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マイナンバー制度施行と確実な所得補足・ブレンディのCMのブラックユーモア

税と社会保障の一体改革や確実・公正な所得補足の流れから、マイナンバー制度施行は進められた。だが、『社会保障の申請・健康保険の使用・確定申告されにくい型の仕事の捕捉・金融資産の監視』と紐付けられるマイナンバーは、やはり国から経済生活を監視されている(逃げ場なき運命共同体の)という現実を再認させられる窮屈さもあるなと思う。

『国民の資産・所得と税・保険(納付履歴)・勤務先(事業所得)』などの情報を、固有番号で一生涯にわたって監視するマイナンバー制度には、確かに総家畜化という概念を使いたくなるような圧迫感・被拘束感はあるが、『行政事務の低コスト化・効率化』とバーターになってくるのだろう。政治が、余計な箱物や国家的イベントに無駄金を湯水のように注いでいるので、余計に『遺漏のない徴税』には不満も出やすいが。

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読書と恋愛:“教養・語彙・話題(ジャンル)”による相性もあるが、読書は基本的に孤独な営み

『読書をする人』と『読書をしない人』のどちらが異性に好かれるかは、相手が読書をする人か否かにかなり左右されるし、『読書で得た知識・話題・物語を相手に興味を持たせて聴かせる会話力』にも影響される。

世の中の人の過半は『本を習慣的には読まない人・細かな知識を欲さない人(蘊蓄・教養を深めない人)』であるから、『自分が読んでいるジャンル・本』について一方的に語っても、その内容や理論、知識について真剣に聴いてもらえる可能性は低い。

読書好きな男性ほど恋愛上手? hontoが「読書と恋愛傾向に関する調査」を公開

何らかのジャンルや本について読み込んでいるからといって、それが恋愛上の魅力になるとは考えにくいし、『本・知識が嫌いな女性(話題を深く掘り下げるような会話を好まない女性)』も少なからずいるので、相手によるしケースバイケースだろう。

単純に外見・性格が好みの相手や収入が良い相手とどこかに楽しく遊びに出かけるだけで満足、ごちゃごちゃ小難しい話をするより買い物・レジャー・グルメのほうが良い、知識・教養などより結果としていくら稼ぐかの実利と生活のほうが大切だという女性も少なくないし(むしろ一般的な恋愛では多数派かもしれないし)、男女間における『話題・人間性の深み』というのは求められているようで求められていないといった曖昧かつ微妙なものである。

話題・人間性の深みや知的根拠へのこだわりを見せすぎることによって、『面倒臭い人間』として敬遠されることも多々ある。世渡りや男女関係では、少しシンプルで感情的でバカっぽく見せるくらいがちょうどいいし、『思考的・言語的』であるよりは『行動的・共感的』であるほうが『実利が多い・生活に役立つ』という意味で魅力的でもある。

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『Mステ スーパーライブ』のSexy Zoneの演出と男女の古典的ジェンダー

白馬の王子様が、大勢の中から私だけを選び出しスターダムに押し上げてくれる。退屈な日常よ、さらば!シンデレラストーリーの演出だが、驚いて感動で涙ぐむダンサーの演技力はなかなかのものだった。『選択と救済』のジェンダーの夢のミニドラマのような印象もあった。

Sexy Zone、『Mステ スーパーライブ』の演出に賛否。「コーヒー吹いた」「あんなの要らん」

Sexy Zoneは30代以上から見れば、高校生くらいの子供に見えるが、カッコイイというより可愛い感じを受けてしまう。現在の自分の経済状態よりも更に豊かなステージに押し上げてくれる結婚をハイパーガミー(上昇婚)というが、若手のジャニーズはそこに加えて『理想の造形・甘い恋愛』という非日常の空想・快感を広げてくれるのがビジネスの種か。

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東海大四高(南北海道)の西嶋亮太投手のスローカーブ。トリックスターのような緩急・表情・明るさの受け止め方。

