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鳩山元首相の『尖閣諸島』に関する発言と中国の尖閣諸島への領海侵犯3:人・国はなぜ争いをやめないのか?

トマス・ホッブズは『自然状態』を個人が自らの生存を賭けて他の個人を死滅させようとする『万人闘争の状態』であると仮定したが、『国家の領土・境界・主権』を譲ることなど有り得ない絶対的な価値として信奉する人たち(いくら人が死んでも死守すべき価値とする人たち)は、外交関係というものを基本的にどの国家が生存してどの国家が滅亡するのかを賭けて闘争する関係(敵と味方に分かれて奪い合う関係)という風に捉えている。

この記事は、『前回の記事』の続きになっています。

『戦争は外交の手段に過ぎない』というような個人の生命を軽視する主張も、『自然状態における個人間の殺し合い』を社会契約で調停しても、『国際社会における国家間の奪い合い』は永遠に続く闘争として存在し続けるという世界認識に立脚したものであり、多くの人は『殺し合い・奪い合う関係』に対抗する措置をリアリズムと呼んだりもするのである。

人間と国家の本性について『殺し合い・奪い合う関係』が正しくそれは変わらないと考える人は、国民国家の対立的なフレームワークを捨てることはないため、『国家の領土・境界・主権』は永遠に継続する価値のように思うことになる。

だが、人間の本性が本当に『生存と死滅、資源の奪い合いを賭けた闘争』にあるのかというと、大半の人は自分自身を振り返った場合には疑問だろうし、よほど追い込まれた飢餓や貧窮にない限りは、人間には『困っている相手を出来る範囲で助けて上げたい・懇願している相手に危害など加えたくない・恨みや怒りを覚えずにみんなが幸せに暮らせる状態が望ましい』という善良な本性が備わっていることもまた確かなのである。

歴史学者のカール・シュミットは、人間の本性は他者を死滅させようとする闘争にあるわけではなく、『資源の希少性(資源の不足)・生活の持続困難性』などの外的条件がある時に限って、人間は他者から資源や財産を奪い取ろうとする闘争の本能に囚われてしまうと考えた。現代であれば、この闘争の本性を生み出す外的条件に『自尊心の傷つき』を加えても良いだろうが、鳩山元首相のような生活の苦労や生存の危機を経験的に知らない大金持ちが、人間の本性をより『闘争から離れたもの・共生と利他を実現しようとするもの』として解釈するのは半ば必然的なことでもあると言えるだろう。

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鳩山元首相の『尖閣諸島』に関する発言と中国の尖閣諸島への領海侵犯2:なぜ国境は存在するのか?

思想問題としては、『なぜ目に見えない国境は存在するのか、国境の線引きの根拠はどこにあるのか、どうして国家は実利(生産性・居住性)の薄い国境でも譲らないばかりか時に殺し合いまでするのか』は古くて新しい問題でもある。

この記事は、『前回の記事』の続きになっています。

近代以前の国境(領土・領海)は、基本的に人間が居住したり生産活動や統治行為(徴税)をしている場所をベースにした広がりに過ぎず、生産的・居住的な縄張りと分かりやすい地形上の区切りをやや拡張した曖昧さを残すものだった。近代国家として産声を上げた日本が、竹島・尖閣諸島を誰も支配してない『無人の無主地』と認定して占取権を宣言できたのも、周囲の前近代国家の国境の概念が確立しておらず、そういった生産性・居住性の低い無人島・海域への権力の関心が相当に弱かったからでもあった。

いうまでもないが物理的な地球上の土地や海には分かりやすい線などは引かれていないため、国境という人工的な領域の線引きは『(国際社会に承認された線引きがなされた)世界地図』を目安にしながら、『相対性・恣意性』を必ず伴うことになる。その相対性・恣意性が強まる領域というのが『他国との境界線・無人かそれに近い辺境』であり、中国が強硬に領有権(核心的利益)を主張している『尖閣諸島』というのはその辺境(境界線)なのである。

