「政治」カテゴリーアーカイブ

南スーダンの独立・内戦の歴史と日本の自衛隊の駆けつけ警護についての雑感

南スーダンは北スーダンとの悲惨な内戦を経て、2011年に住民投票で分離独立を果たした。スーダン人民解放軍が支配する南スーダンは、北との国境紛争、キール大統領とマシャール副大統領の内戦が続く。

駆けつけ警護付与の陸自部隊が出発 南スーダンへ

南スーダンはイスラム国家(シャリーア適用)である北スーダンの支配を拒絶し住民投票で分離独立したが、スーダン人民解放軍による軍事独裁となった。有力な軍人のボス・キール大統領が牛耳り、それに軍人のマシャール副大統領がクーデターで反抗し内戦が起こったが、4月に和解しても軍事勢力の衝突は続いている。

南スーダンは見せかけの議会政治や大統領制を整えてはいるが、実質的には私兵を囲っている大統領や副大統領の非近代的な軍事独裁であり、暴力によって利権を奪い人民を服従させる部族政治の変形である。虐殺や私刑、レイプが横行した最悪期は過ぎたが、国内情勢は不安定で政権は武装勢力を統治しきれず、銃撃・犯罪も多い。

自衛隊に新たに付与された『駆けつけ警護』は、同盟国・国連の平和維持活動の従事者との『双務的な信頼関係・義務履行』を担保するものだが、実際に駆けつけ警護で国連スタッフを救出するために敵対勢力を掃討する任務(銃撃戦になりやすい)などに着手する行為は、集団的自衛権以上に専守防衛の原則から外れる事にはなる。

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鶴保庸介沖縄・北方担当相の沖縄県民の活動家に対する『土人』発言は差別でないのか?, ポケモンGOの速度規制とながら運転の危険性

○鶴保庸介沖縄・北方担当相は『土人』は差別用語でないとし、その根拠を『現在は差別用語でも過去には流布していたものもある』と語ったが、明治の福沢諭吉の語用において既に土人は『文明・知性の乏しい野蛮』を含意した。『沖縄県民を土人と呼んだ文脈(コンテクスト)』は土着民でなく文明・知性の程度を低く見たものだ。

土人には確かに『土着の民・素朴な原始的生活を送る民』といった中立的な意味もあり、文化相対主義や価値多元性を前提にするならば『近代化されていない文明社会から隔てられた素朴な民』は別に差別や蔑視ではないかもしれない。だが現代を生きる沖縄県民やデモ参加者は土着性・原始性の意味でも土人ではないだろう。

現代社会を生きる日本人・文明人には『土人』と呼称されるに相応しい『野生的原始的な素朴な生命力に満ちた民』のような人はまずいない。また差別・蔑視でないならば『この土人が』という表現にはならない。そもそも中立性や文明人の憧れに基づく土人であれば、『あなたは文明に毒されない土人ですね』の話し言葉にはならず、ほぼ書き言葉の叙述になるはずである。

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中国のネット規制強化(ネット上の発言の実名義務化・反政府の言論規制)についての雑感

中国のような異論・不満・格差を武力で押さえ『表面的秩序』を保つ一党独裁国家は、『人民の本音のやり取りで浮かぶ政権批判・連帯』が一番怖いので、ネットの匿名での本音を規制したいと思うだろう。

ネット実名義務化・「扇動」は厳禁 中国が新法を採択

自由民主主義が浸透している先進国では、『ネットのトレーサビリティ強化(違法行為があれば発信者を特定して検挙する・プロバイダでの固有番号割り当て等)』は有り得ても、『実名での書き込みしかできなくする規制(権力と世間、対人関係の監視を前面に出して本音を封殺して発言量を減らす)』はまず有り得ない。

暴言や中傷、サイバー犯罪があるから自分は実名制でもいいという『主観的な規制強化の容認』の意見はあるが、ネット上の発言は『誰かに向けての感情的・攻撃的な発言』だけがメインなわけではなく、『特定のテーマ・事象・問題・コンテンツに言及する意見の自由度・多様性』こそメインであることを忘れてはならない。

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韓国の朴槿恵政権の腐敗と崔順実の権力の私物化, 富山市議会の辞職ドミノの問題

○韓国の政界・メディアは任期満了が近づくレームダックとなった大統領の求心力が落ちると、途端に大統領の粗探しが過熱して権力の座からの追い落としが始まる。朴槿恵(パク・クネ)はじめ歴代大統領の権力の私物化とネポティズムの問題もあるし、韓国の社会や大衆の暮らしそのものが疲弊して格差が大きくなりすぎている。

韓国大統領府、朴槿恵氏の「3人組」更迭 機密文書問題

朴槿恵政権がレームダックとなって権力機構の統制が落ちた為、『朴槿恵の追い落としを図る政治・官僚の勢力』が勢いづいたともいえる。朴槿恵の民間人の親友・崔順実氏が『不正な国政介入容疑』で逮捕されたのも政略的・恣意的な逮捕で、『賄賂・公金横領』がなければ機密文書の閲覧・政治的な助言云々の違法性は曖昧だろう。

