「心理」カテゴリーアーカイブ

男子中学生の自殺と生きるための考え方の模索:諸行無常・一切皆苦は一面の真理だけれど…

人生を所与の義務や関係の束縛と捉えれば“一切皆苦”で絶望しやすい。視野狭窄や無理な過剰適応も自殺リスク。学校・会社は『自己と他者のポジティブな相互作用の場』として選択し活用すべき環境以上のものではない。

男子中学生が自殺か=電車にはねられ―群馬

“学校(会社)に行かなければいけないという社会規範”は、精神疾患や希死念慮、絶望感に陥らない限りは常識的なものとして認識されるが、“生きるか死ぬかの瀬戸際の苦悩・落ち込み”がある時には、『今の状態の学校(会社)に死ぬ思いをしてまで行かなくても良いという選択』もあると教えておくことが必要なのかもしれない。

日本の公的な学校教育は、『指示遵守・集団行動・工場労働への適応』を鋳型(紋切り型のクリシェ)とした典型的な規律訓練型としての特徴を色濃く残している。

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若者の自殺と誰にも相談しない心理:相談に乗れば他者を救済できるか?共感・援助の難しさ

自殺を忌避・断罪すべき絶対悪と見なして自殺者を責めるような意見もあれば、自殺を個人の自己決定権の一部や生命力の希薄さによる運命と見なして自殺者を容認するような意見もある。

■高1女子が転落死=飛び降り自殺か―新潟

大半の人は差し迫った『自殺願望(消えてしまいたい衝動)』に今の時点で囚われているわけではないので、実際に自殺企図をして死んでしまう人の本当の心理や衝動、苦悩について十分に共感することができない。

共感も受容もできないから、その自殺衝動を抑制する方向に誘導する話し合いを粘り強くすることは極めて難しい。自分の人生や人間関係で忙しい大半の人は、第三者の自殺願望の心理を短時間であれば聴くかもしれないが、毎日毎日延々と嫌なことを聴き続けるストレスフルな作業からは逃げ出してしまうだろう。

自殺が起こった後で人々は『相談してくれていたら・誰かを頼ってくれていたら』とはいうが、実際には差し迫った自殺願望や終わりのない希死念慮を抱えた人の話し相手になるということは生半可なことではなく、非常にストレスフルでうざったくて面倒な作業である。

金銭的対価を貰う精神医学やメンタルヘルスの専門家でさえ、筋金入りの自殺志願者や境界性パーソナリティーのしがみつきからは逃げ出してしまうか、感情移入を控えた機械的な対応(投薬)だけをして境界線を引いて巻き込まれないように自衛することは少なくないくらいなのである。

大半は途中から我慢できなくなって聴いている側の人間のほうが『甘ったれるな・誰だってつらくても頑張ってるんだ・いつまで意味のないことを考え続けているんだ・現実を見てやるべきことをやれ・人を暗くさせるような話ばかりするな(私の人生までつまらなくなる)・死にたいなら私に宣言せずにやってくれ』という叱責や説教、諦めになっていくのが関の山である。

あなたが死んでしまうくらいなら、私は何日間でも、何ヶ月間、何年間でもあなたが訴える『人生がつらくて死にたい・生きることに意味がなくて苦痛なだけだ・自分には価値がなくて他人にも社会にも興味がない・誰かが憎くて憎くて仕方ない・生きていくのが面倒だから何もしたくない・学校も会社もずっと行きたくない(ありのままの無為な私でずっといいよと言って欲しい)』といった内容のネガティブな話題を粘り強く聞いてあげると言える人、更に実践できる人がどれだけいるだろうか。

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大人になるほど1年や1日が短く感じられるのはなぜか?:“心理的時間が進む速さ”の年齢による変化

一般に年齢が高くなるほど、1週間や1年間といった『まとまった時間単位』の時間が流れる速さが速くなると感じられる。

この理由は記事にある『加齢による代謝の低下』という脳の視交叉上核が関係した生物学的原因、『人生全体に対する時間単位の比率の低下(5歳にとっての1年は20%・50歳にとっての1年は2%,新規体験への興味や感動の減少)』というポール・ジャネの法則などで説明されている。

動物を含めると、寿命が短くて代謝が活発な小動物ほど『周囲の世界の動きをゆるやかに感じている(スローモーション的な知覚)』ために、『心理的時間』が『時計的時間』に比べて速くなっていて、時間がゆっくり進んでいるように感じているという。

