は殆どいないように、『相手との関係性』が近しくて自分も当事者として何らかの形で参加していると思える時、人は『相手の幸福・成功』をむしろ好む。友達のSNSの写真等にイラつく時には『自分とは関係のない場や相手で盛り上がっている疎外感』が関係しやすい。

友達との関係性が近しく、自分がその友達の人生・感情にコミットしている感覚があるか、もしくはどうでもいいような関係の相手なら、『SNSの投稿・写真』にネガティブな感情は抱かない。自慢を見せつけられているような不快感は『相手の人間性・競争心への不信感』や『相手の楽しさとつながってない疎外感』が影響する。

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人を動かすためのコミュニケーションや対人関係のポイント:飴と鞭の効果や相手から認められることの影響

人を動かすより自分が動いた方が早いというのは『人間関係の黄金則』であるが、『面倒臭い人からの悪影響の回避』や『重要な相手からの協力・好意』では、自分で決めたという自発的な動機づけを高められるかが鍵になってくる。

職場や学校にいる”めんどうくさい人”の対処法「狩野英考作戦」とは?

自分に有利な前提や相手の同意を一方的に小刻みに取り付けていくのは、スモールステップの古典的手法。『~をすぐにしないと後悔や損をする』という脅迫型・限定型のコミュニケーションは、本心を見透かされて反発を喰らうリスクも高い。飴と鞭はビジネス・人間関係なら飴を用いるべき、恐怖を煽る鞭は犯罪に傾斜しやすい。

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『余計な一言』、人を怒らせる・人から嫌われるコミュニケーション

“過剰な自己顕示・自慢”と“攻撃的な他者否定・批判”というのは、一般に人から嫌われるコミュニケーションの典型だが、特に『話している相手と自分との直接的な比較(自分を上の立場に置いた比較)』に基づく自慢・批判・説教・ダメだしの類は、まず人間関係を疎遠にさせるか険悪にさせるだろう。

自己顕示や自慢のすべてが悪いわけではなく、『相手の状況・気分・価値観を斟酌した上での自己顕示』や『相手のメリットにもなる嫌味のない自慢』であれば問題はないし、上手くいっている状況が拮抗した者同士の自慢は切磋琢磨の動因になることもある。

なぜアイツはいちいち気に障るのか?「余計な一言」5大地雷を解剖

攻撃的な他者否定や批判というのも、『相手を直接に否定・侮辱・ダメだしするような言動』は怒りや嫌悪を買うことになりやすいが、『お互いの価値観と照らして許せないタイプの相手(共通の敵)の否定・お互いの利害や人格、感情にあまり関係しない第三者(著名人・公人など)の批判』であれば、毒のあるやり取り、ストレス解消的な攻撃性の発露も問題ないだろう。

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イタリアの『ナンパ文化』と日本の『傷つきたくないシャイな文化』:知らない異性とのコミュニケーション機会の少なさ

日本文化の暗黙の了解で『知らない相手とは会話しない』があるので、日本人のナンパの多くは『男側の下心丸出し か女側の鉄壁の防御(無視)』に陥りトークそのものを楽しむのは難しい。

イタリアに8年住んだ日本人美女が語る、「イタリア男はナンパが上手」の真相

日本人がナンパできるのは『集団でいる時・酒を飲んだ時・非日常的な場面(旅先とかリゾートとか)』等に限られイタリア男のナンパの事例のような『日常生活の中で知らない異性との気軽な会話を楽しむ・話題のきっかけやもてなしの姿勢を自分から作る』というスタンスは取れない。公共圏での男女の距離感の文化・歴史も違う。

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