「映画」カテゴリーアーカイブ

映画『アメリカン・スナイパー』の感想

総合評価 90/100点

世界最強の軍事大国アメリカは、第二次世界大戦後の『米ソ冷戦』を勝ち抜き、1990年代後半以降、世界の警察を自認する唯一のスーパーパワーとして世界に君臨するはずであった。2001年9月11日、ソ連さえ叩くことができなかったアメリカの中枢を、アルカイダ(国家なき分散型テロネットワーク)に攻撃される『米国同時多発テロ』の攻撃を受けるまでは。

ウサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダの散発的・波状的なテロ攻撃によって、アメリカは巨大な図体が邪魔をする『非対称戦争』の泥沼に引きずり込まれ、差別・偏見を含むイスラーム圏との対立図式も強化された。

世界最強の近代兵器と軍隊を誇るアメリカの総力をもってしても、拠点を移動させ情報を統制するビン・ラディンを超法規的にテロ対策特殊部隊の邸宅急襲によって暗殺するまでに約10年もの歳月を要した。首領のビン・ラディンを殺しても中東での潜在的な反米意識に苦しめられ続け、その間に政権はジョージ・W・ブッシュからバラク・オバマに変わっていた。

映画『アメリカン・スナイパー』は、父親から叩き込まれたアメリカの『カウボーイ精神』に憧れ、牧場の下働きをするも夢破れたクリス・カイルが、米軍で最も過酷な選抜・訓練で知られる海兵隊(シールズ)に志願する所から、イラクの戦場の悪夢へと足を踏み入れていく。志願するには30歳と高齢だったクリス・カイルは、上官からじいさんと呼ばれて散々にしごかれるが、幼少期から培ってきた不屈・自助のカウボーイ精神によって乗り切り、屈強な海兵隊の一員となった。

少年時代のクリス・カイルはいじめられていた弟を助けるために、体格の良いいじめの加害者を徹底的に打ちのめして血まみれにするが、父親はクリスを叱らなかった。この父親は、小学生のクリスにライフル銃を持たして狩猟を教える米国の保守派の親父であるが、『銃の武装権+暴力による秩序(暴力なき秩序維持の不可能)・正義の根拠に基づく暴力行使』などアメリカの倫理規範や行動様式のプロトモデルの役割を果たしている。

『この世界で人間は、狼と羊と羊を守る牧羊犬(シープドッグ)の三種類に分かれる。暴力で人を傷つけ支配しようとする強い狼、暴力と脅迫を受けて何もできない無力で弱い羊、そして、冷静に状況を見渡し不当な暴力で羊を傷つけようとする狼から羊の群れを守る(狼よりも強い)シープドッグだ』と父は語った。我が家ではお前を無力で弱い羊に育てているわけではないが利己的で残酷な狼にはなるな、臆さず正義のために戦えるシープドッグになれと子供に生き方の指針を示した。

続きを読む 映画『アメリカン・スナイパー』の感想

アニメ『キングダム 第二部まで』の感想

司馬遷の『史記』を題材に、秦の始皇帝(エイ政・えいせい)による中華統一のプロセスを架空の武将・設定を交えて創作的に描こうとするアニメ『キングダム』を二部まで見終わった。戦術や兵法、個人の武力のリアリティーを追及すれば粗もあるがなかなか面白かった。

主人公は戦争孤児の下賤の身分から立って、自らの実力のみで『天下の大将軍』を目指そうとする少年・信であり、秦王の政にそっくりな今は亡き幼馴染みの漂(ひょう)の遺志も継いでいる。

王騎将軍から特別遊撃隊『飛信隊』の創設を許された信は、大物を討ち取る戦功を重ね、遂には廉頗四天王で中央軍を率いた二刀流の天才剣士・輪虎(りんこ)を一騎打ちで葬って千人将の地位にまで登っている。

信を支える『飛信隊』の副長・羌カイ(きょうかい)は伝説の刺客一族の出身で、神が憑依する剣術と高い知性に基づく兵法に優れているが、廉頗との戦いの後に姉の仇討ちのためにいったん隊を離脱する。

