「社会」カテゴリーアーカイブ

三鷹市の女子高生殺人事件2:恋愛に関するリスク回避とウェブ上での情報流出の嫌がらせ

もっともストーカーになりにくい人というのは、自我の独立性や自己の世界観(自律的な関心事)が確立していて、恋愛の盛り上がっている時期にあっても『自分と相手との人生・人格の境界線(何もかも一緒ではなくお互いに踏み込めない領域もあるのが当たり前という感覚)』を引ける人であり、『相手の人格・主張の独立性』を本当の意味で尊重できる人である。

三鷹市の女子高生殺人事件1:元交際相手のストーカー化の問題と人の見極め

つまり、相手が考えた結果として『別れたい(別れて欲しい)・もう付き合えない』と伝えてくれば、多少の説得や翻意を促したとしてもそれが無理だとわかった時点で、『相手の選択・感情』をそのまま受け容れられる人ということである。

恋愛・結婚が『対等な個人同士の双方の合意』によってのみ成り立つという原理原則をしっかり理解していて、『一度はお互い好きになった相手であっても気持ちや状況が変わることは可能性としてある(そうなってしまったらどんなに粘っても脅しても無駄で自分の人間性を貶めるだけ)』ということを知っている。

更に言えば、そういった恋愛・結婚の自己責任と相手の尊重を知っている上で、『信頼できる相手・極端な理不尽や不義理を働かない相手・心の底から嫌いにはならないような相手』を選べる人であり、上手くいかないならいかないで(冷たく理不尽な対応や手ひどい仕打ちをされたらされたで)、『そういう相手を見極められなかった自分が情けない・この相手にこれ以上構っても良い対応は得られず嫌な気持ちになるだけで無駄』として次に行くだけなのである。

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三鷹市の女子高生殺人事件1:元交際相手のストーカー化の問題と人の見極め

東京都三鷹市の自宅前で私立高校3年の女子生徒が、元交際相手だった21歳のハーフの男性に刺殺された事件は、付き合っていたり結婚していた相手がストーカー化した後に、適切な重大犯罪の回避(=加害心理の懐柔・制御)の対応が上手くできずに殺害されてしまった事件のように見える。

昨年はストーカーの相談件数が2万件を超えて史上最多となったが、その内の約7割が元配偶者・元交際相手であり、友人知人を含む面識者となると約9割を占めている。基本的には『過去に一定以上の付き合いのあった相手』が別離・離婚に納得できずにストーカー化するケースが大半である。

『別れるための話し合い』が平行線を辿ったり感情的に激高したりする過程を経て、『対応してくれなくなった相手』にしがみついたり会うことの強要・脅しをし始めることで、元配偶者・元恋人が『恐怖感を感じるストーカー』として認識されてしまうようになる。

殺人・傷害など『物理的な危害』を直接的に加えてくるケースは全体では少数派で、『面会や交際の要求・繰り返しの電話やメール・つきまといや監視』といった迷惑・強要の行為が圧倒的に多いが、『決定的な別離の通告・法的な対応での威嚇(警察への相談)』はストーカー化した相手の心理状態や性格によっては危険な結果を引き起こすリスクが生じる。

今回は、三鷹警察署はストーカーへの対応は所定の手順を踏んでいて問題はなかったとしているが、警察官の声で『容疑者の携帯電話』に警察署まで電話をかけるようにとのメッセージ(留守電)を残した対応は、間接的に『殺害の動機づけ(もう何をしても復縁は無理で殺すしかないという身勝手な思い)』を強めた恐れがある。

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『池袋出会いカフェ女子大生事件』と映画『悪人』との類似性から考えたこと。

『店舗型の出会い系』として機能するカフェで知り合った22歳の女性を、29歳の住所不定無職の男性(被告人)が殺害したという事件。加害者の男が被害者の女性を『自己防衛による興奮・錯乱の心理』から殺害するに至った状況が、妻夫木聡・深津絵里が主演した映画『悪人』で、妻夫木演じる肉体労働者の青年が、満島ひかり演じるOLの女を殺害するという状況に類似していたので、現代の風俗や性愛、人間模様も参照しながら少し書いてみよう。

http://blogos.com/article/71139/?axis=&p=1

池袋出会いカフェの事件も映画『悪人』の事件も、結果として殺人犯となってしまった男性は強い孤独感や疎外感、無力感という『劣等コンプレックス』を抱えてはいるが、普段から重犯罪や粗暴行為を躊躇いなく繰り返しているようなチンピラ・極悪人の類ではないということ(暴行・殺人・強盗などの前科もないということ)がまずある。

どちらかというと、生きることに対して平均的な人よりもかなり不器用な男であり、仕事が上手くいっておらずカネや影響力、コミュニケーション力がない。

普通に生活していても女性との出会いがなく、話しても特別に好かれるタイプでもないという意味で、悪人ではないが『他者からの承認欲求・女性からの愛情や肯定』に心から飢えていて、それらを得るためには下手にでて卑屈になっても『一時のおしゃべり・性行為』のためにお金を支払っても良い(相手が演技であっても自分に優しく明るく接してくれればそれでもある程度満足できる)と考えているような人物。

