「仕事・雇用」カテゴリーアーカイブ

“個人経営のタバコ屋”がここ10年で半減というニュースの感想:なぜタバコ屋は減ったのか?

たばこ店の数がここ10年で半減しているというが、『喫煙人口の減少』は『喫煙者を迷惑とする風当たりの強さ・喫煙可能な公共スペースの激減・タバコ税の増税傾向』を考えれば必然的な結果だったといえるだろう。

たばこ店」この10年で半減――NTTタウンページ調べ

NTTタウンページが、自社のデータベースに登録されている『たばこ店の件数』を調べると、2003年の2万177件から、2012年の9042件へと半数以下に急減していることが分かったという。街角のたばこ屋さんが急速に減った理由は、健康維持のために禁煙した人が増加したというのもあるだろうが、『タバコを吸っている人に対するイメージ・評価の悪化』や『WHO主導の世界的な禁煙キャンペーン=公共空間での全面禁煙の義務づけ』の影響が大きいと思う。

自宅や誰もいないような田舎・道路以外では、外でタバコを吸える場所が激減しており、駅でもバス停でも飲食店でもショッピングモール(デパート)でも会社でさえも、全面禁煙にする場所が増えた。高いお金を出してタバコを買っても、『タバコで一服できる場所や人間関係』が減っている。

かつては上司も加担することで当たり前の権利のように思われていた『随時の一服休憩』も単なるサボリ行為と見なされるようになり、一服休憩できない非喫煙者との不公正さが批判され始めた。近年では会社で喫煙すれば厳重注意を受けて始末書を書かされ、複数回の喫煙が発覚すれば懲戒解雇するというクリーンな就業規則を明示する会社さえ出てきているし、(会社で吸わないと誓約しても)喫煙者というだけで採用をしぶるタイプの会社も増えているのである。

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新型うつ病はなぜ増えたか2:消費文明の爛熟とストレッサーとしての仕事の受け止め方

新型うつ病増加の環境的要因としては、『社会的規範・家父長的権威の弱体化』や『個人の自由の範疇の拡大』などによる『理不尽・不条理・しごきに耐えられるストレス耐性の低下』も考えることができる。学校を卒業して仕事を始めるまでのメンタリティが文明社会の利便性・楽しみを享受するだけの『消費者意識』に固定されやすく、『生産者・サービス提供者としての意識(それに伴うストレス状況の繰り返し)』にうまく適応しづらくなっているという問題も指摘される。

新型うつ病の増加には、本人のストレス耐性が低かったり勤勉な継続性・義務意識にやや欠けていたりという要因も当然あると思うが、『消費文明社会の爛熟・拝金主義や格差社会』によって商品・サービス・娯楽・ネット・情報を絶えず小さな頃から受け取り続ける社会環境になったことが、『仕事・職場・上司部下(先輩後輩)のような関係』を“最後のストレッサー(数少ない思い通りにならない不満な事柄)”として受け取りやすい個人を増やしてきたという側面もあるだろう。

現代の先進国では、仕事以外の社会生活の諸側面における『快楽性・娯楽性・自由度』が高まっている一方で、『仕事の分量・負担感』は過去に比べてほとんど減っていないどころか、現在のほうが主観的に負担や拘束を苦痛に感じる度合いが大きくなっているというアンケート調査もある。特に自分の適性や能力発揮が生かされていない仕事状況において、仕事におけるストレス耐性・忍耐力は低下しやすくなり、逆に過剰適応(義務感・責任感の過剰)による燃え尽きで過労自殺や重症の精神障害にまで追い込まれる人もいる。

また現代の仕事を巡る格差では、『主観的に面白くて刺激的な発展性(創造性)のある仕事』をしている人ほど所得が高くなりやすく、『主観的に面白みがなくて義務的な発展性(創造性)のない仕事』をしている人ほど所得が少なくなりやすい傾向があったり、『金銭の大小よりも時間・自由度を重視する価値観』が広まっていることもあって、『忍耐・我慢・継続の美徳』を裏付けていた終身雇用・年功序列の実利がなくなってきていることも影響する。

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“新型うつ病”はなぜ増えたか?1:新型うつ病の特徴とDSMの操作的診断

出社無理でも…旅行や趣味はOK 若者に増える「新型鬱」

従来の『うつ病(気分障害)』と『新型うつ病』との違いを上げると以下のようになるが、古典的な従来のうつ病(大うつ病性障害)とは脳の機能障害としての『内因性うつ病』のことである。『心因性うつ病』というのも確かにあって、精神的ストレスや苦痛なイベントが発症のトリガーになることは認められていたが、基本的には『心理的原因がなくても発症されたと思われる精神病』の位置づけであった。

