肥満型か痩せ型かには、親子で体型が似ていることも多いように遺伝要因も軽視できないが、大半の人は極端な肥満や激やせの体型にまではいかず、標準体型である人が『加齢(代謝率低下)』と共にやや太り気味になっていき、身体感覚も俊敏さがなくなって重たくなるという感じになる。
一体何が違うの?「頑張らなくてもやせてる人」の生活習慣10個
頑張らなくても痩せている人は、『摂取カロリーと消費カロリーのバランス』がやや消費カロリーが大目になる生活習慣が自然に確立できている人であり、『食事の分量・頻度・内容』を変えるまでは、ある程度頑張ったり意識して変えたりする必要は出てくる。
これ以上ほとんど食べられないくらいの『満腹感(腹9~10分以上)』にこだわる食事を日常的にしていれば、満腹中枢が刺激される閾値が高くなるので、それよりも少ない分量の食事だと物足りない空腹感が多少つらい、手軽につまめるモノがあれば食べたいという衝動が抑えにくくなる。
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NHKの籾井勝人会長の人事は、先日健康上の問題で検査入院となった内閣法制局の小松一郎局長の人事にも似ているが、『政府(安倍政権)の代弁者に近い役割を果たそうとする人物』が、『判断・職務の自主自律が前提となる公的組織』のトップに就いたという構造的問題を孕んでいる。
法律・政令・条約案の審査および法令の合憲解釈と調査を担う内閣法制局は、『法の番人』として最高裁判所と双璧を為す法律(法権力)の有効性を調整し判断する機関であり、安倍政権下では『集団的自衛権の解釈改憲(条文改正なしでの日米同盟を前提とする集団安保)』をどのように判断するかに注目が為されることが多い。
内閣法制局長は内閣の一員ではあるが、政府・首相の見解や恣意的な国益の主張に追随して後押しする立場ではなく、『客観的・中立的・立憲的な見地』に立って閣議に付される法律案や行政施策が、現状の憲法と法律に矛盾・違反なく整合しているかを判断しなければならない立場にある。
ここに安倍首相が個人的に交遊が深く価値観も一致しているとされる小松一郎氏を配置したことで、内閣法制局の中立性や前例からの合理的判断に変化が生じるのではないかという疑いが持たれたりもしたが、NHK会長という職務も『公共放送の中立性・客観性・国際性』を担わなければならない立場にある。
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『戦後レジームからの脱却』が『戦前レジームへの復古』になるのであれば、近代国家はお互いに支配圏の膨張と国民動員型(戦える国民の教育)の戦争を繰り返す『戦争機械』としての宿命を背負い、国家は軍事的・経済的なパワーバランスの中で領土・利益を増やそうとする戦いをただ繰り返すだけの集合体になってしまう。
現在の日中関係は、第一次世界大戦前夜の英独関係に似ているか?安倍首相の発言から近代国家を考える:1
こういった近代国家の戦争機械(愛国心を基軸として個人と国家を同一化させる国民動員・国民教育のシステム)としての捉え方は、『旧日本の絶対的国防圏・ナチスが唱えたドイツ民族の生存圏・漢民族の核心的利益』などの有機体的国家論の膨張主義・自衛を偽装した侵略戦争(植民地支配)へと必然的につながり、『国家は外国と武力で戦ってでも膨張・発展しようとする自然的本性を持つ(実際には近代国家は自然発生的ではなく外圧・産業・教育による人為的な要素を多分に持つが)』ということを支配階層の欲望(その欲望・救済の物語を国民にコピーする教育やメディア)の免罪符にしてしまう。
かつてドイツをナチズムへと誘導する一助を担った政治思想家のカール・E・N・ハウスホーファーは、ナチスドイツの膨張主義的な軍事政策・植民地拡大を後押しするかのように、『国家が発展的に生存していくためには、ある一定以上の大きさを持った生存圏を確保し、他国との貿易や交渉に依存しなくても良い自給自足が可能な産業・資源を支配しなければならずそれは強大な国家の正当な権利である』と記したが、この一定以上の大きさの生存圏は恣意的に拡大されて結局は欧州全土を超える範囲までドイツ民族の正当な生存圏だという誇大妄想に国民が冒されていった。
こういった思想は、ドイツの地政学の祖であるフリードリヒ・ラッツェルの国家を一つの成長を続ける生き物に見立てて、国民ひとりひとりを細胞・部品のように扱う『生存圏理論』から始まっているが、拡張主義や軍拡が批判される中国の核心的利益なども、こういった地政学的な生存圏拡大(その生存圏は自然由来の正当性があるという主張)の思想の焼き直しである。
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安倍首相がスイスのダボスのメディア外交で、現在の日中関係が『第一次世界大戦前の英独関係』に似ていると発言して欧米メディアで物議を醸したが、安倍首相は内心では戦後レジーム(平和主義外交路線)を既に脱却し解釈改憲をゴリ押しできるという気分でいるので、『尖閣諸島を巡る武力衝突の可能性』を暗にほのめかすような話し方になってしまいやすいのかもしれない。
