「歴史」カテゴリーアーカイブ

憲法改正すると徴兵制になるのか?:国家権力を徴税権と徴用権(徴兵権)の歴史から考えてみる

改憲で徴兵制になるかもしれない疑念が強くて政府が信用されてないなら、9条改正で3項に日本国は志願制の国防軍を有するが国民を徴兵することはできないと条文追加しておけば良いだろう。

【書評】マスコミに騙されるな。憲法改正でも徴兵制にならない訳

古代から国家権力が持つ二つの大きな強制力は『徴兵・徴用』と『徴税・収用』である。この二つは言い換えれば『人間に対する支配』と『土地・生産物(貨幣)に対する支配』である。近代の国家権力は総力戦を経由して、人権保護が強化され『国の人間に対する支配』に立憲主義的な制限がかなり加えられるようになった。

徴兵制に対する価値判断は歴史を遡れば一義的なものではない。国防は古代から中世にかけ『義務・苦役』というより『権利・名誉』で、戦闘を任務として装備を自弁する戦士階級(騎士・武士)は支配階級を構成した。市民革命で王政・貴族政治が打倒され人民主権が確立した後も暫く『国防軍=市民・人民の名誉』に近かった。

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南スーダンの独立・内戦の歴史と日本の自衛隊の駆けつけ警護についての雑感

南スーダンは北スーダンとの悲惨な内戦を経て、2011年に住民投票で分離独立を果たした。スーダン人民解放軍が支配する南スーダンは、北との国境紛争、キール大統領とマシャール副大統領の内戦が続く。

駆けつけ警護付与の陸自部隊が出発 南スーダンへ

南スーダンはイスラム国家(シャリーア適用)である北スーダンの支配を拒絶し住民投票で分離独立したが、スーダン人民解放軍による軍事独裁となった。有力な軍人のボス・キール大統領が牛耳り、それに軍人のマシャール副大統領がクーデターで反抗し内戦が起こったが、4月に和解しても軍事勢力の衝突は続いている。

南スーダンは見せかけの議会政治や大統領制を整えてはいるが、実質的には私兵を囲っている大統領や副大統領の非近代的な軍事独裁であり、暴力によって利権を奪い人民を服従させる部族政治の変形である。虐殺や私刑、レイプが横行した最悪期は過ぎたが、国内情勢は不安定で政権は武装勢力を統治しきれず、銃撃・犯罪も多い。

自衛隊に新たに付与された『駆けつけ警護』は、同盟国・国連の平和維持活動の従事者との『双務的な信頼関係・義務履行』を担保するものだが、実際に駆けつけ警護で国連スタッフを救出するために敵対勢力を掃討する任務(銃撃戦になりやすい)などに着手する行為は、集団的自衛権以上に専守防衛の原則から外れる事にはなる。

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植村直己の登山・極地探検とデナリ(マッキンリー)での遭難死:次の目的地を求める人類

冒険家として知られる植村直己(1941-1984)は、1984年の冬季マッキンリー(デナリ)の単独登頂後に行方不明となり死亡認定されたが、1980年代というのは未踏の高峰・密林や過酷環境の横断(縦走)という『人類の限界挑戦の課題』が終わりを迎えようとしていた時期であった。

人類が登頂していない世界の未踏峰が消え、人類の能力で横断・縦走に成功していない過酷環境の土地が無くなりかけていたのが1980年代半ばであり、植村直己自身も『次の冒険の宛先』を見失いかけていた。

次の冒険として北極点到達に続く『厳冬期のエベレスト登頂・南極点単独犬ぞり探検』が計画されてはいたが、エベレストは竹中昇の死去・悪天で断念し、南極点もフォークランド紛争勃発で軍の協力が得られなくなって諦めていた。

北米大陸最高峰のマッキンリー(6,190m)はアメリカの大統領ウィリアム・マッキンリーにちなんだものだが、2015年にアラスカ先住民が呼んでいた元々の山名である『デナリ』に変更されることになり(こういった一度は土地の支配者による命名が為された後に、再び原住民の元の呼称に戻るという名前変更は近年では政治的正しさの影響で多くなっているようだ)、マッキンリーという慣れ親しんだ山の名前は公式には消えたことになる。

