「人間関係」カテゴリーアーカイブ

結婚年齢の理想と現実、中川翔子さんのいじめ経験、ヒグマ駆除に北海道外から批判など

○各年齢ごとに結婚・子育てをすべきという目的意識、同世代の友達が早婚でそれに遅れたくない普通志向、色々な異性で迷わずさっと決める決断、勤勉に働き続ける(家事育児に励む)意識がある人は、一度交際すると早婚傾向は相当強い。

「結婚年齢」理想より早い?遅い? データから見えるホンネ http://mixi.at/adh5o7A

30歳くらいまでは結婚や出産をしてもしなくても良いという意識の場合、結婚時期は遅れがちになるが、どちらかの結婚願望とそのための行動力が相当に強くて、結婚か別離かの圧をかけるか、結婚に不安のない十分な準備があるかなどだと早婚もあるが、どちらもまずまずの結婚願望だと遅いか別れるかも多いだろう。

男性がボーナスのでる正規雇用で平均的な価値観や世間体を持っているか、家族や子供を持ちたい考えが強いかにも相当に左右される。非正規や自由人、趣味人、学者などで独占欲や家庭を持ちたい願望も弱ければ、結婚は遅れるかしないことも多い。良くも悪くも普通の仕事で無難な人の方が早いし決断もするもの。

○人間関係で万人に好かれる事はほぼ無理だが、学校・会社は固定の顔ぶれなので「話せる人がいない・疎外感」は誰でも一定のストレスにはなる。

卒業文集からも「ハブられた」中川翔子さんが見つけた自分の居場所 (ウィズニュース – 08月26日 06:50) http://mixi.at/adkwC3Q

学校・会社は毎日同じメンバーで顔を合わせるので、基本的には単純接触効果で「仲間意識・話しやすい関係」になりやすい。逆に「気に食わない・合わない・話したくない」といったん思い始めると相互に「目に見えない壁」を築いて、あなたを軽視しているの間接的意思表示や勢力争いの問題がこじれることは大人でもある。

個人レベルの自己啓発や処世では「他人の印象はどうでもいい」とは言えるが、絶対行かなければいけない会社・学校を楽しく過ごそうと思えば、極端な人間関係軽視は自らのメンタルヘルスを崩しやすい。挨拶しない、笑顔なし、話しかけないだけでも、毎日会う相手なら間接的敵意と解釈されるが、意図的か集団的かの違いもある。

中学生の「その友達に嫌われているかもしれないの悩み」は考えるだけ無駄かも。渦中にあれば悩むが、結論は「好かれようとする相手+嫌われる事を心配する相手」は時期の違いはあれど自然に疎遠になる。友人も恋人も大半は過ぎ去っていく他者だが、その中で稀に残る非義務的な人や関係は相互の興味・好意の釣り合いがある。

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マスコミはなぜ犯人の卒アル写真をさらすのか?、人がいじめをやめられない原因、所沢中学2年殺人事件の雑感など

○社会的な関心と影響が大きな殺人・強盗・指名手配など凶悪事件は加害者・被害者の写真なしだと事件の悲惨な現実感が曖昧になりただの名前・文章で消費される懸念はある。

マスコミが事件報道で卒アル写真を晒すのはなぜ? プライバシー保護と「犯罪抑止」の問題 (キャリコネ – 08月21日 13:20) http://mixi.at/adfKwdH

最大限にプライバシーを保護するのであれば、連続殺人・猟奇殺人などを除いて「写真・情景・再現VTRなしの匿名報道」になる。「昨夜、東名自動車道で煽り事件が発生し、興奮したA容疑者が被害者のBさんを威嚇して殴りつけ全治1ヶ月の怪我を負わせました」の文章だけで報じられて終わり、リアリティが極端に欠ける。

加害者も被害者もどこの誰だか全く分からないということになると、ニュースの内容・事実自体への関心度・認知度も当然低くなるわけで、すべての事件・事故の報道が無味乾燥化して社会的な問題・事件に無関心になる恐れがある。被害者の名前・写真によって、事件・事故への関心度や署名数などが格段に変わるケースも当然ある

