「社会」カテゴリーアーカイブ

高気温・高湿度は『生理的ストレス』であり、熱中症やイライラを引き起こしやすい:29歳女性によるJR高田馬場駅構内のスプレー噴射事件

うだるような暑さで汗が滴り落ちてぐったりする猛暑日といえば、お決まりの問題として『熱中症(その中でも重症度が高い日射病)』がイメージされるようになったが、高気温・高湿度は精神状態にも影響を及ぼすことのある『生理的ストレス』である。

元々の性格(パーソナリティ)が冷静・温厚で常識や節度のある人であれば、生理的ストレスによるイライラや怒りやすさ(易怒性)、興奮・衝動を抑制して直接他人に不満をぶつけないようにできる。だが、元々の性格が短気・攻撃的でストレス耐性が低いために不快状況を我慢できないような人は、『生理的ストレスによる他罰性のイライラ・責任転嫁の暴言・被害者意識による反撃』が起こってくる頻度が有意に高まる。

JR高田馬場駅構内でスプレー噴射、女逮捕=トイレ順番待ち中、傷害容疑-警視庁

ちょっとしたトラブルや言葉の行き違いで喧嘩や事件が勃発しやすくなったり、あるいはそれまでに溜め込んでいた不満・怒り・我慢を抑制できなくなって、『家族間・友人間・利害関係者間での大きな事件』が起こりやすくなったりもする。

東京都新宿区のJR高田馬場駅の女子トイレで、容疑者の29歳女性が催涙スプレーを撒き散らして、1人が皮膚炎を発症して7人が病院に搬送された事件も、『元々の短気・攻撃的な性格+従前の不満・苛立ちの多い落ち着かない状況』に『猛暑の生理的ストレス』が加わったことで起こった可能性がある。

続きを読む 高気温・高湿度は『生理的ストレス』であり、熱中症やイライラを引き起こしやすい:29歳女性によるJR高田馬場駅構内のスプレー噴射事件

部活動の先輩・後輩の上下関係と戦後日本(企業適応)の規律訓練システム

小学生までは年齢(学年)による上下関係がさほど意識されることはないし、そもそも『先輩‐後輩の関係性』について先生が言及することがほとんどない。小学校と中学校では随分と学校の雰囲気は変わるわけだが、それは『校則と規律・集団主義の強化』と『先輩と後輩の上下関係の明確化』、『学業・運動による進路選択の選別性』が強まるからだろう。

先輩が言うことは絶対!? 部活の厳し~い上下関係エピソード

中学校では部活(クラブ活動)には入っても良いし入らなくても良いという自由選択制の学校もあれば、必ずどこかの部活に参加してメンバーにならなければならないという強制性の学校もあるようだが、日本の『部活(特に体育部)』には二つの存在意義があると分析できるかもしれない。

1.好きなスポーツの練習・試合を通して『個人の能力・体力』と『集団の団結・一体感』を高めるという目的。何もやりたいことがない生徒が非行・逸脱行為(迷惑行為・犯罪)に走らないように放課後の時間まで拘束して、後は家に帰るだけの状態にするという目的。

2.階層構造(トップダウン)や理不尽な規範のある企業社会に適応するための規律訓練システム

先輩と比べてたった一歳~二歳だけ年齢が下というだけで、まるで『封建主義社会(身分制度のある時代)』に戻ったかのように、常に無条件に尊敬・謙遜の態度を示したり理不尽な指示・指導・命令に従わなければならないというのは、『抵抗困難な差別・慣習』であると同時に『究極の平等(結果としての立場の平等)』をも実現するシステムだった。

続きを読む 部活動の先輩・後輩の上下関係と戦後日本(企業適応)の規律訓練システム

『歩行者優先の原則』はあるが、車も歩行者も自分が『加害者・被害者』にならない予測と判断が大切。

ランニングやウォーキングをしていると、信号のない横断歩道で車がスピードを上げてきたり、左折してくる車の歩行者の確認が不十分でぎりぎりでブレーキをかけたりすることは少なからずある。歩行者が危ない状況になったり、運転手がヒヤリとする急停止をすることもあるわけだが、法律的にいくら『歩行者優先』であっても、車と人では運動エネルギー・物理的耐久性の違いが大きすぎるため、衝突すれば一方的に歩行者が怪我をするか死亡するだけの結果になりやすい。

3割が歩行者優先知らず=横断歩道標示も理解不足-免許保有者調査・警視庁

道路交通法の交通法規の理解度については、『車よりも歩行者が優先である・横断歩道の近くでは徐行(即時停止が可能な遅い速度で走る)』を知らないドライバーはいないと思うが、『横断歩道で車の通過を待っている歩行者がいれば、必ず一時停止しなければならない』という法律上の義務までがあること(取締りの対象になることもあること)を知らないドライバーが約3割いるのだろう。

とはいっても、日常的に歩いている比較的狭い道路(国道ではない道路・生活道路)や通学路などであれば、『十字路・横断歩道』を歩いて渡ろうとしていれば、50~60%以上くらいの確率で車の側が止まってくれているようには感じる。小学生にもならないくらいの小さな子供を連れていれば、90%近くはかなり手前で止まってくれるか十分に遅い徐行で走ってくれるので、『歩行者の危険回避能力・予想できない動きの可能性・交通事故を起こすリスク』をドライバーはある程度自覚しているのだろう。

続きを読む 『歩行者優先の原則』はあるが、車も歩行者も自分が『加害者・被害者』にならない予測と判断が大切。

山口県周南市金峰(みたけ)で発生した『5人殺害放火事件』について。

山間にある人口数十人の小さな集落で起こった異常な連続殺人放火事件である。『閉鎖的な集落内部』の濃密な人間関係とそこからの疎外感・怨恨感情によって引き起こされる大量殺人事件(コミュニティ破壊型犯罪)は、明治時代の津山事件(岡山県)をはじめとして過去にも起こったことがあるが、『地域コミュニティ・近所づきあいの希薄化』が進む現代社会、特に都市部では珍しくなった型の犯罪ではある。

