「思想哲学」カテゴリーアーカイブ

日本の年金制度が信じられない理由とは?、上級国民・飯塚幸三容疑者は高齢要因で極刑でも虚しい、アラフォーの人生の悩みなど

○現行の給付水準の年金制度を維持することは、年齢別人口階層から概ね不可能。だが50年くらいは決定的破綻(完全な年金未払)は積立残高からいってない。「信じられない層」には「払えないに近い層(低所得・無職・病弱等)」が含まれる。
あなたが国の年金制度を信じられない4つの理由 http://mixi.at/a1HbGNC

国の年金制度の不信要因は、「年金制度の絶対額は老後の生活費に足りる保証はない(年金だけでは大半の人が暮らせない)」や「政府が年金財政に応じて年金支給開始年齢と支給金額を微調整できる(年金ゼロの未払にならなければ年金制度は破綻してないと強弁できる)」にあるだろう。

また年金制度は「現役時代の格差」を減らさずに増やす仕組み(高所得者・追加的な年金保険に入れる層ほど支給額は増える)なので、今苦しい中でギリギリの年金を支払っている層は年金受給年齢に達しても苦しい。その意味で、年金が老後の救済という意味合いはますます失われ、ギリギリの生活の人は無理に払いたがらない。

○昨年は飯塚幸三容疑者(88)ほど怨嗟の的になった人も少ないが、88歳の高齢要因で、仮に死刑判決が出せても釈然とせず虚しさは残る。老い先の短さと刑罰の重みづけは難しい。

《池袋暴走事故》飯塚幸三容疑者の“現在”を取材するも妻が「お断りします!」 (週刊女性PRIME – 01月06日 04:00) http://mixi.at/a1IHMK9

意図的な無差別殺人よりも怒りのぶつけようがない。傲慢不遜な自省能力も衰えた観のある元高級官僚の老人が自分の健康状態・身体能力を過信して起こした交通死亡事故というのは、叩きに叩いて死刑・無期懲役を望んだとしてもどこか虚しく刑罰の有効性が感じられない。50?60代ならまた刑罰の重みが変わるが。

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今は中流家庭の家計簿でも余裕のある世帯になる、自殺志願者は助けるべきか?、アリストテレスの政治学・ポリスなど

○少し前の日本の平均的な中流家庭の家計簿だが、現在の中間値・世帯の実感からすると「やや裕福な家庭」で、教育費を差し引いて老後に約2370万円の貯蓄ができる世帯は今は多くないだろう。上場企業勤務の水準。

37歳パート、貯金350万円。2人の子どもにハイレベルな教育を受けさせてあげたい http://mixi.at/aeFftVQ

子供が小さいこともあるが、約2~3万円のパート収入しかなくて、この家計簿なので、現在の日本の世帯平均から見ると恵まれた方に分類できる。非正規でももう少し子供が大きくなれば、月10万円程度は一日6時間程度の仕事でも稼げるので、実際はもう少し貯蓄は増える。フルタイムなら更に増えるという話でもある。

パートで子供が欲しくて安定した結婚生活をしたい女性などからすると、この旦那くらいの仕事・年収は、「婚活で人気のある年収帯」である程度競争率も高くなりそうだが、日本全体の生活水準・家計簿から見ると「教育費コストを含めても、(夫の雇用保証が前提なら)特別な経済問題・貧困リスクのある世帯」ではない。

しかし、FP相談案件は本当に困っている主婦の人よりも、ちょっと余裕があるくらいの人の相談が多く、時に月50万円以上の夫婦のキャッシュフローと1000万円以上の投信・民間の年金商品など金融資産を複数持ちながら、「このままで大丈夫でしょうか?」というのは白白しくも、ちょっと自慢が入っている可能性がある。

○ネガティブな人生観・家族関係や虚無的な価値観を前提にすれば、「自殺志願者のその場限りの救助」は余計なお世話かもしれないが、その常識・建前を崩せば社会秩序の根本が揺らぐ。

乗客が告げた行き先は自殺多発場所、察して警察署に行った運転手に保護の感謝状 (毎日新聞 – 09月09日 19:17) http://mixi.at/aeFvekx

そもそも本気で自殺を決行できる人なら、わざわざ他人が関与してくるタクシーなど利用せず即座に絶命する飛び降り・飛び込み・首吊り・服毒などを選択しているはずなので、深夜にタクシー利用で自殺の名所に行く時点では「自殺企図の葛藤・迷い」があり死にきれない状態(生の側に戻り得る状態)にあったと解釈できる。

社会福祉やNPO・行政、心理的支援、家族・知人のバックアップなどもあるが、究極的には「人生の厳しさ・つらさ・虚しさをどう受け止めてどう行動するか」は本人次第になる部分は、どうしても否めない生の前提である。お金の問題もあるが、人生・自己存在をどのフレームワークで解釈するかで天国にもなれば地獄にもなる。

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仏教用語の「般若(パンニャー)」とは何か?、京アニ放火殺人事件の実名報道問題について

