「心理」カテゴリーアーカイブ

『生まれてきて良かった』と思える人間(自己)になれるか否か:親子間の殺傷事件と人生の責任受容

■長女の首絞めて殺害した疑い 父「暴力ひどかった」
(朝日新聞デジタル – 04月12日 13:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3943024

人間の究極的な幸福と不幸の基準は『この世に生まれてきて良かった・生きていることがありがたい・社会や他者と協力して生きていきたい』と思えるか否かに尽きると言ってもよい。

現代の未婚化にせよ少子化にせよ、その根本にあるのは『生まれてきて良かった(お父さんお母さん、産んでくれて育ててくれてありがとう。この両親の元に生まれてきて良かった)』と素直に思える楽観的な人が減ってきたということであり、『人生の感動や喜びを自分の子にも伝えたい』と思えない人が増えたということだろう。

生物学的な天敵を失ったホモ・サピエンス・サピエンス(知恵あるヒト)が絶滅するリスクがあるとしたら、全面核戦争・人口爆発の資源欠乏でなければ、科学技術主義・遺伝子操作の進歩の行き過ぎの副作用か、生きる意味を本質的に考える自意識・無常観のこじらせかのいずれかだろう。

『難しく考えすぎ・考えずに感じればいい・本能や勢いでいけばいい・ありのままに生きれば良い・人間も動物の一種で生殖は自然の摂理である』と言える人は、近代的自我が『禁断の知恵の実の毒(賢しらな人生の意味の先読みと諦観)』に冒されきっていないそれなりに幸せな人であり、動物的な生命力と共同体の再生産の意志を失っていない。

気づけばこの世に投げ出された実存的な主体である私たちにとって、第一に直面する不条理が『誕生』であるとも言えるが、何びとも誕生に対する拒否権や生まれ落ちる環境・遺伝子についての選択権を持ってはおらず、実存的な存在形式そのものが本人の同意とは関係のない不条理と所与の現実を前提(スタート地点)にしている。

続きを読む 『生まれてきて良かった』と思える人間(自己)になれるか否か:親子間の殺傷事件と人生の責任受容

福岡市西区姪浜で起きた19歳の予備校生殺人事件、 26歳女が49歳男から1300万円を騙し取った結婚詐欺事件について

○福岡市西区の姪浜で、東大志望の19歳の予備校生が知人の男に殺害された事件。こういった愛執・憎悪・支配欲を恋愛と勘違いした自己愛・妄想型の事件を見ると、今の若い女性が恋愛に消極的なのも分かるというか、一方的に思い詰めて愛情と憎悪を混同するしつこい男に気に入られて、対応を誤ったら最悪の結果も招き得る。

19歳男の供述では『告白して曖昧な返事をされたから馬鹿にされたと思って殺した・好意が叶わなかったから殺した』という理不尽で自己中心的な動機が語られているが、『一方的に好きになった相手から断られた・軽視されたからの理由』で殺意や悪意を覚えて実行するパーソナリティーや行動原理は退行的・幼児的ではある。

男女間のトラブルには『DV・ストーカー・モラハラ・セクハラ』などがあるが、どちらかというと『付き合う付き合わない・別れる別れない』などの孤独耐性や自尊心の強度が関わる問題では、男性のほうが女性よりも非適応的で執拗・異常なメンタリティーに落ち込みやすく、暴力的・衝動的な犯罪に至りやすい傾向はある。

相手が嫌といえば嫌だと認める、どうしても別れたい(付き合えない)といえば別れるしかない等、『言語的コミュニケーションが通じる精神状態』を維持する事が重要だが、『相手が好きという感情』を『自分の支配欲・快楽・自尊心を満たす手段』のように勘違いする所にストーカー・妄想や暴力的な犯罪のリスクが生まれる。

加害者と被害者にはグループでの交友関係はあったが、男女交際等はなかったと報じられており、予備校で顔見知りの男に突然刃物で襲撃された女性の恐怖・無念を思うと犯人の身勝手さは許されないものだ。『曖昧な断り方』でなく『はっきりした断り方』だったら良かった類の問題でもなく、事前回避の難しい問題ではある。

続きを読む 福岡市西区姪浜で起きた19歳の予備校生殺人事件、 26歳女が49歳男から1300万円を騙し取った結婚詐欺事件について

川崎中1殺害事件の原因の一つになった『仲間内の上下関係・嫉妬感情+暇の悪用』

少年のいじめにせよ殺人にせよその根本は『他人に対する興味・干渉の過剰』と『自分のやりたい事がない主体性の欠如』で、『仲間内の上下関係+暇の悪用』が的外れな生きがい(自己確認)になってしまう。

<川崎中1殺害>切りながら「ごめん」 リーダー格が証言

この殺人事件にしても、終わった後になれば加害者達も『やらなければよかった・やる必要のなかった行為』であり、世の中で起こる多くのいじめ・虐待・傷害・殺人も逮捕後に考えれば同じ構造・心理を持つ。気に入らない他人に執拗に干渉せず自分のやるべき事に取り組めば良いが、それができない心理の偏りや他者依存がある。

