「人生哲学・自己啓発」カテゴリーアーカイブ

『他人に期待したくない』という心理:人は思い通りには動かず、時に期待外れの反応もある

期待する内容・状況・相手によるが、人がほぼ確実に期待通りに動くのは『毎朝出勤する会社員・毎日帰宅する家族』など、自分の生存や安心において絶対に必要と認識している場合だろう。

「他人に期待したくない」8割が肯定派 「信じて裏切られたくない」との声も

相手がそれをしてもしなくても良いという選択肢があり、自分の存在が相手にとって決定的に必要・重要ではない場合、自分側で当たり前と思っている期待レベルが『一方的で過度な期待』として相手に受け取られている恐れは常にある。家族や会社の互酬性や必要性に近いほどの密接な関係・信頼があれば期待は満たされやすい。

続きを読む 『他人に期待したくない』という心理:人は思い通りには動かず、時に期待外れの反応もある

長時間の仕事をして家に帰って寝るだけの何が楽しいのか?:その質問は大多数の人にとって現実に選択可能な問いではない

楽しくなくても働くしかないのが大多数の人の現実ではある。『衣食住の欠乏や社会的孤立の不安・標準的な人生設計や自他比較』の方が人を動かす力が大きいというだけの話。長時間労働のサラリーマンをするなら、仕事や学習そのものに遣り甲斐を見出せないと厳しい。

絶望だ!「仕事して寝に帰るだけの生活」って何が楽しいんですか?

そもそも楽しみや面白さだけのために生きられる人はよほど幸運な人か数億円以上を持つ資産家でもない限りいないが、現代社会では幼少期から大学生時代までが『擬似貴族的な楽しいことが多い生活環境・交遊関係』になりやすいため、『一日の大部分を拘束される自由度減の会社員生活』との大きな落差に不適応を起こしやすい。

現代人にとって『時間』は『貨幣(お金)』と並ぶ希少資源だが、時間資源ばかり優先すれば無職・無収入で『お金のない苦痛・惨めさ』を味わいやすく、金銭資源ばかり優先すればワーカホリック・仕事して寝るだけの生活リズム、健康を壊す過労で『時間不足の苦痛・長期雇用の拘束感・健康悪化』に苦しむで一長一短はある。

続きを読む 長時間の仕事をして家に帰って寝るだけの何が楽しいのか?:その質問は大多数の人にとって現実に選択可能な問いではない

現代における共同体(コミュニティ)と共同生活の可能性:生活の必要や強制・責任の弱いコミュニティは長く維持できるか?

共同体は『嫌なら抜ける・落ちた個人は切る・自腹を切らない』では長く続かない。『人の選別・価値観・哲学でつながる共同体』は余裕ある時期の拠点に近いだろう。

作家が4人で同居?渋谷で始まった共同体とは。「一人でも生きていける」40人が19部屋に

『愛情がないのに金銭や子どもを理由に離婚できない仮面夫婦』は嫌なものだが、『常に好きな人・刺激を受ける人だけに囲まれて相互扶助も機能し続ける共同体構想』というのは非現実的なユートピアニズムだろう。『理念・哲学・価値観』だけの共同体構想の多くは長期持続性を持たず内部対立か自然消滅の経緯を辿りやすい。

続きを読む 現代における共同体(コミュニティ)と共同生活の可能性:生活の必要や強制・責任の弱いコミュニティは長く維持できるか?

ゼリア新薬の新人研修による自殺と洗脳的な自己変革セミナーのテクニック:会社(家族も)は外の常識や法律が及びにくい治外法権の部分を持つ

■「自己変革研修」で新入社員自殺、遺族がゼリア新薬など提訴…研修会社は反論

ゼリア新薬の缶詰め状態の自由を奪う新人研修は、『自我・自尊心・自分の都合を捨てさせる+会社が外の常識が通用しない治外法権(上意下達)の場であることを叩き込む研修』である。私生活や自分の都合を捨ててのハードワークを厭わない企業戦士の育成だけではなく、メンバーに忠誠心と規律遵守を求める軍隊・新興宗教団体でも用いられてきた研修手法ではある。

『仕事に対する自発的な従属・忠誠』を受け容れきれないいわゆる学生気分を脱ぎ捨てて、社会人(企業人)としての自覚や覚悟を叩き込むといった名目で行われることが多い。

洗脳的な自己変革セミナーのテクニックは、端的には『現在の甘い自分の否定』と『今までの自分の考え方の否定』を進めるために肉体的・精神的にギリギリの所まで追い込んで、悲しみや悔しさ、恥ずかしさなどの激しい情動を喚起させることで『丸裸の自分(知られたくないことまで曝け出して隠せるものがなくなった自分)』を会社のメンバーにさらけださせてそこを居場所と思い込ませることである。

