藤圭子さんが情緒不安定になって感情・気分の波が激しくなり、妄想・幻覚・興奮といった精神病的な症状に苦しめられ始めたのは、娘の宇多田ヒカルさんがまだ小さな頃からだった(具体的に何歳かは記されていないが)ということから、藤圭子の精神疾患あるいはパーソナリティ障害のエピソード(症状の履歴)は相当に長いということにはなる。
藤圭子さんは米国の心療内科での長期入院の経験があり、付添人がいてもなお自殺企図を起こしたことからもその精神疾患の程度は重く、あるいは重症うつ病のような抑うつ感・希死念慮・厭世感が慢性的に生じていた可能性がある。
『家族との長期的なコミュニケーションの断絶』が耐えがたい孤独感・疎外感につながっているというような本人の述懐もあったようだが、元夫の話などでは家族といる時にも精神的に不安定になることが多く、家族としても『どういう風に接して上げれば良いのか分からない・ネガティブな感情や興奮に自分も巻き込まれてしまって苦しい』という事情があったのかもしれない。
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子育ての協力期間を終えてからも続く長期的な婚姻は『反自然的』なものであり、『持続させるための必要性・責任と努力・情愛(感謝や寂しさ)』か『持続したいと思う人間的魅力=二人の共有体験や会話の楽しさ、安心感』が必要になってくる。
相手を魅力的な異性として強く求める感情、性的対象として独占欲を感じる感情というのは、PEA(フェニチルアミン)やドーパミンが多く分泌される期間と相関しており、『3年以上の長期的かつ定期的な恋愛関係(性交渉を伴う)』や『生活時間の共有の増加(相手の隅々まで知っていき秘密の要素が消える関係性の日常化)』によって必然的に弱まっていく傾向がある。
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相手を魅力的な異性として強く求めていたり、自分のことを恋人(配偶者)に選んでくれてありがたいと思っていたりする間は、『相手が嫌がる言動・人間的な魅力が劣るように見える言動』をしないように気をつけているし、『相手が望んでいる言動』を頑張ってでもしようとするものだから、(恋愛に集中できない環境や性格・浮気心や飽きやすさの強弱はあるかもしれないが)大抵のカップルではそれほど大きな問題は生じない。
端的には、『相手が嫌がる言動』をしたら自分が嫌われて別れられてしまうのではないかという緊張感や選択肢がある間は、良くも悪くも『相手の良い部分』に意識をフォーカスして『相手の悪い部分』に寛容にさせてくれるわけだが、『交際の長期化・馴れ合いの深まり・結婚や出産の事実』などが出てくると、ここまで深い付き合いを長くしてきたのだから多少わがままや自己主張をしても許されるだろう、今になって別れたり離婚するとは言い出さないだろうという甘えが生じやすくなる。
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自分だけにしか通用しない『マイルール(自分ルール)』へのこだわりが、『常同行動・強迫行為・パターン行動』のように病的なまでに過剰になると、アスペルガー障害・自閉症性障害などの『自閉症スペクトラム』に近づく。それは端的に『他者に対する無関心・自己中心の世界観』に行き着くことになり、他者とのコミュニケーション障害をもたらすことになる。
自閉症スペクトラム(自閉症的特性の連続体)は、『自己の内的世界に沈潜する度合い』の問題でもあり、自閉症と無関係な一般の人でも多少は『自分の内面に閉じこもる傾向(内向的な他者と距離を置いておきたい傾向)』を持っている。自閉症スペクトラムの度合いが強まるほどに、『他者を自己の障害(邪魔・刺激)と見なす認知』が強まり、『主観的なマイルール(こだわり行動)』に従った規則的なパターン行動を繰り返すことで安心感や制御感を感じやすくなる。
他人の気持ちを察することができず、共感・配慮・会話を全くしない(しようとしてもできない)というのであれば、コミュニケーション上の弊害があまりに大きくなるが、『マイルールのこだわり』と『出会いのチャンスの喪失』のバーターは、本人にとってはわざとマイルールを押し通すことで『自分と合わない相手(自分に合わせてくれない相手)』を無意識的に選別している可能性もあるだろう。
そういった選別はわがままといえばわがままであるが、自分だけのルールや常識・信念に必要以上にこだわって譲らない人というのは、基本的にわがままなのであり『他者からの干渉・影響』を最小限に抑えることで『関係・状況のコントロール感』を維持したいという人だと言うことができる。
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前回の記事の続きになるが、近代化の影響が弱いかつてのムラ社会で経済力のない女性が不倫などをすれば、夫と一族から『すぐに家を出て行け』と叩き出されて離婚され、噂話が駆け巡る狭い村では居場所がなくなり、法的な保証も安定的な雇用・給料もないまま厳しい世間に放り出されることは確実であった。