○所沢中学2年殺人事件は、広義のいじめに対する報復事件だが、加害者側に言語能力・社会性の未熟さという発達障害的な特徴が指摘されている。発達障害の有無ははっきりしないが、「(被害者少年から誘われて)我慢して嫌な友人関係を続けていて、仕返しの機会を伺っていた」という歪な関係を早めに解消すべきだった。

被害者の本郷功太郎さん(13)の嫌がらせの程度は分からないが、直接の暴力というよりは教科書を隠したり言葉でからかったりというレベルのようである。殺害されるほどのいじめとは到底言えないが、「継続的な嫌がらせ・屈辱的な関係性」などが被害意識の芽生えやすい思春期の少年に復讐心の悪影響を与え続けたのかも。

殺された少年の親御さんからすれば「それくらいのことで殺されるなど許せない・加害者少年に厳罰を臨む・自分にとっては将来が楽しみな可愛い子供だった」ということに当然なるだろうし、極端な不良や問題児というわけでもなかったのだろうとは思う。「人の嫌がることをし続ける潜在的リスク」が最大幅で振れた事件だな。

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AT車になって交通死亡事故が増加しているわけではない、高齢者になっても好かれるためのポイント、安価な合葬墓の増加に悩む寺など

○AT車がほぼ無かった1970年に交通事故死傷者の一次ピークがあり「98万1096人」が死傷、10万人当り「16.33人」が交通事故で死んだ。AT車ばかりの2017年は「2.91人」で交通死亡事故は激減している。

なぜ、AT車はブレーキの踏み違いが多発するのか。その対策を考える (HARBOR BUSINESS Online – 05月07日 08:40) http://mixi.at/a8bkbtF(05月07日)

高齢者の事故が多少増えているとしても、統計的には交通死亡事故は1970年代からほぼ一貫して減少トレンドにある。現在でも数字的には非高齢者の死亡事故が多く、AT車普及と道路整備によって逆に交通事故は減ったと解釈するのが正しい統計の見方だ。昔はネットがなく人権も低かったため、そこまで騒動にならなかった。

確かに、高齢者から免許を取り上げ、大型車のMT車率を高めれば、わずかに死亡事故は減少するかもしれないが、10万人当り2.91人の交通事故死亡率というのは、世界的に見ても低い水準で日本が特別に交通死亡事故の頻発地域という見方は正しくない。平和な時代、人権意識の高いネット社会で、他の話題が減った影響。

近未来においては、ヒューマンエラーをゼロにする全自動運転車、道路インフラのAIによるシステム管理が行われることになり、交通事故は限りなくゼロに近づくかもしれない。

現代人は、意識の上で事件事故が一件でも起こってはいけないというゼロリスク社会を実現したいと思っているので、最終的にシステム管理に移行しそう。

http://jafmate.jp/blog/news/180115_4.html

交通死亡事故の統計的推移の記事。70年は約6124人に1人が交通事故で死亡していた。それが17年は、約3万4364人に1人の割合となった。交通事故死する確率が5.6倍も低くなったということで、それだけ安全になった。

○現代では人(世間)から良く見られる「良し悪し」の価値が落ちて、自分の感性・感情に基づく「好き嫌い」の価値は上がったが、「好き嫌い」のみで順風満帆・平均以上を長期継続できる人はある種の天才でもある。

あなたは「良し悪し族」? それとも「好き嫌い族」? この違いが人生を左右する! http://mixi.at/a8aXvSx

○高齢になって家族に好かれる人と嫌われる人は確かに分かれる。好かれる典型的な父は「口は出さないが金は出す頼れて話せる親父」ではある。

66歳男性が風呂場で涙… 友人もいない老後を憂う相談者に鴻上尚史が指摘した、人間関係で絶対に言ってはいけない言葉 (AERA dot. – 05月06日 16:00)  http://mixi.at/a8a5Qo4(05月07日)