そのために、どんなに大声で返事や復唱をしても『まだまだ声が小さい・お前の声は全く聞こえねえぞ・蚊の鳴くような声でやる気あんのか』と威圧・罵倒しながら、声が嗄れてしゃべれなくなるくらいまで大声を出させたり、朝から晩までスケジュールを詰め込んで休む暇なく家事・雑事・単純作業をさせて深夜遅くにくたくたになって倒れこむくらいまで追い込む。

あるいは、街頭に立たせて大声で自己紹介や仕事の意思表明をさせて恥をかかせたり、無差別的に街を歩くサラリーマンと名刺交換をさせて『恥ずかしさ・プライドによる行動抑制』をなくさせたりする。

『格好つけるな恥をかけ・良く見せようとするな・プライドを持つな・自分を大した人間だと思うな・とにかく感謝して感動しろ・どんな仕事でもやらせて頂いてありがとうございますとへりくだれ』といった自己否定の洗脳的なワードや評価が飛び交い、『自分の意識や恥ずかしさ、プライドにこだわらずに言われたことを即座に実行する機械的な反応・従属』を条件反射のごとくさまざまな課題強要で仕込んでいくことになる。

心身をくたくたに疲れ切らせて睡眠不足にすれば、『正常な思考力・判断力』を低下させて、本来あるべき『他者との心理的距離感』を失わせることができ、『むきだしの感情を噴出させた上での忠誠・改心』へと洗脳的に誘導しやすいからである。

最後は、自分の弱みや情けない部分をさらけ出し合った新入社員同士で、厳しい研修を乗り切った連帯感とお互いの恥ずかしい部分を知り合った仲間意識が芽生えやすく、涙でぐしゃぐしゃになりながら『ありがとうございました。生まれ変わることができました。今までの自分の甘さが分かり大切な仲間が得られました』と改心(完全従属)して、企業のハードワークや無茶な命令にも適応しやすい(そういった自己否定研修をする会社が望ましいと定義する逆らわない)企業人の素地ができあがるというわけである。

続きを読む ゼリア新薬の新人研修による自殺と洗脳的な自己変革セミナーのテクニック:会社(家族も)は外の常識や法律が及びにくい治外法権の部分を持つ

人生に準備期間(助走期間)はあるのか?:“本番”と認識しての人生をどう生きるか?

25歳はまだ若者で方向転換できるが、時間の流れは淡々として無常、『本番と認識しての努力』で何を得て何を実現したいかが重要になる。

人生に「助走期間なんてなかった。ずっと本番だった」匿名ブログに考えさせられる 「いつのまにか撤退戦なのが人生」

人生の難しさは『本番と認識しての努力の結果・充実感』と『助走期間と認識しての試行錯誤のプロセス・充実感』のどちらがより自分にとって価値が高いのかはっきりしない事でもある。抜き差しならないリアルの本番に押しつぶされれば、最悪は死ぬが、『本番への特攻=無条件の価値』と思い込めれば幸せなり。

続きを読む 人生に準備期間(助走期間)はあるのか?:“本番”と認識しての人生をどう生きるか?

中高生のいじめと自殺の問題:仲間はずれにされるいじめへの対応の難しさ

中高生の自殺報道が目立つが、いじめでも暴力や金品要求のない『仲間はずれ・軽視無視のタイプ』は対処しにくい。当てつけ・報復の自殺は効果は薄く、気の合わない相手との関係も持続するものではない。

<女子高校生>いじめで自殺か…直前にライン送信 北九州

小学生くらいまでなら『みんなと仲良くの指導』もできて、先生が生徒同士の友人関係にも干渉しやすいが、高校生の年代までなると『?さんを仲間はずれにしないように・?さんも誘って仲良くしてあげて』といった類の指導はやりにくい。生徒同士の自発的な友人関係の好き嫌いを挙げられると強く介入しづらい。

殴ったり蹴ったりの暴力、馬鹿にしたり侮辱したりの悪口、金品を強請る恐喝、命令を聞かせる使い走りの強要などがあれば、いじめの判定はしやすいが、『最低限の事務的連絡だけして余計な口を聞かない・笑顔を見せずすぐに立ち去る』などを嫌悪・軽視の現れとはいえてもいじめと断定・立証できるかは難しい可能性がある。

続きを読む 中高生のいじめと自殺の問題:仲間はずれにされるいじめへの対応の難しさ