閉鎖的環境で異常な命令を強制するサディスティック(嗜虐的)な犯罪者の多くは、『被害者家族間の協力』をさせない為に『相互の罵倒・暴力・懲罰』をけし掛けた上で、自分が『争いと罰則の裁定者』の立場に立って支配することが多い。自分自身の手は汚さずに、被害者同士で争わせて罵倒の応酬や殴り合いをさせて、正常な倫理観や判断力を麻痺させていくという意味ではかなり卑劣で悪質である。
<リサイクル店連続殺人>暴行は命令されて…栄江容疑者主張
北九州一家殺人事件の松永太、尼崎監禁殺人事件の角田美代子なども、『家族間・夫婦間での罵倒・殴り合い』をさせて、『集団のルールを守らなかった為の罰則(電気ショック・殴打・不眠・排泄の制限等)』を自分ではなく被害者の誰かに代わりに実行させている。
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道徳とは何か。道徳とは、人として踏み行うべき道、善と悪の判断基準であり、徳を身につけた人物の行動理念である。『道徳』を授業で正解のある知識として教えたり、覚えさせた正しい振る舞いや意見を先生の前で再現させたり、ペーパーテストで確認することに意味があるかといえば恐らくない。
道徳の教科格上げ、「公平」「正義」指導へ 心配の声も
道徳は、『知識として知ること・語ること』は極めて簡単だが、『行動として行い続けること』が極めて難しいという性格を持つ。古代ギリシアの哲学者や古代中国の儒家たちが、『知徳合一(正しいと知っていることと実際に行うことを一致させよ)』を道徳の根本とした所以でもある。
道徳の本質は、社会生活を営む人間が他者とお互いを尊重して共生できるようにすること、あるいは人間が他者からその人格的価値を認められて慕われるようなヴァーチュー(美点・卓越)としての徳を高めていこうとすることである。
道徳教育について、教育勅語を懐かしむような復古的な意見もあるが、教育勅語の最大の欠点は『人間一般としての徳』ではなく『天皇・国体を支える臣民としての徳』であるため、ローカルな忠孝の規範性が優位に立っており、ローカルな規範の外部にある国・異民族に対しての共感的な徳性に配慮されていないこと(人間より国家を優先する道徳の道具化)である。
近世以前の日本の道徳の淵源としてある孔子の儒教でさえ、義・忠・孝にも優越する普遍的な徳目として『仁(他人に対する愛・思いやり)』を掲げ、仁はあらゆる望ましい人間関係(他者を自分と同じように大切にしようとする心がけ)の根本にあるものだとした。
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リベンジポルノ問題も提起した残酷かつ卑劣なストーカー殺人事件だったが、無期ではない懲役22年は元交際相手という要素もあるのだろう。『男女間の痴情の縺れ・未練と執着』への対処の仕方は未成年では難しい部分もある。
元交際相手が控訴=三鷹ストーカー殺人
『相手の執着心・嫉妬心・攻撃性の度合い』を見誤れば、ストーカー殺人までいかなくても別れ際のトラブルは免れない。恋愛が上手くいっている間は、執着や嫉妬も『愛情・誠実』と誤解されるが、相手と別れたい時には『話し合いや常識が通用しない執着心・独占欲』は時に狂気的なしがみつきや加害性に変質し得る。
男は女と恋愛感情ありきの肉体関係を持つと、割り切った関係でもない限り、一定の『所有感覚・独占欲』を持ちやすく、『別離や自分以外の男との関係』に嫉妬や苦悩を抱くものだが、『ダメなものはダメと最終的に諦められる性格・嫉妬を悪意とリンクさせない潔い性格』かどうかという見極めは困難な部分もある。
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小動物の殺害・虐待は共感性や道徳観念を欠く行為障害(反社会性人格)の兆候で、サイコパスの生活歴に含まれやすいが、『親子間の愛着・対話・感情の共有』が欠如した家族歴の問題も想定される。
<高1同級生殺害>冷蔵庫に猫の頭部 現金100万円も所持
弁護士・資産家とされる父親は、謝罪文の文面を見ると法律家・常識人としてまっとうな文章を書いているが、父親の『生活態度・女性関係・妻や子供との向き合い方』などを見ると『子供のためにできる最善のことをしてきたつもり』の部分には疑問も感じざるを得ない。社会的地位や公的言動を踏まえた外面はしっかりしてるが。
海外のサイコパスや大量殺人犯の生育歴は様々ではあるが、経済的には比較的裕福な家庭で育った者もいて、『金銭と愛情を混同させるような育て方・親との愛着(アタッチメント)や共感感情の欠落・虐待や差別感情(世の中には生きる価値のない人間がいる等)の正当化』が人格形成に一定の影響を与えたと推測される例もある。
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『生命・人生の価値』を学べない劣悪・冷淡な環境で育てられた人や誰にも大切にされていない孤独感を抱えた子供のほうが、そうでない子供よりも性格形成プロセスにおいて精神的な悪影響を受けやすいという現実は深刻な問題として今も昔もある。
<高1同級生殺害>自分のことを「僕」1学期は登校3日
殺人のような凶悪犯罪にまで至る子供は少ないが、『親からの虐待・ネグレクト(無関心)・裏切り・親の反道徳的な生き方』は子供の心や性格構造に深刻なダメージを与える。
自分の生きている価値が分からないから(現状が孤独でつらくて親・他人・社会が憎かったり軽蔑したりしているから)、他人の生命の大切さ(先生・みんなのいう生命の尊さ)も共感的に実感しづらいという反社会的性向を強める恐れがある。
未成年者の非行や暴力、犯罪集団化、いじめ、軽犯罪、ひきこもりなどの背景には、『親からの虐待やネグレクト(子の放置・子の教育の責任放棄)』や『学校と家庭の両方での孤立化(話せる共感し合える相手の不在)』、『親の反社会的・反道徳的な言動の影響(見せかけの外面だけは適応的だが家庭内では冷淡さ・虐待・DV・不倫があるなど)』などが見られることが多い。
家庭環境が悪いから、親から愛されなかったから(父親が妻子を放置して好き勝手に遊んでいたから)、唯一の理解者だった母親が死んだからといって、無関係な友人を殺したり傷つけることは正当化できないし、それは『本人の甘え・身勝手さ』に過ぎないという厳しい意見も多くある。加害者よりも人生を強制的に奪われた被害者のほうが酷い目に遭っているというのも、殺人という重大な結果から見れば当然の意見である。
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水難事故は夏に川・池で遊ぶ事が当たり前の昔はもっと多かったが、水流・深さの変化のある川では『子供の膝下の深さ』以上には行かせないくらいの用心がないと、事故の可能性はゼロにはならない。
川遊び中の親子3人流され、両親が死亡 熊本・球磨川
子供を浅い所で浮き輪で浮かせているから大丈夫という事はない。小さな子供を連れている時には、浮き輪無しでも確実に楽に足がつけられる深さ、川の流れで岸から離れないような場所を慎重に選んでから遊ぶことが何よりの予防策。川の流れや海の波は一度深い場所へ流されると、泳ぎが達者でも人力では戻れなくなりやすい。
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