「コミュニケーション」カテゴリーアーカイブ

男と女はどちらが「得」なのか?、 韓国の少子化は日本以上に深刻、いじめはなぜ無くならないのか?など

○一般論では自立して稼ぎたいなら男が有利、誰かに気に入られて優遇されたいなら女が有利。統計的な正規分布では男は女より能力・人格・人生の個人差が大きく、転落しても外部援助は受けにくい。

もう女性なんてやめたい! 悩む人がいる一方「女は得だ」の声も (しらべぇ – 03月27日 08:51) http://mixi.at/a5hpiSr(03月28日)

女性でも男性と対等に自立的に生きたい、男性の欲望や庇護と無関係に自力で生きたいというプライド・能力が高い女性は、男性以上に苦労しやすく、今でも同レベルの能力を持つ男性よりも報われにくい。女性の方が得の大部分は、企業サービスを除けば「有力な男に気に入られること」なので、ある程度の交換条件性がある。

自立して稼ぎたいなら男が有利だが、男も「能力・才能・意欲・運」などがなければ、そんなに稼げないので男としての有利はなくなる。異性に優遇されたいなら女が有利だが、「若さ・可愛さ(愛嬌)・美と性」の関数なのでそれらがなくなれば有利は失われやすく、人生の前半に身体資産(エロティックキャピタル)が偏る。

男性が女性のほうが得と言う時、「男の身体自体に性的価値が低いので、何もしなくてもちやほやされること=得になることがまずない」に由来している。だが若い女性で「性的身体を求められたくない・仕事の実力ややる気だけ見てもらいたい」という人は、逆に身体資産が邪魔になる(勝手に男が公私混同する)問題がある。

若くて可愛い女性が愛想や笑顔を振りまけば、直接・間接の恩恵やメリットは得られるが、「一定以上の本格的な大きな得」を身体資産を使って得ようと思ったら、「男性の欲望の受容・恋愛や結婚」が関わってくるので、自分の幸福や人生設計まで考えたら力はあるが簡単には使いにくい状況になる。

逆に、男性は自分自体に大した性的価値がないから、人に勘違いされてしつこくされるリスクや誘われた時に断る面倒はそんなに考えなくて良いし(よほどモテる人除き)、暗い夜道だって性的に襲われる心配なしで(強盗・無差別殺人などはあれど)一人で歩ける良さもある。自分自体が求められないのは得もないが危険も少ない。

○韓国の人口急減は日本の少子化を上回る。新生児数は昨年より約5万人減少で35万7700人で過去最低更新。1970年代に韓国の出生数はピークで約100万人(今の日本と同程度)、2002年には49万人に半減した。東アジアの日本と韓国の人口動態・婚姻低調・男女意識は似ているが、共に格差と人口減が同時進行か。

儒教的な男女観や家父長制的な家族観・お見合い結婚(身分相応な婚姻)の急激な変化、経済成長からの停滞・格差拡大が、東アジアの少子化・人口減少の背景にあるが、韓国も1980年代までは女性の地位・権利が極めて低かったが、1990年代の女性の自由化・社会進出が婚姻・出産の減少前に進んだのは日本と似る。

女性の社会進出や働きながら子育てできる社会が、出産率を高めるは、ポリコレだけでなくアメリカ・北欧・西欧ではある程度当てはまるのだが、儒教文化や家父長制・お見合いが根強かった日本含む東アジアでは少なくとも現段階までは当てはまってない。東アジアでは男女平等のロマンスや恋愛文化が弱い影響が大きい。

未来においてどうなるかは分からないが、女性の社会進出の進展と所得上昇によって、より多くの人が若い時期に結婚してこれから一人の女性が3人とか4人とか産むのが当たり前の時代が来るという楽観的な見方はまず現実と一致しないように思えてならない。働きながら子育てできたとして、そんなに大勢の子供を皆が皆、求めるものだろうか?

