確定申告者にとって住民税は実質的な負担感が最も大きな直接税で、4回分割でも納税額は大きくなりがち。復興財源名目の増税は反対もしづらいが企業減税と個人・世帯増税の対照性は際立っている。
企業の復興増税は前倒しの2年だけで打ち切っているのに、個人の住民税増税は10年も継続される不公平感もあるが、復興増税の最大の問題点は『徴収した税金』を被災地復興の実務に使い切るだけの計画立案と労働力の供給、人材のオペレーションができていない事だ。復興名目の税金が余っても翌年に繰り越せない。
確定申告者にとって住民税は実質的な負担感が最も大きな直接税で、4回分割でも納税額は大きくなりがち。復興財源名目の増税は反対もしづらいが企業減税と個人・世帯増税の対照性は際立っている。
企業の復興増税は前倒しの2年だけで打ち切っているのに、個人の住民税増税は10年も継続される不公平感もあるが、復興増税の最大の問題点は『徴収した税金』を被災地復興の実務に使い切るだけの計画立案と労働力の供給、人材のオペレーションができていない事だ。復興名目の税金が余っても翌年に繰り越せない。
先進国でさえ男女平等、女性の権利・自由の歴史は短く不完全だが、パキスタンやアフガン等の一部地域の『名誉殺人』は女性を家・男の所有物と見なす慣習や男権社会の抑圧、原理主義の狂信が関係か。
イスラームだけでなくキリスト教やユダヤ教も『男権主義・父性原理の宗教』であり、リベラルな男女平等思想や女性の性的な意思決定とは相性が悪いところがあるが、イスラームはキリスト教のように世俗化してないので、『政教一致・生活規範の拘束力(敬虔さ・保守性)』が『不服従な女性への暴力』に転換する危険性は高い。
女性を『家・男の所有物(財物)のように見なす』というと、現代では女性個人の思想信条・行動の自由を認めない奴隷制度を彷彿させるような暗鬱な観念だが、見方を変えれば『所有する代わりの保護・庇護』が強い家父長制の家族システムの事である。前近代には自由な個人の意識そのものが希薄ではあった。
続きを読む 恋愛結婚を罪悪視して“石打ち刑”を科す事件。パキスタンやアフガニスタンなどイスラーム圏の一部における女性に対する過度の抑圧
安倍政権は『日本国民の生命・財産』を守るために集団的自衛権の行使容認が必要だというが、日本領土が攻撃された場合以外のグレーゾーンの内容を聞くと、『日米安保条約の双務性(日本が血と汗の負担をしていないからアメリカから見捨てられるのではないかの不安)・アメリカの艦船や領土の共同防衛措置』に重点があるようである。
中国との積極的な対話姿勢や妥協点(中国の政情変化を待つ棚上げ)の提案を見せずに、外交戦略の有効性が完全に失われた『周辺有事』の勃発可能性ばかりを盛んに強調しているのは不可思議だが、安倍政権は集団的自衛権を『国民の生命・財産の保護』のためというよりは、『対中国の封じ込め戦略・軍拡競争』ないし『国連軍(多国籍軍)の軍事制裁やPKOの駆けつけ警護への自衛隊参加』のために行使できるように憲法解釈を変更したいのだろう。
しかし、残念ながらアメリカのオバマ政権は、日本と共同で対中国の封じ込め戦略をするつもりは毛頭ないし、オバマ大統領は安倍首相との首脳会談で『中国との軍事緊張・領土問題を緩和させる外交的努力・交渉機会の設定』を勧奨しており、G2のアメリカと中国の外交関係や経済的相互依存は密接なものがある。
日米中が軍事衝突して相互に国交断絶・貿易停止をすれば、世界経済は短期間で瓦解してしまい、国家主権や軍事バランスをどうこう言っているような状況ではなくなるので、各国は国民のナショナリズムや仮想敵国への憤懣を利用したガス抜きは行うとしても、本格的な戦争にまで発展するリスクはゼロに近い。
高円宮典子様と千家国麿さんの結婚は『古事記・日本書紀』の神話時代まで遡る血縁関係や国譲りが引き合いに出される事が予想される結婚だが、皇室と寺社は日本の家柄・格式・信仰の物語的な源泉である。
天皇・皇室・寺社格式・記紀の神話にまったく興味がない日本人も増えてはいるだろうが、それでも科学的世界観や世俗的価値観が普及した現代の日本において、『神々の血統の末裔としての家柄とその権威』が単純なフィクション(作り話)以上の共同幻想として未だに機能していることは驚嘆すべき事かもしれない。