九国大付属高(福岡)と東海大四高(南北海道)の試合は偶然リアルタイムで途中まで見ていた。序盤はピッチャーの投げ合いで、双方にタイプの違う先発ピッチャーを出してきたが、九国大付属のほうが重さのあるストレートの力で押す投手、東海大四高の西嶋亮太投手は『球種の多さ・緩急の変化・コースの低さ』を売りにしたテクニカルな投手という印象を受けた。

東海大四高(南北海道)の西嶋亮太投手のスローカーブ。トリックスターのような緩急・表情・明るさの受け止め方。

西嶋投手は次にどんな球を投げてくるかが読みにくく、高めの甘い球を殆ど投げてこないが、スローカーブや表情・動きなども、高校球児らしい正統派のスタイルというよりは、トリッキーな陽性のムードメーカー(相手にとっては感情を揺らす刺激)といった感じである。

ストライクも低めぎりぎりが多くそれで見逃し三振を稼いだが、フォークのような低めに落ちる球も決め球として持つ。バッターとすれば低めの球がストライクにくるかボールになるか(落としてくるか)の見極めが難しい。フォークをまともに当てたバッターは殆どいないので、ボールになるフォークと思って見逃すと、その時に裏をかくぎりぎりのストレートが来て三振になるバッターが多かった。

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『現代のベートーベン』という佐村河内守のキャッチフレーズや聴力の喪失が、

虚偽に基づくものであっても、その作品自体のクオリティや人間性の評価は別であると思うが、近親者である妻の母からここまで完全に信用されず非難(否定)だけをされる人柄・生き方というのもまた問題が大きいことの現れではあるのだろう。

16年間も母にまったく会いに行かないというのも異常ではあるが、佐村河内氏との結婚の影響と合わせ、妻とその母親の親子関係自体が初めから余り良くなかった可能性もある。

端的には、享楽的な仕事嫌いの遊び人としてのキャリアが長く、佐村河内氏が結婚してから7年間で20万円しか稼がなかったというのは、ほぼヒモとしての生活を成り立たせていたということだろう(記事になっている範囲では専業主夫としての仕事をこなしていたというようなこともなさそうではあり)。

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ドラマ『明日、ママがいない』に対するクレーム:“人間の悪・差別・本音”を誇張したフィクションと当事者性を持つ人への影響

ドラマ『明日、ママがいない』には、母親から赤ちゃんポストに遺棄された子供や親から虐待を受けたり養育を放棄されたりした子供たちが登場する。そういった親に愛してもらえない子供たちの『不幸な境遇・弱りきった気持ち』に、更に追い討ちをかける過酷ないじめ・差別・職員による暴言が過激に表現される。

この親のいない子供を更に虐待したり差別したりする人間がいるという表現に対して、関係者から『児童擁護施設で生活している(生活していた過去のある)子供たちの心が傷ついたり、ドラマを真似したいじめを誘発する恐れがある』というクレームが寄せられ一部で物議を醸しているという。

野島伸司の脚本には『101回目のプロポーズ』『ひとつ屋根の下』のような王道のトレンディドラマ(恋愛・家族もの)もあるのだが、教師と生徒の禁断の愛をテーマとした1993年の『高校教師』以降の作品ではかなり色彩が異なってきた。

『家なき子』『聖者の行進』を代表として、『暴力と虐待・貧困(無能)と差別・いじめと自殺・障害者差別・倫理と建前の崩壊(偽善性の暴露)』などの豊かな明るい現代社会の表層から隠蔽(排除)されている暗い問題を扱うことが増えた。

そういった暗くて貧しくて誰も守ってくれない悲惨な境遇、理性も倫理も救いもない世界に閉じ込められて生きている人が、この日本のどこかにも確かにいるのだという現実を知らしめるような重たい作品を野島は好んで書くが、『悲惨さ・不幸さの強調(フィクションではあるが一部ではリアルとも接合する表現)』がどぎついので、ドラマのいじめられる者の設定との共通性が僅かでもあれば気分が悪くなるような人がいても不思議ではない。

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