性的な道徳観(貞操教育の効果)や夫が好きで裏切りたくないという気持ちもあったかもしれないが、それと合わせて平穏無事に生活を続けていくためには大半の女性にとって、不倫の裏切りは(一時の快楽・楽しさと引換えにするには)余りにハイリスクであり、もし発覚してしまうと恐ろしい目に遭うことだったのである。
翻って現代の先進国では、若年層において就職率・平均所得における男女逆転が起こってきており、矢口真里の結婚は特に夫婦の年収に大きな格差(矢口が数倍の年収を稼ぐ格差)がある『格差婚』として取り上げられ、夫はバラエティ番組で『年収が妻に及ばず高額な出費はいつも出してもらう自虐キャラ(半ひもだと自己言及するキャラ)』をおどけながら演じていた。
こうなると、『男性の貞操義務』よりも『女性の貞操義務』を厳しく取り扱うことができるための現実的な基盤・根拠である『男性の経済的優位性・扶養義務の履行性=それに対する女性の受け身性』が無くなってしまう。
昔でも『誰のおかげで飯が食えているんだ』は夫婦関係を破綻させる決めてとなる禁句フレーズであったが、現在では禁句であるか以前の問題として、『別にあなたに一方的に食べさせてもらっていないしそこまで言われる理由はない(私もフルタイムで働いてて折半に近いくらいの負担をしているんだし)』という夫婦関係のほうが増えている。
続きを読む 矢口真里の浮気報道と格差婚の心理2:男性と女性の家庭の性別役割拡散と男女同権化 →
2月下旬に、タレントの矢口真里が夫・中村昌也が出張で不在だった自宅に、モデル男性を連れ込み、翌朝、予定よりも早く帰ってきた夫にその浮気現場を見られてしまったというスキャンダル。この芸能ニュースは、『婚姻における男女の権利感覚・ジェンダー論(男女逆転の格差婚)』の視点で考えさせられる部分があったので、思索メモ的に書き進めてみたい。
矢口真里 仕事減少必至も業界関係者からの評価はかなり高い
現代でも婚姻している夫婦関係において、『不倫をした側』が悪いというのは『法的・道徳的な常識論』ではあるのだが、男性の不倫の場合だと、妻がまったく料理を作ってくれない(掃除洗濯をしてくれない)とか話を聞いて優しくしてくれない(性的な相手をしてくれない)とかが、『不倫のエクスキューズ』として語られることもある(その言い分を受け入れるような古い価値観の男の層もある)が、女性の不倫のケースでは基本的にそういったエクスキューズというのは殆ど通用しない。
女性の権利感覚が自由主義国とは異なるイスラーム圏では、未だにシャリーア(イスラム法)に基づいて、『女性の不倫・浮気・婚前交渉(自由恋愛)』が犯罪行為として処罰されたり、酷いところになると家族・地域住民から石打ちの刑で処刑されてしまうこともある。だが、歴史的に見ても男性原理(家父長制の家族形態)で運営されてきた国・社会では、『女性の貞操義務』は『男性の貞操義務』よりも重いものだと見なされてきた。
そこには、『女性を男性が排他的に所有・管理するという感覚(女性を社会的交換・一族血縁の拡大のための財産と見なす価値観)』があり、女性が自由意思で『婚姻規範(一夫一婦制・一夫多妻制という一人の男性に対する終身的な貞節義務)』を踏み外すことは、そのパートナーである男性の社会的面目を丸つぶしにして、一族全員の名誉を失墜させる犯罪(道徳的・社会的な罪)だと見なされていた。
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男性の下心の間接的アピールと女性の許容・拒絶の駆け引きというのは、『男と女を捨て切っていない年齢・立場の男女』であれば、なかなか避けては通れない問題ではある。
男性のムフフな下心を見抜く7の方法
『異性としての関心・好意・欲求』というのは自ずから伝わるものだが、『相手との関係性の深まりのレベル』や『相手の感情面・倫理観の上での準備』を勘案したタイミングで下心を開示していくことが重要であり、下心という性的関心そのものが悪というものではない。
しかし、相手との関係性のレベルや自分への感情、性の倫理観などを無視して一方的に誘ってみても、ただ拒絶(お断り)されやすいというだけの話であり、“ワンナイトラブ・行きずり(酔ったり流されたり)の関係”というのは男性側には都合が良くても、(妊娠する身体を持ち他の男性から倫理的査定を受けやすいという意味で)ハイリスクな女性の大半は敬遠しがちである。
女性の持つ『体だけが目当てなのか』という不信、男性の持つ『カネだけが目当てなのか』という疑念というのは、自分が妊娠するか否か(同時に複数の相手と生殖可能か否か)の生物学的差異、一夫一婦制の貞操観念やロマンティックラブのイメージを求める(求められる)か否かのジェンダーの差異、古代からの性別役割分担の意識の刷り込みなどによって生じると考えることができる。
その差異は相当に根源的であり、『例外的な個人』がいるとしても一般的に簡単には変わることが難しく、どの国・地域においても(職業としての関係は除き)女性は男性よりも性交渉の相手の選択には慎重な傾向がある。
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