「心理」カテゴリーアーカイブ

あおり運転の脅迫事件、職場でジーンズ着用はOKか?、競馬の「外れ馬券」が経費と認められる

○深夜2時半の一般道なら殆ど他の車もいないので被害者が後続車なら逃げられそうだが、初めは張り合ってしまったのかもしれない。深夜で異常な走行をする車は、飲酒・薬で正常でない者も多い — あおり運転、進路をふさいで停車させ「殺すぞ」 自動車修理業の男を逮捕 (http://mixi.at/agq7knV、10月20日)

煽り運転・マナー違反の運転に対して、初めは頭に来てクラクションを鳴らしたり怒鳴ったり追跡したりする者もいるが、明らかに挑発的な行為を仕掛けてくる相手に関わっても一切の得はない。自分がやられなくても、自分が興奮して相手を殴って傷害罪、頭を打って傷害致死罪にならないとも限らず、とにかく避けるのが吉だ。

深夜・早朝に登山に行っていた時期、福岡南部の田川・筑豊地方で集団の暴走族やら赤信号の交差点に突っ込む異常なマナー違反運転の輩も見かけたが、こちらが関心を見せず距離を置いていれば、向こうからぶつけてきたり、降りてきてまで因縁をかけてくる奴はまずいない。意図的な強盗犯・殺人犯などならやるかもしれないが。

見ているだけでほんわか癒される人とか、内容・価値のある話ができそうな雰囲気の人とかなら車から降りても話したいが、車の窓越しに見ただけで好戦的で凶暴そうな相手、話しても殺伐とした気分にしかならなさそうな相手とは関わっていたいと思えず(どう転んでも益がない)、怒って降りてきても丁重に合わせておだてて、それ以上の関わりをお断りして逃げる。

○職種業種・上司(社長)や取引先の意向・仕事内容、外部のスーツ族によって異なる。今のスーツはストレッチが効いた素材が増えて着やすい。ジーンズもユニクロ系は特に柔らかいストレッチ素材が増えてます。

ジーンズ好きは質感を嫌うにせよ — 仕事で「ジーンズ」着用はアリ? 社会人の見解は…… http://mixi.at/agrNI0k(10月20日)

ガチガチに体を固めて動きにくくするような素材や型紙の服は、スーツに限らずあまり着たいとは思えなくなったのはある。スリムなラインのズボンなども、伸縮性があれば着心地が悪いとまではいかないが。ネクタイ着用のかっちりした可動範囲の狭いスーツはたまにおしゃれで着るならいいけど、毎日の仕事着としては疲れますね。

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家・車を手放して固定費を減らせばハッピーになれるのか?、犯罪をまず絶対にしない人の「自由」を好む拘束嫌悪の心理

○「都会(公共交通機関・店舗が充実)」と「田舎(車が必需品)」の違いは大きい。車・家はお金がかかるから不要の価値観もあるが、お金がかかるからステータスで欲しい(その為に仕事を頑張る)の価値観もあるわけで、経済状態にもよるしどちらが良いとは一概に言えない。

家と車を手放せばハッピーに!? 「賃貸」「シェア」の時代へ (http://mixi.at/agpFoeS)

通勤や買い物でほぼ毎日車を使う人であれば、(特別に高い車・排気量の大きな車を買わなければ)車を所有した方がコストは安くなる。通勤や買い物に車は使わずたまに旅行・遊びだけに車を使うような人であれば、レンタカーやカーシェアでも良いだろう。田舎だとレンタカーもカーシェアもないという根本的な問題もある。

趣味・ロマン・ステータスのために車を買いたい価値観も理解できるし、車に趣味的にはまっている時期は、ピカピカに洗車するだけでも楽しいこともある。収入とのバランスで無理せず生活が成り立つなら、車でも家でも本当に欲しければ買うべきだ。若い人ならデートで車があるかないかで気分や親近感、行動範囲も変わる。

反対に、「車や家にたいして興味がない(車は乗れればいい・家は住めればいい)」「将来の不安が強くお金を貯めたい」「異性に対し安定収入や職業、センスをモノでアピールする必要が薄い環境・年齢にある」「家族がいない」などであれば、無理してまで良い車や家をローンで買っても、自分の主観的満足度は高くなりにくい。

家や車は「家族の幸福のイメージ・経済的な安定感や一定の所得水準の現れ」ともつながっているので、「結婚するか・子供を持つか・正規雇用の仕事をしているか(それらの現実的な予定や努力があるか)」によって持つべき否かの判断基準は変わりやすい。特に一人で生きていくなら家や車への欲は落ちやすいともいえる。

異性・誰かや世の中に認められたいという欲求、自分の社会経済的な成果を形あるもので示したい欲求は、かなりの割合で、高額な耐久消費財である家・車のローンを組むかどうかと関係している。実用性・必要性もあるのだが、広告を見ても分かるように、家・車は幸福や家族、豊かさ、センスのイメージで売れやすい商品である。

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高給になりやすい仕事の特徴・負担、「あおり運転」の摘発強化、札幌・12歳少年の女性刺傷事件

○高給になる仕事の本質として、『匿名的な誰でもいい従業員』ではなく『顕名的なあなたにお願いしたいプロやプレイヤー』になるということがあるが、名刺を出さず顧客に個人として認知されない人の給料の低さとも相関する。正直いえば、報酬が上がるとしても専門家やサービス者として自分を指名されるとプレッシャーもある。

