「社会」カテゴリーアーカイブ

親の子に対する教育熱・高学歴志向が高まる:子供の教育格差・学校と仕事のつながり

教育投資・学歴格差の問題については『親・家庭の社会資本』や『大卒者の標準化』の観点から考察した事があったが、『音楽・スポーツ等の習い事』と『高学歴志向の塾』とは異なった教育投資であり、前者は『稼得能力・職業上の有利』との直接の相関は薄いかも。

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親の学歴と子の学歴の相関係数は有意に高いが、親が自分の人生の成功戦略(人並みな職業生活)の要因として『学歴の作用』を高く認識する時、子に『自分と同等以上の学歴』を取得させたいという教育のモチベーションは高まるが、現代は『将来の人材選別の基準』の中心が学歴にあるのかが見えにくい時代でもある。

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“国家(法権力)”や“経済(市場・金銭)”に依拠する人が増え、“社会(他者)”を信じない人が増えた現代をどう生きるか?

現代では統計的な凶悪犯罪や自動車事故の発生件数が減っても、『体感治安(危険実感)』は高いレベルで推移しており、相対的に安定した仕事をして豊かな暮らしをしている人でさえも『将来不安(今上手くいっていてもどこかで大きな困難に直面するのではないかとの不安)』が尽きること無く高まっているような状況である。

日本列島には約1億3千万人もの日本人が生活しているが、人口が少なかった時代よりも他者との直接的な助け合いや心配・配慮が行われにくくなり、大多数の人は孤独感・疎外感を感じて他者を信じなくなり、家族をはじめとする近親者と国家の提供する福祉制度、企業が与えてくれる給与・保障以外には『頼るべきもの(生きる術+心の支え)』を持ちづらくなっている。

大半の人は、企業からの安定した雇用(キャリア)や給与を失って、国家・行政の提供する社会福祉・公的年金のセーフティネットからこぼれ落ちればアウトであり、プライベートな人的ネットワークやコミュニティの相互扶助によって『国家・経済以外のセーフティネット』を自前で構築しているという人は極めて少ないし、都市部では特異な宗教団体でもない限り、そういったコミュニティを結成することは困難だ。

その意味において、一部の村落共同体のような地域を除いて、日本の都市部において『社会(中間集団の市民社会・互助の連携)』は死に瀕してしまったといえるが、バラバラの個人が自己責任のもとに金銭を稼いで保障を手に入れ、得たモノに対する『排他的な独占』を主張して守りに入るというライフスタイルにとっては、基本的に他者を受け容れる余地が極めて乏しい。

近代社会は、村落単位の農業のような共同的労働ではなく、各個人の学歴・職歴・資格・技能などに応じて個別の所得や処遇が決定される働き方であるため、同じような場で働いているからといって農業のような『共同的労働の連帯感・仲間意識』といったものは生じにくく、(自分の力で勝ち取ったと感じる)報酬に対する独占意識は極めて強い。

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韓国の“セウォル号沈没事故”の事故原因と安全管理体制・遵法意識の問題

韓国の大型客船セウォル号(6825トン)の事故原因が、次第に明らかになりつつあるようだ。

事故が発生してしまった直接の原因は『急旋回の運転ミス+過積載(積荷の固定の弱さ)』だが、韓国企業が日本から購入した1994年製のセウォル号を大幅に改修して全高を51センチも高くしたことが、『復原力(ある程度までの船の傾きを自力で修正して姿勢を立て直す力)の大幅な低下』という船舶の構造上の不安定さにつながったと指摘されている。

車に置き換えれば、全高・重心の低いスポーツカーは地面に張り付くような走りで高速運転での旋回性能を高いレベルで維持しやすいが、全高・重心の高いワンボックスカーは高速運転中に急カーブを強引に曲がろうとすると横転するリスクが高くなるというような構造上の弱さがセウォル号にあった。

更に、積荷を違法に詰め込めるだけ積み込む『積載上限の二倍以上の過積載(違法行為)』を行って、船体の不安定さの度合いが高まっていた。積荷の固定も弱かったために、急旋回で過積載の荷物が片方に集積して復原力の限界を越えてバランスを崩してしまい、沈没事故を引き起こした。

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大卒前提の子供の教育費高騰は、『非機能的な孔雀の羽根』の華美化のようなものか。

希望すれば(どこの大学でも良いのであれば)ほぼ全員が大学に進学できる『大学全入時代』と揶揄される現代では、『大学に行くことの利点』よりも『大学に行かなかったことの特殊な事情・要因』に注目されて不利益を受ける恐れが高まってしまった。

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つまり、それほど頭が良い人でなくても(平均レベルかそれより下の学力の人でも)それなりに学校に適応して勉強していれば、どこかの大学には入れたはずなのに行かなかったのはなぜなのかという痛くない腹を探られやすいという心情的ハンディがある。単なる形式的な学歴の資格要件というのは『本人の優秀性・有能性』を評価するものではなく『本人の意欲・家庭環境(経済状況)・交遊関係の特殊的な問題点』を勘ぐるような基準を背景に持つ文化階層主義的な趣きを持つ。

