思慮し反省できるなら殺人未遂を起こさず、本当にその女性が好きなら断られたら粘着・激高せず身を引く。好きな女性を数十回も刺し傷跡を残した罪業を自省できる人なら、殺せでなく自害も有り得る。
法廷で衝立があるとはいえ、証言に立った被害女性の勇気は賞賛に値するが『自分の生命を危機に晒した上での必死の訴え』も、『自己愛(自己憐憫)・妄想と執着・所有欲・逆恨み(責任転嫁)などの業を積み重ねすぎた加害者』の耳には届かない。加害者はむしろ自分を被害者のように思って居直っているからこそ怒鳴り暴れる。
思慮し反省できるなら殺人未遂を起こさず、本当にその女性が好きなら断られたら粘着・激高せず身を引く。好きな女性を数十回も刺し傷跡を残した罪業を自省できる人なら、殺せでなく自害も有り得る。
法廷で衝立があるとはいえ、証言に立った被害女性の勇気は賞賛に値するが『自分の生命を危機に晒した上での必死の訴え』も、『自己愛(自己憐憫)・妄想と執着・所有欲・逆恨み(責任転嫁)などの業を積み重ねすぎた加害者』の耳には届かない。加害者はむしろ自分を被害者のように思って居直っているからこそ怒鳴り暴れる。
○電車・バス・雑踏の中でマスクをしている姿に違和感はないが、風邪でもないのに『接客業・レジ・窓口』などで毎日マスクをしているのは声が聞き取りにくく機械的な対応(丁寧でない等の誤解を招く)になりやすいデメリットはある。
『伊達マスク症候群』などの概念も生まれたが、『社会・他者に自分個人の姿(存在)をできるだけ認知・評価されずに最低限の仕事・用事だけこなしたい消極的・防衛的な心理』が影響しているとされる。コミュニケーションが苦手、今以上に人に興味を持たれたくない(外で他人と深く関わったり知り合ったりしてもメリットなしの)心理はあるだろう。
伊達マスクがうつ病を引き起こすのか、うつ病的・対人不安的なメンタルが先にあってマスクをするのかは『鶏と卵』で因果関係は逆転している可能性もある。現代は表情や態度、話し方も含め『高度なコミュニケーション能力・感情労働』を求められる場面が増えており、元々目立ちたくない非社交的な人は外で疲れやすいのかも。
ストレス過多や対人コミュの疲れ(人に笑顔で愛想よく振舞う余裕がなく無表情・疲れた顔を見せたくない)があり、外でも『自分の世界・私的領域を作りたい動機づけ』が働く。その自己防衛規制の現れの一つでマスクやイヤホンが使われる。現代の全般的風潮として『自分が興味ある人以外からの干渉』を嫌う傾向も出ている。
人に好印象を与え好かれるのは一般に長所で喜び・自信につながるが、『(モノでなく)自分自身に対する不特定多数の好意・応援』で成り立つアイドル業はどんな人を惹きつけるか分からず怖いな。
28歳男、起訴内容認める=音楽活動の女子学生刺傷―東京地裁支部
ビジュアルを活かしアイドル・モデルなど有名人(芸能人)になりたい人は大勢いるが、『自分の顔・名前を不特定多数に知られ熱狂的に欲望される対象』になることは、客観的には(ファンは選べない為)粘着・妄想のストーカーやサイコパスを寄せるリスクもある。公演の仕事を続ける限り、拒絶・回避の術も限られる。
この凄惨な事件は、『意図的にストーカーになるためにアイドルの追っかけをしているような妄想性・自己愛性・反社会性パーソナリティー障害の疑いが濃い異常な加害者』に目をつけられ、被害者がなまじ性格が良くて初期の段階できっぱり断れず、流れで時計のプレゼントを受け取ってストーカー事件に巻き込まれたケースだった。
○N分N乗方式は子育て支援策として悪い案ではないが、実質『年収600万以上のミドルアッパー層の減税策』に近い。独身者・低所得層の税負担は据置きで増税ではないが、高額の所得税を納める人は元々少ない。
年収1000万の単身者と2人子供ありを比較するモデルケースは『N分N乗方式の効果』の分かりやすさを強調しすぎた例だが、社保・経費を引いた課税所得が1000万を超える20?40代の高所得者(特にサラリーパーソン)は人数が少なくて大半の人に関係ない。単身で課税所得1000万なら330万負担には耐えられる。
反対に年収100~200万台の所得の少ない人、200~400万台の最もボリュームがある所得層では、元々課税所得が小さく所得税負担よりも社会保険負担(年金・健康保険)のほうが大きいくらいになる。N分N乗方式は中流サラリーマンの減税策だがこの層は既に子供がいる人が多い、追加の少子化対策効果は限定的だろう。
一人っ子の中流サラリーマン世帯が二人子供を持つようになる可能性、あるいは月数万単位の消費を増やす消費刺激効果は期待できる。ただ低所得者対策とか追加的な結婚・出産の増加という面では、元々の所得税負担が薄いので『減税政策』は効果が弱い。どちらかというと社会保険減額や消費税据え置きのほうが効果があるだろう。
三鷹ストーカー殺人事件は陰湿なリベンジポルノも同時に行われた凶悪事件で、主観的な悪質性は高く応報の見地だと量刑は軽く思われるが、類似の殺人間で大きく量刑を調整すれば逆に裁判の公平性を揺るがす。
裁判員裁判では『量刑分布表』が配られ参考にされるのが問題という両親の気持ちは分かるが、裁判員の『主観的・応報的なその場の思いつきの量刑の重さ』だと裁判員裁判はどんな思想信条の人が裁判員になるか(応報感情が強いか不遇な過去に同情するか)で大きな量刑の差が出てしまう。判例を踏まえた大まかな目安は必要だ。
殺人の量刑が『赤の他人・無差別』より『人間関係・男女関係』があったほうが軽くなりやすいのはおかしいの意見は、状況や立場、関係性で変わってくる話だが、一般論として人間関係のトラブルや過去の怨恨など何もない赤の他人から不意に襲撃され殺されるほうが悪質性が高いというのは、社会秩序維持の観点では合理的だろう。
ストーカー殺人事件は10~30代の女性の恋愛というか男性選択(男性の本当の性格・対象喪失におけるストレス耐性)の難しさを示すものであり、確かに自分がもし女性で池永チャールストーマス被告のような執着心・独占欲が異常に強くて言葉が通じず別れられない何するか分からない相手と知り合ったら厄介だろうなと思う…
反社会的な猟奇性・嗜虐性が強い前頭葉機能に障害のあるサイコパスやソシオパスの疑いがあるが、『人の死・人生を狂わす干渉』に執拗に興味を持つのは先天的な気質嗜好か、何か過去に契機があったのか。
妹に『タリウム投与の実験・殺人未遂の経験・殺人願望』について何度も話しているようだが、姉妹の関係はどのようなものだったのか、犯罪心理・嗜虐趣味の共有で妹に悪影響が及んでいなかったかも懸念される。10代女性のサイコパスの事件では『毒物投与+症状観察』のケースがあるが、人を実験するモノと見なす傾向がある。