「宗教・思想」カテゴリーアーカイブ

パリの新聞社『シャルリー・エブド』が、イスラム過激派に襲撃され12名死亡:人間中心と神中心の価値観の対立

世俗化した人権尊重の近代国家では『人命』の優先度は高いが、イスラム教圏ではテロ否定でも『神・信仰』が人命に優越すると信じる者は多い。人命より国家・神・共同体を優先する思想は前近代の主流だったとも言えるが、現代では『反欧米の宗教原理主義・過激主義』として言論や人命、自由主義を否定する活動が目立ち始めている。

パリの新聞社襲撃、12人死亡 イスラム教風刺で物議

イスラム教も含む前近代的な価値観(近代初期も含む価値観)の特徴は、『私は私・他人は他人』という個人主義の寛容な価値観(人それぞれ)を受け付けにくいということであり、国家(天皇)のために個人(国民)が生命を捨ててでも奉公する戦前の日本も例外ではなかった。

フランスのパリで、イスラムや宗教信仰を風刺する漫画などを掲載していた新聞社
『シャルリー・エブド』が襲撃されて記者ら12人が殺害されたが、逮捕されたシェリフ・クアシ(32)は、イスラム過激派の戦闘訓練・外国派遣を支援した容疑で実刑判決を受けていたという。

フランスのテロ支援に対する刑罰は思ったよりも軽いようである。聖戦(ジハード)と称する戦争・テロに戦闘員を派遣したり訓練したりしたシェリフ・クアシは、懲役3年の刑罰を受けただけですぐに出所しており、その後に今回の新聞社襲撃事件を計画実行することになった。

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セーレン・キルケゴールが解釈したキリスト教の希望と『死に至る病』:人間中心主義ではない神中心主義の信仰

キリスト教にせよイスラームにせよ、一神教の神というのは『根本的な存在・価値(意味)の原理』の根拠となるものである。

イスラム過激派やイスラム原理主義者は『アラーの名前・コーランの教義』の権威を流用することで、非ムスリムの欧米諸国が主導する『自由民主主義・人権思想の普遍性』をメタレベルで否定して、自らの民間人の殺戮や米兵(非ムスリムの侵入者)の拷問・処刑を正当化しようとする。

こういったテロリストやイスラム過激派の『侵略・殺害行為に対する宗教的な赦免や容認』は、イスラム法学者・指導者からも『異端的』なものとして非難され宗派から破門にされたりもしているが、イスラム国の兵士やテロリストの宗教観は『神中心のもの』という意味では一神教的な思考形態をトレースしているものである。

現代の世俗化された一神教においては、『人間のための宗教』として倫理的・人道的な規範が説かれるが、ローマ帝国衰退後のイスラームの海賊行為・勢力拡張や中世のキリスト教の侵略行為・虐殺が、神の名前の元に行われたように一神教の神が必ずしも人権や生命(特に異教徒の人権・生命)を尊重するかは確定的なことではない。

原理主義は建前として、一神教を『人間が自分たちの共同体や倫理観のために考え出した教え』とは考えないスタンスを取り、『神が人間を殺したり滅ぼしたりする可能性』を否定していない。厳密には、神の従僕である小さく弱き人間(有限の存在者)が『神(無限の存在)の為せる意思・行為』について禁忌・制限を与えることのほうが自己矛盾・教義違反であると考えるのである。

仮に、神は決して人間に対して悪いことをしない、神の教えを守っている人間の生命や自由に制限・危害を加えることなどない(逆に恩恵や奇跡を与えて助けてくれる)と定義するのであれば、『神は人間の意思・利害・前提に従う下位者(プログラムコード的な条件設定)』となってしまう。この現世利益の宗教観というか神の捉え方は、神社・仏閣に『~してください』とお願いする日本人にとっては不自然なものではない。

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ISIS・ISILの侵攻によるイラク内戦の激化:イスラム原理主義と独裁政治を牽制する欧米外交の矛盾点

イラクがイスラム国であり、国民の一定の割合が『欧米的な自由主義・男女同権社会・人権思想(=イスラムの伝統や慣習を解体する個人の平等な尊重)の反対者』である以上、反欧米・反民主化の勢力は尽きない。

緊迫のイラク情勢 いったい何が起こっているのか?

アメリカの対イラク・対シリアの外交の限界は、目先の軍事目標(独裁政権の転覆・イスラム過激派の抑圧)の達成のために、『価値観・信念の整合性がまるでない武装勢力』と暫時的に手を結んだり支援せざるを得ないということにある。結果、米国が支援していたフセインが人権抑圧の独裁政権を築いたような矛盾が生まれる。

アメリカは民主主義の価値を重視して、『選挙を伴わない独裁政権・軍政』を嫌って非難するが、中東では『独裁政権(軍政)がイスラム原理主義を押さえ込んでいる図式』が多く見られ、米国は『親米政権+世俗主義の体制+安定的な統治(部族政治の秩序維持)』であれば独裁政権でもお目こぼしをしてきた。

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人の有限性と宗教・価値判断・ライフスタイル:STAP細胞あるいは神の属性(無限永遠)よりの連想

小保方晴子ユニットリーダーのSTAP細胞の研究論文の不正が指摘されたり追試の不成功が報じられて、STAP細胞の実在そのものが危ぶまれているようだが、そもそもSTAP細胞がiPS細胞以上の魅惑的な相貌を帯びていたのは、小保方氏がやや大風呂敷を広げた形で『細胞・組織レベルの若返りという未来の可能性』に言及したこともあるだろう。