嫌われやすい高齢男性の典型的タイプは、中年期以降からの積み重ねも含め、「話題・行動・人間関係が自己中心的かつ他者否定的な人」になる。特に家族から嫌われる人は、DV・借金・不倫など問題があった人は当然だが「家族を貶める人・悪口や批判、自慢を言い続けた人(会話すると気分が悪くなるのイメージ)」だろう。

中高年男性は幸運や人に恵まれた人、家族や周囲に恩恵を与え続けてきた人を除けば、基本は孤独になりやすい。孤独を回避したければ「自分が寂しいから行動する」のではなく「自分を必要としてくれる人・場のために役立ちたい」がなければ難しい。高齢になると自分を認めたり心配したりしてほしい気持ちが前に出れば嫌われる。

ある程度の年齢になって家族から徹底的に嫌われていたら(目も合わせない・話もできないなら)、諦めて一人で楽しむ方向で模索し、時々の関係を前向きに楽しんだ方がいい。自分が良いと思う人に好かれることは不可能だが「自分を必要とする場所・人」は必ずあるので、自分の楽しみや承認を二の次にして貢献すれば人は寄る。

というより、66歳でハッと気づいて、改めて孤独や疎外に苦しむのは、人生観や人間関係の洞察・見通しに甘さがある。それまでの人生で家族やきょうだいに特に好かれているわけでもなく、自分がその人たちを笑顔にするために積極的に貢献してきてないなら、退職したからといって急に集まってきてワイワイ過ごすはずがない。

極論すれば、人は直接的にせよ間接的にせよ、何らかの魅力・メリット・楽しさ・恩義・負い目・運命などをその相手に感じていないと、自発的に中高年になってから近寄ってきてあれこれ世話を焼いたり機嫌を取って遊び相手になってくれるはずもない。そうしたいなら、そうしたい生き方を実践していなければならない。

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SNSを介して伝わる友人知人の死について、 現代における貧困の自己責任の意識、 イモトアヤコさんの登山歴と現代の登山の意義・情報など

○SNSを介して伝わる「友人知人・元恋人などの病気や死」はこれから確かに増える。3年近く前によく話したマイミクが亡くなっていたのも衝撃だったが「文字・観念のウェブの世界」は無限の時間が流れている錯覚もあれど人は日々老いている。
http://blogos.com/article/278593/?p=2

サイトやブログ、SNSに数十年以上もの精神活動・コミュニケーションの痕跡を残したまま、この世をいつの間にか去っていく人が増える。言葉・観念に刻まれたその人間の精神活動は有限性の運命を受けずに、サーバーから消去されない限り(どこかにコピーされている限り)生き残る。ウェブ社会の面白さでもあり奇妙さだ。

入水自殺した西部邁さんは、「長らく評論活動をしてきたが、本を書いても議論をしても講演をしても社会はまったく変わらない。(評論活動に捧げてきた自分の)人生は壮大な無駄だった」と語るが、社会や他者、歴史が変わるかどうかは、最長でも100年程度しか生きられない個人にとって関与の限界が自ずから知れた問題だ。

○中流以上が「貧困は自分のせい」と語る時、格差隠蔽のポジショントークだが…日本の貧困層の多くは革命も抵抗もせずひきこもったり孤独死が多く、誰のせいにもしてなさそうだが。 — 「この国での貧困は絶対に自分のせい」 落語家・桂春蝶が自己責任ツイートで炎上 (http://mixi.at/a3zvuVQ)

日本の貧困層は、団結・連帯・運動がなく個人でバラバラに分断され、政治・社会を責めるより自分を嫌悪して恥を感じるというのは概ね今も昔も変わらない。日本にはプロレタリア階級礼賛のマルキシズムが根付くことはなく、政府のせいや社会のせいにして怒るよりも、政府や企業、社会にすがる「お上意識」のほうが強いだろう。

