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映画『イニシエーションラブ』の感想

総合評価 74点/100点

前田敦子か木村文乃のファンであればより楽しめる作品で、懐メロな歌謡曲をBGMにしてメッシーやアッシーの言葉が乱舞した『バブル期のイベント中心型の恋愛』をシュールに描いている。

カセットテープになぞらえ、もてない大学生と歯科助手の出会いを描いた『Side-A』、就職後の遠距離恋愛と二人の関係が次第に冷え込み破局に向かっていく『Side-B』の2部構成になっていて、ラスト5分で『物語全体のネタばらし』といった流れになっている。

舞台は1980年代の静岡県、外見に頓着しない冴えない肥満体型の大学生・鈴木は、数合わせで呼ばれたやる気のない合コンで、爽やかに微笑みかけてきた歯科助手のマユ(前田敦子)に一目惚れする。鈴木は真面目な理系の学生で大手企業に内定が決まっているという魅力はあったが、学生の段階では全くモテなかった。

自分なんて相手にされるはずがないと思っていた鈴木だが、マユのほうから接近してきて、合コンメンバーで出かけた海水浴で電話番号を教えてもらい、二人の付き合いが始まる。鈴木は名前を文字って、マユから『たっくん』と呼ばれるようになった。

初めての恋愛経験に驚いたり感動したりしながら、マユに少しでも釣り合う男になろうと思い、髪型やファッションを変えて自分磨きをしていく鈴木だったが、通りがかったカップルの男から外見を揶揄されて、ダイエットをして体型を引き締めることを決意する。

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映画『トゥモローランド』の感想

総合評価 87点/100点

科学技術と発明が大好きだった天才少年のフランク・ウォーカーは、万国博覧会で知り合った不思議な少女アテナ(ラフィー・キャシディ)に魅了されて惚れてしまう。アテナに案内された『トゥモローランド』という近未来的な異次元世界(パラレルワールド)は、少年発明家のフランクの想像を遥かに超えたような夢のロボット・人工知能や機械技術文明の装置で溢れていた。

いつも大好きなアテナと一緒に過ごしていたフランクだったが、フランクがいくら成長してもアテナは出会った頃の姿のまま全く変わらず、その顔の表情に自然な笑顔が浮かぶことはなかった。好きなアテナの笑顔を見たいと思って、フランクはあの手この手で一生懸命にアテナを笑わせようとしたが、遂に彼女は笑顔を見せてくれることはなかった。

更に成長したフランクは、アテナが自分と同じ人間ではないという絶望的な事実に気づかざるを得ず、フランクの才能を活用し尽くしたトゥモローランドは、アテナの正体に気づいたフランクを追放した。

中年になったフランク・ウォーカー(ジョージ・クルーニー)は、最愛のアテナに騙されて裏切られたという思いから要塞化した自宅にひきこもっており、アテナが高度な人工知能を搭載したヒューマノイドであるという事実を知ったことで、自分の少年時代からの人生のすべては無意味なものだったという虚しさに落ち込んでいた。

父親が携わっていたNASAのロケット事業が終わり、ロケット発射台の解体工事が進められていたのだが、宇宙や科学が大好きなギークの女子高生ケイシー・ニュートン(ブリット・ロバートソン)はせっかく作った発射台を解体してしまうことが許せずにドローンを使って不正に解体工事を妨害していた。威力業務妨害の罪で逮捕されたケイシーだったが、留置所に預けていた私物の中に不思議なピンバッジ(Tマークのトゥモローバッジ)が紛れ込んでおり、そのバッジに触れると見たこともない綺麗な黄金の草原地帯に知覚が移動することに気づく。

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映画『龍三と七人の子分たち』の感想

総合評価 81点/100点

切った張ったで縄張りを広げた武闘派のヤクザが街から姿を消して久しい。特攻の斬り込みを仕掛ける気性の激しさから“鬼の龍三”と恐れられた高橋龍三(藤竜也)も70歳となって随分と老いぼれている。往年の刺青を丸出しにしたランニングシャツ一枚の姿で近所をうろついたり、庭で木刀の素振りをしたりで、世間体が悪いと息子の自宅では厄介者扱いされている。

