『イスラム教』と『IS(イスラム国)の過激派勢力』は異なり、ISに参加していないムスリムは危険なテロリストでも武装勢力でもないというのは常識的な認識として日本人も持っておく必要がある。
IS(イスラム国)と無関係な在日の一般ムスリムに、悪意や復讐心に基づく差別・迫害・嫌がらせを行うことは犯罪・迷惑行為であり、自らの認識の間違いや人間性の愚劣さをあらわにすることに他ならない。
一方で、後藤健二さんと湯浅遥菜さんは『民間の日本人』であって、『安倍政権(日本政府)の対ISの外交政策・テロ対策の代弁者』ではないのだが、IS(イスラム国)は後藤さんと湯浅さんが『日本政府の方針や資金支援に反対する個人』であったとしても容赦なく殺害しただろう。
ここに、排他的(対話不能)なナショナリズムや宗教原理主義に接続しやすい『国家と宗教への帰属を決め付ける人間心性』や『相手の帰属情報だけで自分たちの敵だと決め付ける対話拒絶』の恐ろしさがあると見なければならない。
人口3億人を擁するアメリカ、人口1億3千万人の日本には、『アメリカ人』や『日本人』という大雑把過ぎる国籍のカテゴリーだけでは括れない多種多様な思想信条・価値観・ライフスタイル・人間関係・国際感覚を持った人たちがごった混ぜになっていて、すべてのアメリカ人(日本人)が『政府・権力者の賛同者』であるわけではなく、政権を支持していても内政・経済と外交・軍事では意見が分かれることも多いだろう。
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日本の民俗学の巨人といえば柳田国男(やなぎだくにお,1875-1962)と折口信夫(おりくちしのぶ,1887-1953)になるが、折口信夫の『古代研究』は記紀時代の日本人の精神・文化の起源が、現在あるべき日本人の精神・文化・価値を規定するという『規範的な伝統主義』に立脚していた。
柳田国男は言うまでもなく、天皇制国家を日本の普遍的かつ歴史的な常態とする『皇国史観』の民俗学的・文献学的な基礎を、物語的説得力の中に確立した国学の思想家である。柳田も折口も江戸期からの国学の時間的な流れの上では、記紀を根拠に『神国日本(神道の自然的な現れ)』を掲げた本居宣長(もとおりのりなが)の思想の継承者でもある。
本居宣長は『天皇の種(血統)』こそが、神国日本の本体(国体)であるというラディカルな貴種崇拝原理を信奉したが、この基本的な国家観は近代日本の戦争期において『国体=天皇制国家(天皇の血筋こそ日本の本体)』へと結実することになった。
折口信夫はアジア太平洋戦争における東南アジアや太平洋の島々への軍事的な南方進出を、記紀の『国生み』に喩えるなどして八紘一宇の戦争に協力的・肯定的な思想家でもあったが、柳田に薫陶を受けた折口の日本起源論では太古の時代に日本本土から南海に分離されたとする『沖縄』こそが『日本の原郷』であった。日本人の原初的な領域・生態を沖縄県(旧琉球)周辺に求める南島イデオロギーのロマンスに突き動かされた。
日本軍の軍事的な南方進出は、折口信夫にとっては記紀の神話伝説の再現であり、日本の原郷である沖縄県から更に南へと『本来の日本の原初的領域』を回復する運動として太平洋戦争は捉えられていた。あたかも小中華思想のごとく、日本の原郷・原風景が沖縄県よりも更に南へと無限延長し得るという世界観がそこにはあった。
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アイボや赤ちゃんロボなど心理的ケアをするロボットの潜在需要は極めて高いが、現状の人工知能では『心のないロボットの前提』が強固であり、ロボットが会話の相手をしてくれても感情的満足度にすぐに限界がくる。
逆にそこまでAIが進歩すれば、人が必死に他者(恋人・家族・親友など)を求める動機づけが落ちて、楽な方向でロボットとの関係を求めるようになり(ヒト型ヒューマノイドの身体構造の完成度にもよるが)、人類は激減するだろう。
お世話して癒やし効果を=高齢者向け「赤ちゃんロボ」―中京大
ロボットや人工知能(AI)に『心』を持たせられるかの問いは、技術的な問題にも見えるが哲学的・存在論的な深い問いを孕んでいる。ロボットに心がないのは『自我・生存と複製の欲・主体性・自分の問題』がないからだが、ロボットは『人間のために作られた存在』であり『自分のために何かをする遺伝子』を持たない。
