「社会」カテゴリーアーカイブ

学歴とは“個人の能力と意思の指標・社会階層・親の社会資本・教養文化(専門志向)”を想像させるアマルガム(融合)

学歴は『努力の証明書』というのは一面の事実を含むが、学力・学歴を巡る競争は厳密には遺伝(適性)・環境・意思における『機会の平等』を担保していないという意味(生まれてきた時点と育てられている過程においてスタートラインが大きく前後してしまうという意味)では、『本人の自己責任と努力の帰結』として片付ける事が難しいものでもある。

現代でこそ、学歴インフレによって大学の難易度を問わなければ、過半の人が『大卒』になれる可能性には開かれているが、本当の意味で『勉強・知的作業・知的生活(教養文化)・専門家の訓練への適性』のある人というのはかなり限られている。

■「学歴は努力の証明書」で福田萌が炎上 ネットは「安っぽい自慢」「親のおかげと気づけ」と批判

多くの人は名目上は大卒であっても、本当の意味で知的な活動・研究や専門的なトレーニングが好きなわけでもなく、就職に有利であるからとか将来何らかの役に立ちそう(不利益にならなさそう)とかいう理由で進学しているわけだが、一定以上の学力があると推測できる大学の名前は『その場において求められている勉強・資格取得などに取り組める人材』の最低ラインを担保していると見なすことは可能だろう。

近代社会における学歴というか大学教育の主要な機能は『知識と数理の操作活用能力を試す形の社会的・職業的・知的なスクリーニング』であるが、端的には『高級官吏・専門家・研究者・教育者・企業の幹部候補・知識人(文化人)』としての適性が高いとみなせる人材を学生段階で効率的に選別するシステムとして大学教育は国家や企業、学校に利用されてきた歴史を持つ。

そのことが高学歴であるほど、一般に就職に有利(所得が高くなりやすい)と言われることにつながっているが、現代では高学歴ワーキングプアや就職した企業とのミスマッチ(早期離職後の就職難)、本人のメンタルヘルスの脆弱性などの問題もあって、傾向性としての高学歴優位は変わらないが(そのように官庁・企業・専門業種の序列的な階層構造が設計されていて社会上層の高学歴者の人的ネットワークがあるのだから当たり前だが)、個別事例では学歴があっても経済社会への適応性は高くないというケースも少なからずあるだろう。

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千葉県船橋市の18歳少女殺人事件:無知・無経験のままに社会に投げ出される未成年者、しないならしないでも済む悪事

千葉県船橋市で18歳少女が生き埋めにされて殺害された事件は、『家庭・学校・職場などに居場所がなく目的意識もないドロップアウト組の少年少女たち』によって引き起こされた事件であり、『子供の保護・教育に責任を負うべき親(家庭)の不在やネグレクト』とも関係しているように感じられる。

■千葉・少女監禁事件「事前に穴掘った」 容疑者供述

井出裕輝(20)と中野翔太(20)の両容疑者に監禁・暴行を依頼した(殺害許可を与えた)18歳少女は、被害者の18歳少女に『金銭トラブル』などで強い怨恨・殺意を抱いていたとされる。メディア報道では返済されていないとされる借金の金額は10~20万円というそれほど大きくない金額で、金を貸している側が殺害しなければならない理由にはならないだろう。

殺された18歳少女の具体的な家庭環境(家にいたくてもいられないような状況だったのか否か)は不明であるが、高校を中退して特別な資格・技能・就職先・貯金もないままに家出をした時点で、常識的には自活不可能な状況であるか風俗業(夜の仕事)・悪友に取り込まれやすかったり、犯罪に巻き込まれやすい状況に陥ったとも推測される。

ホスト通いで散財していたという話もあるが、友人知人の家に転がり込んだり借金をしてやり過ごす不安定な生活を続けているうちに、高校時代に知り合ったとされる加害者の18歳少女との間に深刻なトラブルを抱えたようだ。しかし、金銭トラブルにせよ異性トラブルにせよ、自分自身が殺されるような危険な状態にあるわけでもないのに、相手を殺さなければならない必要性や理由がない。

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インドの男性社会の揺らぎと性犯罪の多発化:法治主義と自力救済・群集心理の私刑

インドの旧来的な伝統社会は、ヴァルナに基づくカーストの身分制度と家父長が家族を統制する男権秩序によって運営されてきたが、インドにも押し寄せた近代化・産業化の波と新興国としての国際社会へのコミットは『カーストの身分差別の禁止・男尊女卑の慣習の廃止・女性の権利と社会参加の拡大(男性の社会的経済的な優位の抑制)』を次第に進めていく。

住民数千人がレイプ容疑者を惨殺 制御きかぬ“怒り”、収拾つかぬ「レイプ頻発インド」

約13億人の巨大人口を抱えるインドは経済格差・教育格差が極めて大きく、膨大な数のスラム街・貧民窟が存在しており、近年はBRICsの一角とされたインドの経済成長もブラジルやロシアと並んで停滞気味である。

低賃金の第一次産業に留められ教育・職業を与えられず、新興経済社会の格差・貧困・屈辱に喘ぐインド人男性の相対比率の上昇が、インドの『社会不安・治安悪化・レイプ犯罪(性暴力による女性の侮辱・制圧)』の根底にあり、新興経済社会の果実から遠ざけられている不満のはけ口が、学歴取得・技術や資格の習得による社会進出を目指す(男性よりも良い社会経済的処遇に向かおうとする)都市で学ぶ女性に向けられやすくなっている。