続きを読む 川崎中1殺害事件の原因の一つになった『仲間内の上下関係・嫉妬感情+暇の悪用』

現代における体罰の問題点と体罰による教育効果の限界

体罰の目的は『悪事を改善する指導』というより『上下関係の刷り込み』に近く、暴力・立場で威圧する怖い上位者がいるから大人しく従うという効果はあっても、物事の是非善悪を学ぶ役には殆ど立たない。

<桜宮高自殺>根強く残る「力の指導」 体罰防止策が進むも

体罰の本質は何かと考えれば、『自分の頭で考えないようにさせること・上位者の命令は絶対だという条件反射を形成すること』であり、暴力で相手が萎縮したり服従したりする体罰は『自由意思を奪うことによる表面的な問題解決』にはつながるので、教育の即効性がある(殴った相手が良くなる)と感じる人はいるかもしれない。

ただし物事(行為)の善悪の根拠や改善を自分の頭で考えさせないまま、体罰のみの指導に頼ると、『属人的な道徳観(あの先生先輩が言う事は全て正しい)』に陥りやすいので、『上位者の目の届かない所で悪事をする』や『殴られた自分の屈辱・怒りを下位者に向ける』等の陰日向・いじめやしごき・体罰の伝統化の問題がでる。

続きを読む 現代における体罰の問題点と体罰による教育効果の限界

『夫源病(妻源病)』と人間関係の悪化による対人ストレス

夫源病(妻源病)というのは現代的な新しい概念であるが、家族や親しい相手であっても『最低限度の配慮・礼儀・距離感』がなければ、持続的にストレスの小さな良い人間関係を続けることはできない。

実質的に嫌いになったり無関心になったりした相手とでも、家族の形態(法的な互助・同居の義務)がある限りは一緒に暮らさなければならない悩み、全てが気に入らなくて関わりたくないと思うようになってしまった相手からあれこれ監視・干渉・指示されたりするストレスと考えれば、概念は新しいけれど古くからある問題(昔はどちらかが辛くても合わせて我慢したままで終わっていたケースや家族・夫婦とはそういうものだから仕方ないで体調を崩しながらも忍従していたケースが多そうな問題)でもあるのだろう。

最近体調悪いかも…原因は夫にあり?夫源病とは

夫源病(妻源病)を引き起こす人の顕著な特徴は『身内(家族)であればどんなわがままな言動をしても良い・妻(夫)であれば自分のわがままや甘えを察して受け容れたり満たしてくれるのが当たり前である・思い通りにならないと幼稚な醜態を晒すがそれが身内なら何も恥ずかしくない』といった価値観を持っていて、『最低限度の配慮・礼儀・距離感・自尊心』がまるでないということである。

『親しき仲にも礼儀あり・自分と相手の人格や時間は異なっている(自分と相手には固有の生き方や内面があり完全に一致することはありえない)・家族にも一定の配慮や遠慮が必要である(家の中での生活音や言動のあり方にも一定の注意が必要)』という感覚が欠如しているために、悪循環を繰り返す『共依存』に陥ったり、自分の欲求不満を叶えてくれない相手に怒り・不満を募らせて『DV・モラハラ』をしたりするのである。

なぜもっとも近しい間柄である家族との間で夫源病や妻源病が起こりやすいのか、特に男性側のモラハラ的な言動が原因となる夫源病のほうが妻源病よりも起こりやすいのか。

その理由は、『旧来的な男女の性別役割分担の過渡期』と『実質的に破綻した夫婦・家族の関係を継続せざるを得ない事情(女性が経済的理由によって人間的に好意や関心を持てる面がまったくなくなった夫にでも経済的に依存せざるを得ずなかなか離婚ができない等)』が関係していると考えることができるだろう。

続きを読む 『夫源病(妻源病)』と人間関係の悪化による対人ストレス

『ご苦労さん』の言葉遣いでキレた事件から考える中高年期の精神的危機(アイデンティティ・クライシス)

自分の精神状態が安定し他者との敵対的なフレーム(優劣の構え)がなければ、言葉遣い云々で激怒する人は殆どいないが、40代中年期は境遇によって自己定義が揺らぐ世代でもある。

「ご苦労さん」は失礼なあいさつなのか? 大阪知事選の投票所で47歳会社員が激怒

40代は順境にあれば人生の収穫期になることも多いが、仕事・経済でも家族面でも異性面でも、ゼロからの立て直しができないと自覚せざるを得ない斜陽感の生じる年代で、なまじ自意識の強い人が挫折感・不遇感を感じている場合には孔子の説いた『人知らずして慍みず、また君子ならずや』の道から遠ざかって殺伐としやすい。

『論語 学而篇』で最も知られるこの言葉は、中学の国語で習う定型句だが『学びて時に之を習う、また説ばしからずや…人知らずして慍みず、また君子ならずや』が実感として滲みやすいのが中年後期だろう。我こそはの自負心の強かった孔子が人に知られない挫折を悟った時、人を恨まずに天命に生きる為の自戒でもあった。

続きを読む 『ご苦労さん』の言葉遣いでキレた事件から考える中高年期の精神的危機(アイデンティティ・クライシス)