「この国での貧困は絶対に自分のせい」という発言の真偽については、「事実認識が間違っている・貧困層やその子弟を追い込むだけ」であるが、日本人一般の常識観念や自意識として「貧困は自分のせい」と思う人はやはり多数派である。自己責任論や合理主義で貧困・労働力の再生産が停滞したことも、人口減少の一因だろう。

麻生太郎副総理が昔「貧乏人は子供を産まないほうがいい」の発言で物議を醸したが、日本人の階級意識や自己責任論に皮肉に言及したもので、人口減少トレンドや労働再生産の停滞が現象として現れた。落語家・桂春蝶のツイートの怖さは、日本人一般が無意識としてそれを受け入れ、ネガティブな行動で社会が縮小している事だ。

○母親厳罰論も生命の教育論も、両親の支援がない孤立した貧困・無知な10代の妊娠・子供殺害を抑止する力は持ない。育てられない子供が子供を産むなといっても、既に99%以上の10代女性は産んでない。 — 殺人容疑:2歳長男の首絞め殺害 18歳母を逮捕 青森 (http://mixi.at/a3z2Zfm)

99%の同級生は高校生以下の年齢では子供を産んでいない、95%以上の同級生は高校進学をする、57%の同級生は大学・短大にまで進学する。専門学校まで含めれば7割以上は高校卒業後にも学校に行く。そんな現代において10代で妊娠出産する女性や家庭環境は稀であり、家庭・学校が機能していないケースが多い。

現代の少子化問題を解決する困難の主要原因は、18歳以下は若すぎるとしても、「若い時期に子供を産んで育てる環境・意志・基盤」が多くの男女にはないということだろう。ある意味では、妊娠出産は相手がしっかりしていなければ、何もない若い女性にとって最大の罰ゲーム、犯罪者になりかねないストレスと負担になり得る。

出産は歓迎・祝福されるべきことで、政治や社会も表向きは少子化対策を掲げるが、実際に10~20代前半の仕事も財産もない社会経験もない女性が妊娠出産して、相手の男から逃げられたらどうなるのかは想像に難くない。だから10代で妊娠する人は通常まずいないともいえる。よほど覚悟がなければ難しい。

もちろん、覚悟と度胸あるいは色気と愛嬌でどんな困難もパワフルに乗り越えていける女性もいるので、一概に10代から20歳前後で準備がない状態で妊娠出産すれば危ないともいえない。だが子供のためにどんな仕事でもするにせよ、頼れる男を探すにせよ、一般的人生と比較すればリスクは増える。

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見た目(ビジュアル)を承認されたがる現代の文化と美人論、 18歳年齢の人口減少について、 眞子様の婚約延期(身分違いの恋)についてなど

○現代の未婚化・少子化にも関係する「美へのこだわり・潜在的な個人優生学」がネットで語られていたが、直接に見た目の魅力を求めるとはいわなくても、現代の20代以下の若い世代を中心に「見た目を承認されたがる文化・社会風潮(反動の容姿コンプレックス)」が昭和とは比較にならないほど強まってきた。

昭和期までの女性も「見た目の評価・コンプレックス」は当然あったはずだが、「皆婚文化・非ネット社会・出会う機会の少なさ・分相応の庶民意識・都市やメディアの発展途上・見かけ重視は浅薄な悪の倫理観」が強かったので、早い時期のお見合いで結婚するなど、好き嫌いの恋愛市場原理の直接の比較を回避できた面が大きい。

みんな貧しく生活に必死だったため、昭和期までの男性も「外見を格好よく磨くメリット・周囲の評価」はあまりなく、男性社会の中心的価値観や嫉妬・やっかみもあって、現在の「ただしイケメン云々」の考え方は芽生えにくかった。美人・イケメン等は、生存に必須でないある種の快楽・娯楽で豊かな国の精神的貴族主義である。