現代では若さの衰え・喪失を嫌う形で、アンチエイジングやセルフマネジメントに励む人が増える一方で、そういった努力を『自然法則に抗う無益な試み・浅ましい美や若さへの執念』として批判的に見る見方もある。だが、人間にとって『若さ・健康の喪失』と老いと病気が行き着く先の『不可避かつ宿命的な生物としての死』は、古代あるいは有史以前の穴居時代から『神頼み・呪術信仰』をしてでも乗り越えたいものであったのもまた確かなのである。

古代エジプト文明の権力者たちは、死後の世界からの『肉体を持った復活』を信じて、自らの遺体を防腐処理させた上でピラミッドに永久保存させようとしたし、古代中国を初めて統一した秦の始皇帝は、本気で世界の果てに当たる蓬莱・神仙の国に『不老長寿の薬』が存在すると信じて、巨額経費と人員を投じて徐福伝説に象徴されるような不老長寿の薬・仙術の探索隊を派遣し続けたという。

無知蒙昧な迷信まみれの古代人、私欲の深い権力者だから、『死後の復活・不老不死の方法』などという馬鹿げた夢想(死にたくない執着の夢)に取り付かれていただけで、啓蒙的理性が切り開いた文明社会・客観科学・進歩主義の中ではそういった不可能な夢想はもう消え去ったはずだと思うかもしれない。

だが、『宗教』という世界規模では9割以上の人を包摂する、人類に特異な信仰・信念・倫理性というものも『人間の死・有限性の想像力による克服』の結果であり、現在でもイスラム教やキリスト教の『最後の審判・死後の復活』といった教義を真剣に信じていて、俗世・現世の生活を『仮りそめのもの(来るべき神の世で審判される徳を積むためのもの)』と認識している人は少なくない。

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オウム真理教の平田信の裁判開始:風化していく地下鉄サリン事件の記憶とカルト宗教の脅威

宗教団体が一般市民を対象とする無差別テロを仕掛けた『地下鉄サリン事件』が起こったのは1995年3月、阪神淡路大震災が発生してから僅か2ヶ月後の大惨事だった。世紀末が近づきバブル崩壊後の不況に喘ぐ日本の世相を更に陰鬱なものとしたが、それだけではなく当時のマスメディアはお祭り騒ぎのようにオウム真理教の長時間の特集番組を組み続け、麻原彰晃逮捕の当日までメディアの多くの時間がオウム関連にジャックされているような異常な状況であった。

当時の僕は高校生だったが、連日のようにワイドショーや特番にオウム真理教の幹部が出演しており、上祐史浩広報部長や青山吉伸弁護士が『尊師(麻原)の無実』と『教団の安全性』を饒舌なまくしたてるような口調で訴えかけ続け、オウム糾弾の報道に対しては名誉毀損罪をはじめとする法的な措置を取ることを辞さない姿勢を示していた。

教団側がむしろ国家権力や米軍から弾圧されているという被害妄想を中心にした弁明だけではなく、オウム真理教の教義と目的、不気味な修行方法と霊感商法、麻原を頂点に置くヒエラルキー・幹部のホーリーネームや高学歴などがあまりに詳しく報道され過ぎ、オウム批判なのかオウム宣伝なのか分からなくなる有様であった。

最初はオウム真理教の名前くらいしか知らなかった人までが、教団の主要な幹部の顔・名前が識別できるようになったり、教団内の特殊な教義、女を使った勧誘法や麻原の煩悩まみれの生活ぶり(最終解脱者は何をやっても精神が汚れず欲望が逆に清めになるらしいがw)を知るようになったりした。上祐史浩にファンがついたりグッズが販売されたりなどの、事件・騒動に便乗した悪ふざけの動きも出たりしたが、こういった動きは海外の凶悪犯罪者や日本で英国人女性を殺した市橋達也の事件でも起こったりはした。

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安倍首相の靖国神社参拝と国家に対する絶対的忠誠の道徳2:平泉澄の皇国史観・天皇崇拝のイデオロギーと戦争責任の曖昧化

靖国神社には、戦争指導者・軍の幕僚として徴兵をしたり従軍の命令を出した者、召集令状(赤紙)で徴兵された者の双方が祀られているという矛盾もあるが、これは『国家のために死ぬ国民教育・価値観の誘導・同調圧力の形成』をしておきながら、国体のために戦死した人を肯定的に顕彰し続けるというマッチポンプの構造もある。

安倍首相の靖国神社参拝と国体・天皇に対する絶対的忠誠の道徳1:日本でなぜ本格的に近代史の授業がしづらいのか。

つまり、靖国神社の英霊崇拝の歴史的な仕組みの問題は、これから戦争で死ぬ国民を無くそうとする平和主義(不戦の意志)の目的で建立されたのではなく、むしろ戦争で死ぬ国民がこれからも持続的に生み出される(国体や天皇のために命を捧げるような忠義の国民を育成して生存よりも戦死の価値を強調する)ことが前提になっていたことにあるように思える。

靖国神社の宗教道徳的な働きには『戦没者の慰霊・鎮魂』と『国民の戦意発揚・滅私奉公』の二つの側面があるが、空爆・沖縄戦などで戦争の巻き添えになった一般庶民の死までは慰霊していないのであり、国民の命の犠牲・貢献を一般的に慰安する施設ではない。

戦時中の右翼思想(皇国史観)の最大の唱道者で、近衛文麿・東条英機のみならず昭和天皇に歴史講義までした東大教授の平泉澄(ひらいずみきよし)は、天皇絶対主義の『平泉史学』で当時の日本人の好戦的なマインドと空気を支配した人物として知られる。国家社会主義とも親和した右翼思想家の北一輝・大川周明よりも、天皇中心の国体の至高性を強く主張している点で平泉澄の歴史学やその講義・著作は特殊なものであった。

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