天皇が生前退位して上皇・法皇になれないのは、国家主権・権威の分裂(院政・神仏習合)を禁ずる大日本帝国期の近代天皇制の遺制だが、現代では天皇の終身在位は非人道的だろう。
【速報】天皇陛下「生前退位」の意向を示される。内外にお気持ち表明検討
近代天皇制は、天皇を西欧列強の崇めるキリスト教の神になぞらえるかのような日本固有の『唯一の現人神の擬制』として仮定した。だが明治・大正・昭和の時代とは人間の平均寿命と医療水準、メディア環境(皇室の公開度)が違いすぎておりある程度の健康・意識の状態を保って60~70代で崩御する事が想定しづらくなった。
現代で天皇が現人神だとストレートに信じる人はいないとしても、天皇も人間である以上、『健康な身体・精神を維持しづらい老後』が問題となる。今上天皇は戦後日本の平和と理性を象徴する人格として最高水準で働かれてきたが、80代に入り『国民統合の象徴として機能する心身の限界』を感じ退位の必要を悟られたのだろう。
続きを読む 天皇陛下の『生前退位の意向』と明治維新以降の天皇制の特殊性:日本人が天皇に求める親の表象 →
安倍談話の内容は『反論可能性を予期した完全性』を担保したもので、思想的・政治的なバイアスを極力排除した穏当なものだが、安倍首相本人の今までの歴史観・抑止力と安保情勢の認識が反映されておらず建前的な装いもある。
安倍首相の戦後70年談話全文
残念なのは、安倍談話を読んでの一部の国民の『党派的・イデオロギー的な反応』だろう。『この談話に同意できなければ日本人ではない・日本から出て行け』というムラ社会的な排他性は、先のアジア太平洋戦争において『私は戦争反対であると言えない全体主義(精神総動員)の空気』を醸成する群集心理の発露・踏み絵だった。
『私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない』というのは、『現代的な個人主義の発想』でありもっともだが、それを言っている安倍首相自身が『復古的(反個人主義的)な集団帰属・規範主義の責任ある日本人』を理想的な日本人の原型として持ち上げているのは皮肉だ。
ある国に所属している同じ国民であっても、『国家・民族・歴史と自我同一化する個人』もいればそうでない個人もいるというのが、『過去の歴史的責任の世代間継承』を切断する社会認識のとっかかりになる。なぜ国家単位で親・祖父母の世代の戦争の罪を子孫が問われるのか、世代間の価値・歴史の継承が推測されるからである。
民族主義の右派の感受性に置き換えると、ある韓国人が『私は韓国人ですが、韓国政府の歴史認識や右翼的な日本への民族的嫌悪とは関わりがなく、私は私として日本人と仲良くやっていきたいと思っています』と語った時に、どう思うかということが『過去の戦争・歴史の責任の世代間継承』と深く関わっているのだ。
続きを読む アジア太平洋戦争を振り返った『安倍談話』についての感想:なぜ国・民族で排他的にいがみあうのか? →
現代から見れば『間違っていた戦争・回避可能な戦争』だった側面はあるが、その間違いの根源がどこにあったのかを突き詰めれば、『日本(諸外国)が自国のまっとうな経済活動で充足できるほど豊かではなかった・個人の生命の価値が低く人権が守られている国もなかった・国家権力が国民を道具(兵力)として活用するための教育や道徳が普及していた』という時代背景にある。
「間違った戦争」47% 毎日調査
戦争あるいは軍事的野心や歴史的正当性(物語的正統性)といっても良いが、それらの価値が持ち上げられて称揚される時というのは、『国民が現在の生活に満足していない時・現在の政権に対する不満が高まっている時』である。
自分や自国に対する不平不満の原因が、『外部(仮想敵)』にあるとして教育・扇動されたり、『有事の国防危機(やらなければやられる)』がマッチポンプで誇大に伝えられることによって、『私(個人)の存在意義』と『国家の歴史的・物語的な正当性』が接続される感覚が生まれ、“戦争・安保”に精神的な高揚感や正義感を感じてしまう。
日本と連合国軍の最大の違いは、『戦争に勝ったか負けたか』だけにあるのではなく『実力を伴う新たな時代の価値観外交(理想呈示)の勝ち負け』にもあった。
続きを読む 先の日本の戦争は間違っていたのか?米英中ソと戦った“武力・道義(国際秩序原理)の戦争” →
武藤貴也衆院議員(36)は私と近しい世代の政治家だが、『歴史を知らず憲法を学ばず国民を道具と見なす復古的な権威主義者』が政治権力の一翼を担っていることの危険性を知らしめる発言である。
国民が国家のために生命を捧げる価値を教育し、国民を『国体の全体システムの部品』と見なして戦争・労働で使役しながら国家権益を拡張する考え方は、『統制主義・身分意識・生命軽視の戦前回帰』そのものである。
近代憲法の原則を否定する武藤貴也氏の発言については、『政府・権力者の思い通りにならなくなった国民』に対する苛立ちや不満が顔を覗かせており、相対的に低下した政府・権力者の『対国民の強制的な使役力』を回復して、自らの権力欲を満たしたいという傲慢さの現れとも感じる。