こう書くと悲惨な感じにはなってくるが、現代社会ではそれほど珍しくもないコミュニケーションスキルや社会経済的能力に自信を持ちづらい性格・生き方の一類型ではあり、性風俗産業の大半のニーズはそういったメンタリティを持つ中高年男性によって満たされているともいう。

また、こういった風俗・出会いカフェを利用する男性の中には、『直接の性行為(感覚的な快楽)』よりも『心理的なふれあい(自分を認めて好意的に接してくれるコミュニケーション)』のほうに大きな価値を感じている人も多いとされ、飲み屋よりも親近感・体温を感じやすい擬似恋愛に対して納得した高額の対価を支払っているようである。

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京都府八幡市の18歳少年の危険運転が招いた集団登校事故

自動車の運転をする時には、『危険運転(無謀運転)』をしないように『不注意・眠気や体調異常』によって事故を起こす可能性を念頭に置いて、歩行者や自転車、他車にぶつからない(ぶつけない)ということに最大限の注意をしなければならない。

京都集団登校事故:逮捕の18歳少年、ドリフト走行か

無謀運転の果ての自動車事故は自損事故で自分だけが死亡したり障害を負うならまだしも自業自得だが、他人の生命・健康を奪って補償(原状回復)できない罪を負ったり恨みを買う可能性があるため、『自分本位の運転(自分が勘違いして運転技能が高いとかカッコイイとか思い込んでいる制御困難な状態下での運転)』というのは本来、他の人も利用する公道では許されないものである。

京都府八幡市で集団登校する小学生の列に突っ込んだ自動車事故について、免許取得したばかりでフェアレディZのようなエンジン性能の高いマニュアルのスポーツカーに乗ること自体が間違っているという意見もあるが、この事故は『車のトルクや馬力といった動力性能の高さ』によって引き起こされたものではなく、『(レース用途の道路ではない)一般道における急発進とカーブへの高速での進入という間違った下手な運転操作』によって引き起こされたものである。

公道で急発進してタイヤを空転させたり、カーブで後輪をわざと滑らせたり、他車をきわどいタイミング(ウインカーも出さないような危険な車線変更)で抜いたりするような走り屋の漫画に出てくるような運転を『自分の運転技能の高さ(他のドライバーと異なる運転の個性)』と勘違いするような人は、その時点で事故を起こしていなくても遠からず事故を起こすリスクが高い。

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学力上位(学力下位)の小中学校の校長の名前を公開すれば学力が上がるのか?

それが静岡県の川勝平太知事がやっている『校長の実名公表問題』の本質として認識されていなければならない。

校長名公表は「逸脱」、文科相が静岡知事を批判

自分が校長として教職員を管理・指導している学校の学力が全国平均に比べて極端に低かった場合、その原因・責任は『校長による教職員の管理方法・指導内容・成績向上にかける熱意』にあると言えるのだろうか。

これを実証するには成績上位校の校長と成績下位校の校長を一定期間以上にわたって入れ替えてみて(各教科の先生と授業のやり方はそのままにして)、テストの成績の推移を見てみなければわからないし、仮に4月に赴任してきたばかりの校長であれば、半年に満たない在職期間で『成績が低かった責任』を追及されてもどうしようもないだろう。

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“日常の小さな悪事(愚行)”を不特定多数に見せられるウェブ社会と間違った自己顕示欲の現れ

北海道警釧路署の桂交番(釧路町)で、交番の脇に止めてあったミニパトカーの上に乗って騒いでいた三人の男の画像が25日夜に簡易投稿サイト『ツイッター』に投稿された。車体の天井に靴底で擦れたような傷があったため、同署は器物損壊事件の疑いで捜査をして、容疑者の若者たちは逮捕されたようだ。

パトカー上で騒ぐ写真投稿…釧路署が捜査

ウェブ社会の発達やSNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)の浸透によって、『自分の日常生活・行動履歴・意見と主張』を写真や映像と共にアップロードして誰かに見てもらいたいという人が増えた。

自分の行動・イベントや人間関係にまつわる『ライフログ』は急増しているが、急増しているがために、『無難な普通の投稿内容』では大勢の人の注目や関心を集めることは困難になっている状況がある。

社会事象や人間心理における『卓越した識見・優れた洞察』などでウェブ上で目立つなら良いのかもしれないが、10~20代前半くらいの若者層の多くは『全世代が参加する公共圏の議論』において自らの主張や見識の積み重ねだけでアクセスを集めて承認されるだけの知的・経験的な基盤や文章力がないことが多い。ため、勢い『証拠写真(証拠映像)を伴う悪目立ちの愚行・ルール違反』でここまでやれる俺たち(私たち)は凄いというような間違ったハイリスクな目立ち方を目指してしまうところがある。

『悪目立ちの方向性での自己顕示欲(とにかく目立って仲間からコメントやイイネを貰いたいという承認欲求)』が強い人たちが、犯罪スレスレの行為やマナー違反の行為を投稿して、炎上したり実生活に悪影響(懲戒処分)が及んだりしているが、これは『現代の若者』特有の問題ではなく『愚行とその自己顕示欲が可視化される時代』になったという現れに過ぎないだろう。

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