朴槿恵大統領の親友・崔順実氏は『陰の実力者』と報道されるが、大統領の政策決定に公職者でないのに不当に容喙したことが犯罪というのは、大統領本人からの訴えがない限りは事実確認も危うい。公職ポストを与えなければブレーン・顧問の相談役にしてはいけない韓国の国内法があるのかもしれないが。

法律違反の容疑として有力視されるのは、『大統領を利用した公金横領・財団の不正管理』の部分だが、政策部門の秘書官と親友の崔順実氏が共謀して、『私腹を肥やす目的で財団創設の働きかけ』をしたというシナリオを突いてくるのだろう。朴槿恵本人は大統領の不逮捕特権で身柄拘束は当然ないが、任期満了後は危ういかも。

韓国のような権力機構や国情だと『大統領に就任することのリスク』は大きい。任期満了が近づくにつれ身辺整理をして内輪びいき・違法性のチェックを怠らないようにしなければ、大統領でなくなった後に悲惨な名誉失墜や逮捕・身柄拘束の憂き目を見やすい。全斗煥も盧武鉉も大統領になったばかりの不遇・自死があったわけで。

○富山県議会の辞職ドミノは『政治利権の氷山の一角』だが、『平均的サラリーマン以上のお金にならない政治家という職業』にどれだけの需要と立候補があるかは、民主主義の腐敗度・成熟度の指標にはなる。

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高齢者の過失の交通死亡事故でなぜ激しいヘイトが生まれやすいのか?:超高齢化・ゼロリスク化・少子化の社会で老人が叩かれるリスク

■「本当に悔しい」遺族悲しみに暮れる 立川の車暴走

現在の交通事故の死亡者は年間4000人台で推移しており、『交通戦争』と言われた昭和40~50年代の10000人を大きく超えていた交通事故死者からすると50%以上は減少しているが、『人権意識・ネット環境(不特定多数の感想)・日常からの死の消失・共同体感覚の衰退』によって交通事故死(それ以外の殺傷事件など他者から受ける各種の被害)の主観的な深刻度は高まっている。

平均寿命が延びた超高齢化社会さらには素人の経験知(かつての村社会で役立った長老の知恵)が役立ちにくい情報化社会では、高齢者を尊重する敬老精神は一般に低下していき、『若さ・美しさ・健康・理性の至上主義』とでもいうべきエイジ・ハラスメントを内包する無意識の優生思想が人々に宿ってしまう。高齢者や老い、認知症は自分自身もそうなりたくない(若さ・美しさ・健康・理性などを喪失したくない)と思う好ましくない観念になりやすい。

それだけでなく、核家族化・少子化・離婚や家族不和によって『祖父母以上の世代の高齢者から可愛がられたり甘えられたりした幼少期の交流・記憶』が乏しくもなるので、『おじいちゃん・おばあちゃんのイメージに対する愛着や寛容』も衰えていく。

自分自身のおじいちゃん・おばあちゃんに対する愛着や思い出がなければ寛容さもなくなりやすく、『誰もが高齢者になるという現実(心身機能の段階的あるいは突然の低下・喪失)』に対するイマジネーションも働かず、心神喪失者の問題と同じように『結果だけに着目した自己責任論(どんな事情・過失・状態であろうが人を殺す結果になったなら人殺しとして徹底的に罵倒しても良い,老いて衰えたからなんだっていうのか、こっちもさまざまな事情や困難に耐えて頑張っているんだ)』に傾きやすい。

マナーやルールを守らない、頑固で偏屈な性格、貧困や事故・犯罪の報道、社会保障問題で財政悪化や増税の原因など『好ましくない印象のモデルの高齢者』が内面化しやすくなり、余計に高齢者に対する潜在的な印象は悪化の一方をたどる。

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沖縄県の基地反対運動の市民に対する『土人・シナ人』の暴言と歴史的な沖縄差別の構造的問題:歴史的・文化的な差別は世界各地にあるが

沖縄(琉球)の差別は戦前から『(文明の低い旧琉球の末で)本物の日本人ではない・太平洋の島の土人=三級国民に近い』の形であり、『忠誠度の低い新参者・境界地の偏見』に沖縄は苦しみ戦争で犠牲を払った。

土人発言「侮蔑的な意味知らなかった」 機動隊員に戒告

明治維新による近代化、大日本帝国建設はいわば『天皇・国体に忠誠を誓う国民』を国民教育と規律訓練で量産した歴史で、多くの国民が『本物の日本人ではない』と見られる事を恐れた。同じ国民の中に『本物の日本人ではない属性・特徴を持つ集団や個人』を作って差別・弾圧を加え『本物の日本人とする自分や仲間』を高めた。

沖縄県民に対して『土民・シナ人』の侮蔑語が出たのは偶然や無知によるものではなく、国家体制やナショナリズムに親近する日本人が潜在的に持つ『周縁(境界地)・歴史的文化的な異質性に対する差別感情』の発露だろう。中世以前から『日本国(中央政府・旧朝廷)にまつろわぬ者』を夷狄・土人の未開の野蛮人と見なした。

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