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近代化とは『唯物論・科学主義の世界観』を前提とする時代の革命的変化で、前近代の宗教霊魂・怪物など全て『無知・迷信』として退けたが、『目に見えない霊的・価値的な真理』を求める人間の本性は消えない。
フランス・パリの新聞社『シャルリー・エブド』がイスラム過激派を含むグループに襲撃されたが、この事件も『目に見えないものを想像の産物として軽視する近代社会』との深刻な価値対立に根ざしているものである。
アラーやムハンマドの風刺は、キリスト教が十分に世俗化してパロディにしても許されるヨーロッパ社会では 、『多様な風刺コンテンツの一つ』に過ぎないが、そのロジックはイスラム教や生活様式が十分に世俗化・近代化していないイスラム圏にはほとんど通用しない一人よがりなものでもある。
ローマ法王「信仰の侮辱」戒める 仏新聞社襲撃
近代人は『唯物論・科学主義』を真理とする法的・社会的秩序の世界で生きているため、『目に見えないものの価値の信奉』によって『人命・自由』を侵害しても良いとする原理主義を深く理解しにくい。宗教も幽霊も怪物も消費されるコンテンツの一つとなり、『全ての出来事を妖怪のせい』にする妖怪ウォッチ的なフィクションである。
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世俗化した人権尊重の近代国家では『人命』の優先度は高いが、イスラム教圏ではテロ否定でも『神・信仰』が人命に優越すると信じる者は多い。人命より国家・神・共同体を優先する思想は前近代の主流だったとも言えるが、現代では『反欧米の宗教原理主義・過激主義』として言論や人命、自由主義を否定する活動が目立ち始めている。
パリの新聞社襲撃、12人死亡 イスラム教風刺で物議
イスラム教も含む前近代的な価値観(近代初期も含む価値観)の特徴は、『私は私・他人は他人』という個人主義の寛容な価値観(人それぞれ)を受け付けにくいということであり、国家(天皇)のために個人(国民)が生命を捨ててでも奉公する戦前の日本も例外ではなかった。
フランスのパリで、イスラムや宗教信仰を風刺する漫画などを掲載していた新聞社
『シャルリー・エブド』が襲撃されて記者ら12人が殺害されたが、逮捕されたシェリフ・クアシ(32)は、イスラム過激派の戦闘訓練・外国派遣を支援した容疑で実刑判決を受けていたという。
フランスのテロ支援に対する刑罰は思ったよりも軽いようである。聖戦(ジハード)と称する戦争・テロに戦闘員を派遣したり訓練したりしたシェリフ・クアシは、懲役3年の刑罰を受けただけですぐに出所しており、その後に今回の新聞社襲撃事件を計画実行することになった。
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インドも男尊女卑・男権社会からの過渡期にあるが、『男性の社会的・性的な優位』を脅かす教育された自意識の強い女性(男性を評価する女性)の増加に対する恐怖が、集団レイプのような蛮行の根底にある。
日本人女性を監禁し強姦 容疑の5人逮捕 インド
女性に教育や職能を与えると、男性に従わなくなるから(男性優位の社会秩序が崩れるから)という理由で、『女性の教育機会・女性の高学歴化』を宗教的・社会的な悪と決めつけ、殺害・拉致のテロリズムを断行するナイジェリアのボコ・ハラムのようなテロ組織もある。日本でも男女平等に反対の保守主義の価値観は少なくない。
実際、『男性の暴力・戦争やテロ』を禁圧した男女同権化・平和主義化が進めば、先進国のように『女性原理』が次第に優位となり、過去と逆転して男性のほうが元気がなくなりやすい傾向(性的にも男性が選ばれる立場に)はある。それだけ男性的な力の源泉に、暴力・威圧・強制の要素が歴史的にあったという反証でもあるか。
女性・子供を暴力で脅して隷属させる、先進国から見て異常で粗暴なイスラム国の手法は、『野生の暴力的な男性原理』とでもいうべきもの。イスラム国は『反欧米・反近代的価値のテロ集団』だが、近代社会で尊重され守られてきた女性・子供の権利を蹂躙することで、欧米が主導してきた世界標準を暴力で愚弄して無効化を狙う。
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