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カンタン・メイヤスーやマルクス・ガブリエルの現代思想、 子供にとっての友達の意味とは何か?など

○21世紀の哲学は科学哲学や分析哲学が主流になりいわゆる「大文字の思想家」は不在となった。リオタールの「大きな物語の消滅」とも関係する。ミシェル・フーコーやジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズなど現代思想家の巨匠が没してから後、思想哲学・文学に少々詳しい人でも「大文字の思想家の共通理解」は崩れた。

確かに現代思想家として、思弁的実在論の「実在概念の再構成」で話題を呼んだフランスのカンタン・メイヤスー、「なぜ世界は存在しないのか?」で可能的なもの全ては実在と見なせるとした新実在論提唱のドイツのマルクス・ガブリエルなどはいるが、デリダとの比較においてさえ、一般的な読書人レベルでの知名度はほぼない。

カンタン・メイヤスーの思弁的実在論は「人類がいない世界での実在を考える想像の実在論」だが、カント以来の超越論的観念論を徹底批判することにどういった現代的意味があるのかは分かりにくい。メイヤスーは「人間の思考から独立した存在」を考えたいというが、人類不在なら存在の有無など最早問題ではないように思うが……。

メイヤスーの思弁的実在論でいう思弁概念の大部分は「数学的な公理性(人間知性をどう活用しても変更不可能な普遍原則)」に依拠して、数学・科学の普遍性をかなり信奉している思想家でもある。結局の所、メイヤスーは近代以前の哲学を「数学・科学の普遍性=他の事物や観念との非相関性」を重視しなかったとして批判する。

メイヤスーの実在論の射程は、人類がいないとしても数学・科学の公理性は変わらないはずというアプリオリな真理認識をベースにしたものだ。メイヤスーは「人類誕生以前の祖先以前性」だとか「人類消滅以後の可能な出来事」だとかを想像しつつ、想像でも数学的・科学的な人の意識に頼らない真理は最も確実な実在とする。

マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか?」で示唆される新実在論は、英訳しかないが読めば哲学的な読書が好きな人なら面白く読める内容だろう。ガブリエルは自然主義・科学主義の抵抗者で、端的に言えば「人間の心・精神・記憶の機能」も実在するものにしたい(人固有の実在性の復興願望)と考える思想家だ。

ガブリエルの新実在論は「世界は見る人のいない客観的なモノの世界だけでもなければ、見る人の構築する主観的な意識の世界だけでもなく、複数の多元的世界が同時的に両立して実在するのが世界である」というテーゼに集約される。世界の実在性を主観・客観の一元性で固定せず、モノも心も共同認識も含めて実在と見なす。

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20世紀の哲学潮流の衰退と21世紀の思想哲学の不在感覚、 おじさんは若い女性にモテるのか?

○20世紀の哲学史の三大潮流「マルクス主義(ドイツ)・実存主義(フランス)・分析哲学(英米)」のうち、前二者が没落した最大の契機はやはりソ連崩壊による「社会主義・共産主義の理想挫折(全体主義的な収容所列島の事実の暴露)」だった。アメリカ中心のプラグマティックな世界秩序と娯楽文化が拡大、「存在の意義・理想社会の建設」ではなく「現実・言語の分析」に偏った。

確かに、マルクス主義後継としての「フランクフルト学派・解釈学」、実存主義後継としての「現象学・構造主義(ポスト構造主義)」など受け皿はあったが、思想そのものの影響力衰退により、1980年代以前のような現実社会にインパクトを与えるものではなくなった。ポストモダン思想は、インテリの知的概念の娯楽に近い。

現実社会や自己存在の問題を、思想哲学は直接に扱うことがなくなったとも言える。その契機は「言語哲学の台頭」だ。リチャード・ローティは「哲学の諸問題は言語を改革すること、我々が使用する言語を正確に理解することによって解決・解消される」として言語論的転回を起こしたが、インテリ以外に言語論的転回は響かない。

現代思想の多くは「言語によって現実問題が意味づけされているだけで、言語の解釈で解決できる」というスタンスだが、テキストで飯を食える人以外にとって「言語論的転回の世界観」は自分にとって関係のない世界の話になってしまった。マルクス主義の理想社会、実存主義の生の意味のような個人への直接の問題提起がない。

ソシュールとかヤコブソン、ガダマー、ハーバーマスなども広義では言語論的転回の潮流を形成した著名な哲学者であるが、マルクスやニーチェ、サルトルなどの時代と比べて、同時代人でもこれらの哲学者の知名度は一般に極端に低くなった。アンケートをとっても、ハンス・ゲオルグ・ガダマーを知っている人は5%もいない。

