「人生哲学・自己啓発」カテゴリーアーカイブ

乾癬・アトピー性皮膚炎は医学的には軽視されやすいがつらい病気、 人間性はコインの裏表など

○乾癬やアトピー性皮膚炎は、皮膚のバリア機能損傷や免疫応答反応の過敏性などが関係するので治りにくく、医学的治療も対症療法になる。皮膚疾患は、見た目の悪化が主観的苦悩になる。

10月29日は世界乾癬デー、イベントに道端アンジェリカさん登場 (QLife(キューライフ)

虫刺されや薬品・日焼けによるかぶれなどの原因が特定可能な急性の皮膚疾患は完治しやすいが、乾癬やアトピーなどは生得的な遺伝・体質・環境(雑菌・寄生虫との接触が少なすぎるのも一因となる)が関係するので、自然寛解しないと慢性的な経過になりやすい。皮膚疾患は実態に比べると医学的には軽視されやすい分野ではある。

乾癬・アトピーなども重症化すれば、外出困難なほどに顔や全身がボロボロになる症状・外見の悪化が有り得る病気で、そのレベルでは医学的に効果のある治療も乏しいため(現代医学の限界として自然治癒以外の薬による根本治療は不可能である)、怪しげな高額健康食品や詐欺的な民間療法の草刈り場になっている側面もある。

医学的に自己免疫反応の関係する(内部の免疫反応で自然に炎症が起こり悪化する)皮膚疾患が軽視される理由は、基本的にステロイド以上に有効な治療薬がなく治療法の選択肢が塗り薬・抗ヒスタミン以外に乏しいことがある(手術で治る類ではない)、遺伝・体質が関係するので症状を軽快させられるレベルの個人差は大きい。

また現代医学では「救命・患者を死なせないこと」を第一の価値にしているので、どんなに見かけが悪化したり主観的な苦悩があっても、乾癬・アトピーの皮膚疾患では死なないと見られていることが大きい。がん・心筋梗塞など致命的疾患と比較して、どんなに重症例でも軽い疾患と見られやすい。

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恋愛で特定の異性を魅力的だとして選ぶことは優生思想なのか?、 景気指標が良くても所得が上がらないディスインフレの問題!

優生思想の議論についての感想を書いてみる。「異性の好み・選択(好き嫌い・どうでもいい)」も優生思想に入るのかという事だが、個人の内的な優生思想の傾向ではあるかもしれないが、狭義の優生思想は「社会・民族単位での遺伝子改良運動」なので個人的な他者の好みの序列化・切り捨ては、おそらく優生思想とまでは言えない。

優生学(eugenics)というのは、目的的な生命の選別であり、辞書的定義においても「フランシス・ゴルトンを始祖として遺伝学的に人類をより良くすることを目的として起こった応用生物科学」とあり、どちらかというと魅力・性選択よりも「健康・機能性・病気・障害(機能喪失)の区別」に歴史的に重点があった。

優生学は政策的・目的的な社会生命工学であり、優生学を信奉する個人の心理は「あの人よりもこの人が魅力がある(美しい・格好いい・優しい・裕福だから好き)」というよりも、「人類・社会を改良するために劣ったと見なす非機能的・病的奇形的な遺伝子発現」をできるだけシステムで削減・断種したいということである。

個人の好き嫌いも「優生思想と合致する部分(健康・美しい・高い社会適応度が好き)」があるというのは、事実の一面だが、これは進化論の「自然選択(自然淘汰)・性選択」の話に近い。優生思想の基盤に自然界における生存戦略・生殖戦略のモデルはあるが、優生思想とは「自然の生存・生殖の展開」も許さない思想である。

個人がAさんよりBさんの方が好きで、Aさんを無視したり切り捨てたというのは、優生思想というより「個人の適応戦略・選好性・恋愛や婚姻の一般ルール・メディアの影響」の話かも。Aさんを遺伝的に劣っているから社会改良・断種のため切り捨てたわけではない。社会共通の美や魅力の大まかなものさしも優生的な面はある。

優生思想の定義やニュアンスをどこまで広げるかによるが、現時点では優生思想は「社会的政治的な差別・排除」や「意識的な生命の選別(抹殺・断種)」を必要条件としている。個人の選択でも「あんな遺伝的に劣った人と交際をしたくない・社会やみんなのためにもあの遺伝子は断種すべきと思う」というなら優生主義者だが。

個人の選好や選択によって、ある人を無視したり排除したりしたとしても、「その人に対する積極的な悪意や加害の意識はない」かつ「自分以外の誰かと付き合ったり子孫を残したりするのは自由(自分だけが受け入れられない)」というレベルは優生主義者とはならない。優生主義者は「社会全体での生存・生殖の否定」を唱える。

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若さの価値や魅力についての考察!、 現代のセクハラ問題と言い寄る権利のバランス!

