「思想哲学」カテゴリーアーカイブ

ダウン症の人は9割が主観的に幸せを感じているという調査:知能・情報・自我と主観的幸福度の歪な相関

自意識がシンプルで物事を概念化・数量化して比較しないダウン症・知的障害の人の主観的幸福度は高い傾向がある。一般に『高度に抽象化された自他の認識・価値判断』で考えすぎる人は苦悩するもの。

ダウン症の人、9割が「毎日幸せ」 厚労省が当事者調査

『考えるな、感じろ』『シンプルに感覚・欲求の知足で生きろ(具体的な目前の目標・楽しみに集中)』は、確かに主観的幸福度を高めるテクニックだが、主観と客観がどうのという概念操作の思考そのものが『なかなか複雑な頭・自我(理屈好き)の持ち主の証』みたいなもので一朝一夕に思考と感覚をシフトできるものでもない。

生きる姿勢や頭の使い方を変えること自体はできないわけではないが、知識・情報・思考はある種の精神的ドラッグ、見える世界と概念を広げる快楽もある。主観的幸福の対価をある程度支払ってでもそれを齧りたい『禁断の果実』の面もあるから、苦悩を超えてサバイブできれば『分かる人だけ分かる境地・妙味』もあるだろう。

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『一人ぼっち・結婚・友達・恥の文化』、他者(世間)が自分にどのように関わってきてどう受け止めるかという問題

日本における支配的な行為規範は長らく『世間体』によって規定されてきたが、世間体というのは地縁・血縁・学校・職場・昔馴染みなどの『共同体への帰属感の強度(断ち切り難いしがらみの強さ)』によって生み出されるものである。

独身者とひとりぼっちな人に世間は冷たい?

世間体や体裁(見栄)は『~くらいするのは当たり前である・だから~していないのは恥ずかしくて人様に顔向けできない』という『恥の文化』を生み出して、1990年代頃まで日本人のライフサイクルや社会通念・価値観をかなり画一化するだけの力を持っていた。

現代でも50代以上くらいの世代であれば、『人から笑われる軽く扱われる・人から馬鹿にされるのが恥ずかしいから』という世間体の同調圧力や価値観の均一化の影響力をかなり強く受けているはずだが、現代ではこの『世間体の実在性・影響力』は環境によってかなり薄れてきてはいる。

現代は個人主義と市場原理(自己責任)の時代であり、30代以下くらいの世代で一定の知性・洞察・配慮があれば、過半の人はその人がどのような状態にあっても『それぞれの生き方・好き嫌い・価値観・能力魅力・こだわり』などがあるという価値観やライフスタイルの多様性を前提として織り込んでいる。

『結婚していない・友達がいない』などの一人の状態にあるからといって『完全に決めつけた物言い』をする人は、よほど粗雑で乱暴な人(ある意味で現代人としての対人魅力や相手に合わせてもてなす話術に乏しい人)だけであり、それ以前に大半の人は共通の要因・時間がなければ、他者の詳細な個人情報や生活状況にほとんど関心がない。

若くて魅力的な人なら、知らない人から欲求や関心、話題を向けられることも多いだろうが、一定以上の年齢になって取り立てて目立つ特長・魅力がなければ、あまり親しくもない他者からあれこれ聞かれたり関係を深めたりするアプローチを受けることがなくなってくるのである。

逆説的だが、年齢を重ねて老いるほどに家族や親友以外の赤の他人が、自分のことに興味関心を持って助けてくれたり関わってくれなくなりやすいから、若くて特長・魅力があるうちに(その場の約束だけの人間関係よりは)縁が切れにくそうな結婚をしたり子供を作ったほうがいいという価値観もかなりポピュラーな人生方略である。

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ダニエル・カーネマンの行動経済学と幸せの理論:主観的幸福感・お金の相関、近代社会が見せるフォーカシング・イリュージョン

行動経済学者のダニエル・カーネマンはエイモス・トベルスキーと共に、人間は『利得』よりも『損失』に敏感に反応して、利得増加による快楽は損失拡大による苦痛よりも小さいことを『プロスペクト理論』によって明らかにしたことで知られる。プロスペクト理論は、人間の意思決定の基本原則が『損失回避(リスク回避)』の慎重さや現状維持にあることを示している。

利得も損失もその絶対値が小さいほうが『変化に対する敏感さ』が高まる。100万円の収入が300万円に増収する変化に対して、人はかなり大きな利得増加の快楽を感じるが、1100万円が1300万円に増収してもその快楽量は前者より小さくなってしまうということである。1億円が1億200万円ならその増収に対する快楽量の増大は相当に小さなものとなる。

