「恋愛・結婚」カテゴリーアーカイブ

男は女よりも行動原理(生き方)が単純なのか?:掌で転がされる単純な男・素直で笑顔の可愛い女

一般的に、『男心は単純、女心は複雑』というジェンダーの二元論は人口に膾炙しているが、男性が女性に対して単純になる前提条件として『その女性にモテたいと思っている男性』『その男性が好意・愛情・性的興味を感じている女性』『男性のその時点における異性関係や恋愛・結婚・生活の優先順位が高いこと』『異性としての新鮮さや意識が維持されている期間(どんなに美人でもその知覚に慣れてくると完全に思い通りになる男の単純さは弱まる傾向が生じる)』などはあるかもしれない。

女性に聞いた!「男性って本当に単純だな……」と思ったことはどんなこと?

それなりに美人だったり可愛かったりセクシーだったりする若い女性が、好意的に笑顔で話しかけたり積極的に誘いかけたり、困った感じでちょっとした事をお願いしたりすれば、妻・彼女がいない男性であれば(妻・彼女がいても倦怠期や浮気心で乗る可能性もあるが)、9割方はその好意・願いを受け止めてくれたり誘いに乗ってくるという意味では単純である。

若くて自分の外見・ファッション・話術に自信がある女性であれば、その若さと美しさが通用する限りにおいて、『同世代・やや年上の対男性とのコミュニケーション』は(特に交際の始まりの段階においては)概ね思い通りに事が運べるが故に、自分の魅力・影響力を過信することも多いだろう。

若くて美人なのに、恋愛や対男性との情緒的関係で上手くいかないことが多い(自分が恋愛でつらい目や苦しい状況に追い込まれたり理不尽に振られたりすることになる)とすれば、『自分の魅力以上の男性のみを対象にしているケース(恋愛・気持ちのパワーバランスや別離のショックの上で自分以上の影響力・魅力を持つモテる男への献身的・執着的なアプローチ)』に限られるからである。

自分の側ばかりが『追いかける恋愛(振り向いてもらおうと努力する恋愛)』であれば、平均以上の魅力を持つ女性であってもどうしても情緒的に不利な立場になりやすい。

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北海道南幌町で発生した女子高生による母・祖母の殺害事件:しつけと虐待、家族関係の風通し

しつけと称する虐待(暴力的体罰・家からの締出しや隔離・恐怖を伴う精神的萎縮)の問題はあるが、暴行・殺害に発展する前に『家族関係の悪化・負の感情の鬱積・会話不能』の兆候は必ず出てくる。

<北海道祖母と母殺害>高2女子「しつけ厳しく逃れたく…」

親の子供に対する威厳と恐怖は異なる。過度の暴力や罰則によって子供を恐怖させたり激怒させたり従属させたりする状況は『親が子に慕われている・子が親の注意に納得している・親子で話し合いができる』わけではなく将来の精神疾患・人格障害・復讐(犯罪行為)・絶縁などの潜在要因を子供時代に積み重ねているだけである。

『親が好かれているか嫌われているか』も親子関係の質に関わるが、しつけの必要性を強調する人は『嫌われるくらい(近づきにくい関係)が良い』と考え、信頼関係を強調する人は『好かれるほう(仲良く語れる関係)が良い』と考える傾向がある。しつけ重視は舐められるのを恐れ、信頼重視は対話不能を恐れる。

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S.キルケゴールの婚約破棄(宮廷愛の純化)と神の愛(無条件性)へのベクトル

『死に至る病』を著したセーレン・キルケゴールは、哲学史では実存主義哲学のパイオニアといった位置づけに置かれるが、キルケゴールは神と単独者である人(私)が向き合おうとするプロテスタント的な信仰者でもある。『死に至る病』という書名そのものも、キリスト教の新約聖書『ヨハネの福音書』に由来するものであり、その副題は『教化と覚醒のためのキリスト教的、心理学的論述』となっている。

『死に至る病』とは自己の存在根拠を喪失するという『絶望』であり、『実存(自己の意識・存在価値を認識し評価する存在形式)』として存在する人間は誰もが絶望せざるを得ないが、絶望からの究極の救済は自我を捨てきった宗教的段階において為されるとした。

キルケゴールのプロテスタント的な単独者としての思想性がどこから生まれたかには諸説あるが、有力な仮説の一つはキルケゴールが『肉体のトゲ・大衆との分離(特権意識)』によって、当時交際していた17歳のレギーネ・オルセンとの婚約破棄によって『キリスト者(普遍者)への宗教思想的な傾倒』が強まったというものである。