指定暴力団が警察の締め付けで弱体化する中、暴対法の網をくぐった元暴走族の半グレ集団・京浜連合が幅を効かせるようになり、高齢者を狙った特殊詐欺(振込み詐欺)や悪徳商法(押し売り・催眠商法)で荒稼ぎしている。ある日、息子一家が留守の時に、弁護士を名乗る男から息子さんが会社のカネを使い込んでしまったという特殊詐欺の電話が龍三にかかってきて、なけなしのお金を家からかき集めて龍三は待ち合わせ場所へと向かった。

金額が足りないといわれ、セールスマン風の若い詐欺師に、ドスで指を詰めてけじめをつけるから、ここにある分のカネで許してくれと凄む龍三。本当に指を切断しようとしている龍三の異常な気迫に押された詐欺師は逃げ出してカネを奪い損ねる。京浜連合のボスである西(安田顕)は、何度も自分たちの犯罪ビジネスを邪魔してくる老人集団に怒りを募らせ、遂に龍三と七人の子分で結成された『一龍会』と対決することになる。

『一龍会』は殺人・傷害の前科が多い荒くれ者の集団だが、龍三と義兄弟のマサ(近藤正臣)をはじめ既に全員が70代の高齢者になっており、かつての武闘派崩れの気力と殺傷の特技は残っているものの、手が振るえ続けている者、足腰が弱っている者も多い。

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映画『悼む人』の感想

総合評価 80点/100点

天童荒太の原作『悼む人』『静人日記』は随分と前に読んでいて記憶も曖昧だったのだが、映画冒頭の特異な宗教のような礼拝儀礼、ぶつぶつとつぶやき続ける『知らない故人(死者)の人生の良かった部分だけを心に刻み付ける述懐の言葉』を聞いて、死者をひたすらに偲ぶ旅を続ける青年が主役のストーリーを思い出した。

登山用のザックにソフトシェルのジャケット、擦り切れたジーンズといったバックパッカー風の恰好で、全国の事故・事件で死んだ死者のエピソードを親族・関係者から聞き、ひたすらに独自の述懐と礼拝儀礼で悼む不可思議な旅を続けている坂築静人(さかつきしずと,高良健吾)。

故人について聞き出せる範囲のことを聞いた静人は片膝で跪き、“あなたは誰かを愛し誰かに愛され、何々をして感謝され必要とされ、懸命に価値ある人生を生きてきました。わたしはあなたのことを覚えておきます”といった一連の悼みの文句を儀式的に述懐して胸に手を当てる。

親族でも友人知人でもない人間がいきなり、誰かが死んだ場所にやってきてそんな宗教的な儀礼を勝手に行っているのだから、常識的には奇人変人の類と見なされ、時にカルト宗教や悪質な冷やかし(嫌がらせ)と間違われて、あからさまな侮蔑・非難の言葉を浴びせられたりもするが、『死者の良い過去の記憶・好ましい性格や事績』について真摯に聞いてずっと覚えておきたいと願う静人の態度に、精神的な慰撫や感謝を感じる遺族も少なからずいる。

静人の悼みの礼拝儀礼は、『天』から何かを掻き集め、『地』からも何かを掻き集めて、胸の部分にまとめて祈るという形式だが、小説中では『片膝をついて手を天と地に向けてひらひらとさせる不可思議な動作による儀礼』といった描写がなされており、映画ではその悼みの儀礼が自然な一連の様式美を感じるような動作として映像化されている。

会社をやめて諸国を着た切り雀で放浪しながら悼みの旅を続ける坂築静人、彼が俗世を捨てたかのような生き方に導かれた原因は、自分を可愛がってくれた祖父の自殺にも見える奇妙な海での溺死、誠実な医師として懸命に働いていた親友の過労死である。祖父が死んだ時に母が『死者の記憶を胸の中に入れて忘れないようにしておきなさい』といった言葉を掛けてくれたが、静人は仕事に追われる忙しい日々の中で、決して忘れまいと思っていた医師だった親友の命日を忘れてしまっていた。

