「心理」カテゴリーアーカイブ

“生活苦(貧困)・介護疲れ”などを理由にした家族間殺人の増加と自己責任論の圧迫感

現代の貧困は悲惨な事件が起これば『同情論・政府批判』が集まるが目の前の貧困は『自己責任論』で叩かれる。無年金・無貯金の困窮も、健康でもう少し若ければ過去の就労歴を非難される要因になる。

夫婦死亡、殺人容疑などで三女逮捕「生活苦や介護疲れ」

本当に困っているなら生活保護を受ければいいのには…ある種マリー・アントワネット的な他人事の言い草で、生活保護申請で受け得る説教・屈辱・非難を恐れている人は多い、自殺とバーターになる事さえある。生活苦・介護破綻は突然起こるものではなく、じわじわ過去の不足・ツケが積み重なり、気づけば限界を超えている。

中年の長期無職者の再就労の難しさで、面接者が『こんなに長く働かずに何をしていたんですか?普通はもう少し早い段階でどうにかしなきゃと思う』などの自己責任追及の説教モードで来る事があるが、数十年かけて仕事や年金納付が定まらず貧困化していった高齢者も、同様の自信の無さ・不安が強く相談しづらくなっている。

人の自意識や相談の難しさは、『現時点の生活状況・困窮の度合い』だけを見て対応してくれる相手かどうか分からない事であり、過去に負い目があって自省の強い人ほど、生活保護に頼る発想にはいかない。貧窮に対する自己責任の部分も分かっていればこそ、ギリギリまで出来る範囲で働いてダメなら自殺の悲観に嵌りやすい。

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京大の幸福感についての脳科学研究:右脳の楔前部の体積と幸福の実感度との相関関係

右脳の楔前部の体積が大きいほど幸福を強く感じるというが、同じ人でも『時期による幸福感の波』があり、単純に体積と幸福感が相関するか否かも問題になるだろう。

被験者の年齢が若すぎる(若い時期には学校の人間関係が順調なら誰でもそれなりに幸福を感じやすい)というのもあり、『経済・家庭・老後設計』などの境遇の差が開く中高年層のデータも集める必要があるように思う。

<幸福の度合い>強く感じる人ほど右脳側面に特徴 京大

この研究は楔前部の体積が大きければ『幸福感を感じやすい(今まで幸福感を感じる頻度が多いかその時間が長かった)』という事を示唆するが、この部位の大きさを調べれば『幸福体質(小さな事にも喜びや幸せを感じられる気質・性格)』かどうかが分かる精度があるとすれば画期的な研究成果になる。

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チャーリー・シーンの性依存症的な感染・自滅。際限のない人の欲望・執着の深さか。

ハリウッド俳優のチャーリー・シーンがSTDの感染を告白したが、年間約2億円以上も高級娼婦に支払っていたこと、バイセクシャルなことなどがスクープされていた。元妻へのDV問題で慰謝料も年間1億5千万払っているようだが、女性関係のお金の浪費と人生破綻が異常だ…セレブに多いがT.ウッズと類似の性依存症か。娼婦から損賠請求もある。

1日換算で50万円以上も浪費…チャーリー・シーンは最近のハリウッド映画で見かけることはなくなっており、何か実業家・投資家にでも転身してたのか。日本でもチャゲアスのASKAが覚醒剤と性倒錯で破綻したが、一定以上の財産や地位を形成した人が自己の感覚的快楽のみに意識を向けると危うくグロテスクな結末を招く。

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豊かで平和な社会では“美(外見)の相対価値”が高まるか?:時代の余剰によって“美・力・知の原理”に翻弄されるヒト

生物界の自然選択では“美の原理”というのは“健康(生殖能力)の指標”である。類人猿の艶やかな毛並みや孔雀の華やかな尾羽、ハチドリのカラフルな羽などは、それだけ遺伝的基盤が安定していて十分な栄養摂取(食物の獲得)ができる能力があることを示唆している。