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在宅での最期の看取りは幸せなのか? 妻が嫌がっている目の前でAVを見る夫の問題

○悔いが残るかどうかは「年齢・状態・生前の人柄や考え方」にも拠る。血縁・婚姻の義務感ではなく、最期を看取ってあげたいと思うほどの相手がいること自体が幸せという解釈もある。

在宅での最期、救急車を呼んだら警察沙汰に 悔いのない「看取り」に必要なこと (AERA dot. – 01月20日 10:52) http://mixi.at/a1WjJVr

無頼な生き方や嫌われる性格を貫いて人が離れた、経済的に完全に破綻して離婚絶縁したなどで、「家族親族の看取り」をすることもされることも期待できない人も多い。今後はそういった特別な要因がなくても高齢単身世帯の孤独死は増えるが、「貧困でない在宅介護・家族の看取り」はある意味、順調・堅実な人生の末期でもある。

死に方にこだわっても、どんな死に方をするかを事前に自己選択することはできないものだ。特別な病気がなく生物学的な限界によって老衰で死ぬというのは、長生きしたい人にとっては理想的な死に方ではあり、さらに家族・付き合いを大事にしてきた人なら看取ってくれる人がいること自体も嬉しいのではないだろうか。

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若いうちに結婚すれば孤独死しないというわけではないが……!、 “お一人様”でなくても家族以外に一緒に出かける相手は減ってくる!

○結婚は簡単だが離婚は難しく、片方だけが別れたい(メリットがない・厚かましい)場合はトラブルになるが、誰でもいいで結婚すれば余計なトラブルになりかねない。孤独死以外のリスクも多い。

若いうちに結婚しておくべき? 「孤独死したくなければ誰でもいいから籍を入れろ」論から議論展開 http://mixi.at/a1Snksv (01月16日)

誰でもいい相手であっても、入籍したり子供が産まれたりすれば、一方的に離脱できない人間関係が増える。この人間関係を安心感・信頼感・モチベーションにできるなら、結婚の意義があるが……。反対に、『決定的に合わない部分・一緒にいるのが不快で負担な要素』が強まれば、その縁が切れないことが長期の重圧になることもある。

孤独死したくなければ結婚しろとか、子供がいれば老後の保障になるとかいう理由で結婚しようとする人の危険性は、『配偶者や子供が思い通りの生産性・役割や保険』として機能しない場合に、家族に暴言暴力を振るうタイプになりやすい事だろう。老後に性格が悪く財産がなく、要求ばかり多ければ、子孫がいても絶縁が増える。

老後の自立的な人生設計が成り立たず子供に頼る場合、よほど好かれていないと夫婦関係や親子関係も険悪になりやすい。家族がいるからこそ医療費や介護費、世話を巡る争い、老後離婚争議、恩着せがましさが増えるケースもある。結局、親族・子孫に負担要求や役割押し付けが増えれば嫌がられる。誰でもいいなら尚更危うい。

老々介護や中高年の子供による介護に陥れば、好きもへったくれもなく悲惨な日常になりやすい。初めからそこまで好きでもない相手が要介護になり財産もなければ、そこからの介護を孤独死しないだけありがたいと思える保証はない。自分が世話されることを望む人がイメージする老後だけではなく自分が世話に追われる老後もある。

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『だんなデスノート』に反映される現代女性の心理、 現代の貧困問題は同情されにくい、 正しさの押し付けに対する不快感など

○現代人の大半は最低限の暮らしができるだけでは大して心が満たされないが、結婚・旦那や労働に対する強い不満は持つ人は『大して面白い生活でもないのに食わせてやっている・働かせてやっているという相手からの束縛感や自己の無力感』を意識し過ぎるのだろう。

「だんなデスノート」が書籍化 http://mixi.at/agC1H9n 10月30日

DVやモラハラ、貧困生活の待遇を受け、旦那に死んでほしい妻もいるだろうが、そういった心理も『大して好きでもない相手に頼らなくては生きていけない自己の無力感・依存心』に基づいている。まあ、結婚する前に旦那から『俺に任せておけば安心・絶対に幸せにするから』などの口約束をされて実態が違った可能性もある。

