感染リスクの公衆衛生と合わせ、日本では『刺青のアウトロー文化圏』の認識が強く、看護学校・看護師への適格性を疑われやすい。偏見は問題だが個別の人間性・履歴をその都度精査するのは不可能だ。
「入れ墨で休学処分は不当」 賠償求め看護学校を提訴
刺青があれば看護学校で学ぶ権利を否定されても良いのかは裁判で争点になるが、『刺青を入れることによる偏見差別・不利益』は『既存社会の職業人・サービス業・サラリーマンの現状』で刺青がありふれたものにならない限り変わらない。日本では企業の採用基準や顧客の印象から、対人サービスの仕事で刺青はまず禁忌である。
刺青を入れていてもコワモテの見せかけだけで本当の性格は温厚・善人という人も確かにいるが、顧客・患者からすれば初めから『コワモテ(過去に反社会性・前科・粗暴=機嫌を損ねたら危ないの疑念)の印象』を与える人為的な外見自体がNGなのだ。刺青だけで、日本人の第一印象は悪く過去の所属・前科等を疑われる。
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倫理観が高度化しネットで内部告発が拡散する現代は、動物使用のビジネスはペットショップや動物園でも一定のリスクがある。動物を『愛護・野生・絶滅危惧』と『食用・家畜・使役』に分類するのも人間側の倫理だが。
劣悪な環境で次々死んでいくフクロウ…フクロウカフェの元スタッフが内部告発
そもそも論では動物界には倫理(共感・生命尊重による手加減)はなく、動物同士の捕食や縄張り争い、遊び(弱い動物の虐待)の有形力行使は『弱肉強食・食物連鎖の自然の摂理』でしかない。動物の権利は自然の淘汰圧を抑え生態系の頂点に立った余力ある人間の『倫理的な自己尊厳・自然管理主義』の発露でもあるだろう。
『種の保存』も利己的遺伝子の個体保存で、『種』というグループ全体で意志的なDNA保存の行動があるわけではない。動物は生命維持や自己複製するがそれは意識的な判断や選択ではなく、存在の持続が『善・正』とする価値観すら人間的な感情と観察に依拠する。自然は生存・生殖の成否の結果をただ静かに積み重ねる。
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○仕事とプライベートを分離しないのめり込むハードなワークスタイルは本来それなりに高い地位・処遇のあるエリート層・経営層、自分が好きで自己責任でやるクリエイティブ層・自営等に限られる話である。
正直「女性活躍」とかツラい…普通に働きたい女子のホンネ
時給で雇われ、固定の作業・職能や一般職で雇われている人が、ワークライフ・バランスもほとんどなしで『生活・給料のための仕事』でなく『自己実現・社会貢献のために活躍するやりがいある仕事』ができるかというと、できる人もいるかもしれないが多くは『後何時間で今日は終わり』の受身の姿勢になるものだとは思う。
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仕事を早く解放されたい軛(くびき)のように捉える人はいるが年収1000万の人と結婚でその軛が簡単に外れフリーになれるはずもない。子やローンで働く必要が増したり、一度失った稼得力を惜しむも多い。
「仕事がしんどい」だから専業主婦に逃げようとしている貴女へ
稼ぐ人と結婚すれば、労働から解放され自由な人生をエンジョイできる甘い話はまずない。生涯賃金以上の資産(適切に運用されてインカムのある金融資産)があるケースを除き、仕事から中途半端に逃げようとすればするほど資本主義社会の労働者は後で苦しみやすい構造がある。相手の収入全額が自分の管理下に入る保証もない。
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○仏教の存在論は『アビダルマ(上座部の有部)』と『唯識・中観(大乗)』に分けられる。アビダルマは『思惟』を、唯識は『知覚』を『モノの本体』として『モノの実在』を考える。哲学史の『主客論争』に似る。モノに実在なしとする諸法無我は、『知覚するモノは無常・思惟するモノは知覚できない』で論証される法印である。
唯識の祖である竜樹(ナーガールジュナ)は特に、人間の頭(意識)の中のみにある知覚対象を持たない思惟の世界を『非実在』として『思惟=頭の中の意識による構想=非実在の虚構(モノは現象として過ぎ去る』とした。一般常識では、他者と共同で知覚されたものは『モノの実在・事実の確認』とされるが仏教は唯心論に近い。
仏教は一神教のような神を持たないとされるが、諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静など『超越論的な世界・人間のメタ観察者の視点(四法印認知の視点)』そのものが『神の視座(無常な実在なきモノの生死・流転をただ現象面の様態変化としてフラットに見続ける非人格的視座)』として仮定されているように思われる。
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年齢を重ねるにつれ、一人でやりたい事が増える人とそうでない人は分かれる。一緒にいて『楽しい・安らぐ・有意義』な他者ならば、時間・労力を割いてでも誘いに乗りたくなる。
ひとりで過ごす「つまらなさ」こそ、豊かさの証し 「誘いを断る勇気」を持って
一緒にいて『楽しい・安らぐ・有意義』な他者でもないのに、その人と定期的に会ったり誘いに乗ったりする理由は大きく、『仕事・家族・収益・親友などの必要性及び所与性』か『孤独や退屈の回避・社会通念や平均への準拠』である。自分にとって価値や魅力、良い刺激、安らぎがある人と会うことには、大きな価値があるが。
10代~20歳前後ならまだ『自分一人だと何をしたいか分からない・どうして時間を過ごして良いか分からず退屈』もいるかもしれないが、30?40代以上になって『仕事・家庭などやるべきこと以外の自分でやりたいこと・集中できること』が何もないからとにかく誰かと一緒にいたいというのは未熟・不安定だろう。
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