○「若さの価値・魅力」は、わざわざ「オバサン・オジサンのステレオタイプな侮辱」を引き合いに出さなくても伝わる。中年期以降の人生経験の蓄積は良い方向にも悪い方向にも人間性を固め、老化に抗する清潔感も身だしなみだけで維持するのは困難になってくる。

年齢じゃない!「オバサンになる人とならない人」の違い

精神的な若さや新たに学ぼうとする姿勢、他者への想像力には「年齢じゃない面」も多いが、肉体的な若さや加齢による体・脳への影響、異性関係は「年齢で決まってしまう部分」をゼロにはできないのも現実である。人の生命・人生にはライフサイクルと老化・寿命があり、永遠に中年者・老人にならない人は誰一人いない。

「生理学的な加齢の影響・衰退や病気のリスク・見た目の変化」をベースに、「年齢相応の自己呈示・人間関係・価値観」があり「現実的に可能なことと不可能なことの区別」もある。オジサン・オバサンになるのが「悪・不幸」なら、若者も20年以内には不幸になるが、現実を受け止めた上での可能性と価値の模索が人生だろう。

精神年齢には可変性や柔軟さもあるが、生活年齢による自分の心身・立場の変化と他者の見方の変化は不可避である。「もはや子供・若者ではない時期」と「もはや壮年・中年でもない時期」の後には、必然的に若さ至上主義の快楽に逃避する現代人が憂う「老い(衰退・介護・老後経済)の問題」が死の前にやって来る。

できるだけ若々しくありたいという現代のアンチエイジング文化は、「美貌・魅力・快楽・承認・自己愛への執着」と表裏をなしているが、この記事は20代の精神や行動の老けを緩和する記事なのに、中年者を画一的な悪意あるイメージで叩く要素を前面に出しすぎだろう。若者のイメージも異性の魅力に偏っていて画一的過ぎる。

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中高年のひきこもり問題調査について雑感!、 妻・息子に殴られて父親が死亡した事件!

○仕事をしていないが遊びや外出はできる社会的ひきこもりと対人的な恐怖・パニック・コミュニケーション困難などがある病理的ひきこもりは心理・状況・対応も異なる。40代以上は期間の長短でも変わる。

中高年の引きこもり初調査へ=政府、40~59歳の実態把握

過去に働いた経験がありただやる気がないだけ(できる仕事をしないプライドが高いだけ)の40~59歳の社会的ひきこもりは、生活費がなくなれば警備員なり新聞配達なり経験不問ですぐできる何らかの仕事を探すだろう。対人恐怖やパニック、対話困難、深刻な体調不良で長期ひきこもりは医療・福祉の支援も必要である。

不登校・中退などから40代以上まで仕事をしていないか一円も稼いでいないかであれば、そこからのリカバリーは基本的な職能訓練や対人スキルの回復も含めかなり困難になる。60~80代以上になれば、ひきこもり云々でなく生命の終わりが近づいている…ゼロから何かを学んで働く再教育も遅きに失したとしか思えない。

ひきこもり支援を就労支援・無職批判に焦点化すると、ニートとひきこもりの区別が曖昧になる。40~50代以上の長期ひきこもりのおじさんでも買い物だけでなく、パチンコを打ったりスナックで女性とだべる人もいるわけで、対人的・健康的な問題や対話の緊張・外出困難がなくて話し好きなら、本人の意思次第な部分はある。

しかし、20代前半の人から見ると、40歳は遥か遠くの先の世代にも思えるが、過ぎ去ってみれば、10年や20年という歳月はあっという間であり、ぼんやりしていれば20歳の若者もすぐに40代のおじさん世代に入ってくる。10~30年、何をしていたんだという批判もあるが、本当に過ぎるのは速いものだ。

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モテる女性とモテない女性、「人並みの容姿」があれば美人かどうかは決定的に重要なわけでもない、結婚は女性ばかりに負担が多い制度なのか?