<山口5人殺害>「悪口言われる」不明の男、警察に相談

親や祖父母の世代から地域住民がずっと固定されているような田舎の集落では、数十年前までは自分の家と周囲の家との境界線は弱く、みんなが助け合うべき家族といった『村落(農村)共同体の名残』を残していただろう。お互いの家族の顔も名前もそれぞれ何(どんな仕事)をしているかも、結婚しているかも全て筒抜けのような関係があり、『集落内の相互評価(悪くいえば相互監視)・噂話』が住民たちの行動選択を無意識的に拘束しており、プライベート(私的領域)を保った都会的生活などはしたくてもできない環境である。

閉鎖的な小さな集落(顔・名前をそれぞれが小さな頃から知っている集落)では、『集落の協力的な一員』として承認されていなければ居場所がなくなりやすいが(陰口・噂話などで精神的に追い詰められやすいが)、『集落のルール・慣習・役割分担』に違背することでかつては村八分のような制裁を科されることがあった。

現在の村落ではさすがに昔の村八分のような制度的な制裁はないと思うが、数十人程度の住民しかいなければ、『集落の人間関係から外される・疎遠にされる(あるいは自分のほうから付き合いが悪くなり偏屈・排斥的になる)』というような事態は当然考えられる。

続きを読む 山口県周南市金峰(みたけ)で発生した『5人殺害放火事件』について。

日本をはじめとする先進国の投票率の低さとシステマティックに運営される民主主義国家の疲弊

自由民主主義で運営される国家は成熟期を迎えると、『国家による国民の権利侵害のリスク』が低下することによって、国民の国家・政治に対する興味関心は落ちる傾向がある。あれほど大統領選挙がフィーバーしているように見えるアメリカ合衆国でさえ、『大統領選と同時開催の国政選挙』で60%の投票率に行くか行かないかであり、単発の中間選挙では40%台にまで低下するのである。

ドイツやフランス、イギリスといったEUの大国が、概ね日本と同じ程度の投票率で40~60%台を行き来しているわけだが、『民主主義の成熟・国家権力の無害化』によって起こる投票率の低下を防止するために、イタリアやオーストラリア、シンガポールのように『投票の義務化』を行っている国もある。北朝鮮・旧イラクのような独裁国家も国際社会に民主主義をアピールするため、『選択肢のない信任選挙(武装警官に監視された投票所での実質的な一党独裁体制・独裁者肯定の追認選挙)』を行っているが、これは結果ありきの形式的な投票で意味はない。

罰則・罰金つきの義務化を行った国であれば90%以上の投票率にはなるが、『イタリアの財政内政・国際的影響力』が低迷しているように、投票率が高くなればなるほど国民生活が良くなったり国家の基盤が強くなったりするわけではないので、単純に投票率が上がれば政治の諸問題が片付くとは言い切れない面は残る。イタリアでは積極的に投票する『フリーライダー層』の増大が問題視されているが、フリーライダーというのは公共投資や福祉政策といった税の再配分を求めつつも、自分自身の負担増加には強く反対する層である。

続きを読む 日本をはじめとする先進国の投票率の低さとシステマティックに運営される民主主義国家の疲弊

広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:2

現実社会の法律や常識、職業選択と対立する『不良集団(非合法活動に関与する集団)』は、一般的に『仲間の大切さ・裏切りへの制裁』を絶対的な規範にすることが多く、『仲間内でのルールや貸し借り』を『一般社会の法律や常識』よりも優先してしまうことが多い。

この記事の内容は、前回の『広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:1』の続きになっています。

自分の行為が社会においてどのように認識されるのか、法律によってどのように判断されるのかを考えるのではなく、『仲間集団においてどのように認識されるか・仲間の価値観やルールに合っているか』のほうにより上位の価値観を与えてしまうということだが、こういった心理は極端な違法行為の免罪や認識する視野の狭窄を抜きにすれば、『身内・仲間・知り合いの言動に配慮する,その場の支配的な空気に同調してしまう』という形で誰にでも見られやすいものではある。

本来であれば、親とのコミュニケーションや学校で教育される社会の仕組みにまつわる知識・情報、他者と意見を取り交わす体験を通じて、『社会構成員に一般的に通用する共同観念』を形成していくものである。

しかし、上記してきたような『家庭機能の低下・学校教育からのドロップアウト・早い段階での経済的自立の圧力(親・教師の保護や指導の欠如)・スキルや資格による就職の選択肢の放棄』などの要因があると、『法律・倫理・政治・常識・慣習といった社会全体で通用する共同観念』を身につけることができず、『自分の周囲にいる仲間との関係性・利害関係』の中だけで生きているような『現実認識の視野狭窄(広い社会や一般的なルールが全く目に入らない友人関係の生活様式にはまり込む)』が起こってしまう可能性が非常に高くなる。

現代日本ではかつて浮浪児と呼ばれたようなストリートチルドレンを見かけることはまずないが、『家庭・学校・職場における居場所や自分の存在意義(まっとうに働く意義)』を見つけられない少年少女が社会を漂流し始めている状況が生まれている。『お互いの必要性・役割分担を認める仲間』に経済的・精神的に依存することによって、『集団内の力関係・ルール違反・同調圧力』に異常にセンシティブにならざるを得なくなり、『集団の外部の立場・目線』からすれば、たったそれくらいのことで(そんな仲間なら切り捨てれば良いのに)という馬鹿らしい理由で集団暴行・殺人(粛清)に及んでしまうこともある。

続きを読む 広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:2