「人生哲学・自己啓発」カテゴリーアーカイブ

日本人の勤勉性は何に対するものなのか?:企業に対して勤勉・忠実でないと生きていけない労働者の不安

日本の労働者は“お客様”の為に過労になるのではなく“会社・保身・同調”でなる。日本人は所属する生産・配分の拠点から排除(村八分)されると生存を維持できない不安が強い。かつてのイエが会社に変わっただけの面もある。

その働き方は幸せですか?日本人の勤勉というビョーキ

近世・近代初期の日本人はどこかのイエに所属しイエは血縁者で相互扶助する共同体の性格を持ち、困窮する末家(長男以外の分家)を本家が支援した。家は生産手段としての田畑・山野・家業を保有し、農業経済では家族で労働して成果を配分したが個人の生存はイエと村に依存していた。排除されれば野垂れ死にを避け難かった。

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絵に描いたような『看取られる安楽死』は、近代的自我が求める:自然死が消えた現代における死に方

安楽死選んだ女性 最後の16時間の一部に密着

『安楽死』は『尊厳死』と言われることもあるが、尊厳死でいう『尊厳』とは概ね以下の要因に基づいていて、『近代的自我・脳機能』と相関している。

1.『認識・意思・自意識・自律』に関する最低限度の脳機能(精神機能)が維持されていること。

植物状態や脳死に近づいて何も認識できなくなり自分が誰かもわからなくなり、事前に表明されていた本人の意思に反してでも無理に周囲が生かそうとする時に、尊厳が失われる。

2.回復する見込みのない致命的疾患が発症・進行しているが、その苦痛・苦悶が平均的な人間の耐え得る限度を超えないレベルにまで緩和されている。あるいは本人がその苦痛・苦悶に何とか耐えられる(耐えることに意味がある)と認識して納得していること。

病気や老衰に回復の見込みがなく、本人がそれ以上の苦痛・苦悶に耐えられない(耐える意味が分からない)と表明しているにも関わらず、極度の痛み・絶望に無理に耐えさせられている時、『今まで、自分にできる限界まで苦痛に耐えて頑張り続けてきたがもうダメだ』と何度も懇願しても、その願いが受け容れられず極度の痛み・絶望を本人の意思に反して(本人が無意味な痛みと感じている中で)味わわされている時に、尊厳が失われる。

3.『自意識・自律性・プライド』に依拠する本人が考える最低限度の人間らしさが維持されていること。

この尊厳の要件は、上の2つの要件と比較すれば薬物投与の積極的安楽死を認める根拠としては弱いが、自分で食事や排泄をすることができなくなったらできるだけ医療で無理に延命されずに(人工呼吸器・人工心肺・気管切開・経管栄養・胃瘻をできるだけ避けて)、『自然死』に近い寿命をまっとうしたいという本人の思いと相関するものである。

安楽死にも、筋弛緩剤投与などの医療行為によって死期が早くなるように幇助する『積極的安楽死』と延命治療をできるだけ行わないことで結果的な死期を早めることになる『消極的安楽死』の区別がある。

回復の見込みがまずない致命的な疾患や老衰、障害に直面した時に、延命のみの効果しか期待できない医療・介護を拒絶して寿命の到来を待つ『消極的安楽死』には反対は少ない。

医療者が薬物を投与して積極的に患者の生命活動を停止させる『積極的安楽死』にはさまざまな観点から賛否両論がでやすいものの、『幸福追求原理(苦痛回避原理)に依拠する近代的自我』の道徳規範からすれば、本人の同意がある積極的安楽死の賛成者が多数になるのは道理である。

『安楽死・尊厳死』が議論になる背景には、現代人の平均寿命が飛躍的に伸びて死ぬ寿命と健康寿命の間のギャップが大きくなったこと、ほとんどの致命的な感染症や内臓疾患を医療が克服したことで『がん・血管障害・老衰(認知症を伴いながらの老衰)』以外では簡単に人が死ななくなったこと、個人の生命の価値が過去に比べて非常に重くなり医療・介護を拒否した自然死に近づこうとする死を受け容れられなくなったこと(事件・事故・災害による偶発的な死も過去以上に受け容れられない理不尽なもの許されざるものとして強調されるようになったこと)がある。

近代医学と医薬品の進歩は『もっと長く生きたい・色々な病気を治したい・苦痛や不快を軽減したい・理不尽な病死を減らしたいという人々の夢』を概ね実現してきたが、『最期までぎりぎり健康でいたい・すべての病気を治したい』というレベルにまでは至っていない。

皮肉なことに長生きすればするほどに『がん・血管障害・老衰による健康喪失(機能喪失)のリスク』に晒される、究極的には老衰に抗い続けられた人間はいない。がんの発症リスクとして喫煙・飲酒・ストレスが強調されやすいが、20世紀後半からがんが急増した最大の要因は『高齢化(60代以降まで大半の人が生きられるようになったこと・加齢による細胞分裂時の遺伝子複製のエラー率増大)』である。

