「人生哲学・自己啓発」カテゴリーアーカイブ

学校の勉強は何の役に立つのか?:高学歴者の人生はそうでない人よりも幸せか。真のプラグマティズム。

学校の勉強とそれに基づく知識教養が個人の幸福に結びつくかは確かに未知数だが、人生の選択肢は広がる。実利と関係ない知的好奇心・教養趣味の強さは『知る・語る・書くが好き』かどうかの差、『知』は幸福と不幸の両方の種なり。

「学校の勉強なんて役に立たないじゃん!」と言われたら、どう諭す?

世の中、深く考えず余計な知識を蓄えない方が、案外スムーズに気楽に生きていけるケースが多いのも事実の一面ではある。勉強ができる人の方ができない人よりも人生の総体として分かりやすく幸せになるか(精神を病まず天寿をまっとうできるか)というとそうでもない印象もある。読み書き計算レベルは必須の能力としての話。

高学歴で広範な教養・文化・素養の持ち主というのは、その精神世界の版図が広く話題・着想が豊富で、物事の道理と自然の摂理(法則)を一通り知り得ている者ではあるが、身体・欲望軽視の主知主義に陥る事で『感じる事・楽しむ事の価値』が混乱し、社会一般の平均的な幸福・快楽の軸から行為の志向性が脱臼しやすくなる。

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ラ・ブリュイエールやマルクス・アウレリウス・アントニヌスの名言などから思ったこと

ラ・ブリュイエールの名言……“我々は自分の幸福を自分の外部、他人の評判の内に求める。他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている事を百も承知なのに”

しかし同様に、自分も『置かれた立場・利害・誘因』によっては軽薄・不公平・嫉妬・気まぐれな側面を完全には否定し得ないもので、自分にとっての他人は“鏡”なのだとも思う。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』の名言……“名誉を愛する者は自分の幸福は他人の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思う。君が何か外的理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはその事自体ではなくそれに関する君の判断だ”

客観的な事実ではなく、主観的な物事の捉え方(解釈や判断)によって悩ませられるというのは、認知療法的な因果関係でもあり真実の一面を突いているなと思う。

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特別養護老人ホーム職員が殺人未遂で逮捕:超高齢化社会における介護者の人員不足と疲弊・ストレス・資質欠如の問題

ペットの面倒を最期まで責任持って見ることさえ大変だが、身体・判断が弱まり意思疎通も困難な高齢者を最期まで世話するのも実に大変な仕事で、自宅・施設での高齢者虐待問題の深刻化にどう対応できるか。

<殺人未遂>97歳の首絞めた疑い…特養職員を逮捕 大阪

何もできない赤ちゃんは次第に「できること・知っていること」が増え、世話をする親の手を離れていく事に希望と寂しさがある。人は一定の年を超えると赤ちゃん返りするとも言われる。「できなくなる・分からなくなる」の喪失プロセスは、必然に「人に頼らなければならない介護」を生むが、介護とビジネスの相性は良くない。

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生物進化とヒトの特殊性:ニーチェの『力(強さ)への意思』のメタファー

三葉虫、恐竜、ホモ・サピエンスと地球環境の占有者は知能と無関係に遷移した。スティーブン・J・グールドは『生命の誇らしげで断続的な進歩は、単純な始まりから分岐した真にランダムな動きで、それは有利な複雑さへと向かう予め意図された運動なのではない』と語るが、ヒトの意識の特殊さは意味追求と自己言及性にある。

F.ニーチェは意味論の根幹に『永劫回帰・生成‐創造(力への意思)』を仮定して、生の意味を問わない肯定を求めた。ニーチェのニヒリズムの超克とは、『無限の時間(瞬間)の反復イメージ+宗教的道徳的な価値転換』が示す『永遠存在の超人観念(神の死後の生の意思・生成の反復への置き換え)』に過ぎない側面もある。

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現代社会ではなぜ『労働意欲の低下』が起こりやすいのか?:資本主義経済のモチベーション停滞

子ども時代の親の影響? 「できれば働きたくない」という若者たち

2000年代に入る頃から、ニートやひきこもり、無職の増加などが社会問題としてクローズアップされ始め、『アパシー(意欲減退症候群)』や『モラトリアム(自己アイデンティティ拡散・職業選択の遷延)』、『自己愛の肥大(甘え・社会と自意識の乖離)』などのキーワードで労働意欲の低下が語られてきた。

人間の働く意欲というのは『本能的なレベル』では限られていて、『生存+α』のほどほどのレベルでしか働かないことが多く、ジャングルが生い茂っていた石器時代の狩猟採集文化の実労働時間は、わずか2~3時間ほどであった(ひとり当たりの土地の占有面積の広さ・乱獲されていない生物資源の多さから短時間で餓死せずに食欲を満たす程度の収穫物が得られた)という推論も出されていたりする。

江戸時代も農民の労働時間はそれなりに長かったが、都市で暮らす人々の生活・労働は『その日暮らし(貯蓄・贅沢を追求しない)』であったため、朝から晩まで残業までして必死に働くようなハードワーカー(生粋の労働者階級)はほとんどいなかったとされる。

労働時間の長時間化を引き起こした要因は、『農業(農作業)』と『工業(工場労働)』と『企業経済』であるが、皮肉なことに人類の経済的な豊かさと文化文明の発展も、これらの大勢の人々を労働力として動員・要請する『農業・工業・企業経済の発展(生産力の余剰・新たな商品と価値の提示)』に支えられてきたのである。

これらの産業と労働がなければ、人類は石器時代の動物的本能に従って生きる狩猟採集文化(財の蓄積・モノの進歩がなく短命で同じ生活を繰り返すだけの文化)の段階に、更に100万年以上は縛り付けられていただろう。

農業も貨幣も知らない類人猿から分岐した猿人(人類の共通祖先)の歴史は実に約300~400万年も続き、ホモ・サピエンス・サピエンスとしての現生人類が登場してからも約100万年以上は石器時代の狩猟採集文化の生活様式を延々と繰り返していたのだから、人類は気の遠くなるような時間をほとんど進歩せずに生きてきたといえる。

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他人の行動にイライラしないためにはどうすれば良いか?:自分と他人の間にある不公平感・理不尽さ

全ての人に共通のルールやマナーを当てはめすぎる人、自分と他人を比較して他人がズル・楽をしていると思い込みやすい人は、『自分だけ損をしている(不当な扱いをされている)という不公平感』からイライラしやすい。

他人の行動にイライラしなくなる思考法

『他人の行動が気になりすぎて我慢できない・少しのルールやマナーの違反にイライラする』のは、自分自身が暴言・侮辱などの直接的な被害を受けているか、他の人に差し迫った危険や迷惑が及んでない限りは、『自分の精神的な余裕のなさ・真面目にやっているのに報われないとの思い』に影響されていることも多い。

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