命日が過ぎ去った後、親友の命日を思い出した時に『いずれ誰からも忘れ去られて消えてゆく死者』『毎日のように膨大無数の死者が生まれて忘れ去られてゆく生者中心の無常の世界』が、俗世で自分のためだけに生きている静人に絶望的な空しさと危機的な抑うつをもたらした。

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映画『寄生獣』の感想

総合評価 85点/100点

原作のアニメ版とストーリーの展開はほぼ同じだが、ミギーに右腕に寄生された主人公の泉新一の家族構成が、映画版では母親が一人で子育てしてきた母子家庭に変更されている。母親がパラサイト(寄生生物)に脳を乗っ取られて、新一が最愛の母親と戦うことになり、寄生した頭部を切り離すという物語のあらすじも共通であるが、原作では旅先で妻をパラサイトに殺された新一の父親がショックで廃人のようになっている。

“パラサイト”という透明な蛇のような形をした小さな寄生生物が海から上陸してきて、次々と人間の脳へと寄生し身体と人格を完全にのっとってしまう。泉新一(
染谷将太)はたまたま音楽をイヤホンで聴いていたので、パラサイトが耳の穴から脳にまで侵入できず、掌に突き刺さるようにして侵入してそこで幼形が成熟してしまった。

成熟したパラサイトは脳に寄生する初期の能力を喪失してしまうので、新一に寄生したパラサイトは右腕部分を変形させるだけの支配力しか発揮できなかった。“ミギー”と名付けられた不気味な寄生生物は、新一と会話を交わす友人のような不思議な関係を築いていき、同種のパラサイトの接近を感じ取る能力を使って、宿主の新一を殺そうとするパラサイトを倒していく。

パラサイトは『人肉』を主食とする『自己保存の本能』のみに従う生物で、普段は人間の姿に擬態していて人と見分けがつかないが、その本体は複数の目を持ち自在に肉塊を変形させることができる。寄生されている人間の顔面がバラバラに捲れ上がっていったり、花のように開いて内部のグロテスクな肉が露出することによって本体が姿を現す。『寄生獣』のCGを駆使した特殊映像技術(VFX)のクオリティは高く、それほど作り物めいた違和感なく寄生生物を見ることができる。

パラサイトは自らの肉を瞬時に鋭い刃物に変形させて超高速で動かせることから、一般的な人間の運動能力では対抗することはできない、パラサイトが作る鋭い刃物は鋼鉄をも切断するほどの脅威的な威力を持ち、人体がその刃物に切られれば容易に切断されたり貫かれてしまい絶命する。殴ったり蹴ったりする人間の殴打による攻撃はすべて無効であり、拳銃を持っていても急所の心臓に命中させなければ死なない。

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映画『フューリー』の感想2:戦時下の純愛的な男女関係の幻影・十字路の死守

外国に占領された国・地域の、占領軍の男性(軍人)と占領地の女性との関係というのはいつの時代も似たような構造を持つが、ナチスドイツや大日本帝国の将校・幹部たちも占領した土地の女性を、形式的には合意の上で『愛人・現地妻』のようにして囲い込むことが多かった。

映画『フューリー』の感想1:戦争の現実に適応するために変容するノーマンの人格

ノーマンとエマの関係はそういった戦勝者の庇護による愛人関係・現地妻とは違うように見えるが、エマとノーマンの二人の関係ができあがる前には、占領したばかりのアメリカ兵に媚態を振りまくドイツ人女性とその女の腰を抱き寄せて「心配するな安心しろ。俺が守ってやるからな。こっちに来いよ」とボディガード気取りで語りかけて戦車内の密室に消える米兵が前置きのようにして描かれる。

あるいは、勝者である俺たちは食糧やカネなら持っているぞ(敗れて奪われ殺されたドイツ人の男たちはもうお前らを守れないし食糧もカネも持っていない)という羽振りの良さをアピールして女をベッドに誘う兵隊の姿がある。

露骨な力の原理と男女の性の悲哀(近代中期までの歴史的な女性の庇護・扶養の観念と女性を巡る男性のマッシブな競争原理)が、ノーマンとエマの出会いと結びつきではかろうじて上品に目隠しされているのだが、コリアーの無頼を気取った部下たちがその目隠しを力づくではぎとりにやってくるのだ。

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