植村にとってマッキンリーは既に1970年に登頂した山であり、この時に世界初の五大陸最高峰登頂者にもなっていたが、厳冬期に敢えて登ってみるという以上の意味合いはなく、この登山そのものは植村の個人的な意思に基づくもので、スポンサーはつかず注目もされていなかった。植村は自分自身の冒険に区切りがついたら野外学校設立を目指してもいたので、インターバル的なマッキンリー登山(厳冬期の死亡率はエベレスト以上に高い山だが)で遭難死したのは運命ではあった。

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沖縄県の基地反対運動の市民に対する『土人・シナ人』の暴言と歴史的な沖縄差別の構造的問題:歴史的・文化的な差別は世界各地にあるが

沖縄(琉球)の差別は戦前から『(文明の低い旧琉球の末で)本物の日本人ではない・太平洋の島の土人=三級国民に近い』の形であり、『忠誠度の低い新参者・境界地の偏見』に沖縄は苦しみ戦争で犠牲を払った。

土人発言「侮蔑的な意味知らなかった」 機動隊員に戒告

明治維新による近代化、大日本帝国建設はいわば『天皇・国体に忠誠を誓う国民』を国民教育と規律訓練で量産した歴史で、多くの国民が『本物の日本人ではない』と見られる事を恐れた。同じ国民の中に『本物の日本人ではない属性・特徴を持つ集団や個人』を作って差別・弾圧を加え『本物の日本人とする自分や仲間』を高めた。

沖縄県民に対して『土民・シナ人』の侮蔑語が出たのは偶然や無知によるものではなく、国家体制やナショナリズムに親近する日本人が潜在的に持つ『周縁(境界地)・歴史的文化的な異質性に対する差別感情』の発露だろう。中世以前から『日本国(中央政府・旧朝廷)にまつろわぬ者』を夷狄・土人の未開の野蛮人と見なした。

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フィリピンのドゥテルテ大統領の機会主義な外交戦略,三笠宮様逝去で服喪する天皇陛下がドゥテルテ大統領との面会中止!

○フィリピンのドゥテルテ大統領の内政指針は『ゼロトレランス+ポピュリズム』であり、外交戦術は『実利的なオポチュニスト(機会主義)』だから、日本の安倍晋三、中国の習近平のどちらかだけの不動の盟友にはならない。

南シナ海問題「日本側に立つ」=比大統領

ドゥテルテ大統領の言動を見ると『南シナ海の領有権問題』に限らず、『米国に対する強気な同盟離脱発言』にしても、目の前にある相手と状況に応じてどちらにより強く味方するかのポーズを調整している。『真意が分からない』のではなく『真意を敢えて可変的にする』だろう。領有権問題では中国の力の論理と距離を置きそう。

実際に比米の首脳会談があれば、正面から合衆国大統領に対決姿勢で臨むとは考えにくいのもあるが、同時に中国に対して常に味方するとも考えにくい。常識的には『旗幟を鮮明にしないブレ』は同盟関係や安全保障の信頼を損なうが、フィリピンは領土・外交・軍事で揺れ動くキャスティング・ボートとして影響力を高める利もある。

ドゥテルテ大統領は麻薬犯罪者の即決裁判による殺害方針も転換する姿勢を見せ始めており、ポピュリズムで暴言を吐く独裁的な側面もあるが、半分は過激なことでも何でもやるという印象づけをするポーズのような感じがある。話し合いの不可能な北朝鮮的な暴言・暴挙とは質が異なり、戦略的な機会主義者の狙いがあるのだろう。

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タイのプミポン国王の死去とタイ国民に与えた影響:君主の死が象徴する一つの時代の終わり

君主の死に特別な歴史・社会的な意味を持たせ『長期の服喪・自粛』をするのは、人の弱さ・迷信・依存に過ぎないが、強制力を超越した君主の権威が国の混乱を収拾した例にプミポン国王も当てはまる。

タイ国王死去で自粛の波 観光に影響、ムエタイも中止

タイ王室は第二次世界大戦後の軍事独裁政権下で『傀儡・象徴』に堕落しかけたが、プミポン国王はタイの決定的政局で『正統的な権力の所在』を自らの意思によって指し示す立憲君主制の離れ業を仕掛けながら、『タイ国民同士の内戦』をギリギリのラインで何度も回避した。プミポン国王の顔・権威で内戦の暴力が抑制された。

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