有能な軍師として途中参加する信の知り合いの山民・河了貂(かりょうてん)は、初めは何もできない無力な子供だったが、信をバックアップできるようになるための修行の旅に出る。その後、蒙毅(もうき)と共に兵法の学習を進めて実力を養い、羌カイがいなくなって戦術を立てられないために連戦連敗を続けていた飛信隊に戻ってきて信を大いに助ける。

続きを読む アニメ『キングダム 第二部まで』の感想

映画『君の名は。』の感想

総合評価 95点/100点

2016年に大ヒットした新海誠監督の長編アニメーション映画ですが、『君の名は。』がようやくネットレンタル可能になったので見てみました。

予備知識なしで見たので、高校生の男女の体が入れ替わるドタバタした恋愛アニメという印象しかなかったのですが、実際に見てみると予想以上に写実的な映像が綺麗で、『時間軸のズレ』を伴って入れ替わった二人が、『彗星衝突による未来の運命』を変えていくという内容も完成度の高い作品でした。

都市や村落、電車、歩道橋、スマホなどの風景・道具が非常に写実的にリアルに描かれているので、現実世界の中でアニメの登場人物が活動しているような感覚で見ることができるのですが、背景やモノは写真を土台にしてアニメ調に加工したものなのでしょう。

過去のアニメ作品と比べると、最近のアニメ作品は背景・モノが写真ベースでリアルに描き込まれているものが多く、全体がいかにも作り物の漫画(アニメ)という感じではなく、リアリティーのあるアニメ世界の創出といった側面が強くなっています。さまざまな役柄やキャリアによって色のつく俳優よりも、アニメ映画のほうが『キャラクターのオリジナリティー・作品の一回性』を打ち出しやすいメリットもあります。

ある朝、目を覚ますと東京の四ツ谷で暮らす男子高校生・立花瀧(たちばなたき)は、岐阜県飛騨地方の山奥にある糸守町に住む女子高生・宮水三葉(みやみずみつは)になっていた。宮水三葉のほうは逆に立花瀧になっており、お互いに異性の身体になった自分に驚いて興奮したり恥ずかしがったりしながらも、『夢』だと思って現実の自分とは正反対の性別・環境で一日を過ごした。

そういった身体の入れ替わりが、週に2~3回の頻度で繰り返されるうちに、それまでただの『夢』だと思っていたことが、周囲の友人の反応や状況の変化から本当に実在する誰かと入れ替わっているのだと気づく。しかし、入れ替わっている間の記憶は曖昧ですぐに忘れてしまうため、二人はスマホのメモを交換日記のようにして使い、お互いが相手の体に入っている時に何をしたのかを書き残すことが習慣になっていった。

瀧になった三葉は共感・裁縫などの女子力を発揮して、バイト先の憧れの先輩・奥寺ミキとの関係を勝手に深め、スマホのメモに『明日は奥寺先輩とデートです』と書き残して瀧をあたふたとさせる。三葉になった瀧は宮水神社の神事に巫女として参加し、口噛み酒を作って山上にある宮水神社の御神体に奉納したが、この口噛み酒が後で『時間軸のズレ』を移動させて二人を引き合わせる媒体になっている。

繰り返し入れ替わりを体験するうちに、立花瀧は宮水三葉に惹かれ、宮水三葉は立花瀧に惹かれるようになっていき、お互いにメモに残していた電話番号に電話をかけて直接話そうとするが、『電波がつながらない場所にいるか、電源が…』のアナウンスが繰り返されてどうしてもつながらない。奥寺先輩はデート中に以前の瀧(三葉が入っていた時の瀧)と全く様子や反応が違っていることに気づき、『他に好きな人がいるんでしょう』とズバリ指摘してくる。

頻繁に起こっていた不思議な入れ替わりの現象が突然起こらなくなり、お互いに対する記憶も薄れていく中、瀧は何とか三葉のいた飛騨地方の糸守の風景のスケッチを描きあげ、それを便りにして飛騨にいる三葉に直接会おうと計画する。いつもと違って落ち着かない瀧の様子を心配していた友人・藤井司とバイト先の先輩・奥寺ミキも、飛騨の探索行に同行することになる。