大勢の中の一人として働くほうが、気持ちとしては「楽」ではあるが、収入は安くなりがちである。開業医や弁護士、社長などで自分の名前を出して営業するのは、最終的に責任・損失を負う個人が自分以外にいない、上に回せないプレッシャーはある。バイトでクレームを受けても上位者に回せて後は眠れるが、自分個人に依頼される仕事でクレームや損害を食らうと精神を壊す人もいる

○高速道路をよく利用した時期もあるが幸いにも煽られた経験はない。走行車線を90~110キロで定速走行、希に140キロは出てそうな暴走車や、左右に落ち着きなく車列を縫う車線変更をする車はいる。

「あおり運転」摘発、7625件=昨年、9割近くは高速上-警察庁 (http://mixi.at/agpiaQu)

因縁をつける相手・車両を意図的に探しているような相手に目をつけられたら、煽り運転や暴力沙汰のトラブルに巻き込まれる恐れはあるが、車間を詰める勢いで飛ばしてくる車(左右の車線変更が慌ただしい・道路中央を走ったりで落ち着かない車)は、左車線によければ勝手に抜いて去ることが大半ではある。

極端に飛ばしている車を敢えて追走して追い越すなどの競争的な運転でのトラブルもあるが、「常識はずれの運転をしているドライバー」と関わりを持っても得をすることは一切ないだろう(事件化も覚悟で車から降りていって喧嘩をしたい、やり込めて謝罪・賠償させたいなど非カタギの特殊な考えの人を除き)。

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エミール・デュルケームの「自殺論」と自我・欲望の肥大によるアノミー的自殺:近代人はなぜ豊かになって自殺率を高めたのか?

21世紀においても、自殺問題は純粋に個人的・心理的な問題(個人の性格・精神力・価値観の問題)と捉えられやすいのだが、この自殺問題の「個人還元的なスキーマ」を転換させた19世紀の社会学者にエミール・デュルケーム(1858~1917)がいる。

現代日本では年間自殺者数が3万人を大きく割り込んできたとはいえ、先日も小学6年生の女児が飛び降り自殺するなど、青少年と中年者・高齢者を中心とした自殺問題は現在進行形の問題として注目を集める。

しかし、すでに19世紀の近代初期のヨーロッパにおいて、自分で自分の生命を意図的に絶つ「自殺」は大きな社会問題として認知されており、近代以前の自殺発生率と比較して有意かつ劇的に自殺率が高まり、その原因や理由を求めて心理学者を中心とした学者があれこれ議論を始めていたのだった。

デュルケームの社会学者としての基本的価値観は、個人の自由意思や意思決定を軽視(無視)した「社会決定論」に近い。

デュルケームは個人の行動・思考は個人の外部にある全体社会に共有されている行為規範・価値規範の様式としての「社会的事実」に強く拘束されているという前提を置いた。

つまり、自殺もまた近代の社会的事実に拘束されたある種の統計的・必然的な現象に過ぎないというドライな観察者の視点であり、その傍証の一つとしてある国家・地域の年間自殺者数は概ねどの年も近似していること(変化するにしても緩やかな変化しか示さないこと)を上げた。

ある年の自殺者数が極端に少なく、ある年の自殺者数が極端に多いというバラツキがほとんど無いことが、自殺が社会的事実に拘束された統計的現象の表れであるとする。

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「理想の恋人・配偶者」でなくても恋愛や結婚には満足できるという話:人生における相互扶助と責任感

謙虚で満足を知り、地に足のついた家庭生活を続けられる人でないと理想の伴侶と理想の異性がズレる。家族・生活は日常と金銭、責任の範疇にあり、理想の異性は相手を特別視する非日常・情動、遊びの範疇にあるという明確な違いもある。

今の恋人・配偶者は「理想通り」? 恋愛は妥協しても…(http://mixi.at/agfQN1i)

理想の異性とは、現実の異性の魅力を、自分の幻想と陶酔によって割り増ししたイメージに過ぎないから、現実の相手を深く知り日常の一部になるにつれ、幻想は壊れ等身大の相手や現実生活に近づく。『顔を見るだけで幸せ・一緒にいるだけで何もしなくていい』という自分を下位に置く理想化や陶酔は長続きしない仕組みがある。

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スクールカーストの構造と心理について、 夫婦間・家族間の殺人事件の比率

○学校も大人社会も擬似的カーストはあるし、その上下にこだわって競争する人もいるが、重要なのは「自分の影響力が通用する相手」と「好まざる影響力を及ぼす恐れのある他者」と「不都合のないレベルの社会適応度・稼ぐ力」くらいだろう。

過酷な現代の「スクールカースト」……その社会的背景は(http://mixi.at/agftM4Q)

スクールカースト的なものも「集団内で影響力や存在感の強い個人・集団と弱い個人・集団」の分離なら、国や時代を問わず多かれ少なかれある。「いじめ・暴力や恐喝・無視や嘲笑」があれば解決すべき問題だが、大人が学生を見た瞬間に勝手に格付けするのは、当事者のカースト・力関係ではなく別の問題・好みである。

結局、階層的(カースト的)な競争・格付けは大人になれば「好きな人達だけでやる優越感ゲーム」になる。擬似カースト問題で屈辱感や劣等感を感じる人は「無理してギリギリの最低ラインで階層間の競争ゲームに参加している気分の人」であって、実際に差別や迫害があるわけではなくいつでも場から降りられるケースも多い。

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