「社会」カテゴリーアーカイブ

鹿児島県知事の『コサイン教えて何になる』の発言:男女のジェンダー差別・数学軽視の一般論

女子限定の『学問不要論』なら男尊女卑の現れだが『三角関数以外の社会・植物の知識』を代替案にしてるので、自分の『数学コンプレックス』の吐露か。博物学・社会学を勧めていて実学志向でもない。

女子教育「コサイン教えて何になる」 鹿児島知事、撤回

男女差別意識の現れの可能性もあるが、『女性は家事育児に専念すべきで余計な学問・知識は要らない』というテンプレートな伝統的ジェンダー押し付けの主張ではなく、この発言の趣旨は場面・文脈からすると『この知事がイメージする何か実際に役に立ちそうな学問・知識』のカテゴリーの中に、ただ数学が入っていないだけかもしれない。

記事だけでははっきり分からないが、『女子生徒に(女子高で)コサイン教えて何になる』といったなら女性差別的だが、『高校でコサイン教えて何になる』であれば、この知事の『学問体系の理解・応用の浅さ+職業人の生活経験の限定性』から数学を役に立たない学問と決め付けているだけ。日本的な文系脳のテンプレではあるが、東大卒の知事がその見識に留まっているというのは情けない。

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若者の自殺と誰にも相談しない心理:相談に乗れば他者を救済できるか?共感・援助の難しさ

自殺を忌避・断罪すべき絶対悪と見なして自殺者を責めるような意見もあれば、自殺を個人の自己決定権の一部や生命力の希薄さによる運命と見なして自殺者を容認するような意見もある。

■高1女子が転落死=飛び降り自殺か―新潟

大半の人は差し迫った『自殺願望(消えてしまいたい衝動)』に今の時点で囚われているわけではないので、実際に自殺企図をして死んでしまう人の本当の心理や衝動、苦悩について十分に共感することができない。

共感も受容もできないから、その自殺衝動を抑制する方向に誘導する話し合いを粘り強くすることは極めて難しい。自分の人生や人間関係で忙しい大半の人は、第三者の自殺願望の心理を短時間であれば聴くかもしれないが、毎日毎日延々と嫌なことを聴き続けるストレスフルな作業からは逃げ出してしまうだろう。

自殺が起こった後で人々は『相談してくれていたら・誰かを頼ってくれていたら』とはいうが、実際には差し迫った自殺願望や終わりのない希死念慮を抱えた人の話し相手になるということは生半可なことではなく、非常にストレスフルでうざったくて面倒な作業である。

金銭的対価を貰う精神医学やメンタルヘルスの専門家でさえ、筋金入りの自殺志願者や境界性パーソナリティーのしがみつきからは逃げ出してしまうか、感情移入を控えた機械的な対応(投薬)だけをして境界線を引いて巻き込まれないように自衛することは少なくないくらいなのである。

大半は途中から我慢できなくなって聴いている側の人間のほうが『甘ったれるな・誰だってつらくても頑張ってるんだ・いつまで意味のないことを考え続けているんだ・現実を見てやるべきことをやれ・人を暗くさせるような話ばかりするな(私の人生までつまらなくなる)・死にたいなら私に宣言せずにやってくれ』という叱責や説教、諦めになっていくのが関の山である。

あなたが死んでしまうくらいなら、私は何日間でも、何ヶ月間、何年間でもあなたが訴える『人生がつらくて死にたい・生きることに意味がなくて苦痛なだけだ・自分には価値がなくて他人にも社会にも興味がない・誰かが憎くて憎くて仕方ない・生きていくのが面倒だから何もしたくない・学校も会社もずっと行きたくない(ありのままの無為な私でずっといいよと言って欲しい)』といった内容のネガティブな話題を粘り強く聞いてあげると言える人、更に実践できる人がどれだけいるだろうか。

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群馬県で男子中学生が自殺:学校・会社に行くべきという常識はあるが臨機応変な考え方と支援が必要

人生を所与の義務や関係の束縛と捉えれば“一切皆苦”で絶望しやすい。視野狭窄や無理な過剰適応も自殺リスク。学校・会社は『自己と他者のポジティブな相互作用の場』として選択し活用すべき環境以上のものではない。

男子中学生が自殺か=電車にはねられ―群馬

“学校(会社)に行かなければいけないという社会規範”は、精神疾患や希死念慮、絶望感に陥らない限りは常識的なものとして認識されるが、“生きるか死ぬかの瀬戸際の苦悩・落ち込み”がある時には『今の状態の学校(会社)に死ぬ思いをしてまで行かなくても良いという選択』もあると教えておくことが必要なのか。

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高学歴ワーキングプアはなぜ生まれるのか?:学歴や学力と稼ぐための意志・能力・適応

高学歴は会社員・公務員のサラリーパーソン上層のパスポートにはなるが、学力・研究能力自体はビジネスや企業適応とは関係がない。修士博士の学位は医師・法曹・エンジニア・科学者でなければ、企業・団体の需要が余りない。

京大院卒でゴミ収集バイト。なぜ高学歴プアという現象が起きるのか?