天皇や皇族に『日本人らしさの純粋な模範的な原型(実際は明治維新以降に創られた伝統・格式・道徳・行事も多いが)』を見出したいとする日本国民は現在でも相当な割合に上り、庶民を畏敬させる貴種崇拝願望はなお強い。米を特別視する瑞穂の国の伝統も、天皇家の大嘗祭・新嘗祭の祭祀と切り離しては考えにくかったりする。
梅田悟容疑者(24)が岩手県で開催されていたAKB48の握手会で、川栄李奈さん(19)と入山杏奈さん(18)をノコギリで切りつけて襲撃した事件は、被害者がアイドルグループAKB48のメンバーであったこともあり、当初は『狂気的・妄想的なファンによる凶行』の可能性が疑われていた。
名前知らず「AKBなら誰でも」=握手会襲撃で逮捕の男-岩手県警
梅田容疑者が『CD添付の握手券を所持していたこと・他県の握手会の開催日時や場所を知っていたこと・青森県から約100キロもの長距離を自転車で来ていること』から、AKB48に全く興味関心がない人物だとは思いにくいが、本人の自供ではとりあえず『AKB48のメンバーなら誰でも良かった・日常の不満からとにかく誰かを殺したかった(傷つけたかった)・誰かの特別なファンだったり恋愛感情云々という事はない』という話になっているようだ。
AKB48を襲撃する事件の計画や動機については、『AKB48やそのメンバーに対する仮想的な恋愛感情や特別な思い(歪んだ独占欲・嫉妬心・執着心・逆恨み)』だけではなく『注目度・人気度の高いAKBを襲撃すればその人気に便乗して自分も目立つことができる(一般人を殺傷するよりも世間を騒がせやすく自分の存在をアピールしやすい)』という動機を想定することはできる。
あるいは、AKB48が好きだとか独占したいとかというポジティブな感情のねじれだけではなく、自分は惨めでパッとしない人生なのに、あんな奴らが何でこんなに人気があってみんなにちやほや大切にされるんだといった(普通は女性アイドルが相手だと男性には起こりにくい心理だと思われるが)『人気者に対する一方的な嫉妬・怨恨』といった感情が影響している可能性もある。
例えば、漫画『黒子のバスケ』の作者に対する陰湿な脅迫事件の被告は、自分と同世代の成功している人気漫画家に対して、『一方的かつ妄想的な嫉妬感情』をこじらせて執拗な脅迫・威力業務妨害を繰り返していた。
最近、学校生活で一緒につるんで行動できる友達がいない状態を“ぼっち”と呼んだり、実際にどれくらいの事例があるのかは不明だが、一人で昼食を食べるのが恥ずかしいからトイレで飯を食べる“便所飯”が問題化されたりしている。
LINEやfacebook、mixiなどの『SNS依存症』の背景にも、友達から自分の存在を忘れられたくない、常につながっていないと仲間外れにされるかもしれない、自分のいないところで悪口を言われるかもしれないといった『人間関係から取り残される不安感』があるように感じられる。
あるいは、学校生活の中でクラスの中心になって大声で自己主張できたり容姿・髪型・ファッションが垢抜けていたり、みんなの空気をユーモアを通して操作できたりする人気者の集団、無難に周りに合わせながら学校生活を送っている集団、いじめられたりバカにされたりする集団が階層分化する『スクールカースト』のような
問題(その具体的な事実性は疑えるところもあるが)もそこに絡んでいるかもしれない。
また地元志向(地元自慢)の強まりが指摘され、小学校・中学校時代の大勢の友達と大人になってからもつながりを維持し続ける『ジモティ,マイルドヤンキー』とかいったコンセプトが新たに提示されたりもして、『リア充=異性関係の充実・ライフイベントの展開(就職・結婚出産などのオーソドックスな生き方の展開)・社交的な人間関係の多さ』というイメージも強まっている。
続きを読む ぼっち(一人の状態)を“孤独・不人気・持続的”と受け取るか“自由・選択・一時的”と受け取るかの違い:他者に幸せそうな自分の外観を見られたいという願望