「社会」カテゴリーアーカイブ

松本智津夫死刑囚の三女が『教団の役員』と認定した国を提訴:オウム真理教事件と社会の偏見・差別の問題

麻原彰晃には妻松本知子との間に6人、婚外子が6人で計12人の子供がいるが、オウム真理教という『反社会的な閉鎖世界』で生まれ教育された影響は大きく、オウム外の一般社会に出ようとする子は少ない。

特に3女はオウム真理教がサリン事件で強制捜査される以前から、アーチャリーというホーリーネームを与えられて麻原彰晃の後継者のような処遇と教育をされていたという。その分、閉鎖的な宗教団体における価値観の刷り込みの影響もあったのではないかと思われる。

松本死刑囚の三女が国を提訴 「教団の役員」認定で

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『日本人の親切さ』と『上位国の人の親切さ』のイメージの違い:日本人の文化・態度とgenerousの指標

翻訳記事のタイトルは“Guess Which Nation Is the Most Generous in the World”とあり、”generous”という単語は日本人がイメージする一般的な『親切さ・優しさ』とはやや語感が異なるのではないかと思う。

日本は”generousな国民性の順位”において90位だが、これは”gender equality(男女同権の度合い)の順位”と同じくらいに低い順位であり、文明的で先進的な経済大国としてはやや不本意なランキングといった印象は受ける。

単純に辞書的な意味を取っても、”generous”は『寛大な・好意的な・金などで気前の良い』といった意味である。

世界で一番親切だと認定されたのはあの国とあの国!

『日本人が外国人と比べて親切ではない』と言われると不満・反論がある人でも、『日本人が外国人と比べてあけっぴろげにフレンドリーではない(困っている人のために物質的・経済的に気前が良いというわけではない)』と言われるとそれほど違和感を感じないのではないだろうか。

社会心理学の比較実験では、日本人はアメリカ人やイギリス人よりも個人主義的な判断をするという意外な実験結果が出ているが、これは『職場・学校・地域での持続的な人間関係のない相手に対しては(一回限りの人間関係という実験環境ならではの状況では)』という前提条件がついているからである。

日本人は長らく欧米人よりも集団主義的だというステレオタイプが形成されていたが、それは『企業・学校・地域の一員としての自覚や役割が要求される場においては集団主義的な同調圧力(世間体・他者との横並び)に従う』といった意味であったというのである。

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血液不足解消のために『献血者』を増やすにはどうしたら良いか?

輸血用の血液不足と若年層の献血率の低下は長らく指摘され続けているが、今までと同じやり方と宣伝方法では、献血者を増やすことは恐らく困難だろう。

日本の献血は、輸血(血液製剤)が必要な事故・病気になった時にはお互い様という『相互扶助』や少しでも重症(重傷)で生命の危機に陥っている人の力になりたいという『利他精神』に基づくボランティアであり、献血者が得られるメリットは無料の飲食物以外は概ね精神的なものに限られる。

血液不足、20年度に44万人分か 若年層の底上げ目標

簡易な血液検査を兼ねているとか、献血をしたほうが体調が良くなったように感じるとかいうような個別の動機はあるかもしれないが、『注射・自分の血液の視覚化』にどちらかというとネガティブな印象を持っている人が多い。

そのため、自分から敢えて血液センター・献血ルーム(献血カー・出張献血所含め)にまで足を運んで献血しようとする人は、献血が習慣化している人(定期的な献血をすることが当たり前になっている人)以外には少ないだろう。

献血者を確実に増やす方策は、『無償の献血』を『有償の献血(売血可能な献血)』に転換することだが、日本では献血をはじめ『人間の身体資源(健康状態)』に関わるものを金銭で売買することをタブー視する倫理観は強い。

また、献血は注射針による神経損傷やウイルス感染、血液成分の異常(献血後の長期的慢性的な体調悪化)などの前例もあり、100%安全な医療行為とは言えない側面(原理的に侵襲的医療行為のすべては100%の安全性は有り得ない)もある。

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複数の夫の連続不審死事件(財産詐取疑惑):毒婦・保険金殺人の策略と『結婚・恋愛の原理(優位性)』における卑劣な男女の悪意

筧千佐子(かけひちさこ)容疑者(67)は、結婚相談所で夫の筧勇夫さん(75)に青酸化合物の致死性の毒物を盛って殺害し、約1億円の財産と土地・建物を不正に前倒しして相続した罪に問われている。筧千佐子容疑者は、20代の頃の初婚の相手(結局死亡してはいる)とだけは20年程度の結婚を続けたが、その後は結婚相談所などを経由して複数の男性と結婚を繰り返し、その全ての配偶者は死後の体内から毒物が検出されるような不審死を遂げている。

千佐子容疑者が、死亡した複数の結婚相手から相続した財産は少なく見積もっても『5億円』を超えているとされるが、現在の千佐子容疑者は筧勇夫さんから相続した1億円を除けば無一文の状態で、5億円の相続財産のすべてを先物投資や為替取引などのリスク投資で食いつぶして、更に1000万円以上の有利子の負債を抱えていたという。千佐子容疑者は、金銭に終わりなき貪欲さを持つ『守銭奴』であると同時に、財産保有の高齢男性をただの金銭詐取のための道具としか見ない徹底したサイコパス的な気質を持つ『冷血漢(冷血女か)』でもあるのだろう。