「イケメンや美人は出世しやすい」は本当か

20世紀末から21世紀にかけて、先進国における美人やイケメンの相対価値は格段に高くなったとされるが、それは過去の時代と比較して『生存淘汰圧(最低限の生活のためのコスト)』が小さくなり、『美しさ・洗練・セルフイメージの基準を繰り返し喧伝するインターネット+メディアの影響力』が大きくなったからである。

そもそもヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)の婚姻・恋愛を介した自然選択では、『美しさの原理』というのは数千年の長きにわたって女性ジェンダー(見られる性・選ばれる性としての女性)と深く結びついたものであり、男性の美しさ(見た目の格好良さ)というのはまず問題にされた時代がほとんどなかったのである。

フェミニズムの女性研究者たちは、まさにこの類人猿の段階からの自然選択として連綿と続いてきた『見られる性・選ばれる性としての受動的な女性性(女性の主体性を禁圧してモノ化して婚姻で囲いこもうとする男性原理・家父長制)』と戦ってきた側面がある。

つい数十年前までは男性は『外見を取り繕うのは恰好悪い・男は見た目ではなく能力(組織適応と稼ぐ力)だ・生白いなよなよした男など男ではない』というジェンダーを植えつけられ、義務教育では男は外見を格好つけるなということで丸坊主を強制されたり、長髪・パーマ・洗髪なども『不良・落ちこぼれ・生活の乱れ(非正規的な男性像)』として低く評価される時代が続いていた。

女と比較して男は『見られる性(美しさ・格好良さを査定される立場)』として評価されることに慣れていないし、『外見が好みじゃないからあなたじゃダメ(容貌が生理的に受け付けない)』とはっきり言うことさえある最近の若い世代の女性の主体性(選ぼうとする意志)は、男にとって相当な恐怖であり苦痛(プレッシャー)でもあるだろう。

男性を外見で選ぼうとする若い女性の主体性・選好性というのは、『若者の恋愛離』れの一因でもあるし、『外見・美しさにおけるコンプレックス』というのはかつては女性に多かったが、近年は男性のほうにも増えていて『コンプレックス関連産業(見かけを格好よくすることに関係したビジネス)』の市場規模が拡大傾向にあるとも言われる。

確かに、若い世代ほど『平均的と見られる外見・おしゃれのハードル』が高くなっていて、過度に華やかさを競い合って進化の袋小路に陥った孔雀の尾羽のように、ヒトもまた本来の『生存淘汰圧への適応・健康指標』を超えて『社会的・性選択的な高望みの圧力(社会的承認競争+視覚的娯楽のインフレ率)』を高めているのである。

メディアでは一般社会には極めて比率の少ない美人やイケメンが当たり前のように映像として映し出され、容貌が優れている者と優れていない者との待遇の差異(皆にちやほやされて賞賛されるか対人魅力が低いとして軽く扱われるか)がある種のお決まりのクリシェ(紋切り型)となっている。

そこには『勤勉と力の原理(旧来の男性ジェンダー)』が介在する余地が乏しくなっているどころか、容姿を売りにしている著名な芸能人は『美と力の原理』の両面において圧倒的に一般庶民を上回っていることのほうが多い。

少し前までは、男社会では『色男、カネと力はなかりけり』の嫉妬もありきのスローガンで、あいつは外見だけは良くて女にモテるかもしれないが、体格がひょろくて根性がないから『肉体労働・男同士の喧嘩の場』では使い物にならないモヤシのような優男だ、男としての本当の価値では俺のほうが上だという認知(男性ジェンダーの支え)によって『外見上のコンプレックス』はほとんど無効化されていた。

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人間関係における“必要性(互助・情義)+娯楽性(楽しみ)+功利性(損得)”の原理

かつて人間関係の多くは『所与の地縁血縁』と『人生における必要性(結婚・親戚・仕事などの付き合い)』によって規定されていて、一定の年齢以上になると『好き嫌い・趣味・楽しみだけの為に付き合ったり離れたりする人間関係』というのは原則あまり無かったのではないかと思われる。

