自由で豊かな人間は自らの有限の運命・能力を否定しようとして『逃走の欲求』を抱き、倦怠・怠惰に陥りやすくなるが、それでも人間存在(動物としての人間)を根底的に束縛している自然法則や生存本能や摂理・運命といっても良い『契約』を破棄することはできない。
確かに、自殺を選んでしまう人(身体的精神的な苦痛に打ち負かされる人)もいるが、自殺は『自意識を持った人間に科せられた契約』への回答にはならず、自意識や認識世界そのものも消滅させてしまう『ルール自体の違反』であり、私が私であるという自意識の元で『生の持つ意味・価値』の葛藤を解消することとは何の関係もない。
この世界に生み出されて投企された人間は、いくら自由で豊かになろうとも、『否定したはずの運命』に本能・自然・有限性・倦怠(実存的疲労)によって再び捕捉される運命の下にある。
無限性の神を科学と理性で否定したからといって、人間が傲慢にも無限性を帯びるわけではないというレヴィナスの洞察があるわけだが、レヴィナスは人間の人生は倦怠や疲労を感じていても、自分には生きるのが億劫でつらいといっていても、それでも幸福であることに変わりがないと断言する。
享受とは仏教的な『知足』と言い換えても良いが、自分が太陽光を始原とするエネルギーを享受すること、自分と自分以外の他者の労働・行為などを享受して生きていること、何もしなくてだらけていても何もしない状態を享受していることそのものが、何ものも享受できなくなる強制的な生の終了よりは幸福だと合理的に考えられるからである。
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平和で豊かな現代社会において『生きづらさ・生きる大変さ』を訴える人は多いが、その事に対して『貧しくて自由のない昔の時代のほうがもっと大変だった・世界にはもっと悲惨で貧困な地域が多くある』という反論が出される事も多い。
実存哲学の系譜につらなるユダヤ人のエマニュエル・レヴィナス(1906-1995)は、この第二次世界大戦後の先進国の人間が陥りやすい精神的危機を表現して、『逃走の欲求』と『無数の人生の欲求』という二つの概念を提起した。
自由な人間によって構成される物質的な豊かさと情報的な娯楽で溢れた現代社会は、過去に死んだ人間が甦れば、その外観は(社会適応・稼得能力や資産などの問題はあるが)概ねユートピアの様相を呈している。
だがレヴィナスは飢餓や束縛、運命による強制的な死(不自由)の鎖から解き放たれた人間は、『倦怠・怠惰・疲労』という実存の三重苦と戦わなければならなくなったという。必死に働いたり動いたり考えているから疲れているのではない、何もしなくても初めから疲れている、存在そのものに倦怠するのが現代人という独特の発想である。
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現代では統計的な凶悪犯罪や自動車事故の発生件数が減っても、『体感治安(危険実感)』は高いレベルで推移しており、相対的に安定した仕事をして豊かな暮らしをしている人でさえも『将来不安(今上手くいっていてもどこかで大きな困難に直面するのではないかとの不安)』が尽きること無く高まっているような状況である。
日本列島には約1億3千万人もの日本人が生活しているが、人口が少なかった時代よりも他者との直接的な助け合いや心配・配慮が行われにくくなり、大多数の人は孤独感・疎外感を感じて他者を信じなくなり、家族をはじめとする近親者と国家の提供する福祉制度、企業が与えてくれる給与・保障以外には『頼るべきもの(生きる術+心の支え)』を持ちづらくなっている。
大半の人は、企業からの安定した雇用(キャリア)や給与を失って、国家・行政の提供する社会福祉・公的年金のセーフティネットからこぼれ落ちればアウトであり、プライベートな人的ネットワークやコミュニティの相互扶助によって『国家・経済以外のセーフティネット』を自前で構築しているという人は極めて少ないし、都市部では特異な宗教団体でもない限り、そういったコミュニティを結成することは困難だ。
その意味において、一部の村落共同体のような地域を除いて、日本の都市部において『社会(中間集団の市民社会・互助の連携)』は死に瀕してしまったといえるが、バラバラの個人が自己責任のもとに金銭を稼いで保障を手に入れ、得たモノに対する『排他的な独占』を主張して守りに入るというライフスタイルにとっては、基本的に他者を受け容れる余地が極めて乏しい。
近代社会は、村落単位の農業のような共同的労働ではなく、各個人の学歴・職歴・資格・技能などに応じて個別の所得や処遇が決定される働き方であるため、同じような場で働いているからといって農業のような『共同的労働の連帯感・仲間意識』といったものは生じにくく、(自分の力で勝ち取ったと感じる)報酬に対する独占意識は極めて強い。
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親の学歴・収入が高いほうが子供の学力(学習成績)が高いという相関関係は、『教育格差の世代間連鎖』や『格差固定(階層分化)の要因』として取り上げられることが多く、そういったことから生まれた家庭・親が悪ければ努力しても無駄だという極論にも行きやすい。
「親の年収が高い子どもの学力は高い」と調査結果、これはどう考えたらいい?