損失拡大についても10万円の損失が50万円に増大すれば、人はかなり敏感に苦痛を感じるが、損失・負債の絶対値が1000万円や1億円にまでなるとそこで数十万円の損失が加わってもほとんど感じている苦痛(悲観)は変わらないのである。

人間は基本的に損失回避(リスク回避)の意思決定をするが、『一定の損失』に対してはまっとうな方法(給料・貯金からの補填など)で損失を回復しようとするが、リスク投資やギャンブルなどで『許容範囲を超える損失』を負った場合には、損失回避(リスク回避)のための追加的ギャンブルに踏み切る人が増えてきて、損失(借金)が雪だるま式に膨らみ破綻したり横領など犯罪に逸脱する事例さえも出てくる。

損失が大きくなればなるほど、人は正常な確率に基づく統計的判断ができなくなる傾向があり、投資金額(賭け金)を大きくしてこれさえ上手くいけば今までの損失が全てなくなるという『一発逆転の損失回避・損失補填』を狙い始めるが、最終的には元金を準備できなくなり八方塞がりになるのである。

プロスペクト理論では、確率加重関数という概念で人間の知性が『主観的確率と客観的確率の区別』がほとんどできないことを示している。

つまり、人間は宝くじのように客観的確率が低いがリターンの大きな状態に対して『もしかしたら自分に当たるかも』と主観的に過大評価してしまうが、逆に50%や30%で成功するような客観的確率が高いがリターンの小さな状態に対して『もしかしたら自分は外れて損をするかも』と主観的に過小評価してしまうのである。

5個の玉の中に1個の当たりが入っている当選確率20%の1回1000円の回転くじで、当たれば3000円を貰えるという確率的にはまずまずな条件に対して、かなりの割合の人は『もしかしたら自分は外れて損をするかもしれないからやめておこう(あるいはどうせ当たりっこないから損するだけで馬鹿らしい)』と思いやすい。

だが数十万~数百万分の1の確率で当たる1枚1000円のロトくじのような極めて当選確率が低いくじでも(統計的には絶対に当たらないといっても良い無視して構わない確率でも)、当選金10億円以上というようにリターンを大きくすると、『もしかしたら自分に当たるかもしれないから一枚買ってみよう』となりやすいのである。

リターンを大きくすれば、人間の客観的確率の認識能力は簡単に狂ってしまうことがあり、損失が積み重なってくると更に客観的確率の認識は狂って、主観的確率で『都合の良い楽観的な当たりやすさ』に置き換えられてしまう。

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高齢者の過失の交通死亡事故でなぜ激しいヘイトが生まれやすいのか?:超高齢化・ゼロリスク化・少子化の社会で老人が叩かれるリスク

■「本当に悔しい」遺族悲しみに暮れる 立川の車暴走

現在の交通事故の死亡者は年間4000人台で推移しており、『交通戦争』と言われた昭和40~50年代の10000人を大きく超えていた交通事故死者からすると50%以上は減少しているが、『人権意識・ネット環境(不特定多数の感想)・日常からの死の消失・共同体感覚の衰退』によって交通事故死(それ以外の殺傷事件など他者から受ける各種の被害)の主観的な深刻度は高まっている。

平均寿命が延びた超高齢化社会さらには素人の経験知(かつての村社会で役立った長老の知恵)が役立ちにくい情報化社会では、高齢者を尊重する敬老精神は一般に低下していき、『若さ・美しさ・健康・理性の至上主義』とでもいうべきエイジ・ハラスメントを内包する無意識の優生思想が人々に宿ってしまう。高齢者や老い、認知症は自分自身もそうなりたくない(若さ・美しさ・健康・理性などを喪失したくない)と思う好ましくない観念になりやすい。

それだけでなく、核家族化・少子化・離婚や家族不和によって『祖父母以上の世代の高齢者から可愛がられたり甘えられたりした幼少期の交流・記憶』が乏しくもなるので、『おじいちゃん・おばあちゃんのイメージに対する愛着や寛容』も衰えていく。

自分自身のおじいちゃん・おばあちゃんに対する愛着や思い出がなければ寛容さもなくなりやすく、『誰もが高齢者になるという現実(心身機能の段階的あるいは突然の低下・喪失)』に対するイマジネーションも働かず、心神喪失者の問題と同じように『結果だけに着目した自己責任論(どんな事情・過失・状態であろうが人を殺す結果になったなら人殺しとして徹底的に罵倒しても良い,老いて衰えたからなんだっていうのか、こっちもさまざまな事情や困難に耐えて頑張っているんだ)』に傾きやすい。

マナーやルールを守らない、頑固で偏屈な性格、貧困や事故・犯罪の報道、社会保障問題で財政悪化や増税の原因など『好ましくない印象のモデルの高齢者』が内面化しやすくなり、余計に高齢者に対する潜在的な印象は悪化の一方をたどる。

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セクハラやパワハラ、モラハラが増加する『現代のハラスメント社会』をどう生きていくべきか?