「人と仲良くなるのが怖い」という人が抱える心の闇、3つのタイプ

人と人が付き合って関係を形成する基本原理は、以下の3つに分類できる。

1.必要性の原理……『結婚・家族・恋愛の一部・仕事・地縁血縁』などの生きていくための必要性に根ざした人間関係で、いったん構築されてしまうと簡単に離れにくいのが特徴である。

お互いに経済基盤を共有して助け合ったり、情緒的な結びつき(一方的に別れづらい情義)を作ることによって規定されるが、その関係の契機・持続は『自分の好き嫌い・選択』というより『人生・生活・世間体等の必要性』がかなりの割合を占める。

2.娯楽性の原理……一緒に活動できる趣味・遊び・食事を共有したり、共感的な会話をしたりして楽しむための娯楽性・共同性に根ざした人間関係で、『仲の良い友達・恋人(生活の共有までしない段階)・遊び仲間・知人レベル』の多くが含まれる。

娯楽性の原理は『自分が好きな相手・一緒にいて楽しい相手』を求めて、『自分が嫌いな相手・一緒にいて楽しくない相手』から遠ざかるというもので、いったん形成された関係でも一定以上の流動性があって離れることもあるのが特徴である。

3.功利性の原理……その相手と一緒にいてメリットがあるのかデメリットがあるのかという、ドライでビジネスライクな『損得感情』を背景に持っている人間関係で、冷静沈着に功利性のみに徹して関係を調整する人は『詐欺師・冷淡な人(心のない人)・強欲な人(ケチな人)・サイコパス(ソシオパス)』といった印象を強める。

しかし、功利性の原理はある程度は『必要性の原理』や『娯楽性の原理』とも重複しているし、3つの原理はそれぞれ独立しているのではなく相互に影響を与え合っているものである。

大半の人は『付き合っていてマイナスの影響ばかりしか受けない相手・一緒にいて不快感や迷惑や損失ばかりを与えられる相手』からは自然と遠ざかっていきやすいし、それは視点を変えれば『自分が不当に利用されている・相手の不満や不安、苦境のはけ口にされていて自分自身の人生を全く楽しめない』という被害者意識を煽るような関係になっているということでもある。

経済的であれ感情的(心理的)であれ情義的(責任感)であれ、『その相手と関係を継続すべき何らかの広義のメリット(情緒的な結びつき・責任感や罪悪感等も含め)』を求める傾向がゼロという人は殆どいない。

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大人のADHD(注意欠陥多動性障害),ADD(注意欠如障害)とは何か?:スペクトラム(連続体)と現代の仕事の高度化・難易度

精神医学の精神病理学・診断学において何に注目が集まるのかには一定のトレンドがあり、そのトレンドの形成には「医学会の研究対象・医学論文の発表本数」と「製薬業界のマーケティング・保険診療の利益構造」が深く関わっているとも言われる。

少し前にはうつ病(気分障害)が精神医学において最も注目される精神疾患であったが、近年はこの記事にあるADHD、ADDやアスペルガー障害を含めた「広汎性発達障害(PDD)」に言及する精神科医や著作・論文が増えている。

■ケアレスミスが多い人はもしかして…「大人のADHD」への適切な対応とは

特にADHDやADDについては、かつては「子供にしか診断されない発達障害の一種」だったのだが、大人になってからも「子供時代に見過ごされていたADHD、ADD」が見つかって遡及的な診断・治療を行うこともできるという観点が強調されるようになり、「大人のADHD」と銘打った著作の発行も増えているようである。

これにより、現時点における「社会不適応(物事・仕事・関係が上手くいかない,計画的に物事が進められず実行を担う思考が展開しない,注意力と思考力が低下してミスが多い)」の原因を説明可能な発達障害概念として、ADHD、ADDが注目を集めることにもなった。

ちなみに、かつては「ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)」という幼児期・児童期に診断するための概念しかなかったのだが、大人のADHDにはADHDにあるべき「不注意・多動性・衝動性(刺激過敏性・攻撃性)」の三大特徴のうち、「多動性と衝動性」があまり見られないということから、不注意(脳の実行統制機能の障害)だけの「ADD(Attention Deficit Disorder)」という概念も使われる頻度が多くなっている。

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