カキ(牡蠣)の養殖が盛んだった宮城県石巻市の養殖場・処理場は、東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を受けたが、今年から地元漁協だけでなく民間企業も加わった『水産業復興特区』を中心にして、カキの出荷が本格化するという。
水産特区でカキ出荷始まる=全国初「想像以上の注文」-宮城・石巻
先日、ほっともっとで『カキ弁当の宣伝の幟』を見て、反射的に買ってしまったほどにカキが好きなのだが、残念ながら石巻市のカキの出荷は当面は県内のスーパー向けに限られるという。これからの季節は、リンガーハットのカキちゃんぽんとかカキを入れたチゲ鍋とかも美味しくなってくるが、鮮度が高い臭みのないカキはやはり生で食べるところに醍醐味がある(魚介類が当たりやすい人などは敬遠することも多いが)。
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明日10月17日までに、アメリカ合衆国の連邦債務の上限額の引き上げ法案が通らなければ、アメリカは国債償還(国債利回り)の支払い能力が不足していると見なされて、部分的なデフォルトが起こる。
アメリカが債務を支払えないというデフォルトが起これば世界経済は非常に大きな打撃を被り、米国債を大量保有している日本と中国の財政状況・株式市場にも深刻な損失をもたらす。だが、現在の状況は『アメリカの政局(民主党と共和党のチキンレース的な駆け引き)』であって、『アメリカの潜在的な支払い能力の限界』ではないのでこの危機は回避されるだろう。
アメリカが完全に支払い能力を失ったとなれば(フル・デフォルトと呼ばれる米国債のジャンク化が起これば)、日本株の下落と円高の急騰だけではなく、インフレが更に進んで物価の急上昇が起こるため、アベノミクスの楽観的予測は短期間で瓦解して、恐らく1年以内に国民生活が相当に行き詰まって政権は倒れることになる。下手をすれば、安倍政権が決断した消費税増税時期も見送られる可能性があるほどに、重要な世界経済の転機にもなるわけだが。
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もっともストーカーになりにくい人というのは、自我の独立性や自己の世界観(自律的な関心事)が確立していて、恋愛の盛り上がっている時期にあっても『自分と相手との人生・人格の境界線(何もかも一緒ではなくお互いに踏み込めない領域もあるのが当たり前という感覚)』を引ける人であり、『相手の人格・主張の独立性』を本当の意味で尊重できる人である。
三鷹市の女子高生殺人事件1:元交際相手のストーカー化の問題と人の見極め
つまり、相手が考えた結果として『別れたい(別れて欲しい)・もう付き合えない』と伝えてくれば、多少の説得や翻意を促したとしてもそれが無理だとわかった時点で、『相手の選択・感情』をそのまま受け容れられる人ということである。
恋愛・結婚が『対等な個人同士の双方の合意』によってのみ成り立つという原理原則をしっかり理解していて、『一度はお互い好きになった相手であっても気持ちや状況が変わることは可能性としてある(そうなってしまったらどんなに粘っても脅しても無駄で自分の人間性を貶めるだけ)』ということを知っている。
更に言えば、そういった恋愛・結婚の自己責任と相手の尊重を知っている上で、『信頼できる相手・極端な理不尽や不義理を働かない相手・心の底から嫌いにはならないような相手』を選べる人であり、上手くいかないならいかないで(冷たく理不尽な対応や手ひどい仕打ちをされたらされたで)、『そういう相手を見極められなかった自分が情けない・この相手にこれ以上構っても良い対応は得られず嫌な気持ちになるだけで無駄』として次に行くだけなのである。
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東京都三鷹市の自宅前で私立高校3年の女子生徒が、元交際相手だった21歳のハーフの男性に刺殺された事件は、付き合っていたり結婚していた相手がストーカー化した後に、適切な重大犯罪の回避(=加害心理の懐柔・制御)の対応が上手くできずに殺害されてしまった事件のように見える。
昨年はストーカーの相談件数が2万件を超えて史上最多となったが、その内の約7割が元配偶者・元交際相手であり、友人知人を含む面識者となると約9割を占めている。基本的には『過去に一定以上の付き合いのあった相手』が別離・離婚に納得できずにストーカー化するケースが大半である。