山のスケッチを手にして飛騨の人々にどこの山・村なのかを聞き込みするが、なかなか知っている人には出会わない。もう諦めようと思って立ち寄ったラーメン屋で、偶然スケッチを目にした女将さんが『その絵、糸守でしょう。よく描けている』と声をかけてくれ、スケッチに描かれている山の風景が、3年前にティアマト彗星の破片直撃で消滅した『糸守町』であることを知らされて愕然とさせられる。

続きを読む 映画『君の名は。』の感想

映画『怒り』の感想

総合評価 85点/100点

渡辺謙、妻夫木聡、綾野剛、松山ケンイチ、森山未來、宮崎あおい、広瀬すずらの豪華キャストを揃えた映画。監督は妻夫木聡と深津絵里が共演した『悪人』と同じ李相日で、脚本原作も同じく作家・吉田修一である。

李相日と吉田修一のコンビで作る映画は、人間の『表の顔』と『裏の顔』の二面性を描いて人の心理の本質(抑圧された欲望)や罪業(不可避な原罪)に接近する手法に優れている。一人の人間の内部にある『悪人と善人の表裏一体』を様々な情景と状況、言動から浮かび上がらせることで、観衆が見ていた人物の想定外の一面をショッキングに伝達する。『秘密を抱えることによる人生の影』や『他者を信じ抜くことの困難』のようなものが鍵になっている。

映画『怒り』は俳優の演技にも痛々しいほどの臨場感があるが、同性愛者である藤田優馬(妻夫木聡)が怪しげなハッテン場で、部屋の隅にうずくまっている大西直人(綾野剛)の足を蹴ってこじあけながら、強引にキスをして絡みに持っていくシーンなども、弱気な大西を攻めてにやけている妻夫木の表情と鍛えた肉体が印象的だが、こういった性表現の露骨さが目立つので地上波の21時台での放送はおそらくないだろう。

外向的な藤田と内向的な大西のホモセクシャルと友情の深まり、そのまま半同棲するようになった藤田と大西だが、過去を一切語らず仕事もしていない大西直人の『素性・来歴』は不明のままである。自宅の鍵を預けるほどの愛着と信頼を見せながらも、藤田は大西に対して『家の物やカネを無断で持ち出して逃げれば即座に警察に通報する(俺は同性愛者であることがバレることを恐れていない)』と牽制する。

二人の同棲関係が続いていた中、藤田の友人知人に『自宅侵入+窃盗の被害』に遭う者が続出し、藤田は自分のいない昼間に大西がカフェで若い女と密会していたところを偶然見かけてしまう。藤田は大西が本当は同性愛者などではなく、自分や知人からお金を盗むために接近してきたのではないかという疑惑をふと抱いてしまう。

テレビで『八王子夫婦殺人事件』のニュースが流れて、整形したとされる犯人の似顔絵が大西にどこか似ているように感じてしまうのだが、そんな時に警察から突然『あなた、大西さんの友人ですよね?』という確認の電話がかかってきて、パニックになった藤田は慌てて『知りません』と警察からの電話を切ってしまった。

『怒り』の冒頭では、実際に起きた『世田谷区一家殺人事件』を彷彿とさせるような凄惨な『八王子夫婦殺人事件』の様子が描かれる。うだるような猛暑の夏の一軒家で、若い夫婦が血まみれにされて惨殺されたのだが、犯人は初め妻を刺殺した後に、エアコンも入れていない熱中症になりそうな室内で汗をだらだら垂らしながら夫の帰宅を待って殺害した。

続きを読む 映画『怒り』の感想

映画『インターステラー』の感想

総合評価 90点/100点

近未来の地球は、植物が枯死する異常気象が連続して起こり食料生産が激減している。異常気象に適応して食べることに必死にならざるを得ない社会では、教師・技術者をはじめとする多くの知的な仕事は価値が落ちてしまい、政府も長年何の結果も出せなくなった教育科学分野への予算投入を大幅に減らしていた。

経済社会が大きく縮小した社会では、もっとも重要で確実な仕事は『農業』になっていて、学校の進路指導でも下手な夢を持たずに食うための農業に勤しむことが勧められている。元宇宙飛行士だったクーパーも、15歳の息子トム、10歳の娘マーフィー(マーフ)を養うために今はトウモロコシ農場の経営をしていた。