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美人論、なぜ現代社会では『外見・容姿の美』が極端に重視されるようになったのか?:美人は生涯で3600万円得をする。

美人はその定義に『当該社会で生活する人々の多くが視覚的に美しさや好ましさ(理想的な人の形態の投影)を感じる』を含むから、仕事や人間関係で得をしやすいのは道理だが、外見が昔よりも重視されやすくなった文化モードの変化もある。

「美人は3600万円得」との研究結果「整形すべき」の声

昭和後期頃までは『人は外見より中身・外見について比較する事は好ましくない』の道徳規範がかなり強くて、表立ってルックスの差異は語られなかった。産業構造が土・油で汚れる肉体労働の多い第二次産業中心で日本がそれほど豊かではなかったこと、メディアや美容ビジネス、ネットの影響が弱かったことも影響するか。

メディアが発達しておらず交友関係も狭い途上国の村落等では、美人かそうでないかの優劣コンプレックスは小さく、美人か否かでそれほど人生のプロセスや自己評価も変わらない。だが韓国が経済発展してから、先進国的に洗練された容姿の美人・イケメンが増えたように経済と外見の自意識・美への投資はかなり相関するようだ。

一昔前の『韓流ブーム』では、KARAや少女時代、東方神起などビジュアルを売りにしたアーティストやペ・ヨンジュンなど俳優が日本で話題になった。韓国の芸能戦略は『先進国の自意識に並んだ近代化のアピール』も兼ね、ファッションやスタイルが日本より洗練されてないと見られるアジアの新興国を脱した主張性もあった。

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大人の『鈍感さ・スルー力・処世』は、子供の繊細さや純粋さを失わせるが……他者と向き合う真摯な姿勢

大人になると『鈍感さ・スルー力・処世』によって子供の傷つきやすい気持ちが分かりづらくなるが、極端に繊細な心のままだと厳しい現実に耐えられない。順境(安楽)にあれば逆境(苦痛)に共感するのは難しくなりその逆も然り、人が『他者の他者性』と世代・境遇・性別・感情を超え向き合う事はどこか演技的要素を持つ。

その意味で『あなたの気持ちが分かる』や『私もあなたと同じだった』という善人・理解者としての発言を、迷いなくストレートに言える人は、悪くはないが『経験主義・常識論を介した人のあり方の決めつけ(この場面ではこう感じるべきの類型化)』の強い人だろう。共感や同情の強制性(自他同一視)が息苦しさにもなる。

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ギャルブームの衰退:ギャルとは何か?ギャルの反知性主義的な承認欲求と職業意識(生き方の理想像)

ギャルという言葉自体があまり使われなくなってヤンキーのように死語化しつつある。『派手な外観と勢い・反規則的な逸脱性・強い自己主張』でアイデンティファイされる女子の累計が現在では見えづらい。

セックス特集、安室奈美恵、秋葉原――「Cawaii!」元編集者が語る“ギャルブームの盛衰”

ギャルもヤンキーも『真面目でない+派手な目立つ外見+反知性主義』を特徴とするが、ヤンキーは硬派に性的要素を抑圧し、ギャルは逆に押し付けがましくフェミニンさを強調した。ギャルの最大の成功モデルが『アイドル・歌手・女優』は分かりやすい、安室奈美恵・浜崎あゆみあたりが過去にはギャルのイコンとして機能した。

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日本の学歴と収入の相関関係:日本では文系大学院卒は企業から評価されにくい

学歴と収入の相関。日本は25~34歳の高卒の賃金を100とした場合、同年齢の大卒の賃金は144(2012年)になるという。大卒給与は高卒の約1.4倍だが国際比較では日本の大卒は経済価値は低い。アメリカは170、アイルランドは180、チリは261で日本は大学進学率の高さ・実質学力の問題で割り引かれる。

“学歴”を得ることに価値はあるか?:職業・所得・教養・文化と学歴との相関

大卒者の経済価値の高さを規定する要因は、『大学進学率の低さの希少性(南米・アフリカ・東南アジアなど)・大学教育の充実の実質性(アメリカやイギリスなど)・大卒者でないと就職先に困る産業構造の選別性(アメリカやアイルランドなど)』であると言われている。ちなみに、学歴社会とされる『韓国』は、大卒者の一般価値が低い社会である。

あれほど受験競争が過熱する韓国でなぜ大卒者の平均賃金が130程度で高卒者とあまり変わらないのかの理由はシンプルだ。大学に行かないと就職先がない韓国では大学進学率が高くなり、日本と同じく学歴バブルが起こっていて『大卒者間の競争』が激しくなった。韓国内の有力企業は数が少なく、並の大卒では就職が困難だ。

日本も韓国と同じで大学を出たからといって、特別に優秀ではなく専門性もない並の大卒では待遇の良い大企業になかなか就職できないという大卒者間の競争激化の構造がある。日韓の大卒社員の初任給は、平均30万を超えるアメリカと比較して相当低い、国際競争で不利な位置づけにある。名目上の大卒の経済価値は落ちやすい。

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