「人生哲学・自己啓発」カテゴリーアーカイブ

日本の幸福度はなぜ低いのか?:コミュニティや没頭できる対象を失いやすい現代人の幸せのハードル

物質的に豊かな成熟社会の幸福実感は個人的・相対的になり、『金銭・自由・人間関係』で他者より恵まれてないと思うと不幸になりやすい。だが絶対的な生活水準・利便性では現代人の中流は近代以前の王侯貴族を超えている。

日本の「幸福度」は155ヵ国中51位。ランキング上位の国々が考える「幸せ」とは?

並みの人間は『個人の贅沢・快楽・自由・保障・異性』などを基準にした幸福追求を目的にすれば、『自分よりも持っている(気楽そう・楽しんでそう・能力がある美形である)他者との比較・劣等』によって相対的幸福感の罠にはまり不遇感に陥る。現代日本の庶民には『学校・家庭・勤め先以外のコミュニティ』が乏しいもある。

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『なぜ読書をしなければいけないの?』という疑問と時代の変化:読書せずにはいられない人と意識的・目的的に読書する人は違う

紙の本を読む事だけを『読書』と定義すれば読書する人は減ったし、『小説的な活字・長文のフィクション』や『古典・名作の定番』を読む人は更に減ったが、『意味のある文章を読み書きする量』はネット時代で逆に増えたかもしれない。

読書離れ進行「なぜ読書をしなければいけないの?」への回答

同じ読書でもフィクションかノンフィクションかでかなり違うし、娯楽(創作された物語を読む楽しみ)か広義の勉強(情報・知識・話題のインプット)かの目的によっても全く違う。相当な冊数を読む読書人でも、小説を全く読まない新書・学術書の事実ベースの読書が好きな人と小説しか読まない人は、共通点は乏しいだろう。

今の時代は読書以外の娯楽も多く、『読書をしなければならない』わけではない。読書する人が幸せで得をするとか、読書しない人が不幸になり損をするという話でもなく、『読書をしないが故のシンプルな人格構造・現実即応の適応力』で楽しくやれる人も意外に多い。読書も思索も過ぎたるは猶及ばざるが如しもまた真な所はある。

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進学するのは大学が良いのか専門学校が良いのか?:学歴・スキル・免許と職業意識・労働意欲

大卒資格は会社員・公務員として長く勤続できれば効果は高いが、看護師・エンジニア・美容師などなりたい職業が明確なら専門学校も良い。

専門学校か大学か?進路に迷う女子高生に「大学がいい」の声相次ぐ 「Fランも大卒って肩書きはもらえる」とはいうけれど

大卒は『大企業・公務員で就職・昇給で高卒以下より優遇される条件』や『医薬看・法曹など専門家になる条件』にもなるが、教育機関としての大学は『学術の基本教養+専門分野の学問や研究』に触れられるメリットもある。本来は興味ある分野の知的欲求がある人、専門知・研究力を培いたい人が大学に行けば付加価値は大きい。

現時点で何をしたいか決まってない、4年間勉強もしながらどんな分野の仕事に興味を持てそうか探していきたいような人も、『興味関心もないジャンルの専門学校』にとりあえず行くよりかはいいかもしれないが。講義・試験がハードな難関大学・医学部でなければ、バイト含め大学生活自体の余裕・楽しみもあるだろう。

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司馬遼太郎の昭和30年代の家庭業としてのサラリーマン論:サラリーマンも芸術家も生き方として貴賎なし

司馬遼太郎が高度成長期前の景気・給料の悪かった(会社勤めが増え始めた)昭和30年代にサラリーマンは『良き伴侶を得て家庭を作る為に働く家庭業』と記したが、旧時代のジェンダー(結婚出産が当然の時代論)と同時に現代にも通ず『勤め人が仕事自体が嫌でも働く意味』を示す。今の若者が勤め人に苦悩し迷う由縁でもあるか。

司馬の語る『サラリーマン』と『芸術家』の価値観や生き方の差異と、いずれの生き方をしても貴賎はなく運命を享受する他ないとする物言いは共感させられる部分も多いが、こういった処世術的なエッセイを書いていた時代の司馬はまだ新聞記者の一介のサラリーマンで、歴史小説家として踏み出すか迷いの時期でもあっただろう。

こういった話とも不思議と重なるが、現代の20?30代のイケイケ風の若い女性が書いたエッセイに『散々やりたいことをやって、結婚・出産でもしないとやることがなくなった(何をしても同じ事の繰り返しに感じた)』と書いていてなるほど確かに多くはそこに行き着く、司馬のいう家庭業としてのサラリーマンとも関連する。

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なぜ専業主夫希望の男性が若い世代で増えているのか?:昭和の経済成長期の性別役割分担の緩やかな崩壊と新たな男女の仕事・役割の模索

男は仕事、女は家事育児という性別役割分担の崩壊は、女性が望んだ事というより経済のグローバル化・非正規化と人件費抑制による『平均所得下落の結果』ではある。『一人の所得で十分に家族が生活できる世帯』自体が減った。

なんと●人に一人が?「専業主夫になりたい夫」の割合と適正な対価は

専業主婦(専業主夫)がいる世帯とは『家事・育児・雑事のお手伝いさんがいる世帯』で、日本では昭和の経済成長期前後以外は専業主婦がいる家は多くなかった見方もある。だが昭和初期以前の専業主婦がいない家はほとんど『農家・漁師・自営』など『職住一致』だったので、育児しながら仕事もできる環境の違いが大きい。

専業主婦(専業主夫)と外で働くサラリーマンのどちらが楽・得かは一概には言えない。夫婦間の相手と環境、条件に拠る部分が大きい。『一人で十分家族を養える所得があり、お金の管理を任せてくれ家事育児の水準に要求が大きくない人(その寛容な態度がずっと変わらない人)』なら専業主婦・主夫が良いが…なかなか現実には見つけるのは大変そうだがいるかな?

いくら稼ぐ相手でも、生活費ギリギリのお金しか渡さず、自由に使えるお金はゼロに近く支出をチェックされ家事育児にダメだしされ、がっちり細かくお金を管理するような人なら、専業主婦・主夫は『管理された自由もお金もない生活』というだけになりかねない。働いて自分で稼いだほうが相当にマシな生活・自意識になる。

専業主婦・主夫の適正な対価は『対価を支払える水準の家事育児(赤の他人の顧客から仕事として依頼された時の意識・仕事)』なら計算可能だが、毎日仕事レベルのハウスキーピングやベビーシッターを行うのは不可能で、また家族間でそこまで緊張感を持って家事をしてチェックも受ければストレスで心身を壊しかねない。

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『働かざる者、食うべからず』と『四十歳を過ぎたら、人は自分の顔に責任を持たなければならない』は誰の言葉なのか?

『働かざる者、食うべからず』を資本主義の労働道徳と勘違いしている人は多いが、元はプロレタリア独裁(全労働者国家)を理想とする共産主義の道徳律だった。資本主義は資本と経営・投資・土地所有の不労所得を容認する経済制度だが、ロシア革命の指導者レーニンは聖書に由来する『働かざる者、食うべからず』で不労所得を戒めたとされる。

『働かざる者、食うべからず』は、新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節にある『働きたくないものは食べてはならない』という一節が語源とされている。

『働かざる者、食うべからず』と同じく、世間に流布する格言で発言者が余り知られてないものに『四十歳を過ぎたら、人は自分の顔に責任を持たなければならない』がある。これは米国の16代大統領エイブラハム・リンカーンの言葉で、閣僚の一人を選ぶ際『ダメだ、顔が気に入らない』で却下しその理由を述べた故事にちなむ。

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