○「般若(はんにゃ)」の語源はサンスクリット語プラジュニャー(パンニャー)で、「悟りにつながる真実の智慧・真理」が原義だが、なぜこの言葉が日本に伝来して「鬼女のお面」になったのかの過程が不明というのは面白い。奈良の般若坊という面打ち技師が鬼女の面作りを得意にしていたらしい以上の伝承・由来は殆どない。

般若の一般的イメージは「おどろおどろしい鬼女の顔・面」に固定されてしまった観がある。だが般若心経でもおなじみの「完全かつ最高の智慧を完成」させるという意味を持つ「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)」は、大乗仏教の修行方法としてはかつては他の波羅蜜(彼岸到達の方法・最高の状態)よりも重視された。

彼岸に至るあるいは悟りのための「完全かつ最高の状態」を意味するのが、「波羅蜜(パーラミター)」である。大乗仏教・菩薩行の「六波羅蜜」として知られるが、「布施・持戒・忍辱・精進・禅定」を成立させるための前提的かつ完全的な智慧が「般若(後に空)」とされた。なぜそんなものが「鬼女の顔」と連結されたのか……

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ヴァニラの美容整形と現代人の見た目への執着、仏教説話の「火宅」と煩悩、女らしさに意味はないのか?など

○トラウマや見返しのための「非現実的な美」の追求は暴走しやすい。「最大多数を虜にする美・可愛さ」は人工的・意識的に造る事が難しく、「自然=図らい消去」が特に難しい。 — ヴァニラ「ブスが生きづらい日本」で感じてきた違和感、“全身2億円整形”を語る (週刊女性PRIME – 08月24日 11:00) http://mixi.at/adiqKHR

「美・可愛さ」は必死に生存のための肉体労働に追い掛け回されなくなった現代人の精神的貴族趣味にとってかなり大きな欲望対象になっていることは確かだが、「遺伝・骨格・年齢の所与の条件(ある種の分)を越えた非現実的な美の追求」はあるラインで自己満足しなければ、病的執着で自らを破滅させる恐れもあるので怖い。

「美・可愛さ」をナチュラルな姿かたち・言動・装いで他者に見せられる人というのもある種の才能・時機であって、「大枠における美・可愛いの階層性」はあっても、普通前後から上の美・可愛いにおいては「飽き・慣れ・加齢も含めた多様性のバリエーション」になるので、我一人のみで違うタイプの美・可愛いは所持できない。

その意味では、明らかに一般人から突出した美や可愛さを持つ人であっても、「異なるタイプの美貌・可愛さ・年齢層との間の主観的競合」においては、必ず誰かの前にどこかの時点で見劣りする(常に後続からも追われる)。その意味で、普遍的な誰からも認められる美・可愛いを追求すれば、精神は落ち着く所がない。

美と可愛さにとりつかれて美容整形を繰り返すのは、「誰の前にあっても自分の魅力を承認させたいという普遍的魅力を内在させたい不可能性への抗い」であり、もはや「見た目云々に留まらない自己愛・承認欲・トラウマ的な報復心の肥大」である。ただ納得のラインは天与の分・運も踏まえていないと精神的に苦悩するだけ。

見た目の問題で悩む若年層は増加して、男性でさえ20年前と比べて美容整形を受ける人が約7倍になったと言われるが、「細かい見た目にこだわれるだけの豊かな時代」の副作用か。ただ「適度な自己満足+自分を好んでくれる人の愛情・承認」くらいが並の人間の分・限度であって、常にもっとの比較競争を続ければ心を病む。

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川崎市無差別殺傷事件のような加害者に狙われたら終わり、「ミソジニー(女性嫌悪)」の概念の解説、ドラマ「白い巨塔」の感想など

○秋葉原無差別殺傷に相当する川崎市の無差別殺傷事件だが、容疑者の男は51歳にもなって、自分の不幸不遇・怨恨を自己処理できず、無抵抗な小学生に八つ当たりする精神性が卑劣かつ未熟である。

川崎・登戸殺傷 児童ら18人襲われ小6女児と男性死亡 確保の男も死亡 (毎日新聞 – 05月28日 08:46) http://mixi.at/a8wKsO8

この種の事件の恐ろしさは、犯人が最終的に自殺する覚悟で、自分よりも弱い子供を確実に殺傷しようとする悪意と計画性がある場合、どうやっても防御や対抗が難しいことだろう。保護者の外務省職員の男性が亡くなっているが、保護者でなくてもその場に居合わせたら、素手で何とか制止しようとして殺害されるリスクは低くない。

現代の先進国では犯罪者・粗暴者以外に日常的に武器を携帯している人はまずいないので、本気で人殺しをするつもりの狂人が、鋭利な刃渡りのある刃物で襲いかかってくると、有効な抑止力はほぼない。手近に鉄パイプや木材など長さのある武器が偶然落ちていればいいが、刃渡りのある包丁は一撃で出血性ショックで意識喪失する。

