「家族」カテゴリーアーカイブ

子供のスマホ利用にルールは必要か?:未来のウェブ社会を犯罪に巻き込まれず自由に生きられる教育を。

子どもスマホ、9割ルール必要=犯罪被害防止、アプリ制限で対策―警視庁アンケート

インターネットは大人でも面白くて便利なツールで、ついつい時間を忘れてのめり込みやすい。無限のコンテンツとサービスが溢れており、コミュニケーションとビジネスの機会も数限りなくある、リアルとも連結できる『もう一つの世界』としての魅力がある。

そのもう一つの世界であるインターネットは、使い方次第で毒にも薬にもなるわけだが、判断能力が未熟な子供には『一定の親の管理と確認・ルール設定』が必要になるとは思う。

非難されることが多い『広義の出会い系(SNSからの出会いも含め)』にしても、現代ではインターネット経由の出会いから恋愛・結婚に進展する人が無視できない割合になっていて、インターネットで何らかの接点・話すきっかけができるというのはそれほど珍しい出会い方ではなくなっている。

更に、ネットやアプリが関係するビジネスが生み出している雇用や技術も多い。リアルとネットは厳然と区別する事はできない。ネットの自己表現や対話がまったくゼロで良いという人も少なく、現代では大多数の人がネット経由の人間関係も欠かすことのできないものになっているだろう。

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日本は独身男性の生きづらさがあるのか?男性が癒される女性性と「楽しく話せる異性」の必要性

男性は機嫌が良い時の女性に心身両面で癒される。結婚すればそれがその女性の最も魅力的な部分かは分からないが『その女性の本性』に触れる事ができ、関係の持続性は担保される。

結婚できない男性は「不幸」になる? 日本は独身男性が「生きづらい国」なのか

男性の幸福と不幸の基準は、その生き方と所属(周囲)、価値観によって個人差が大きい。結婚できなくて不幸な人は『多数派と調和する無難な生き方・周囲の大半が結婚する集団・結婚や子の周りの圧力・孤独感の強さ・家庭を築き子孫を残すべき価値観・個人的な目標や活動の乏しさ』のいずれかに該当しやすい。

女性との関係性の部分では、肉体関係の欲求については長期恋愛でも結婚でも大半は相当に少なくなるが、精神的な充足感と関係するのは『話せる相手・一緒に出かけられる相手』がいるか否かで、死ぬまでそういう異性に事欠かないなら結婚しなくても精神的な不遇感・疎外感は弱いだろう。

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“できちゃった結婚”を良いと思うか悪いと思うか?:計画性と意思の強さ・けじめの重視

『結婚と出産の倫理的順序』が残る日本・韓国などの地域は離婚率も低いが未婚化・少子化も進んでいるから、“できちゃった結婚”を認めなかったり倫理的に批判したりすることにも一長一短がある。

でき婚を否定する人の理由は、『できなければ結婚しなかった可能性・非自発的で消極的選択に過ぎない(本気で初めから相手と結婚しようという計画や覚悟がなく仕方なく結婚しているように見える)』などだと思われるが、先進国では積極的選択の早婚というのは減少傾向が続いている。

初めから交際の先に計画的な結婚を見据えている人が減っているということであり、現代では本気で結婚したい人の場合(出産可能年齢などの問題を意識しはじめた人の場合)には、恋愛をする前の段階で『結婚するつもりの有無』を相手にしっかり確認したほうが良いのかもしれない。

めでたい? それとも……「できちゃった婚」について、男の本音をズバリ聞いてみた!

反対派の理想の結婚というのは、本人が好きな相手と結婚したいと思い自発的・積極的にする、子供を持つ時は事前に計画を立て入籍して仕事も調整してから妊娠するというものだろう。

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動物虐待をする子供の心理:親の育て方や動物への接し方による子供の情操教育

動物虐待は『生命(人生)の価値の懐疑』とセットになった反社会性だが、自分が愛情や共感を受けてこなかった成育歴が関係する事も多い。なぜ動物・人を殺してはいけないのかという倫理的な問いかけに対して、『相手の立場に立った想像力』がほとんど働かないか、相手の痛みや不快を無視した行動を反射的にやってしまう。