大学院は建前の上ではアカデミシャン(大学人・研究者)や高度なスペシャリストを養成する研究教育機関だが、米国のビジネススクールなど例外を除いて、市場経済や企業社会への適応性を高めることを目的としていない。民間では自分の専門が企業の研究開発部門にマッチしなければ、院卒は学卒より採用されづらい。

特に文学・哲学・史学・社会学などの文系分野の大学院は、企業のビジネスや利益になる研究開発部門とは殆ど無縁だ。高度な文献学・教養・思考能力に基づくリベラルアーツや言語的能力は人生を豊かにしてくれるが、それが企業で特別に求められる場面は、一部の教育産業を除き想定しにくい。教員・講師での応用はできるが。

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大阪府高槻市の中一殺害事件:子供の夜遊びと放任主義の親を責める声も多いけれど。

少女遺体「野宿する」とLINEで
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3571756

子供が被害者になる事件が起こった時に、『良からぬ悪友との交友関係・いじめや対人トラブルの兆候・夜遊びや異性交遊・親の過度の管理主義や放任主義』などが明らかになると、事件の真相や加害者の責任よりも『子供本人・親の落ち度』がクローズアップして養育責任・自衛意識の欠如として叩かれやすくなる。

確かに、小学生とほとんど変わらない体格・意識の小さな中学1年生の子供に、完全に『フリーハンドな行動の自由(夜間外出の自由)』を与えることは危険性が高いし、もしもの時に適切な対応や責任を取れないことが多い。

子育て論や法律論としては反論しようのない常識の正論ではあるが、正論過ぎるが故に『我が子が被害を受けたばかりの親・家族』に向けて語る言葉としては、ほとんど無意味であると同時に今言ってみても仕方のないこと(おそらくその親としてもいいか悪いかの常識論としては承知していたが実行できなかったこと)である。

犯罪に対する自衛意識や予防策を強化するために、『被害者の落ち度・問題点』を洗い出して警鐘・忠告の材料にすることには、『自分たちが危険な目に遭わないためにできるだけ夜間は出ないようにしようという意識の強化』もあるが、それ以上に『決まったルール・常識を守らなかったからあんなひどい目に遭ったんだよという自己責任・自業自得』を煽る好ましくない側面もある。

このケースは、親が監護責任を果たすべき12~13歳の子供であったから、『親がもう少しきちんと子供の行動・危険回避に責任を持って指導すべき・もっと子供が何をしているかに興味や注意を持って安全な生活ができるように守ってあげるべき』という正論は磐石なものだろう。

だが例えば、成人男性が夜間の帰宅時にコンビニに行っていきなり鉄パイプで殴打される強盗事件に遭ったとして、『こいつは夜間に出かけたから被害に遭ったんだ』となり、成人女性が薄暗い早朝の出勤時に路地に引きずり込まれて性被害に遭った場合に、『この女性は明るくない時間帯に短いスカートで出勤しているから悪いんだ』というような被害者の落ち度を過度に探ったり、人間のあらゆるリスクをゼロにしようという極端さに傾斜する可能性も否めないのである。

そもそも、現代では男女雇用機会均等の促進によって、深夜早朝のコンビニでも若い女性店員が働いていて、長距離の運送をしている女性ドライバーだって増えていて、『女子供だから夜は外に出てはいけないというルール』は仕事や生活の上でも守りづらい状況にある人が多い。

学校の部活でさえ、終わって帰る頃には9時過ぎくらいになることは珍しいものではないし、不良でもギャルでも何でもない真面目なそうな学生が9時~10時以降に自転車で帰宅している姿などもざらに見かけるものだ。疲れきった感じのサラリーマンの女性が終電で帰っている風景などもありふれた風景の一つであり、日が差さない夜になったら血に飢えたドラキュラや悪鬼が徘徊するとでもいうようなイメージで、日常生活や仕事・人間関係をこなしている人はまずいないはずである。

個人的には『夜間・早朝の外出』も割かし好きなほうだが、登山のアプローチでちょっとした市街地を夜中に歩いたり、映画館のレイトショーの帰りがけに徒歩でわざと1時間くらいかけて真夜中の道をテクテク歩いたり、ゴミ捨てのついでに早朝の繁華街をぶらついたりもする、夜でも0時くらいまでは結構ランナーやウォーキングの人と擦れ違ったりもするので、『静かな夜・朝の時間帯での運動や感覚の魅力』を感じている人も少なからずいるのだろうと思う。

夜間外出は、大半の成人男性の視点では目だった危険はまずないとも言えるが、無関係な他者からの殺人事件に遭遇するとしたら、年間発生件数からしても相当に運が悪いとしか言いようが無いが、腕力・抵抗力の面で弱者と見られやすい女性・子供の場合には男よりも一段リスクは上がるだろうから、『場所・時間』によっては一人での外出は気をつけたほうがいいのだろう。

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大阪府高槻市の少女殺害遺棄事件:少女の身元不明・猟奇性・殺害の動機不明など不可解な点が多い

大阪府高槻市の駐車場に若い女性の遺体が遺棄された事件。被害者は小中学生くらいの10代の子供と推定されているが、未だ身元も判明せず親からの問い合わせもないのは不可解だ。『無戸籍児・親(養育者)の虐待殺人』等の可能性もあるが、数十箇所の傷・顔面を粘着テープで巻く等が異常・猟奇的でどこかサイコパス的な心理構造を意識させる。

物流センター所有の広い駐車場で、薄暗くて見通しは悪いが、真夜中でも1時間に1回は車の出入りがあり、夜中に定期の見回りもしているという。続報で遺体発見の1時間前に防犯カメラに遺棄に関係したと見られる二台の車が映っていたという。猟奇性を感じる事件で単独犯でないのは珍しいが車の特定ができれば逮捕に近づく。

『遺棄現場の選び方』や『二台の車で現場に乗り付けたこと』が、捜査を混乱させる計算でないのであれば、犯人の遺体遺棄はかなり行き当たりばったりで杜撰なものである。実際、遺棄して二台の車が出て行った30分後には仕事のトラックが現場に入ってきてすぐ遺体が発見されており、30分遅れていれば鉢合わせしていた。

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