青酸不審死、夫が妻にメール「新年は一緒に過ごしたい」

典型的な『生活とカネのための結婚』であるが、60代で出産可能年齢を大幅に超えていながら、千佐子容疑者は『入籍すること(相手の財産を分有できる妻の立場を得ること)』に過度にこだわっており、結婚相談所で希望する相手の条件として『年収1000万円以上・(年収が低い場合には)相応の資産があること・(結婚に反対したり財産の動きを監視するような)子供がいないこと』などかなり強気な条件を立て続けに上げていたという。

特別な美人でも何でもない60代の女性が、そんなむちゃくちゃな厚かましい条件を突きつけて結婚相手など見つかるのだろうかと、20~40代くらいのまっとうな結婚観・男女関係の捉え方をする女性であれば思うだろうが、『年齢不問・自分の異性の好みを度外視・金銭的利害だけに着目・自分の感情的判断を遮断する』であれば、50代でも60代でも甲斐甲斐しく尽くす素振りを見せる(最期まで一緒にいてあげるような態度を見せる)女性であれば、人淋しい(弱気になった)高齢男性をターゲットにすれば可能であるのが現実だろう。

性的魅力が維持された20~40代女性で、『良い出会いがない・安定した結婚生活ができそうな男性がいない』という不満や不安をこぼす人は確かに少なくないが、それは『自分の性的魅力や年齢との一定の釣り合い(職業・収入・財産以外の人として男としての魅力の要素)』を求めているからで、いくら外見(容姿)や年齢にこだわらないといっても、60~70代以上で、異性としては見ることが難しくなった年齢の金持ちの男性などは『年齢要件』によって初めから完全に除外されているからである。

人生の晩年になって人恋しくなり気弱にもなったお金は持っている高齢男性が、結婚相談所(婚活サイト)に登録している場合には、一般的な若い男女の結婚願望とは大きく異なる『男女のカップリングの盲点』が生まれる。

こういった高齢男性は、結婚相手に『若さ・美しさ・性的魅力』などは殆ど求めておらず、『一緒にいて安らげる女性・身の回りの世話や介護をしてくれそうな女性・最期まで離れずに人生に寄り添ってくれる女性』を優先的な条件として探している。

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“団塊世代・しらけ世代・氷河期世代(ロスジェネ)・ゆとり世代・さとり世代”…日本では世代論が好んで語られるが。

世代論は『経済状況・時代背景・集団同調の強度(個人の自由度)』に大きく影響されるものだと思うが、1990年代以後の流れでは『人生・活動・関心の個人化(島宇宙化)の進展』と『中流化によるハングリー精神の低下(その後の中流崩壊の弱気)』といった特徴を指摘できるのではないだろうか。

【保存版】「○○世代」「新入社員タイプ名」いろいろまとめてみました

ゆとり世代は、先行世代の『高度経済成長期(モノの豊かさのために全力疾走した次期)の反動』がもたらしたものであり、受験競争や企業戦士、皆勤主義といった“ゆとりの無さ”を抜け出した先にある先進国的な豊かさへの願望も影響したのではないかと感じる。

ゆとり世代はその後に批判的というか蔑視的な不当な扱いもされるが、それは企業と家計の余裕の喪失もあるし、ゆとり世代だからといってみんなが能力・意欲が低いというような偏見は客観的事実と合致したものではない。

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北海道南幌市の高校生による『母・祖母殺害事件』の殺害に至るまでの虐待的環境の経緯と報道のあり方

北海道南幌市の高校生による『母・祖母殺害事件』の減刑嘆願書(家裁送致嘆願)の報道で、『スッキリ』のテリー伊藤が女子高生を責めていた初期の意見を撤回して『掌返しのコメント』をしていたのが印象に残った。

『親殺しの事件の道徳的な評価・断罪』は自分の生れ育ちや年代・立場によって条件反射的な感想が出やすいが、『親が悪くて殺されたのかもしれない(親に殺されるだけの虐待・嫌がらせなどの相当な落ち度があったのかもしれない)』という仮定が強い人とゼロの人の違いは顕著ではある。

今回の事件では、祖母が子供嫌い(孫嫌い)で周囲にも『孫が3人もいて恥ずかしい、可愛いと思ったことがない』などと愚痴を言い、高校生が小学校低学年の頃から召し遣い(奴隷)のように朝から晩まで家事・雑用でこき使って、悪口や侮辱の言葉をぶつけ続けていたという。

思い通りにならなければ、祖母は杖や平手で孫に暴力を振るい続け、孫の住居は豪邸の隣にある『暖房もない粗末な小屋』に決められていたという。真冬には零下10度くらいまで下がる北海道の豪雪地帯なのに、暖房もない小屋で生活するというのは生半可なことではなく、いくら着込んでいても凍えるような寒さの中で生活していたはずで、真冬に寒さで死ななかっただけでも幸運と言えるかもしれない。

どうして高校生がそれまで我慢してきた侮辱・暴力・奴隷的使役に耐え切れなくなって、殺害の凶行にまで及んだかの具体的供述は得られていないが、3人姉妹のうちの姉の二人は『殺すしかなかった状況だった・耐え続けることができないあまりに過酷な生育環境だった』と妹である加害者の女子高生に全面的に同情していると伝えられている。

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