激しい暴力でよその飼い犬を殺した小学生。重い刑の可能性も

小さな子供は大半は犬・猫・うさぎ・鳥などの動物が好きなもので、ちょっと触れば『ふわふわして可愛い』とはしゃぎ、動物と目が合ったり餌を食べにちょこちょこ近づいて来ると『自分になついて可愛い・うちでも飼ってみたい』となるものである。

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“現状がまずまず良い”なら結婚していれば結婚して良かったと思い、結婚していなければ結婚しなくて良かったと思うだろう。

結論から言えば、人間は自分が選んだ重要な人生の分岐点について、『自己正当化のバイアス』が強くかかる、自分が覚悟を決めて選んだ選択を間違っていたとは思いたくないものなのである。

なぜなら、人間の人生はF.ニーチェが言うように『一回性』のものであり、一度目の人生は結婚してみて、二度目の人生は独身を続けてみて、そして三度目の人生は二つを比較して冷静に決めてみよう(一度目と二度目とは違うタイプの相手にしてみよう)というような、あれもこれものお試しができない運命的な構造に取り込まれているからである。

結婚は人生の墓場なのか?

人生がただ一度切りのものであり、有限の時間に分節され老いてゆく定めにあるということ、この余りにも厳然たる事実こそが人の実存的なあり方を決定しているといっても過言ではない。

人が永遠に若くて魅力的でエネルギッシュでいられるなら、別にいつ結婚しても離婚してもそれは人生の重要な選択肢とはなりえない、真剣な努力や選択の機会は激減していくだろう。永遠でなくても1万年も2万年も若い時代における時間があるなら、10年でも50年でも結婚生活を何百回でも好きなだけやり直すことができるし、1人の相手とだけ1万年以上の生活時間を淡々と過ごすというのはどんなに素敵で魅力的な人でもちょっと難しいかもしれない。

『私の背負っている現実』は、ああすれば良かったこうすれば良かったと迷い悩みながらも、淡々と有限の時間軸の中を生きる私を前に進めて、『可能的な選択肢』を削り取っていく、最終的には生命の炎はゆらぎ弱まり吹き消されてしまう。

だから人は、自分が幸福な人生を歩んだという納得や実感が得たいのであれば、『私が選んだこの人生や相手、生き方は正しかったのだ』と思い込み信じ抜く他はない。自分の人生が悪くはなかったと思い込めない、信じ抜けない生は辛くて苦しくて惨めなものとなる。

自分の人生が虚しくて無意味だった(本当はこんなつまらない人生は嫌だったのに)と思いながら死んでいく、これは有限の存在である人間の最大の恐怖の一つと言っていいかもしれない。何度も他者を傷つけるような凶悪累犯者に転落していく人の多くは、この最大の恐怖と惨めさに自意識と人生のプロセスを絡め取られた人でもあるだろうし、犯罪を犯さなくても自分の今までの人生が晩年になって肯定できなくなるのは非常につらく逃れがたき重石となり得る。

F.ニーチェはこれを、何千回、何万回、無限に生まれ変わったとしても、私は今とまったく同じこの人生をやり直したい、私たち人間は今生きている人生に絶対的に『然り(これで良い・何度やり直せてもこの生き方が正解だ)』ということができるような人生を生きなければならないとした。

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モラルハラスメントに苦しめられる人:モラハラによる無意識的な洗脳・暗示

精神的虐待のモラハラは多義的概念だが、端的に『一緒にいると自分に自信や気力がなくなっていく相手』は間接のモラハラ(価値引下げの暗示)を行っている可能性があり、人間的な相性が悪い。やはり、一緒にいて自信や活力を与え合えるような相手が最も良いのだが、モラハラの最中にいる時には『相手の本質』に気づけないものでもある。

三船美佳さんも悩んでいた? 「モラハラ」最新事情

自分に対する肯定・同意がなく、否定(ダメだし)や人格批判ばかりの相手は、本来付き合うべき価値や必要に乏しい。自分が悪いから仕方ないの方向でモラハラの自己暗示にかかるケースもあるが、犯罪・迷惑行為をしてるわけでもなければ、毎回『意欲・気力が挫かれる不快なメッセージ』を聞く関係の反復は人生のロスだろう。

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