心理的時間が速ければ速いほど、周囲の動きはゆるやかに感じられ、天体の公転と関連した客観的に測定される時計的時間よりも心理的時間のほうが速いので、『まだ1時間しか経っていないのか(自分の心理的時間感覚では2時間以上経っているように感じられる)』というズレが生まれてくる。

動物には時間の概念は理解できないので正確な喩えではないが、寿命が短く代謝が活発であれば、太く短く生きるとでもいうかのように『客観的な寿命の短さ』と同時に『心理的(主観的)な時間の長さ』もある程度はある(小動物本体にとってはそんなにあっという間ではない感覚がある)と推測されているのである。

年齢による時間感覚の変化は、数日以上、数ヶ月や1年間といった『ある程度まとまった時間単位』を振り返った場合に特に顕著である。

一方、『今日は時間が経つのが早かったな・遅かったな』という数時間から1日程度の短期スパンにおける『心理的時間の速さ』は年齢の要因よりも、好きなことを能動的にやっているか、嫌なことを受動的にやっているかという心理的・認知的な要因(コミットメント要因)のほうが大きく影響しやすい。

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上司に対して『お疲れ様です』という挨拶をしてはいけないのか?:現代における労わりのフレーズの習慣化

朝の出社時にお疲れ様と言う人は普通いない。帰り際に上司・同僚に「さようなら」という方が「お疲れ様」以上に違和感があるように思うのだが。『お疲れ様』は既に「好意・慰労・終業確認」で慣習化している。

最上位者も労わりが不要の『疲れぬ超人』ではないので、職位の上・下に関係なく『お疲れ様』の労わりの言葉をかけてもらえれば嬉しい人も少なくないように思う。

タモリ口火の「お疲れ様禁止」 「こんにちは」導入の会社も

『ご苦労様・お疲れ様』が目上の者から目下の者に対するねぎらいの言葉だけを意味するというのも、絶対的な定説まではいかない。お疲れ様が失礼の考えは『命令者・使役者の立場からの労わり(私の為に働いてくれてお勤めご苦労)』と解釈し、主君(上位者)は下位から使役されないから労わられる理由などないというもの。

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自分と正反対の生き方をしている人に感じる“影(シャドウ)”の元型・タトゥーに対する偏見はなぜ強いのか?

自分とは正反対の生き方や考え方をしている他者に、人は強い“反発心・優越”と同時に“ずるさ・憧れ”を感じやすい。この無意識の元型をユングは『影(シャドウ)』と呼んだが、『人の好き嫌い・類は友を呼ぶ・異質性排除やいじめ』を理解する時に振り返りたい概念。影となる他者を受容できない自我の未熟さを人は抱える。

なぜ無意識領域に、自分と異質な他者を寄せ付けず排除・非難したくなる『影(シャドウ)』が生み出されるのか。理由の一つは、人の人生は『あれもこれも』ではなく『あれかこれか』の選択的淘汰であり、自分と極端に異なる生き方や考え方をしている他者は『自分が捨てて生きられなかった反面の要素』を必ず伴うからである。

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高齢者はなぜ信号や横断歩道のない道路を渡ろうとするのか?:車も歩行者も安全意識の向上を。

高齢者はなぜ信号・横断歩道のない所で道路を横断するのだろうか?横断歩道までの数十メートルを歩く体力・気力の低下、車の速度・歩行速度・距離を認識して間に合うか否かを判断する能力の低下、運転手の判断能力の過信などが想定されるが。

運転手が歩行者(自分)を認識していれば、歩行者が渡り終わるまで速度を落とすか止まってくれるはずという過信は、車の運転なら危険性の高い『だろう運転』である。9割以上の車は見通しの良い道路なら歩行者がどこを渡っても速度を十分緩めるか止まってくれるだろうが、『見落としやよそ見・極端な高速』のリスクは常にある。

高齢者・子供の急な飛出し、ふらつきながらの自転車の車道走行は最も危険だが、高齢者の信号・横断歩道なしの車道横断は、特に日が落ち始める時間(夜中・早朝)から事故率が上がる。ドライバーが『こんな時間にこんな道路を歩行者は横断しないだろう』の予断で飛ばし、気づいても止まれず死亡事故になるのは早朝に多い。

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