『別れるための話し合い』が平行線を辿ったり感情的に激高したりする過程を経て、『対応してくれなくなった相手』にしがみついたり会うことの強要・脅しをし始めることで、元配偶者・元恋人が『恐怖感を感じるストーカー』として認識されてしまうようになる。
殺人・傷害など『物理的な危害』を直接的に加えてくるケースは全体では少数派で、『面会や交際の要求・繰り返しの電話やメール・つきまといや監視』といった迷惑・強要の行為が圧倒的に多いが、『決定的な別離の通告・法的な対応での威嚇(警察への相談)』はストーカー化した相手の心理状態や性格によっては危険な結果を引き起こすリスクが生じる。
今回は、三鷹警察署はストーカーへの対応は所定の手順を踏んでいて問題はなかったとしているが、警察官の声で『容疑者の携帯電話』に警察署まで電話をかけるようにとのメッセージ(留守電)を残した対応は、間接的に『殺害の動機づけ(もう何をしても復縁は無理で殺すしかないという身勝手な思い)』を強めた恐れがある。
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物理学の究極の謎は、定量的研究の前提となっている『数値化された時間・空間』にある。1秒、1分、1時間などの数値化された時間というのは、僕たちにとってあまりにありふれた時間単位であるため、その実在性を改めて疑うことは滅多にないし、『時間が流れたり過ぎたりする感覚』は住民票(戸籍)・家族・社会制度があり、年齢や速度(移動時間)を意識するようになった人間にとっては当たり前の感覚とされる。
しかし、未開民族には自分の誕生日や年齢を知らない人も多いし、時間感覚も『時計で測れる時間』には依拠しておらず、何時何分というような概念を持っていない。太陽の動きと日々の生活リズムによって大まかな時間を知るだけであり、誰が年上で年下かくらいはわかるが、具体的に自分が何歳であるか相手と何歳の年齢差があるかなどについての認識は大雑把なことが多い。
公的な住民登録制度がなく誕生日を祝う習慣、同年齢の他者と学校に通学させる制度(企業に就職する仕組み)などがない自然と共生する社会、人口規模が極端に小さな集団に生きていれば、恐らく誰もが『自分の誕生日・年齢』についての認識は曖昧になるだろう。
常識的には、時間・季節の流れは『地球の自転・公転、地球と太陽の位置関係』によって規定されたり、1日を24時間、1年を365日と定めた定義に従う『時計の針の動き』によって時間を確認しているが、これは厳密には『時間』ではなく『一定速度を持った天体・針の運動』である。何らかの運動や変化を観察せずに『時間』を確認することはできないが、時間は決して止まることがない、あらゆる場所で絶えず流れているという仮定は強固なものとしてある。
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『山と渓谷(9月号)』の八ヶ岳全山縦走を見ていると、九州の山との『山域の広がり・景色のパノラマ度』の違いを感じる。誌面では4泊5日の行程のうち、観音平から編笠山・権現岳・赤岳までの前半のコースだけでお腹一杯だが、そこまでの縦走でも参考コースタイムでは片道8時間(往復16時間弱)なので日帰りはかなり難しいだろう。長いハシゴや岩場もあり、コースもそれなりに厳しそうな感じがする。
色々な方向から登れる山なので、美濃戸口からの人気コースだともう少し短い時間で登って帰って来れるみたいだ。八ヶ岳の高原トレイルである『霧ヶ峰・美ヶ原の中央分水嶺トレイル』は、景観が熊本県の阿蘇の『草千里』の高原にも似ていて、登山というよりも自然の中を歩く(走る)コースとして魅力的で、八島ヶ原湿原の牧歌的な眺めも良い。
霧ヶ峰北部の『美ヶ原』というのは標高2000メートル付近の360度の展望がある見晴台のような場所で、日本アルプスの山々を遠目で見るのに適したスポットか。総延長45kmもある『美ヶ原高原トレイル』というコースも作られていて、『三峰山・二ツ山・鉢伏山』のロングトレイルなど登山として登り応えがあるコースもトレイルに含まれているようだ。
坂下直枝さんの『冬のアンナプルナ漂流行』は1980年冬のアンナプルナ単独行の経験に基づく読み物としてスリリングだが、『世俗・他者との隔絶感』を求める山行というコンセプトは『現代社会での他者との距離感・集中的に燃焼させる生命感覚』について考えさせられるものでもある。
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