ナイジェリアのイスラム過激派の“ボコ・ハラム”も、教育を受けて知識・技能を得ようとする女性、社会経済的に自立しようとする女性(男性の家長権に服属しない女性となる可能性)を非常に嫌って憎んでいるが、イスラム国やパキスタン、インドなどで勃発している集団的な性犯罪(女性の自由・権利を暴力で蹂躙しようとする犯罪)は『男性社会の既得権崩壊(女性の台頭・自己主張)に喘ぐルサンチマン』に由来している。

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動物としての義務や社会貢献の義務から考える“子無し税”と“呪縛されし近代人の生殖と労働+必然的少子化の時代”

「子無し税」議論 様々な意見噴出

行為選択の自由意思が働かない自然界には義務も責任も権利もない。何より出産や育児にカネがかからず学校も税金も年金もない、子育てに失敗も成功もない。

シマウマに飛びかかって殺害し捕食したライオン、弱者を集団で痛めつけて群れから排除するチンパンジー、ハーレムの雄を追い出して雌を強姦し子を殺したゴリラ、小鳥に鋭い爪を突き立てて捕食する鷲、これらの動物個体は『他者の権利(生存権・人格権)』を侵害した犯罪者ではない。

動物には概念操作の共有によって守られる権利も義務もなく、遺伝子のプログラムと環境条件と自然界の摂理(暴力的競争・自然選択・性選択・突然変異)に従って導き出される冷厳な現実の積み重ねだけがある。

子孫を残すのは『動物としての義務』という使い古されたクリシェ(定型句)はあるが、正確には動物としての自己遺伝子保存は『意思的・強制的な義務』ではなく『遺伝子情報のプログラム』であり、人間の選択的な生殖活動(相手の選択・婚姻や出産の選択・価値判断の選択)は動物的次元ほどにはプログラム化(自動化)されていない。

ヒト以外の動物は価値判断をしないために、哲学史において『機械主義的な自然観』は未だ説得力を持つし、よくよく考えれば『自己遺伝子の保存の意味』すら動物は何ら意識的に思考しているわけではなく、『個体としての自我意識・損得感情』によって性的・生存的な競争をしているわけでもないのだ。

気づけばただ現実の結果として、ある個体が生存を維持しある個体の遺伝子が複製されていた(性選択に成功した)というだけであり(厳密にはその結果の含む意味・仕組みに気づける個体そのものが人間という種以外にはいないのだ)、深く考えれば『自然界の摂理・動物だけの世界』というのは自動的・機械的なものでかなり恐ろしい感覚を刺激する不可解さ、無意味さに満ちている。

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川崎市の中1殺害事件と凶悪犯罪に行き着きやすい不良文化・集団関係

暴力・非行・学年などで階層秩序が形成されるヤンキー文化は1990年代にはかなり廃れ、お洒落で丁寧な若者が主流になってきた印象が強いが、犯罪強制から殺人までいく不良集団があった事に驚きもある。

<川崎中1殺害>一体何が…目周辺にあざ、「殺されるかも」

この事件の加害者も含め、現代の不良はかつての暴走族やヤンキーと違い、分かりやすい外見・大声の示威もなく、格下に見た知人以外には暴力の雰囲気も出さないので、部外者にはどういった性格・価値観の人間かが伝わりにくい。『不良文化の時代的変質』もあるが、主犯格ではない取り巻きの未成年にしても、『殺人の共犯』まで行く集団に参加した不利益は余りに大きく取り返しがつかない。

『閉鎖的な人間関係における犯罪や暴力の問題』は、少年犯罪に限らずDV・監禁・モラハラなど人間社会の普遍的な悪事の根本にあるが、自分がどれだけ悪事ができるかを張り合う『虚勢・示威がエスカレートする集団心理』もある。参加・脱退が不自由そうな集団、権力・威圧で何かを強制される集団には近づかないが吉の処世術もあるが、若い頃はちょっとした誘いや誘惑、浮かれ騒ぎに引き寄せられやすい。

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STAP細胞捏造事件の小保方晴子氏に対し、理研が『刑事告訴』を検討:メディア・予算利権・女性イメージに揺さぶられた科学研究

STAP細胞や研究不正問題は小保方晴子氏一人だけのスタンドプレイとセルフブランディングではなく、グランドデザインを描いた笹井芳樹氏や理研の組織も関係していたと思うが……ヒロイックな天国から地獄への温度差が激し過ぎる。

小保方氏は「懲戒解雇相当」 理研、「STAP細胞」問題で処分発表

生命科学の研究分野に『カネ・名誉・国際競争・メディア』が過剰に絡みすぎている構造的腐敗の問題も指摘されるべきで、生命科学やロボット工学はじめカネになり得る科学分野が『自然事象の真理・法則・介入の探求』でなく『世俗的なカネ・地位・雇用・名誉・注目』をメインにして競争し合う異様な熱気を帯びた反動もある。

笹井芳樹氏にとっては『生命科学分野の国際競争で抜きん出て直近のセンター長ポスト獲得や予算増額の布石』、小保方晴子氏にとっては『科学者としてのキャリアや評価を固める為のメディア受けする演出』という点で利害が一致した可能性。『理論的に可能なSTAP現象』を盲信し実証実験を後回しにしたのは致命的ミスだった。

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