例えば、パチンコ屋のホール作業であるとか営業事務・警備員・工場作業であるとか、その仕事内容そのものに学力・知性の高低が何ら影響しないと思われる仕事の募集であっても、応募資格に『高卒以上』と書かれていて中卒者の応募を未然に排除しているケースは少なからずある。中卒者でも真面目に働く意欲があって素直に学ぼうとする性格であれば、こういった仕事への職業適性は相当あるはずなのだが、なぜか企業の多くは門前払いを喰らわす。

それは現代では高校に行くのは当たり前という価値観が極めて強いために、『敢えて高校に行かなかった(行けなかった)理由』を様々に推測するためで、高卒者のほうがより無難な採用に感じられるので、『人物評価のコスト』を節約したいからである。

中卒者と高卒者の双方を比較して、その具体的な人間性までは到底面接で評価しきれないが、高卒者のほうが『社会の平均的な価値観・常識』に沿った性格・生き方である蓋然性が高いと推測すること(9割以上が高卒以上でありそれに合わせているから)で、そこに足切りの意味での資格要件が設定される。高卒者の割合が5割を切っていた1960年代頃までは、それなりの規模の一般企業でも学歴による足切りはなく、中卒ですぐに都市部に出て就職し、それなりの昇進ができた者も少なからずいる。

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教育格差(学力格差)と親の学歴・収入との相関による格差の世代間継承問題:どんな家庭環境や親の態度が子の学力を伸ばすか。

親の学歴・収入が高いほうが子供の学力(学習成績)が高いという相関関係は、『教育格差の世代間連鎖』や『格差固定(階層分化)の要因』として取り上げられることが多く、そういったことから生まれた家庭・親が悪ければ努力しても無駄だという極論にも行きやすい。

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だが、教育格差の根本的な原因は『子供に対する学習の動機づけ・親も一緒に学ぶ姿勢』や『学習環境や対話環境の整備・科学や教養の世界への自然な導入』にあり、教科の成績のみに関して言えば、必ずしもお金があれば塾・学校・家庭教師などに多額の教育投資をできるから有利だという話ではない。

学歴・収入が高いほうがより多くの教育投資をしやすいから学力の格差が開くのではなく、『人生における勉強や教養の必要性・有効性・面白さの認識のレベル』が高い人が高学歴者・高所得者には相対的に多いため、小さな頃から子供の学習・知的好奇心の動機づけが自然に高められやすいという有利さがある。

それは、単純に遊ばずに勉強しろとガミガミうるさいだけの親というわけではない、それぞれの年代に見合った『学ぶことの面白さ・問題を解ける楽しさ・幅広い分野の知識を増やしていく好奇心』を普段の何気ない会話や家に置いてある本(読み聞かせする本)などから伝えられる親ということであり、学者の子供が同じ分野の学者になりやすい世代間連鎖の要因なども、『家庭環境における親との会話内容や家にある本のゆるやかな専門性』に影響されているとも言われる。

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静岡県沼津市の小学生男児の交通死亡事故:理不尽な事件・事故のゼロ化への欲望の向かうところ。

29歳の中学校教師が運転する軽自動車が、10日午前6時55分ごろ、静岡県沼津市松長の県道交差点で中央線を越えて小学校4年と5年の男子児童2人をはねて、小学校5年生の男児が死亡したという自動車事故。

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子供が犠牲になる自動車事故はより一層の悲しみや理不尽を感じやすく、当事者以外にも共感・同情されやすい。また、死亡事故を起こした加害者への怒り・不満・処罰感情が集中しやすく、インターネットでは交通死亡事故や無謀運転の結果の事故を引き起こした加害者には痛烈な道徳的非難や人格否定のコメントが叩きつけられることになる。

一方で、意識や認知、能力、健康状態が不完全な人間が運転する車は、どれだけ注意していても死亡事故の刑罰を引き上げても、確率論的に交通事故を起こすという側面を否定できず、重大事故や死亡事故を起こした加害者にしても事故を起こしたくて起こしたという人はほとんどいない。事故後にどれだけ激しく罵倒されたり誹謗中傷されても、それによって現状以上に交通事故件数や交通事故死者数が大きく減る可能性は低いだろう。

高度経済成長期に毎年約1万5千人以上の交通事故死者を出した『交通戦争』と呼ばれた1960~1970年代の時代から比較すれば、交通マナーの向上や飲酒運転・危険運転の厳罰化が為され、人命を奪い人生を狂わせる自動車事故の恐ろしさの啓蒙が進んだ現代は、かつてよりも交通事故で死ににくい時代(認知症者なども含む高齢者がひかれる事故件数は増加しているが)になってはいる。

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