1.従来のうつ病の病前性格は、テレンバッハのメランコリー親和型性格や下田光造の執着性格であり、『生真面目・秩序志向・他者配慮性・自罰感』という仕事・社会規範や苦手な人間関係に過剰適応しようとして、そのストレスや疲労に耐え切れずに発症する燃え尽き症候群のタイプである。

新型うつ病(非定型うつ病)の病前性格は、自己愛性パーソナリティや境界性パーソナリティ、回避性パーソナリティなど『パーソナリティ障害の前駆的・類似的な傾向』を示すことが多く、『承認欲求の強さ・自己主張性・ストレス回避性(打たれ弱さ)・他罰感』といった仕事のストレスや煩わしい人間関係に少し適応しようとするが、適応することの苦痛に過敏に反応して発症する適応障害型のタイプである。この病前性格傾向は、自己愛・消費・自由が称揚される現代社会ではむしろマジョリティを形成するものである。

2.従来のうつ病は『食欲・睡眠欲・性欲(恋愛欲求)』の生理的欲求が抑制されて、仕事も遊びも全てに対して意欲がなくなり興味を失う『全般的退却・精神運動抑制』が起こる。生物学的原因・素因を有する脳の機能障害を感じさせるものである。

新型うつ病は『食欲・睡眠欲・性欲(恋愛欲求)』の生理的欲求が抑制されるよりもむしろ促進され、『過食・過眠・性欲亢進』などの症状がでやすい。日内変動も、従来とは逆で朝に気分が良くなり、夕方に落ち込みやすい。好きな遊び・娯楽はできるが嫌な仕事などはできないという『選択的退却・部分的な精神運動抑制』が起こる。心理的原因を引き金とするストレス反応性障害を感じさせるものであり、かつて『抑うつ体験反応』と呼ばれたものの軽症例のようでもある。

3.従来のうつ病は病識がなく、体がだるくて気力が湧かないという病識があっても身体疾患の悪化として自分の体調を解釈する向きが強いため、精神科・心療内科の受診動機は極めて弱い。『うつ病の啓発的な書籍・リーフレット』などにも目を通したがらず、悪く言えば『うつ病なんかは精神が弱い人間がなる病気で自分がなるはずがない(うつ病であるということを恥ずかしく思う)』という精神疾患に対する偏見・差別のような認識を潜在的に持っていることが多い。

新型うつ病は病識があるだけでなく、事前に専門書籍やウェブなどで『うつ病の症状・特徴・治療法と薬・予後』について、プロに近い十分な知識・情報を調べ尽くしていることが多く、抗うつ薬・睡眠薬の名称や効能、官能的(知覚的)実感についても相当に詳しいことがある。自分の心身の不調をうつ病やパニック障害などの診断基準に当てはめて感じることも多く、精神科・心療内科の受診動機は高くて、心理的な悩み・人生のつらさに関する話を聞いてもらうことも好きである。うつ病はじめ精神疾患に対する偏見・差別などはなく、むしろ現代はストレス氾濫による精神疾患増大の時代であるという認識を持つ。

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終身雇用・年功賃金・社会保障制度を前提とした“35歳転職限界説”の終焉

“35歳”までに職業・職場を固めておかなければ、それ以降の仕事先がなくなり転職も難しくなるというのはかつての『転職市場の定説』だったが、『終身雇用・年功賃金の前提』が崩れることでその定説も変わってきている。

“35歳転職限界説”が崩壊? 転職した人の平均年齢
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1305/15/news087.html

35歳以上になると転職ができなくなるという“35歳転職限界説”の根拠は、概ね以下の2点にあった。

1.終身雇用・年齢給(年功賃金)……大企業を中心として日本の雇用は“能力主義・成果主義の競争原理”ではなくて“解雇規制・年功序列によるメンバーシップ制”で運用されてきたため、『年齢の異なる社員』を新卒以外の採用ルートで雇い入れることに消極的であり、『同期感覚(内と外の区別)・年功意識』を持つ社員相互の納得がゆく給与算定がしづらかった。

2.社会保障制度……60歳定年制を前提とすると“25年以上の保険料納付”の年金受給資格を得るためには、35歳までに保険料の納付実績が必要であり、企業には更に独自の『企業年金制度』を持っているところも多いため、(年金・福利厚生の平等感覚や横並び意識などから)入社以前の社会保障制度の加入状況が曖昧な35歳以上の人材(フリーランス・フリーターなど)を敬遠する傾向があった。

これはどちらかというと、『転職限界説』というより『(フリーランス・フリーター・無職から正規雇用への)就職限界説』というのに近いかもしれない。

現在でも、新卒採用で入社した大きな会社にできるだけ長く在籍し続けること(社内での職位・評価を高めること)が最大のキャリア自衛策だという考え方は確かに強い。

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