キルケゴールは24歳の時に、14歳のレギーネ・オルセンと出会って一目惚れしたというが、現代であればロリコン傾向であるが、10代で結婚する者も多かった1837年の時代背景を考えれば珍しいことではなかったのだろう。レギーネが17歳の時に婚約して18歳になる直前に婚約破棄をした。その理由が『肉体のトゲ』という抽象概念であり、キルケゴールの病跡学(パソロジー)の研究によると肉体のトゲというのは、彼の先天的な身体疾患(慢性脊椎炎・てんかん)か性病の梅毒の可能性があるとされる。

キルケゴールは異性関係では潔癖な男であり、婚約していたレギーネとも一回も肉体関係を持つことは無かったが、人生でただ一回だけその交際期間中に娼館を訪れて娼婦を買ったことがある。

キルケゴールが婚約破棄の理由とした『肉体のトゲ』と並んで語られるのが『懺悔者・大衆の生活様式からの分離(労働・結婚に裏打ちされたまっとうな市民の生活・幸福からの思想的離脱)』であるが、懺悔者というのはこの娼館に一度行ったことを指しているのではないかと言われる。彼はその宗教的な罪悪によって何らかの感染症に罹患したのではないかとの恐れを抱いていたともいう。

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結婚したら夫は給料をすべて妻に渡すべきか?家族みんなの財布の観念と共働きによる別会計(別収入)の考え

サラリーマンの夫と専業主婦の妻、子供という1990年代以前の『標準家族モデルの崩壊』、『共働き夫婦・離婚の増加+男性の平均所得低下』が根底にあり、『家族みんなの財布・財産』という共通観念が薄れやすい。

男性に聞いた! 結婚したら、給料をすべて奥さんに渡す?⇒「渡さない 53.4%」

妻が専業・パートである場合には『家計管理』を役割として任せる事が、妻の尊厳・安心と夫の信頼・愛情の現れになる面はあるかも。妻の所得がないか少ないケースで『夫が給料・家計管理』を全て掌握し最低限の生活費だけを渡すとなると、夫側の権限が強くなり過ぎ間接的に『主従関係の強調・経済的DV』のリスクを高める。

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イタリアの『ナンパ文化』と日本の『傷つきたくないシャイな文化』:知らない異性とのコミュニケーション機会の少なさ

日本文化の暗黙の了解で『知らない相手とは会話しない』があるので、日本人のナンパの多くは『男側の下心丸出し か女側の鉄壁の防御(無視)』に陥りトークそのものを楽しむのは難しい。

イタリアに8年住んだ日本人美女が語る、「イタリア男はナンパが上手」の真相

日本人がナンパできるのは『集団でいる時・酒を飲んだ時・非日常的な場面(旅先とかリゾートとか)』等に限られイタリア男のナンパの事例のような『日常生活の中で知らない異性との気軽な会話を楽しむ・話題のきっかけやもてなしの姿勢を自分から作る』というスタンスは取れない。公共圏での男女の距離感の文化・歴史も違う。

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嫉妬感情や被害妄想によるクレーム:自分で自分の人生や人間関係を楽しくなるようにする(腐らないようにする)のは半ば義務でもある

若い女性店員が結婚指輪をしているかどうかを気にするのは、その女性が気になる男くらいではないかとも思うのだが、女性でも同性の指輪の有無を気にして、更にそれを口に出して言う人もいるものなのか。反対に、男性で知らない同性の指輪の有無を気にする人は余りいないのではないかと思うが。

「年下の店員が結婚指輪するのは不快。外させろ」 このクレームは理不尽なのか?

嫉妬感情からくるクレーマーということになるだろうが、嫉妬の感じ方や表現の仕方が珍しいタイプではあるだろう。

通常、嫉妬感情というのは見ず知らずの他人や自分とかけ離れた立場の相手に対しては抱きにくいもので、『身近な友人知人・自分の比較対象として意識される相手』などに抱きやすいものだが、『過度の孤独感・疎外感』がプライドを捨てさせるような攻撃性(八つ当たり)を生み出すケースというのは少なからずある。

その場で事務的にレジのやり取りをする同性の相手が指輪をしていようがいまいが普通は気にならないものだがそれが気になって仕方がない、言えば自分が惨めになるだけなのに一言いわずにいられないというのは、よほど結婚(既婚者)に対する憧れ・劣等感が強いかそれが上手くいかなかったことの裏返しであるが、この相談が実話だとすればかなり精神的に追い込まれているとも言える。

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