美人・セクシーかどうかは余り関係なく、「近寄りやすい話し方・柔らかい雰囲気で女性らしい感じの人」は若ければモテる。中等度前後の魅力があれば、「話し方・表情・態度」が誰に対しても雑でなく真面目・誠実に対応するだけで男は来る。

嫉妬が渦巻くネット社会 「モテすぎる」美女の苦悩(http://mixi.at/agv4VVq、10月24日)

男性の大半は拒絶に敏感で、話しかけて反応が冷たければ(薄ければ)面白くない相手として近づかない、モテたくなければ「無視に近いそっけない態度・目を見ず笑顔を出さない・質問に対する答えは面倒くさげにワンフレーズ(会話を続けない・すぐにその場を離れる)・事務的な表情と対応で愛想なし」で9割方は去るだろう。

容姿はそこそこでモテまくる人というのは、やはり本人が意識していなくても「表情・態度・反応に愛嬌や温かみが合って、男を勘違いさせたり男が安心して近づける(話しかけたら可愛らしい反応が返ってきて会話が続きやすいタイプ」ということは言える。

モテない人というか普通の人は、やはり相手によって愛嬌や反応に相当に大きな温度差があって、よく知らない男性が話しかけても「もっと話したくなる表情や反応を見せないこと」の方が多いから、それ以上相手が距離を詰めてくることがないのである。派手な美人が笑顔を見せず冷たい対応を一つ返すだけで男の大半は退散する…。

例えば、よく知らない男から「その髪型、似合ってるね」と言われた時、普通の女性は表情なしで「そうですか(あんたに関係ないでしょ)」なそっけない対応が多いが、モテると悩む女性は笑顔で「ありがとうございます。嬉しいです。でも髪が傷みやすくて…この色変じゃないですか云々…」の会話が続くリップサービスが多い。

「そうですか(あんたに関係ないでしょ)」のそっけない対応で目が合わない、体が逃げ腰(会話したくない空気)な感じだと、男もそれ以上余計なことを言いにくいが、後者の会話の糸口を与え笑顔・目を見る・その場にとどまる姿勢だと、「髪質、ものすごく綺麗に見えるけど云々」でエンドレスな口説きに入ってくる。

面と向かって拒絶的な空気(あなたに全く興味ないの感じ)を出せない、相手の話題に真面目に付き合いすぎる(自分から適当に話を切ってその場を離れられない)というだけで、若いそこそこの見た目の女性は不特定多数の有象無象にはモテるだろうが、本心ではどうでもいい人の相手にも時間・労力を費やして疲れるだろう。

こういった人は「八方美人」とも言えるが「自分自身が誰にも嫌われたくない(ネガティブな印象を持たれたくない)」ので、なかなか染み付いた性格行動パターンは変えにくい。モテる面倒くささに気づいて好印象な対応を辞める人も当然多い。珍しい話でもなく若くて並の容姿で、男に対し平等に受容的にすれば面倒な奴も来る。

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現代人の「大人の結婚・婚活」はメリット抜きには語りにくくなった、日産・スバルの「無資格検査問題」は制度形骸化の現れか?

○現代は劇的な技術革新と雇用構造の変化で中流層から貧困層への移動が増える。中流の再生産を望む女性が年収500万台を求めるが、再生産率はどうしても落ちる。

女性が結婚相手の男性に望む年収は546万円 ダメだと思うプロポーズに「フラッシュモブ」がランクイン (http://mixi.at/aicrTLB)

現代人は「結婚後が現状より貧しくなること・楽しくなくなること」を殆どの人が求めない。結果として今より大変になる可能性はあっても、「新婚旅行・結婚式・婚約指輪・平均前後の年収水準などハレの要素」を揃えることで、未来に希望や明るさを感じられないと結婚しても意味がないと感じる人が多いのも分かるが。

好きな人であればお金がなくてもいいという価値観も分かるが、人それぞれに生まれ育った環境や文化・娯楽・思想の内容など「受忍可能な最低限度の生活水準のライン」が異なっている。お金がなくても十分に相手を魅了して心を満たせる外見・性格・サービス精神を持っていればいいだろうが。

そもそも論からすれば、村上龍のエッセイではないが生物学的には雄(男)の多くは、子孫存続のための消耗品的な労働力としての位置づけになりやすく、「職業・お金・社会適応がなくても人間的・性的な魅力だけで女性が惚れる男」の絶対数が少ない。男ならキャリアやお金のない女性でも、外見・性格で惚れる可能性は上がる。

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