『内閣総理大臣である私が自衛隊の最高指揮官である・自衛隊は国防軍(日本軍)へと名称変更すべき』と宣言した安倍晋三首相の軍事偏重志向とも重なるが、政治権力者が軍隊への名目上・実質上の影響力強化を望む時は、歴史的に見ても『対国民の強制的な使役力(全体利益を掲げる自由・権利の制限)』が背後の目的としてあることが多い。
中国・北朝鮮の最高権力者が『国防委員長』の肩書きを名乗りたがること、『思想的な教育改革』に注力することは偶然の一致ではなく、『物理的な威圧・精神的な洗脳の効果』によって、『国家・政権の命令に従わない人民の相互監視体制+自ら進んで全体国家のために犠牲になってくれる(反対者を差別・弾圧してくれる)メンタリティ』を自律的に構成することを目指している。
ナチスドイツのヒトラーユーゲント、大日本帝国の軍国主義青年・開戦派の青年将校、中国の紅衛兵・マオイズム、北朝鮮の主体思想主義者・金日成信奉者、カンボジアのクメール・ルージュ、フランス革命のジャコバン派(平等主義の極左)などが典型的だが、『若者の純粋な社会貢献欲求,外敵や不正を排除しようとする正義感』が政治権力者の望む方向へと教育や社会環境を用いて誘導されてたことで歴史の悲劇が繰り返されてきた。
続きを読む 武藤貴也衆院議員の日本国憲法否定の発言と“思い通りにならなくなった先進国の庶民”への権力の憂鬱 →
現在の日本では『憲法・安全保障・外交政策(対中国・朝鮮半島)』を巡る対立が、『右翼(民族主義・権力志向・反個人主義)と左翼(人権主義・反権力志向・個人主義)の二項図式』で語られることが多い。
こういった語法は本来の右翼(保守)と左翼(革新)の定義とは関係がないものだが、日本では『自由・平等・人権・護憲・平和・個人の尊重』などは、ネトウヨとも呼ばれる右翼目線では、国家の集合主義的な総合力を低下させる『左翼的な思想・概念』として扱われることが多い。
反体制派の左翼とは、日本の歴史では共産党・社会党(社民党)・全共闘運動・左翼過激派などと関係する『共産主義者(社会主義者)・反資本主義者・反米主義者(反米の文脈での平和主義運動家)』などを指してきたが、今のネットで言われているサヨクはそういった共産主義・社会主義よりもむしろ『個人主義・自由主義(権力からの自由を重視して集団主義的な強制に抵抗する思想)』と深く関係しているように見える。
本来の右翼と左翼の定義から外れてきた、現代のネット上における政治的・思想的に対立する立場を『ウヨク・サヨク』と表記する。
日本人の民族的統合と仮想敵(中国・朝鮮半島)に対する戦闘の構えを強調するウヨクは、民族・国家単位のイデオロギーや軍事増強にこだわらずに『個人の自由・権利・平和』を普遍的価値として強調するサヨクを『反日勢力・お花畑・非現実的な空論家』と揶揄することが多い。
国家の威厳と個人の幸福が一体化しているような拡張自己の思想であり、実際の戦争や自己負担にまで率先して参加するかは分からないが、言葉の上では『私(個人)よりも国家(権力)の拡張』という価値観を提示する。
続きを読む 吉本隆明の『反権力・脱政治・大衆論』から日本の政治状況・国民の意識を見る:1 →
八紘一宇は古代中国の漢籍に記された『八紘(8つの方位=世界)・一宇(1つの屋根)』に起源があり、日本では『日本書紀 三巻』の神武天皇の神武東征からの日本統一の気概を示すくだりで『八紘を掩いて宇と為さん事(世界を天皇の威徳で覆って一つの家にしていく事)』と記されたのが初めであるという。
“八紘一宇”という四字熟語は、日蓮主義者の田中智学が国体研究の中で原文『掩八紘而爲宇』を四字熟語として造語したものであるが、“八紘”と“一宇”は古代中国の慣用句の原義においては、天下統治の天命を拝受した天子(皇帝・国王)の統一権力によってバラバラだった世界が一つの秩序にまとめられる、天子の威徳が世界の隅々にまで及ぶという意味合いがある。
日本の八紘一宇も、神武天皇の神武東征の神話の場面が初出であることから、『世界を一つの屋根の下に覆っていく正統な主体(世界の家主・家長)』としての天皇・皇統(万世一系)といったものを無視することは難しく、戦時中には『皇国・国体』といったものが世界の屋根を支える中心軸であったことは疑うことが難しい。
世界や異民族を覆うような屋根・家は、所有者や家長のいない誰でも自由に使って良い空家ではなく、『中国の天子(皇帝)・日本の天皇』が世界を覆う屋根(家)の秩序や規範を制定する家長として仮定されていることは、中国古典や記紀の世界観(統一支配や建国の正当化のエピソード)からも自明だろう。
続きを読む “八紘一宇”は“みんなで仲良く助け合い”の中立的な概念なのか?:中国の天子・日本の天皇と八紘一宇 →
政治経済・社会・思想の少し固めの考察から、日常の気楽な話題まで!mixiの日記・つぶやきのログも兼ねてます。