人類は地球環境の変化と生物資源の枯渇によって、段階的な滅亡の危機に晒されていた。決定的な打開策はなく、人類は緩やかな滅びに向かうかに見えたが、大昔に解体されていたはずのNASAが、秘密裏に『第二の地球』を別の銀河系に求めて移住するテラフォーミングの『ラザロ計画』を遂行中だった。

かつての上司で天才宇宙物理学者のブランド教授は、優秀な宇宙飛行士だったクーパーをラザロ計画に引き抜くが、『成功確率は非常に低く生還できる保証もない・帰って来れるとしてもいつになるか分からない(宇宙空間の時間と地球の時間の速さの違い)』という条件を前に、幼い娘のマーフィーは泣きながら強く反対する。

クーパーは何度も『ミッションを達成して必ず戻ってくる』と娘のマーフィーを説得しようとするが、ワームホールを抜けて宇宙空間を移動しながら人類が生存可能な惑星を探すという半ば自殺行為に等しい(どれくらいの時間がかかるかも分からない)無謀な挑戦に、マーフィーはどうしても賛成できず、宇宙飛行船に乗り込む当日にも父親を見送らずに、いじけたまま部屋に閉じこもっていた。

『インターステラー』では何もせず無抵抗のままに滅びることを潔しとしない人間のチャレンジ精神を鼓舞するために、イギリスの詩人ディラン・トマスの“Do Not Go Gentle Into That Good Night(穏やかな夜に身を任せるな)”が繰り返し引用される。

宇宙探索の絶望的な状況化でも、各メンバーはギリギリまで諦めずにできる限りのことをするが、あらゆる生命の存在と人類のテクノロジーを拒絶するような『宇宙・地球外惑星の圧倒的な過酷環境(超重力と時間の歪み・極暑極寒・大量の水と氷・生命のない不毛の土地)』を前にして力及ばず生命を落としていく。

続きを読む 映画『インターステラー』の感想

映画『GIVER 記憶を注ぐ者』の感想

総合評価 85点/100点

すべての人間が幸福に満たされ、すべての人間の悪意が根絶させられたユートピア(理想郷)は実現可能かという『ユートピア論』は古代から考想されてきた。

古代ギリシアではプラトンが哲人政治による賢者独裁を唱え、古代ローマではユリウス・カエサルが世界をローマ化して法の支配に従わせようとし、古代中国では儒教的な君主・士大夫の徳治主義(王道政治)が勧められ、中世ヨーロッパではキリスト教信仰を背景に千年王国が夢想され、ムスリム圏ではアラーに完全に帰依することによって天国を夢見たが、いずれも支配階層の限定的なユートピアの陽炎を生じさせただけだった。

近代のユートピア思想は、史的唯物論の必然性と科学的社会主義の合理性を自称する『マルクス=レーニン主義』が、共産党宣言・共産主義革命によって大衆(労働者)のためのユートピアを建設しようとした。だが、人間本性に逆らった計画経済・結果平等の理想は反対に『共産党独裁による収容所国家・思想統制・生産力停滞の悲劇』を招き、貧しい平等と思想・表現の自由のない味気ない窮屈な世界を作り出しただけだった。

『GIVER 記憶を注ぐ者』は近未来に誕生した“コミュニティ”と呼ばれる理想的なユートピアにまつわる思考実験的な映画だが、物語のコンセプトや理想の背後にある犠牲を描く世界観は貴志祐介のファンタジー小説『新世界より』にも似ている。

ユートピアであるコミュニティには、飢餓も貧困も格差も苦痛もなく、個人間の差異と自由意思の選択肢を最大限に排除した『環境管理・社会慣習に無意識に従う均質的な個人』が完全平等主義の世界で何の不満も持たずに暮らしている。

人間はその本能や感情、自由意思に従えば、不完全な世界を作って必ず競争・戦争・犯罪・身内贔屓・怨恨・嫉妬・性犯罪などの問題を引き起こすため、人類は過去の人類の感情を伴うすべての歴史を抹消して、義務付けられた薬物服用で感情を抑制している。

続きを読む 映画『GIVER 記憶を注ぐ者』の感想