一緒に苦労しても良い相手とでないと結婚すべきではないとも言われるが、実際に男側が強く惚れてアプローチする場合などは、『自分と結婚するメリット・生活できる安心感』をちょっと盛って伝えるタイプもいるので、結婚する前と後で生活水準・相手の性格が違った、騙されたと思う人がある程度いても不思議ではないが…

自分自身で自分の運命を切り開けず、不本意な場所や役割に嫌々ながら止まっている人は、どうしても結婚や労働、配偶者への不平不満は強まるが、ある意味ではそれが庶民の現実であり、自分が力を持てなければ、価値観や生き方の尺度を変えるしか楽しくする方法はないだろう。他者や会社に全てを左右されれば不満はでやすい。

○公務員を辞めて建設作業員になった事で借金・生活困窮、義母・妻から連日役立たずと罵られるモラハラを受け…だんなデスノートの逆のような事件だった。

家族3人殺害、奥本死刑囚が手記「この世との縁が無くなっても償いを続けたい」…死刑確定から3年 弁護士ドットコム 12月10日 http://mixi.at/ajwLawv

○現代では「万人に同情される貧困」はない。大半の人は全力で頑張っても金持ちにはなれず、自分より苦労や努力が足りない者が底上げされれば損のように感じる。故に貧困は隠蔽され少子化も進む。

月17万円でも苦しい…「理想の貧困」の誤解、家計簿でくつがえす (ウィズニュース – 11月08日 http://mixi.at/ahSmnF2)

朝から晩まで死ぬ気で働けば、無能な人でも20万程度は稼げるというのは事実としてあるが、現代人にとって「一切の余暇なく働き詰めでギリギリの人生」や「スマホもまともな服・食事もない生活」というのは耐え難いものであり、昭和中期以前の人間とは貧困耐性やテクノロジー、周辺環境・他者があまりにも変わっている。

昭和中期までは貧困とは労働者層・大衆の共通体験であり、大勢が農家・工員など同じような労働環境で低賃金だったため「貧困に対する団結・連帯」が可能だったが、現代の貧困は階層性がなく個人の問題に還元されやすい。貧困な人は大勢いるが、貧困層と呼べる共通体験に根ざした一体感や異議申し立てはそこにはなくなった。

現代の政治にとって「個人化したバラバラの貧困問題」は「階層化した団結してくる貧困問題」に比べれば遥かに管理が簡単で、無力な個人はある程度無視しても勝手に犯罪や自殺、精神疾患に追い詰められるだけと高を括れるものになった。大衆の貧困による反逆、共産主義思想などは現代の個人化社会では共感されないからだ。

個人化社会における自己責任原理という黄金律によって、「格差・貧困」はあっても「階層・連帯・互助・抵抗」が非常に脆弱なものとなり、個人のメンタリティーも「貧困・無力・孤立は自業自得という思い」で自己否定に追い込まれやすくなっている。現代の未婚化少子化・精神疾患など多くの問題の背景にあるが解決は難しい。

○新製品は「新デザインはダメ・これは売れない」の意見は出るが、任天堂スイッチのように蓋を開けると爆売れは多い…高齢者層の株高の恩恵もある、ソニーのaiboも売れると読む。

ソニーの「aibo」がついに復活! より愛らしく、唯一無二のパートナーに成長 (BIGLOBEニュース http://mixi.at/ahLOK6C 11月02日)

テレビニュースで実際の目の動きや仕草を見たが、個人的には可愛らしくて欲しいと思った。高齢者で約20万を簡単に出せる層なら、精神的な人恋しさや愛着対象を求める心があれば、家電売り場で見ていて分かりやすく接客されれば、購入意欲をかなりくすぐられる。生きたペットの世話が要らないメリットは高齢者には大きい。

ロボットの見た目をリアルに近づけた方がいいのかは、認知科学では「不気味の谷問題」と呼ばれて、リアルの人間や動物に中途半端に似せたロボットは嫌悪感を感じられやすいが、このaiboはそこまでのリアリティーはなく、漫画的な子犬のレベルに留まっている。外見のリアリティーの高度な追究は、コスト面でも難しい。

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