軍事予算の積み増しで、尖閣・竹島の力づくの排除的防衛(奪還)をイメージさせる島嶼部奪還の特殊部隊設立(離島の強襲訓練強化)などの方向性を打ち出していることもあり、安倍政権にとって『偶発的な衝突への有事対応(平時の立憲主義体制を一時停止できるような非常事態宣言)』というのはイデオロギー的にはそれほど飛躍したものではなく、世論喚起の効果も兼ねて取る可能性のある政策オプションの誘惑(ブラフ)というのに近いだろう。
首相が現代と20世紀初頭の国際社会(侵略禁止の国際法)や国家体制、国民一般の倫理・教養・発言力の水準、憲法理念、利害関係を軽視して、現代と第一次世界大戦時の外交関係(戦争の可能性)を並列に並べて比較するのは、『戦争は通常の政治とは異なる方法による政治の継続である(戦争は外交の一手段である)』としたクラウゼヴィッツだとかマキャベリだとかの時代の非民主的な国家観・権力観を引きずっているような印象も受ける。
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ドラマ『明日、ママがいない』には、母親から赤ちゃんポストに遺棄された子供や親から虐待を受けたり養育を放棄されたりした子供たちが登場する。そういった親に愛してもらえない子供たちの『不幸な境遇・弱りきった気持ち』に、更に追い討ちをかける過酷ないじめ・差別・職員による暴言が過激に表現される。
この親のいない子供を更に虐待したり差別したりする人間がいるという表現に対して、関係者から『児童擁護施設で生活している(生活していた過去のある)子供たちの心が傷ついたり、ドラマを真似したいじめを誘発する恐れがある』というクレームが寄せられ一部で物議を醸しているという。
野島伸司の脚本には『101回目のプロポーズ』『ひとつ屋根の下』のような王道のトレンディドラマ(恋愛・家族もの)もあるのだが、教師と生徒の禁断の愛をテーマとした1993年の『高校教師』以降の作品ではかなり色彩が異なってきた。
『家なき子』『聖者の行進』を代表として、『暴力と虐待・貧困(無能)と差別・いじめと自殺・障害者差別・倫理と建前の崩壊(偽善性の暴露)』などの豊かな明るい現代社会の表層から隠蔽(排除)されている暗い問題を扱うことが増えた。
そういった暗くて貧しくて誰も守ってくれない悲惨な境遇、理性も倫理も救いもない世界に閉じ込められて生きている人が、この日本のどこかにも確かにいるのだという現実を知らしめるような重たい作品を野島は好んで書くが、『悲惨さ・不幸さの強調(フィクションではあるが一部ではリアルとも接合する表現)』がどぎついので、ドラマのいじめられる者の設定との共通性が僅かでもあれば気分が悪くなるような人がいても不思議ではない。
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宗教団体が一般市民を対象とする無差別テロを仕掛けた『地下鉄サリン事件』が起こったのは1995年3月、阪神淡路大震災が発生してから僅か2ヶ月後の大惨事だった。世紀末が近づきバブル崩壊後の不況に喘ぐ日本の世相を更に陰鬱なものとしたが、それだけではなく当時のマスメディアはお祭り騒ぎのようにオウム真理教の長時間の特集番組を組み続け、麻原彰晃逮捕の当日までメディアの多くの時間がオウム関連にジャックされているような異常な状況であった。
当時の僕は高校生だったが、連日のようにワイドショーや特番にオウム真理教の幹部が出演しており、上祐史浩広報部長や青山吉伸弁護士が『尊師(麻原)の無実』と『教団の安全性』を饒舌なまくしたてるような口調で訴えかけ続け、オウム糾弾の報道に対しては名誉毀損罪をはじめとする法的な措置を取ることを辞さない姿勢を示していた。
教団側がむしろ国家権力や米軍から弾圧されているという被害妄想を中心にした弁明だけではなく、オウム真理教の教義と目的、不気味な修行方法と霊感商法、麻原を頂点に置くヒエラルキー・幹部のホーリーネームや高学歴などがあまりに詳しく報道され過ぎ、オウム批判なのかオウム宣伝なのか分からなくなる有様であった。
最初はオウム真理教の名前くらいしか知らなかった人までが、教団の主要な幹部の顔・名前が識別できるようになったり、教団内の特殊な教義、女を使った勧誘法や麻原の煩悩まみれの生活ぶり(最終解脱者は何をやっても精神が汚れず欲望が逆に清めになるらしいがw)を知るようになったりした。上祐史浩にファンがついたりグッズが販売されたりなどの、事件・騒動に便乗した悪ふざけの動きも出たりしたが、こういった動きは海外の凶悪犯罪者や日本で英国人女性を殺した市橋達也の事件でも起こったりはした。
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