無知のヴェールによる正義論で知られる政治哲学者ジョン・ロールズは、『諸人民の法』の中で、近代国家の国境は確かに恣意的なものでありその根拠には疑念のある線引きも多いが、そうであっても『一定の囲い込んだ領域内部における人々の生活・生産活動と環境保全』に責任を持った統治を行うという政治的意思の表明としての『現状の国境のあり方』を、完全に無効なもの(フリーな出入を許しても良いもの)と見なすことはできないという『功利主義の持論』を述べている。

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鳩山元首相の『尖閣諸島』に関する発言と中国の尖閣諸島への領海侵犯1:国境と領土問題の本質を考える

鳩山由紀夫元首相が、『中国の立場=中国側が解釈する戦後の領土返還範囲(カイロ宣言が含む範囲)』を忖度した発言をして、与党や世論、ウェブで大バッシングを浴びている。鳩山さんの政治思想は『空想的な世界政府(アジア政府)を前提とする平和主義=包括的な人権保護のディシプリンに従う諸国家・諸民族』に基づいているので『現実にある国民国家の枠組み』の斜め上を突っ走っていき、そもそもまともな議論としての現実の土台を欠いている。

政治評論家や社会批評家、文学者などの職業であれば、鳩山元首相のような『理想状態の政治・相手の立場に立った持論』というのも面白い人道的なアイデアであるし、『国民国家の領土』よりも『ユニバーサリズムの人権』を上位に置くという思想は確かに、(それにすべての国民が同意するというありえない前提を置けば)領土紛争や民族紛争を殲滅するような思想の原理論的な射程は持っている。

しかし、残念ながら現実に生きている人々の多くは『理念的な地球人・世界人』ではなく、『どこかの国・民族に帰属する国民(部族)』として生きているのであって、少なくとも21世紀の前半のうちには『内と外を切断して内部で利益配分しようとする国民アイデンティティ(共同体的意識の範疇)』を無きものにすることは不可能である。

確かに、国民国家と呼ぶべき政治単位は『自然的・物理的・必然的なもの』ではなく『人工的・教育的・思想的なもの』に過ぎないとも言えるのだが、『統治権力・言語・歴史・土地・外見の共通性などでグルーピングされた集団』が自己集団(自国)と他者集団(外国)を区別して、自己集団の身内を優遇して他者集団の知らない相手を排除しようとする動物的な本性そのものはおそらく人類には克服することができない。人類全体の敵となる先進文明・兵器を持つ宇宙人(人類と別種の知的・戦闘的な生命体)の軍隊でも襲来しない限りは。

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東京都議選の自公の圧勝。参院選も自民が圧勝する可能性は高いが、その『憲法観に見る理念・楽観的な公約』には懸念も多い。

円高を是正して株価を一時的にせよ押し上げた“アベノミクス”の評価もあるが、理想倒れに終わった民主党政権の失策と失望によって、政権を取る前までは二大政党制の可能性があった『民主党』自身が自滅した恰好になった。

東京都議選:自民59人全員当選 第1党奪還 民主惨敗

都議選の大勝は自民党の支持が一挙に高まっているというよりは、少しでも『現実味のある政策・地に足の着いたビジョン』を出しているように見える政党が、もはや自民党しか見当たらなくなり、票を投じたいと思える政党のバライエティが失われたということ(政治への無関心)の現れである。

金融緩和・財政政策によって財政悪化は着実に進むことになるが、株式市場を刺激する以外には実体経済の成長戦略に説得力がないアベノミクスは、長期的には公的債務を積み上げていくつかの株式市場の好況の波を残すだけで失敗する恐れも強い。

自民党中心の保守政権への懸念は、財政再建・国民所得への還元率を無視した経済政策にもあるが、それと合わせて、個人の自由権を軽視して国家全体の秩序・規律の強制力を強めようとする『憲法改正の内容(米国追随の集団安保と権利規制)・人権感覚の低さ・対外政策(中朝の軍事的・領土的脅威論を煽っての防衛費増額)』なども、衆参で3分の2以上の多数派勢力を得た場合には現実的な問題になってくる。

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トルコの世俗派・リベラル派の反政府デモとエルドアン首相のイスラーム主義政策の反動