社会憎悪・疎外感や幸せそうに見える人への怨恨を抱えた潜在的な無差別殺傷の予備軍も多くいるだろうが、「他者の殺傷+自殺」と「自己の救済」を結びつけるテロリスト的な発想は、論理矛盾で本質的に何の解決も救いももたらさない。決定的に絶望して無実な子供・弱者を殺害しようという悪意が芽生えたら自決すべきだろう。

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AT車になって交通死亡事故が増加しているわけではない、高齢者になっても好かれるためのポイント、安価な合葬墓の増加に悩む寺など

○AT車がほぼ無かった1970年に交通事故死傷者の一次ピークがあり「98万1096人」が死傷、10万人当り「16.33人」が交通事故で死んだ。AT車ばかりの2017年は「2.91人」で交通死亡事故は激減している。

なぜ、AT車はブレーキの踏み違いが多発するのか。その対策を考える (HARBOR BUSINESS Online – 05月07日 08:40) http://mixi.at/a8bkbtF(05月07日)

高齢者の事故が多少増えているとしても、統計的には交通死亡事故は1970年代からほぼ一貫して減少トレンドにある。現在でも数字的には非高齢者の死亡事故が多く、AT車普及と道路整備によって逆に交通事故は減ったと解釈するのが正しい統計の見方だ。昔はネットがなく人権も低かったため、そこまで騒動にならなかった。

確かに、高齢者から免許を取り上げ、大型車のMT車率を高めれば、わずかに死亡事故は減少するかもしれないが、10万人当り2.91人の交通事故死亡率というのは、世界的に見ても低い水準で日本が特別に交通死亡事故の頻発地域という見方は正しくない。平和な時代、人権意識の高いネット社会で、他の話題が減った影響。

近未来においては、ヒューマンエラーをゼロにする全自動運転車、道路インフラのAIによるシステム管理が行われることになり、交通事故は限りなくゼロに近づくかもしれない。

現代人は、意識の上で事件事故が一件でも起こってはいけないというゼロリスク社会を実現したいと思っているので、最終的にシステム管理に移行しそう。

http://jafmate.jp/blog/news/180115_4.html

交通死亡事故の統計的推移の記事。70年は約6124人に1人が交通事故で死亡していた。それが17年は、約3万4364人に1人の割合となった。交通事故死する確率が5.6倍も低くなったということで、それだけ安全になった。

○現代では人(世間)から良く見られる「良し悪し」の価値が落ちて、自分の感性・感情に基づく「好き嫌い」の価値は上がったが、「好き嫌い」のみで順風満帆・平均以上を長期継続できる人はある種の天才でもある。

あなたは「良し悪し族」? それとも「好き嫌い族」? この違いが人生を左右する! http://mixi.at/a8aXvSx

○高齢になって家族に好かれる人と嫌われる人は確かに分かれる。好かれる典型的な父は「口は出さないが金は出す頼れて話せる親父」ではある。

66歳男性が風呂場で涙… 友人もいない老後を憂う相談者に鴻上尚史が指摘した、人間関係で絶対に言ってはいけない言葉 (AERA dot. – 05月06日 16:00)  http://mixi.at/a8a5Qo4(05月07日)

嫌われやすい高齢男性の典型的タイプは、中年期以降からの積み重ねも含め、「話題・行動・人間関係が自己中心的かつ他者否定的な人」になる。特に家族から嫌われる人は、DV・借金・不倫など問題があった人は当然だが「家族を貶める人・悪口や批判、自慢を言い続けた人(会話すると気分が悪くなるのイメージ)」だろう。

中高年男性は幸運や人に恵まれた人、家族や周囲に恩恵を与え続けてきた人を除けば、基本は孤独になりやすい。孤独を回避したければ「自分が寂しいから行動する」のではなく「自分を必要としてくれる人・場のために役立ちたい」がなければ難しい。高齢になると自分を認めたり心配したりしてほしい気持ちが前に出れば嫌われる。

ある程度の年齢になって家族から徹底的に嫌われていたら(目も合わせない・話もできないなら)、諦めて一人で楽しむ方向で模索し、時々の関係を前向きに楽しんだ方がいい。自分が良いと思う人に好かれることは不可能だが「自分を必要とする場所・人」は必ずあるので、自分の楽しみや承認を二の次にして貢献すれば人は寄る。

というより、66歳でハッと気づいて、改めて孤独や疎外に苦しむのは、人生観や人間関係の洞察・見通しに甘さがある。それまでの人生で家族やきょうだいに特に好かれているわけでもなく、自分がその人たちを笑顔にするために積極的に貢献してきてないなら、退職したからといって急に集まってきてワイワイ過ごすはずがない。

極論すれば、人は直接的にせよ間接的にせよ、何らかの魅力・メリット・楽しさ・恩義・負い目・運命などをその相手に感じていないと、自発的に中高年になってから近寄ってきてあれこれ世話を焼いたり機嫌を取って遊び相手になってくれるはずもない。そうしたいなら、そうしたい生き方を実践していなければならない。

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