8月末に『ルパン三世』の実写版が小栗旬主演で公開される。ポスターを見ると漫画のそれぞれの登場人物のイメージに何となく合っている。モンキー・パンチの原作ファンからすれば、実写化は自分の世界観やキャラクターのファンタジーを崩してしまうので不評だと思うが、僕はオリジナルと二次作品は区別して楽しめる方だな。
キャスティングは、ルパン三世に小栗旬、次元大介役に玉山鉄二、石川五ェ門役に綾野剛、峰不二子役に黒木メイサ、銭形幸一警部役に浅野忠信。小栗旬は普段から猿っぽい髪型を好んでいるようだが、ルパンの髪型・衣装が似合っている。綾野剛も外見の雰囲気は五ェ門風だが、玉山鉄二もヒゲが似合うのでそれっぽさはある。
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総合評価 78点/100点
ASKAこと宮崎重明被告が保釈金700万を支払って仮釈放された。その事件のシンクロニシティではないが、この映画もシャブ(覚せい剤)の青少年への氾濫と家庭・生活の崩壊を題材にしたはちゃめちゃ系エンターテイメントである。
ドラッグに誘惑されやすい精神的に追い詰められた人や安易な快楽志向の人には悪影響もありそうな、ポップドラッグカルチャー(ポップな麻薬汚染)や少女少年の売春、いじめ(いじめを越えた組織犯罪・麻薬汚染への取り込み)を絡めている。
内容的には、美少女がとんでもない非行や人格破綻に突っ走っていって自滅するバイオレンス(スプラッターでもある)・サスペンスといったところか。元刑事である少女の父親も、人殺しに傷害・DV・強制わいせつ・脅喝に何でもありの暴れっぷりで完全にどうかしてしまった感じである。
『愛情に溢れた明るい家庭・親子関係』を夢想しながら、自分の人格の異常性・衝動性のせいで自ら全てをぶっ壊してしまうのだが、家庭崩壊やトラブルの責任を全部妻・娘に押し付けて『くそが、ぶっ殺してやる』など呪詛を吐いて暴れている。
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総合評価 90点/100点
前作『300』では、100万以上の大軍で押し寄せるクセルクセス大王のアケメネス朝ペルシア帝国を、レオニダス王率いるわずか300人の精強なスパルタ兵が迎え撃った。幼少期から過酷なトレーニングで最強の戦士を育て上げる都市国家スパルタが、玉砕覚悟の戦闘を挑んだ伝説的な『テルモピュライの戦い(紀元前480年)』を題材にしてアレンジした映画である。
ポリスの自由と独立を守るために勇猛果敢なスパルタ兵たちは、ペルシア帝国の圧倒的な大軍に恐れを知らぬ突撃を繰り返す。わずか300名の精兵のみで100万に近い大軍を3日間にわたり足止めし、スパルタの武力の強さとレオニダスの名を伝説にまで昇華させたが、“神王”を自称するクセルクセス大王(ロドリゴ・サントロ)の『ギリシア征服の野心』まで吹き消すことはできなかった。
都市国家アテナイは、ペルシア戦争序盤の『マラトンの戦い(紀元前490年)』で勝利を収めたことで軍事防衛の自信を深め、親ペルシア派を陶片追放して対ペルシアの敵対的な外交姿勢を固めた。
映画では紀元前480年、テルモピュライの戦いと並行する形で行われた『アルテミシオンの海戦』で、アテナイの将軍テミストクレス(サリヴァン・ステイプルトン)がペルシアのダレイオス1世を弓矢の奇跡の一撃で落命させたという創作のエピソードを盛り込むことで、クセルクセス大王のギリシアへの支配欲・復讐心に説得力を持たせている。ギリシアへの復讐心に燃えてペルシア海軍を指揮する女剣士のアルテミシアもまた、原作・映画のために創作された個性的な人物である。
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総合評価 81点/100点
幼い頃から厳しい山屋の父親・長嶺勇夫(小林薫)に連れられて、立山連峰の冬山に登り『菫小屋』の山開きを手伝っていた長嶺亨(松山ケンイチ)だったが、成長して村・山を離れた亨は東京で証券マンとして仕事をするようになっていた。金融業界でトレーダーとしての才覚を発揮した亨だったが、キャリアに関わる大きな案件を抱えている時に、突然、父が遭難者を救助しようとして山で死んだという訃報が届けられた。
久しぶりに帰郷して父の葬儀に参列した亨は、自分とは全く違う地元に根付く生き方を選んでいる幼馴染の中川聡史(新井浩文)と再会する。既に結婚して子供を設けた中川は、父の後を継いで木工職人として地道な修行を続けており、『決まった人生・職業・家族の道』を黙々と進んでいく亨とは正反対の生き方をしていた。
亨は見たことのない若い女性・高澤愛(蒼井優)とも知り合う。高澤愛は人生に傷つき山を彷徨って遭難している所を、父の勇夫に助けられてから、母の長嶺菫(檀ふみ)が営業する旅館の手伝いをして働くようになっていた。愛は父が存命の時には何度も菫小屋にまで登って働いたこともあり、旅館・小屋の看板娘のような存在にいつしかなっていた。
父・勇夫が長年かかって一人で作り上げ、経営・維持してきた菫小屋は妻の名前を取って名前をつけた愛着のある小屋だったが、勇夫が死んでしまったことで後継もいない状態になってしまった。小屋を閉鎖するか知り合いに経営を委託するかという話になっていて、亨がそれとなく小屋を継ぎたいような話をすると、母親の菫は小屋の経営は甘くないからとやや迷った感じの返事を返してきた。
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総合評価 75点/100点
桜庭一樹の『私の男』が原作だが、近親相姦的な色彩の濃さが個人的な趣味には合わない。小さな子供時代から自分の子として育てている女の子と、秘密の男女の関係を持つようになるというプロットが、セクシーなシーンをセクシーなシーンとして楽しみにくい難点でもある。
とりあえず、『背徳的なインセストタブーのつながり・社会道徳に違背する性愛』を、『ドロドロな性愛の背後にある究極の純粋な愛(誰にも理解されないが二人の間だけに確固としたものとしてある関係性・執着性)』にまで昇華させたい試みという風に解釈はできる。
だが、主役の腐野淳悟(浅野忠信)がただ不気味な感じが漂うロリコン趣味な中年男としか見えないような物語の単純な流れ、人物の背景描写に『共感性・人物の奥行きの限界』があるのではないか。
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総合評価 75点/100点
2011年に芥川賞を受賞した田中慎弥の『共喰い』は、石原慎太郎に挑発的な発言を行ったことでも話題になったが、映画の全体の作風としては『ある種の家庭・男女における昭和的な暗さ』と『性愛・血縁の暴力性の暗さ』を重ね合わせたような印象が強い。
暴力と快楽が交錯する隠微なエロティシズムや背徳的な叙情文学と評することもできるが、『暴力的・犯罪的な性癖の父子間の遺伝』のようなものを匂わせて、血縁の業とその乗り越えを強調するような物語の展開は、個人的には心理的に閉塞する重厚感はあったが、それを映画で敢えて味わい続ける意義はそれほど大きくないようにも感じる。
ドーンというような低音の効果音も思わせぶりではあるが、遠馬の暗い欲望の滾りや後ろめたい気持ちを象徴している音で、端的には『親父と同じような悪しき人間にはなりたくない』がそこに引き寄せられてしまうというテーマを強調している。
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