トルコは国父ケマル・アタテュルクの政教分離の世俗主義とイスラームの生活規範の影響を制約した旧憲法(1982年制定)によって、イスラーム圏では珍しく自由主義・人権思想を尊重する西欧的な近代国家に近い法体系を持っている。世俗主義と自由経済を軍部が支持してきた歴史があるが、かつては圧倒的に民衆の支持を集めていた『世俗派(西欧化の支持派)』が、近年、エルドアン政権の経済政策の好調などもあり保守的なイスラーム右派の政党勢力に押され始めている。

イスラームの教義や伝統を、政治・国民生活に反映させようとする大統領・首相・与党が一定の支持を集めており、個人の自由や人権を尊重する世俗主義(イスラームの規範を法律として権力が強制しない国の指針)が後退して『イスラーム化につながる政治改革』がより進められるのではないかという懸念が欧米にも広がっている。

トルコの反政府デモ激化の直接の引き金は、タクシム広場周辺の大規模な再開発に対する反対運動(公園保護運動)であり、タクシム広場の『アタチュルク文化センター』を取り壊してオペラハウスにする再開発計画が『世俗派の象徴的・思想的な建築物の破壊』という風に受け取られてしまったのである。

しかし、世俗派(リベラル派)と対立するエルドアン首相が、『夜間の酒類販売禁止法』を成立させたり姦通罪の復活を図ったりするなど、イスラーム色を強めてきていることも反政府デモと関係している。『宗教から生活に干渉されたくない』などのプラカードも立てられていて、エルドアン政権のイスラーム主義政策が、飲酒のような国民の私生活・価値観まで法律で規制しはじめていることに、自由主義にコミットする若者層を中心として反発・不安がわき起こっているようだ。

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橋下徹市長の“本音ぶっちゃけ外交戦術”は世界(米国)に通用するか?:2

前回の記事の続きになります。『日本の従軍慰安婦問題』を『世界各国の戦時の女性の権利・尊厳の侵害の問題』にアクロバティックに置き換えて、議題の中心的なフォーカスを『戦場(軍隊)と性の問題』に合わせ直している。このすべての国々が女性の権利・尊厳を守らなければならないという普遍的な権利感覚や問題意識は正しいとしても、同じ会見の中で過去の謝罪をしながら、『日本も悪かったですが、あなたたちも同じ穴の狢ですからお忘れなく』と釘を指すような牽制をするのは、やや結果を欲張りすぎな観はある。

橋下徹市長は頻繁に公人(政治家・役人)であればおよそ口に出さない『大衆的な本音・俗情』をぶっちゃけてみて相手の反応を伺うという話術を好んでいるが、駐日米軍に対する『合法的な性風俗業を活用してはどうか(米兵だって性的な欲求不満の対処法で困ってるんだろう、女がいない男だけの集団ってのはそういうもんだ)』というぶっちゃけトークは、公人としての態度を保った米軍司令官からは冷たくあしらわれ、米軍では売買春は禁止されているからとあっさり断られた。

橋下市長は日本における合法的な風俗を違法な売買春と誤解されたというニュアンスで話していたが、『米軍司令官の問題意識・対話のやり取りの重点』はそんなところにはなく、『下世話なぶっちゃけトーク』に合わせるつもりはないということであり、『建前の公人としての判断・遵法意識』を貫くだけということである。

橋下市長のぶっちゃけ外交戦術の目論見は、『本音と本音のトーク』で冗談でも交えながら語り合うことで『同じ穴の狢としての妥協点・相互理解』を引き出すというようなものであるが、それは大衆や素人の有権者には通用しても(あいつは着飾ってなくて本音を語るので親しみやすいなどと思われても)、国際的な会談・会見の場では相手がそこまで砕けた俗物の本音をさらけ出してくる可能性は低く、『建前としての倫理・常識』によって厳しい非難を受ける恐れがある。

日本外国特派員協会で行った記者会見で、橋下徹市長が見せた『ぶっちゃけトーク』は、世界の国々がタブーとしている『戦場(軍隊)と性の問題やその歴史』を真摯に取り上げるものであった点は評価できる部分があると思う。

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