美とは何なのかは、古代から続く哲学史・文明社会の男女の大きな課題だが、近現代に至るまで「エロスの抑圧・見かけの軽視(生活・労働力を最優先)」があったため、美学そのものも真剣には考えてこられなかった。アリストクラシーの知覚的・思索的な娯楽であり、宗教や内面の問題への置き換えに終わりやすかった。

魅力的な女性でも、あまり苦労してなさそうに見えるいつも笑顔な美人を、気に入らない(みんなが助けてくれて良い男を捕まえた職能のない美人は人生を舐めている)と思っている人が意外に多かったりする。男性もイケメンへの嫉妬がないわけでもないが、自己像を本気で肯定するのが難しい時代になったのだろう。

万人受けする型の明るく爽やかな美人は、潜在的には自分が恋愛市場や男性から見てどれくらい価値があるかを自覚しているだろうが、その自覚を(特に男には)あからさまな形で言葉や態度に表す人は少ない。他の女性と自分を比較することもまずない。表には出さないが、人生や異性の重要な選択では判断軸はしっかりしている。

容姿と合わせ年齢もあるので、人はどんなに客観的な条件が良くても、完全に「自己愛・他者比較のベクトル」における自己評価を完全に維持することは不可能である。ただ「自分の限界を受け容れる」か「誰かから強く愛される(認められた)ならそれで良いする」か「人のために生きるベクトルに変える」かでしか出口戦略はない。

しかし、人間の世界や社会における「価値判断のプライオリティー」は時代と共に移り変わってきたが、現代では「自己愛・美意識・美の鑑賞や快楽の堪能」といったかつて王侯貴族の価値観が、芸能メディア、ネット(写真投稿SNS)の影響で拡大し続けていると解釈できる。今の若年層だけに留まるかも分からない。

自分や友達、恋人などの写真をネットにアップして周囲の反応を求める文化そのものが、かなり「容姿・外見の相対比較」を意識させる文化であり、「交友範囲の多様性」を縮小して「類似性の原理(似たもの同士のコミュニティ凝集性)」を強化している。表層的文化でありつつ、水面下で進化・性淘汰とも関連する。

男と女の「美人論」の噛み合いにくさは、所有(恋愛・結婚)と美・性の堪能の違いにもある。女性は「最高レベルの唯一の美人」がいればそれでずっと満足する前提を置くが、男性は「さまざまな外見と性格・会話・性愛の多様性」の前に自制を強いられる。愛と倫理を除けば美は移ろいと多様性で流動する生命の刹那だ

男性の性選択の一つの思考実験として、「100点の美貌を持つ女性+愛想と自分への興味がない」なら、「50~80点の美貌を持つ女性+明るい笑顔と愛想、自分への興味がある」がいるとして、100点の女性はかなりの確率で選ばれない。一人の絶対的影響力は美貌よりも愛情と倫理と信義(裏切れない)において維持される。

美貌と快楽と歓待(ホスピタリティー)の相乗作用は軽視できず、それぞれに倍々の影響力をもたらす梃子の原理である。恋愛にせよ飲み屋のような商売にせよ、100点の圧倒的な美人でも敗れる可能性があるのは、70点の女性で会話と遊び・性ともてなしを極めれば、相乗作用によって合計点では抜き得るからとなる。

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現代における共同体(コミュニティ)と共同生活の可能性:生活の必要や強制・責任の弱いコミュニティは長く維持できるか?

共同体は『嫌なら抜ける・落ちた個人は切る・自腹を切らない』では長く続かない。『人の選別・価値観・哲学でつながる共同体』は余裕ある時期の拠点に近いだろう。

作家が4人で同居?渋谷で始まった共同体とは。「一人でも生きていける」40人が19部屋に

『愛情がないのに金銭や子どもを理由に離婚できない仮面夫婦』は嫌なものだが、『常に好きな人・刺激を受ける人だけに囲まれて相互扶助も機能し続ける共同体構想』というのは非現実的なユートピアニズムだろう。『理念・哲学・価値観』だけの共同体構想の多くは長期持続性を持たず内部対立か自然消滅の経緯を辿りやすい。

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