ハラスメントには『他者の過度な侵入感・支配性』がある。男のセクハラには、拒絶を恐れて冗談の防衛線を張った『間接の性的関心・誘惑・評価』が含まれ、それが性的嫌がらせや侵入感になりやすい。

「セクハラ発言が許容される社会へのモヤモヤ」詩人・文月悠光が語る、女性の生きづらさとは

セクハラは『見る性・見られる性』『社会経済的な力関係・ポジション』『性別役割規範のジェンダー』の男女の非対称性によって生み出されやすい。近年は男性も『外見・性的魅力の目線や評価』に晒され愚痴や不満は増えている。男でも女でも『他者から不躾に品定めされるような目線・言葉』を受ける事は一般に不快である。

しかし厳密にはセクハラにおいて『男女の平等なポジションや被害感』は成り立ちにくい。『男性・女性のセクシャリティ』の差異は、男性側の性的欲望・視覚刺激(女性の身体性への幻想)の強さによって規定され、『女性身体=性的なオブジェクト』のように男性身体をまなざしてあれこれ品評する女性はどうしても少ない。

確かに、女性にも男の身体性について『胸・腕・尻の筋肉が好き,全身のフィギュアや顔立ち(目・鼻・口)が好き,性の好きなムードや感覚』はあるかもしれないが、男性のような女性身体(胸・口腔・性器等)に対する執拗な視覚・言葉のフェチシズムには到底及ばず、女性でさえ女性身体にエロスを感じる人が多いといわれる。

セクハラの根源には、遺伝・形態・生理も含んだ『男と女の差異』が横たわるが、社会的・表面的には『理性・知識・配慮』での抑制が可能である。だが性的にまなざして欲望して比較する内面自体に、一定の侵入性・暴力性が潜在し、それを表現・伝達・干渉した時に、受け取る相手によってはセクハラや性暴力になる。

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AI・ロボットの進歩は『正社員減少』だけではなく『労働以外の人の価値・生きがい』を浮き彫りにする

アメリカの発明家レイ・カーツワイルが、2045年にはAI(人工知能)とロボットが人間の知能を遥かに凌駕して自律的に人間の手を借りず学習・業務ができるようになる『シンギュラリティ(技術的特異点)』に到達するという神話的予言をしてから、AI関連の話題や書籍が急速に増えている。

SFの小説や映画ではAI・ロボットの究極の理想は、人間とほぼ同じ外観・機能を持ち、人間を遥かに超えた知能・肉体の能力を持ちながらも人間の思い通りに動いてくれるお馴染みのサーバント(奴隷)型の『ヒューマノイド』の作製にある。だが、完全なヒト型のヒューマノイド作製は技術的・原理的なハードルが非常に高く、現実的には『何らかの役割・目的に特化したプログラム+仕事に合わせてオーダメイドする非汎用型ロボット』になるだろう。

AI・ロボットのもう一つの理想とされるものは『産業ロボット・サービスロボット・自動化システム』の高度な進歩によって、人間社会や産業活動を自動的・効率的・計画的に運用したり対人コミュニケーション(合わない相手との対面)のストレスを最小化したり、監視カメラやセンサーなどの環境調整システムを社会・機械(車・建物など)に織り込むことで『完全法執行システム(違法行為やマナー違反をあらかじめ検知可能にして原理的に人が悪事をほとんどできなくなる仕組みの実用化)』を構築することである。

この理想はヒューマノイド以上に既存の人間の自由や尊厳を損なうものであるが、現代においてさえも『アルコールの息を検知したらエンジンをかからないようにしろ・どこで犯罪が起きてもその場面を撮影して後で犯人を特定できるように監視カメラを網羅的に設置せよ(更に全国民のDNA・指紋・虹彩などの生体データ提出を義務化して犯罪ゼロを目指せ)・列車の飛び込み自殺できないようなホームドアを完全敷設せよ』などの環境管理による秩序維持の意見は多い。

『個人がどのようにしても社会や他人が好ましく思わない犯罪・マナー違反をあらかじめ環境制御システムによって押さえ込むべき』とする考え方は、AI・ロボットが進歩する社会と親和的なものであり、心を持つ人間に監視されることに不快感や怒りを感じる人はいても、無機的な監視カメラやセンサーに監視されることなら許せるという人は多いのである。

心と人間関係(コネ)を持たず利権・感情に揺り動かされないAI・ロボットが監視・法執行をするのであれば、かなりの部分の人間は犯罪者・マナー違反者をあらかじめ検知して抑制や警告、排除をしていく『AI・ロボットの秩序維持システム』を歓迎する可能性は小さくはなさそうな気がする。

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