だが、教育格差の根本的な原因は『子供に対する学習の動機づけ・親も一緒に学ぶ姿勢』や『学習環境や対話環境の整備・科学や教養の世界への自然な導入』にあり、教科の成績のみに関して言えば、必ずしもお金があれば塾・学校・家庭教師などに多額の教育投資をできるから有利だという話ではない。
学歴・収入が高いほうがより多くの教育投資をしやすいから学力の格差が開くのではなく、『人生における勉強や教養の必要性・有効性・面白さの認識のレベル』が高い人が高学歴者・高所得者には相対的に多いため、小さな頃から子供の学習・知的好奇心の動機づけが自然に高められやすいという有利さがある。
それは、単純に遊ばずに勉強しろとガミガミうるさいだけの親というわけではない、それぞれの年代に見合った『学ぶことの面白さ・問題を解ける楽しさ・幅広い分野の知識を増やしていく好奇心』を普段の何気ない会話や家に置いてある本(読み聞かせする本)などから伝えられる親ということであり、学者の子供が同じ分野の学者になりやすい世代間連鎖の要因なども、『家庭環境における親との会話内容や家にある本のゆるやかな専門性』に影響されているとも言われる。
続きを読む 教育格差(学力格差)と親の学歴・収入との相関による格差の世代間継承問題:どんな家庭環境や親の態度が子の学力を伸ばすか。 →
29歳の中学校教師が運転する軽自動車が、10日午前6時55分ごろ、静岡県沼津市松長の県道交差点で中央線を越えて小学校4年と5年の男子児童2人をはねて、小学校5年生の男児が死亡したという自動車事故。
2児はねられ小5死亡 運転の中学教諭、過失致死傷容疑
子供が犠牲になる自動車事故はより一層の悲しみや理不尽を感じやすく、当事者以外にも共感・同情されやすい。また、死亡事故を起こした加害者への怒り・不満・処罰感情が集中しやすく、インターネットでは交通死亡事故や無謀運転の結果の事故を引き起こした加害者には痛烈な道徳的非難や人格否定のコメントが叩きつけられることになる。
一方で、意識や認知、能力、健康状態が不完全な人間が運転する車は、どれだけ注意していても死亡事故の刑罰を引き上げても、確率論的に交通事故を起こすという側面を否定できず、重大事故や死亡事故を起こした加害者にしても事故を起こしたくて起こしたという人はほとんどいない。事故後にどれだけ激しく罵倒されたり誹謗中傷されても、それによって現状以上に交通事故件数や交通事故死者数が大きく減る可能性は低いだろう。
高度経済成長期に毎年約1万5千人以上の交通事故死者を出した『交通戦争』と呼ばれた1960~1970年代の時代から比較すれば、交通マナーの向上や飲酒運転・危険運転の厳罰化が為され、人命を奪い人生を狂わせる自動車事故の恐ろしさの啓蒙が進んだ現代は、かつてよりも交通事故で死ににくい時代(認知症者なども含む高齢者がひかれる事故件数は増加しているが)になってはいる。
続きを読む 静岡県沼津市の小学生男児の交通死亡事故:理不尽な事件・事故のゼロ化への欲望の向かうところ。 →
人間にとって非野生の人工飼育(直接間接の管理)する動物は、『家畜(食肉・皮革・労働力などとして利用する動物)』か『ペット(観賞・愛玩のために利用したり品種改良したりする動物)』かにならざるを得ず、人間が野生動物と共存共栄できる生態的領域は非常に狭い。
わずかでも人間の農業・牧畜・開発・安全とのバランスを崩せば、野生動物は駆除・駆逐される過酷な運命に晒されてきたし、適切な駆除(頭数管理)ができない野生動物の繁殖・増加は、文明社会に生きる人間にとって様々な脅威や危険、被害をもたらす。
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現代日本においても、山間部でニホンザルやエゾシカ、イノシシが急増して田畑を踏みあらす被害が増加していて、地元の人たちは頭数管理の必要性を認識して求めているが、猟友会の衰退・高齢化や人員不足、動物保護条例などによって野生動物と共生可能な狩猟・駆除は困難になっており、次第に人が住める領域は狭くなっている。
現代に至って、人間は動物愛護精神や環境保護思想を発達させて、『人為・人工に対する自然・環境の優位と保護』を訴えるだけではなく、動物にも人間に近い権利を認めるべきだ(死・苦痛・恐怖を回避する権利や人間に近い心理が動物にもある)とする『動物の権利(アニマル・ライツ)』の思想が説得力を持つようになってきている。
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