○若者が参政権を行使すれば社会が変わるかという問題以前に、政治・経済の知識があっても『社会を変えるべき自己利益以外の方向性』は誰も分からないかも。
高校生の6割「自分ががんばっても社会を変えることはできない」 若年層の低い投票率、背景には無力感か (http://mixi.at/agqxdit,10月18日)
単純に、若者が選挙に行くことによって、『現在の選挙予測の大勢』が覆されるというのであれば、若者が行かなければ大勝するであろう自民党や安部政権が大敗すれば日本や若者の生活が良くなることになるが、若者も保守支持なら結果は一緒。もしくは若者が選挙に行けば若者に有利な税源からの利益配分がある等の意見はある。
若者の投票率がある程度高くなったとしても、増大する高齢者人口を支える今後の負担が半分になるほどの劇的な恩恵までは期待できない。政治が高齢者福祉を切り捨てる選択はできないだろう。教育支援はあっても、直接給付の恩恵は、最低でも70歳までは望めず、若者が政治と税源で救済されるビジョンはぼやけている。
現代人の多くは、階層や郷土のコミュニティーに深く根差さなくなり、若者ほど個人を越えた『我々意識』を持てなくなっているのが投票率低下の最大の原因だ。政治家の選挙による選出の価値は『我々の利害と主張の代弁者・代表者』を国政に送り込むことだが、今は大半の人が、政治家を我々の代表とは感じられず他人になった。
選挙の歴史的な熱狂と人が死ぬほどの狂乱は、フランス革命の第三身分に象徴されるように、王侯貴族に一方的に支配されていた庶民が『我々の代表者』を選出し、政治に影響を及ぼす興奮だった。選挙で選ばれた我々の代表たる代議士が、議会で上級貴族や聖職者の議員を議論でやり込め、特権を剥奪したが、議決は命懸けだった。
議会に軍隊の暴力とギロチンの処刑が持ち込まれかねない『権力と権益の再分配の議決』が、西欧発の近代民主主義の原点だが、伝統的な王権と領主権、教会が憲法・議会の権威下に置かれた時、我々の代表者たる議員を選ぶ熱狂は鎮静化した。現代の選挙の難しさは形骸化した組織票以外に、我々の代表を押す気持ちがないことだ。